占い
1.
土曜の昼下がり、東京魔術倶楽部のサロンは、いつになく賑わいを見せていた。伯爵夫人が、占い師とその助手を連れて訪れたのだ。
夫人の趣味は占いで、この日も会員たちに熱心に声をかけていた。
「ぜひとも、この方の占いをお試しくださいませ。」
占い師は中年の男性で、細縁の眼鏡の奥に鋭い目を光らせていた。隣に控える少女は彼の助手らしく、控えめでどこか疲れた表情を浮かべていた。
興味津々の橘が手を挙げた。
「面白そうですね、俺もお願いします!」
占い師は深々と頭を下げ、静かに口を開いた。
「私どもは、人から受けた怨みや妬みの影響を読み取り、それをもとに未来を占います。」
興味を持った会員たちはすぐに列を作った。「商売で恨まれていないか心配で……」「家庭に不和がないか知りたくて」など、さまざまな悩みが飛び交った。
占い師は穏やかに耳を傾け、「あなたの誠実さが信頼を得ています」「もう少し柔らかく接してみましょう」などと、それらしい助言で場の空気を和ませていった。
橘は笑顔で席についた。
「よろしくお願いします。」
占い師は橘を見つめ、諭すように言った。
「ご両親を少し心配させているようですね。やりたいことを優先しすぎていませんか?」
橘は肩をすくめて苦笑した。
「まあ、当たらずとも遠からずってところですね。」
一方、伊達は離れた席で紅茶を飲みながら、冷ややかな視線を占いの様子に向けていた「全く馬鹿らしい」そう心の中で呟いていると、伯爵夫人が笑顔で彼の元へと歩み寄った。
「こちら、帝大の教授でいらっしゃるのよ。」
紹介された占い師は伊達を見て静かに言った。
「学者であれば、研究の嫉妬は避けられぬもの。しかし、学生には少し優しくされるとよろしいでしょう。」
伊達は「一般論だな」と思いながらも、適当にうなずいた。
「……そうかもしれませんね。」
その時、倶楽部の扉が開き、河村が入ってきた。手には近江屋洋菓子店の紙袋。中には焼きたてのアップルパイが詰まっている。
「賑やかですねぇ。」
河村はにこやかに笑いながら袋を給仕に手渡した。
「皆さんでどうぞ。私の分は多めにお願いしますね。」
夫人とは初対面だったようで、軽く一礼しながら自己紹介をした。
「河村学と申します。海軍の軍医でして。」
占い師は河村をじっと見つめ、すぐに口を開いた。
「あなたは人の恨みを買うような方ではありませんね。」
「光栄です。」
河村は穏やかに微笑んだが、その笑顔の奥にわずかな翳りがあった。
助手の少女が、ふと河村に目を向け、その顔色を変えた。
やがて河村は伊達の隣に腰を下ろし、アップルパイを一口。
「全く、当てにならん占い師だ。」
伊達がぼやくと、河村は小さく笑った。
「いえ、本物ですよ。」
そして、小声で付け加えた。
「あの助手さんは、ね。」
何かを言いかけたが、河村はそれ以上言葉を続けなかった。
最近引き受けたばかりの“汚れ仕事”が、河村の胸の内に重く残っていた。だが、それを一切表には出さなかった。
「気分転換に出かけない?」
橘が声をかけると、河村は少し意外そうな顔をしたあと、穏やかにうなずいた。
「たまには悪くないかもしれません。」
「乗馬なんてどうだ?」
伊達が提案し、橘は目を輝かせた。
「いいね!」
「では、お供させていただきます。」
河村は穏やかに笑った。
翌日午後、三人は東京郊外の乗馬クラブに集合した。
広々とした敷地には厩舎が立ち並び、整えられた馬場では数頭の馬が静かに歩いていた。
伊達はすでに黒の乗馬帽と白の乗馬ズボンに身を包み、厩舎の前で馬上にいた。完璧な姿勢と流れるような動作で手綱を操る姿は、係員の目を引くほど洗練されていた。
河村は実用的な軍用の乗馬服で現れ、馬に声をかけながら優しく手綱を取った。無駄のない騎乗姿勢には、実戦訓練を受けた者らしい落ち着きがあった。
「伊達さんほど優雅ではありませんが、多少は慣れています。」
河村は柔らかく笑って馬を歩かせた。
一方の橘はというと――
「橘様、馬が懐きすぎております。少しお待ちを!」
「懐きすぎってどういうことですか?」
橘が困惑する中、栗毛の馬は甘えるように橘の足元に顔を擦りつけていた。
その様子に伊達が鼻で笑った。
「馬にまで甘やかされているとは。」
「僕は人にも馬にも愛されるタイプなんですよ。」
橘は誇らしげに言った。
三者三様の騎乗姿に、見守る者たちの視線が集まった。
完璧な伊達、熟練の河村、天性の橘。全く異なる存在でありながら、不思議な調和がそこにはあった。
騎乗を終えた三人が厩舎に戻ろうとしたとき、河村の視線が遠くで会話を交わす一組に留まった。海軍高官と、外国の外交官らしき人物。
その表情は穏やかだが、河村の目は鋭くなっていた。
「申し訳ありませんが、急な用事を思い出しました。」
伊達と橘に向き直ると、河村は静かに頭を下げた。
「何かあったのか?」
伊達が問うが、河村は微笑みだけを返した。
「仕事ですので。」
その言葉に含まれた“何か”を察しながらも、伊達はそれ以上は問わなかった。
「また一緒に乗ろうな。」
橘が声をかけると、河村は軽く頷いた。
「ええ、ぜひ。」
河村が去ったあと、橘は馬小屋に寄り、栗毛の馬を撫でながらふと呟いた。
「……河村、何があったんだろうな。」
伊達は短く答えた。
「仕事だそうだ。」
夕暮れの空が茜色に染まり、馬場の遠くに蹄の音だけが残っていた。
ただ、ただ、3人の乗馬姿が見たかっただけです。
河村さん、背後に何しょってんだろう?




