運の天秤
1.
昭和初期、不況にあえぐ世間の暗さとは裏腹に、東京のあるホテルの一角にある東京魔術倶楽部では、上流階級層や富豪たちが集い、不思議な品々や奇妙な話題を楽しんでいた。
ある日の夕方、その一室で会員たちが輪になり、一人の男が持ち込んだ品物を囲んで話に花を咲かせていた。その男は40代半ばの最近ひと財産築い安岡で、彼の手には古びた銀色のブローチが握られていた。
「これを手に入れてから、私はついていて仕方ないんです!」
安岡は興奮気味に話し始めた。半年前に上野の骨董市で買ったというそのブローチは、ブドウに蜂がとまった簡素なデザインで、一見ただの古ぼけたアクセサリーにしか見えなかった。
「商談は全て成功するし、株も良いタイミングで売買できるし。当たり前のように電車では座れるんですよ。」
しかし、その顔には不安が混じっていた。
「だけど……こんなに運が良すぎると、逆に怖いんです。いつか反動がくるんじゃないかって……。かと言って手放したら手放したで、座敷童子の話みたいに、不幸が訪れるかもしれないでしょう?」
それを聞いていた橘が、椅子にもたれかかり欠伸をしながら言った。
「一生の運の量が決まってるわけじゃないですし、そんなに気にする必要ないんじゃないですか?」
隣で静かに聞いていた支配人が、不気味な微笑みを浮かべながら言った。
「確かに運というのは流動的なものですからね。ただ……逆の性質を持つ品物もございますよ。不運を呼ぶアイテムなら、ここにはいくらでもございます。」
安岡は眉をひそめた。
「そ、それは……興味はありますが、使いたくはないですね。」
支配人は淡々と話を続けた。
「まあ、厳重に封印しておりますからね。封を解いた場合は、キチンと責任を取っていただきますが。」
その言葉に橘が食いついた。
「不運のアイテムなんて、本当に効果があるんですか?ちょっと試してみたいですね。」
隣の伊達がため息をつきながら言った。
「またくだらないことに首を突っ込むのか。まあ、どうせ止めても無駄だろうけどな。」
「試してみなきゃ分からないだろ?」
橘はいたずらな笑顔を見せた。
2.
支配人は橘を地下倉庫へ案内した。狭い階段を下りた先に広がるのは、重々しい扉で仕切られた空間。無数の木箱が整然と並び、それぞれに術式の封印が施されていた。支配人がそのうちの一つを開けると、中から小さな木製のペンダントが現れた。
「これが、不運を呼ぶアイテムの一つです。持つ人の運気を微妙に下げる効果があります。ただ、命に関わるような大不幸にはならないので、ご安心を。」
橘はペンダントを受け取り、目を輝かせながら「ちょっと試してみますねかね。」
と弾んだ調子で言った。
3.
ラウンジに戻ると、橘はペンダントを首にかけ、カードゲームでその効果を試すことにした。彼は普段、カードゲームで無類の強さを誇っていたが、その日は様子が違った。
勝負はことごとく相手に傾き、最後には手札にジョーカーばかりがくるという不運ぶり。
「まあ、確かにいつも通りにはいかないけど、この程度か。」
橘は肩をすくめた。
「じゃあ、次は伊達が試せよ。」
橘はペンダントを伊達に渡した。伊達は渋々それを受け取ると、
「ちょっと手を洗いに行ってくる。」
と言ってラウンジを出た。
しかしその直後、伊達は災難に見舞われる。洗面台の蛇口が突然壊れ、冷たい水が勢いよく吹き出し、彼をびしょ濡れにしたのだ。慌てて眼鏡を外しながらタオルを探していたところ、足元に置かれていたマットにつまずき、派手に転んでしまった。
戻ってきた伊達は、割れた眼鏡を手に苦笑いを浮かべながら言った。
「どうやら私には効きすぎるらしい。ほら、君がこれを持て。」
そう言ってペンダントを橘に押し付けると、支配人からタオルを借りて濡れた髪を拭き始めた。
4.
後日、安岡は倶楽部に再び姿を見せた。彼は橘から『不運を呼ぶペンダント』を借り受け、試しにブローチと一緒に使ってみることにしたという。そして一週間後、再び倶楽部に戻ってきた時には、顔に晴れやかな表情を浮かべていた。
「ようやく平穏な日常に戻りました。運が良すぎることも、不運すぎることもない。普通が一番だと気づきましたよ。」
橘は笑いながら言った。
「運が良すぎて怖いなんて、贅沢な悩みですよね。」
すると伊達がぼそりと返した。
「君には一生わからないだろうよ。」
橘は楽しそうに笑った。




