書庫にて
東京にある格式高い東京魔術倶楽部の地下には広大な書庫が広がっている。重厚な扉の向こうに広がるその空間は、湿り気を帯びた空気と古書の香りで満ち、薄暗い灯りが無数の書棚を照らしていた。
この書庫には、魔導書や古文書、失われた術式の記録が収められている。そのすべてを把握している者などほとんどおらず、整理が必要な時には、クラブの会員の中でも鍵は持っている地位の高くない者が選ばれるのが常だった。
その日、書庫整理の任を受けたのは、橘、伊達、そして河村の三人だった。三人とも魔術倶楽部の会員歴は長いものの身分は中堅程度。能力は確かなため、面倒な仕事を任されることが多かった。
「地下書庫の整理、お願いいたしますよ。鍵をお持ちの身分の高い方に頼むわけには参りませんので。」
支配人がどこか申し訳なさそうに言った。
「なるほど、失礼極まりない発言ですね。」
橘は支配人の言葉に軽口を叩き、他の二人を促して地下への階段を降り始めた。
2.
書庫の扉を開けた瞬間、三人は鼻をつく湿気と古書の香りに顔をしかめた。並び立つ書棚は壮観だが、それ以上に膨大な量に圧倒される。
「さて、どこから手をつけるかね。」
橘が棚を眺めながらつぶやいた。
「この量だと、一週間は虫干しだけでかかりそうだな。」
伊達が本の背表紙を手で払うと、埃が宙を舞った。
「虫干し?それ、書庫の本が消えたり異臭を放つ原因になりませんか?」
冷静に指摘したのは海軍少佐の河村だった。
三人は手早く分類を始めた。ところが整理の最中、橘がふと声を上げた。
「おや、これ見てみろよ。『未来の自分に会う方法』だと。」
橘が古びた装丁の魔導書を手に取ると、伊達と河村も興味深そうに覗き込んだ。
ページをめくると、そこには未来の自分を召喚する手順がびっしりと記されていた。
「必要なもの、普段使っている物品と聞いたことのない薬草、何かよく分からない魔術具、……これは現実的じゃない。」
河村はページを指差し、呆れたように笑った。
「とはいえ、面白そうですね。」
河村はポケットから手帳を取り出し、ページを一枚を破ってしおり代わりに挟んだ。
「後でじっくり読むとしましょう。」
3.
整理の結果、修繕が必要な古書がいくつか見つかった。それらを手に支配人に報告すると、三人はラウンジへ向かった。まだ太陽が西に沈みかけた程度の早い時間だった。
「よく働いたし、乾杯といこうか。」
橘がグラスを掲げ、伊達もそれにならった。橘と伊達がビールを飲む中、河村はオレンジジュースを注文した。
「河村も飲めばいいのに。」
橘が促したが、河村は軽く首を振るだけだった。
その時、河村は近くの席に座っていた令嬢がちらちらとこちらを見ていることに気づいた。河村は橘に軽く肘打ちをし、声をかけるように促した。
「どうなさいました?」
橘の問いに促されるまま、令嬢は堰を切ったように話し始めた。
「銀座で……私そっくりの人を見たんです。まるで鏡を見ているようでした。それで……あの、ポーの小説にあるような……」
「ウィリアム・ウィルソン、ですか。」
伊達が応じると、令嬢は大きく頷いた。自分を破滅に導くドッペルゲンガーである。
4.
三人は調査を引き受けたが、真相はすぐに明らかになった。令嬢にそっくりな人物は、父が外に作った妾の子、つまり腹違いの姉だった。
「これは難しい話だな。正直に伝えるのはまずい。」
橘が困惑すると、伊達も同意した。
「鉢合わせを防ぐしかないか。妾宅を引っ越させるとか、または似ないように姉の髪型を変えてもらうとか。」
三人は作戦を練った。
ちょうどその時、修繕を終えた本が戻ってきたため、三人は気分転換も兼ねて再び書庫へ向かった。
扉を開けた瞬間、ひんやりとした空気が流れ出し何か異様な気配を感じた。書棚の間に立っていたのは、少しだけ歳をとった姿の河村だった。
三人が声をかける間もなく、その姿はすぐに消え失せた。
「今のは……」
橘が口を開いたが、河村は表情を変えず、もう一人の自分が立っていた場所を調べてはじめた。
「生き別れの兄か?」
橘が冗談めかして言うが、河村は答えなかった。
その時、伊達が一冊の本を手に取り、驚きの声を上げた。
「見てみろ。しおりに使った手帳の切れ端が消えてる。代わりにこれが挟まってるぞ。」
そこには、河村のメモに代わって空也最中の包装紙が挟まれていた。包装紙には
『昭和七年五月十五日』
の製造年月日が印刷されていた。
「あの本に書いてあったな。未来の自分に会うためには、普段使っているものが必要だと。」
伊達が呟くと、河村がぽつりと言った。
「自分、昭和7年までは生きてるんですね。」
結局何が起こったか分からず、三人は再び黙り込んだ。
「さて、これはどう飲み解く?」
河村が冗談めかして言い、倶楽部の小さなバーへ戻ることを提案した。彼らは再び地上へ戻り、地下での不可解な体験を忘れるかのように、酒とジュースを手に取った。
「さっきのは、何だったんだろう?」
橘がグラスを傾けながら尋ねた。
「わかりません。でも、確かに未来の私か、あるいは何か別の存在が居たのは確かですね。」
河村は自身の出現に動揺しつつも、平静を保とうとしていた。
伊達はグラスを手に取り、
「この倶楽部には、いまだに解明されていない力が潜んでいる。科学的には説明できないことが、この場所では起きる。」
と考えを述べた。
彼らはその後も、酒とジュースを飲みながら、笑い、話し、しかしその不可解な出来事を完全に忘れることはできなかった。
未来の河村が現れた意味を、三人が理解する日はまだ先の話である。
今宵もお越しいただき、まことにありがとうございます。⭐︎やご感想など頂けましたら、幸甚の至りにございます。
この話はだいぶ後で伏線を回収いたします。
ミスったのは現在の空也モナカは日曜日定休……
当時はやってたと思い込むことにしました。




