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初売り(4/4)

 三が日は穏やかに過ぎていった。ハナは庭には出たが表には行っていない。河村は大丈夫だと思っていた。

 明けて四日。河村にとっては久しぶりの海軍省への出勤日だった。竹内からは「車の手配がつかない。今日は自力で来てくれ」と連絡があった。


 橘を送り出したあと、ハナと一緒に通りに出てタクシーを探したが、朝早いためか一台もつかまらない。

「まぁ、子どもの足でも二十分はかかるまい。」

 そう言って、河村は歩き始めた。一月の空は澄み渡り、張りつめた冷気が肌を刺す。北国生まれの彼にとっては、それがむしろ心地よかった。


「お兄ちゃん。」

 ふいに、ハナが口を開いた。河村が足を止める。

「ありがとう……」

 この先、ハナの身に何が起こるかを思えば、その言葉を素直に受け取っていいのか迷いもあった。しかし、少しでも良い方へ導けたらと、河村は静かにうなずいた。


「さ、行くぞ。」

 一歩踏み出したその瞬間だった。向かいのビルの窓に、何かがキラリと光った。

 ──銃口か。

 そう思った次の瞬間、河村の意識は闇に沈んだ。


 目を覚ましたとき、河村はベッドの上にいた。身体を起こそうとした瞬間、胸に鋭い痛みが走った。

「まだ動いてはいけません。」

 様子を見に来ていた看護婦が慌てて医師を呼びに走っていく。

 

 すぐに入ってきたのは、見覚えのある顔だった。軍医学校時代に何度か顔を合わせた男──ここは、築地の施療病院か。

「河村少佐。新年早々、大変でしたね。」

 医師はそう言いながら、淡々とカルテにペンを走らせた。


「……撃たれたのですね?」

 河村が尋ねると、医師は軽くうなずいた。

「ええ。幸い、心臓は逸れました。ただ、肋骨が二本折れていて、軽い肺挫傷もあります。しばらくは安静が必要です。」

 そう言って、医師はサイドテーブルの上を指差した。そこには、破れた布の袋が置かれていた。 銃弾の痕が残るその布袋──それは、満州に赴く前、橘から贈られた御守りだった。

「袋の中に、薄い金属板と硬貨が入っていました。それが弾を逸らしたんです。もし、これがなかったら……」

 医師は言葉を濁したが、その先は言うまでもなかった。


「ハナは!?一緒にいた女の子は――いませんでしたか!?」

 河村が声を荒げると、医師はわずかに表情を曇らせながら、静かに答えた。

「搬送されたのは、少佐お一人でした。」

「そんなはずは……!」

 河村は無理に身体を起こそうとしたが、激痛に襲われ、呻き声を漏らした。

「──うぐっ……!」

「無理をしてはいけません。」

 医師は穏やかだが、きっぱりとした口調で言った。

「詳しいことは、明日以降、海軍省から説明があるでしょう。今はとにかく安静が第一です。少佐も……医師なら、そのくらいはお分かりのはずです。」


 翌日、竹内が果物の籠を手に病室を訪れた。 相変わらずの軽い足取りだったが、表情にはどこか翳りがあった。

「やったのは、陸の連中で間違いなかろう。──ま、証拠は何も残っちゃいないがな。」

 使われたライフルは特定の部隊に紐づくものではなく、市場にも出回る汎用型だったという。 ハナの痕跡も、きれいさっぱり消えていた。

「相当、大事なお嬢さんだったんだろうな。誰にとって、かは知らんが……今となっちゃ闇の中だ。」


 竹内は懐から煙草を取り出し、一本くわえて火を点けた。

「お前もどうだ?」

 箱を差し出してくる。

 河村は小さく苦笑し、胸を押さえながら首を振った。

「肺に穴が開いてますんで……ありがたく、辞退します。」


 竹内は、うまそうに煙を吐き出しながら言った。

「調べてやる──と言いたいところだが、もう腰が限界でな。三月で引退だ。」

 そう言って、備え付けの灰皿に煙草を押しつける。じっ、と短く音がして、火が消える。竹内はにやりと笑った。

「後任は、ちと面白い男だ。覚悟しとけ。……それとな、お前への引き継ぎも山ほどある。早く戻ってこいよ。」

 扉が閉まったあとには、煙草の残り香だけが、病室にうっすらと漂っていた。だが、それもすぐに消えていった。


少佐、最近こんなんばっかです(涙)

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