第3話 社交と書いて殴り合いと読む
突然だがこの世界には【権能】という概念がある。早い話が理屈では説明できない異能力であり過去に失われた魔術の一つではないか、と言われている。
【権能】の出現は完全にランダムでありいつ、どこで、誰に、どのように現れるのかも分かっていない。
また、仮に【権能】を得たとしても玉石混交であり【権能】を使って英雄になるものもいればただ平凡に一生を送るものもいる。
前者で有名な者はウェルノアイゼン家当主ローゼルトが挙げられる。【指揮官】と呼ばれる彼の【権能】は存在するだけで配下の能力を上げ連携力を強化するという地味ながら凄まじい効果だった。
事実としてローゼルトは数多の戦争において勝利を収めウェルノアイゼン家を大陸東方随一の勢力にした功績がある。
他にもイーゼルの若獅子ことアレクもまた【権能】を持っている。それは【獅子之心】というもので戦闘能力強化と相手を威圧するものだ。
そして、我らが主人公シュバルツにもそれは備わっていた。
名を【魅了】というその【権能】は前の2つと違い戦闘においては役に立たないものであった。
しかしながら、彼自身は残念がることなくむしろとても有用な能力だと思っていた。
その能力はデフォルトで相手が自身に好感を持ちやすくなり、意識して使えば強制的にこちらの言う事に惹かれる、というものだ。
もちろん、何を言っても良いというわけではなく当然相手を貶したり不利益をもたらしたりすれば好感はもたれないし相手の意思を無理やり捻じ曲げることなどはできない。
とはいえ、思考誘導が出来るというのは彼にとって素晴らしい能力だった。
さて、場面は監獄にてアレクを勧誘したところに戻るが当然シュバルツは【魅了】を使っていた。
この時点でアレクがシュバルツを完全に敵対視していれば【魅了】は通じなかっただろう。だがアレクはシュバルツが何を言おうとしているのかが気になってしまっていた。
そして、そうなった時に【魅了】を使われて抗える者は存在しなかった。
この日、イーゼルの若獅子はシュバルツによって牢から出されウェルノアイゼン家…………というよりもシュバルツに仕えることが決定された。
自身の命令が原因で3日間も寝込ませてしまった幼い孫からのお願いを無碍にできる祖父など存在しなかったのだ。
いずれ、謀略卿の番犬としてその名を知らしめることになる赤髪の少年は、その麗しき主を一生涯裏切ることはなく主もまた一番の信頼を置いたという。
ー·ー·ー
地下牢からアレクを釈放させた一週間後、シュバルツは祖父に連れられて社交会にいた。
本来、彼にとって社交というのは戦争よりかはマシだが出来れば避けたいというものだった。とはいえウェルノアイゼン家主催である以上、顔を見せないわけにはいかずウェルノアイゼン家に近しい家の子息や令嬢と談笑をしていた。
ちなみに名前を覚えるのが苦手な彼であるが長期記憶が苦手なだけで短期記憶は割と得意である。なのでこういった場では招待客リストを全て覚えていたりする。
また、社交界では目下の者から目上に声をかけてはならない、という暗黙の了解がある。さらに言えばウェルノアイゼン家はこの場においては最上位だったりするのでシュバルツが話しかけなければ誰もシュバルツと話せないのである。
社交界でそれをやるのは流石に、という意味でも名前を覚えるのは必要なことだった。
「レティナ嬢。お久しぶりです」
「お久しぶりでございます。シュバルツ様」
シュバルツは一通りの挨拶を終え取り敢えず見知った顔に声をかける。
静かに微笑みながら挨拶を返してきたのはレティナ·メル·トライセント。トライセント家はかなりの名門で歴史だけならウェルノアイゼンよりも古い家柄である。
そしてウェルノアイゼンとトライセントの人間の会話に入ってこれるものなど存在しない。自然と彼らは大勢に囲まれるという面倒なことを回避できるのだ。
「シュバルツ様の武勇、聞き及んでおりますわ。イーゼルの若獅子をお狩りになったとか」
「さて、私の武勇というよりもウェルノアイゼン家の部下が優秀であっただけですよ。トライセント家こそヒッタライト族を遂に駆逐なさったとか」
「私は何もしておりませんわ。それでも領民をあの蛮族から守れたとは僥倖であると思っております」
まあ、彼らの会話も互いを褒め称えながらマウントも取らなければならないので同格かそれに近い人間との会話も面倒なのだが。
なお、彼らは今握手しながら殴り合っている。
途轍もなく分かりにくいが元々臣従していたイーゼル家がウェルノアイゼン家に反乱を起こしたのはトライセント家を含む他家が関与していたという調査報告を受け取っているし数年前にヒッタライト族をウェルノアイゼン領から駆逐する際にトライセント領境に誘導している。
「そういえばヘルマン様を最近お見かけしないのですがどちらへ?」
「兄上ですか?兄上は父上と共にザクロノフ家と戦っております。先日、ザクロノフ領第二の都市デル·アライクが陥落したとのことですので本拠地であるゼードラが落ちるのももうすぐかと」
「ザクロノフ家ですか。確かあそこは女傑ルーシー·スライ·ザクロノフが居ましたね」
「ええ。既に戦死しているそうですが」
「…………流石はウェルノアイゼンといったところですか」
レティナは恐怖していた。
目の前の同年代の少年に、そして強大すぎるウェルノアイゼンに。
彼女はルーシー·スライ·ザクロノフに会ったことがあった。まだ幼かったこともありしっかりと話をした記憶はないが彼女の目に映った女傑は正しく当代の英雄だった。
いくら戦乱の時代とはいえ女が最前線で駆け回るなどあり得ない、と思っていた彼女にとって良い意味でショッキングな姿と言えた。
もちろん、ザクロノフ家とウェルノアイゼン家の間にある差が大きいことは理解していた。
理解していたがそれでもレティナにとって女傑が死ぬ姿、それも寄りにも寄って戦死する姿は想像できなかった。
「弱者が淘汰されるのは自然の摂理というものでしょう?」
「………………窮鼠猫を噛む、と古代の賢人も言っておりますが」
「さて、ザクロノフ家は窮鼠か、或いは生き残らんとする賢き獣か」
唐突にレティナは確信した。これはザクロノフ家のことを言っているように見えてトライセントに釘を刺しているのだ、と。
ザクロノフが窮鼠であるのならお前はどうなのだ、と。
「ザクロノフ家が……」
「はい?」
「ザクロノフ家が滅んだらウェルノアイゼンはどこへ向かうのですか?」
「………さて、未だ若輩である私には…「もし、どこぞやらでまた戦争を起こすのなら」………」
レティナはシュバルツの言葉を遮り発言する。それは少々マナーのなっていない行為だったが彼女はそれ以上に会話の主導権を欲していた。
「もし、どこぞやらで戦争を起こすのなら、トライセントはそれに惜しみない協力をするでしょう」
「………」
今度はシュバルツが黙る番だった。彼にはウェルノアイゼンを動かす力などない。しかしながらレティナにはトライセントを動かす力があるのだ、と彼は悟った。
自分と年はほとんど変わらないはずの少女は彼が祖父から伝えておけ、と命じられた内容の意味を理解するだけでなくこの場で返答したのである。
トライセントはウェルノアイゼンと共同歩調を取る、と。
今回の社交会においてウェルノアイゼン家が目指したのは来たるべき日の為に大きな勢力の中で敵となる家がどれくらい存在するのかの調査をすること。
ローゼルト以下、ウェルノアイゼン家上層部の人間たちがそれとなく探りを入れている。シュバルツもその指示を受けていた。
まあ、そうはいっても結局は子供同士の話でしかないので上手くすれば当主に伝わればいい、程度の期待であった。
「…、っ…ウェルノアイゼンは貴方の意思を歓迎するでしょう」
結局、シュバルツが言えたのはそれだけだった。