第1話 ウェルノアイゼン家
ウェルノアイゼン家当主、ローゼルト·フィルツ·ウェルノアイゼンはとあることで頭を抱えていた。
それは先日の戦闘で初陣を勝利に飾った彼の孫、シュバルツのことだった。
彼が孫可愛さ…………ではなく万一に備えるためとしてつけた副官は彼にシュバルツが戦闘に物怖じせず冷静に指揮を取った、と報告したが彼はそれを手放しで喜ぶことはできなかった。
「目の前に敵が来ても逃げようとすらしなかった、か」
報告書を手にしながら老人はつぶやく。
勇猛果敢にして大胆不敵、といえば聞こえはいい。とはいえローゼルトは自身の孫がそういった性質の持ち主でないことを理解していた。
そして勇猛果敢でもなく大胆不敵でもないのにも関わらず自身の命を屠りうる敵を恐れない。
彼はそういった類の人間を知っていた。
「自分の命に無頓着では困るのだがな」
ローゼルトは今回の戦闘でシュバルツが大敗しシュバルツ以外の全ての兵が死んだとしてもシュバルツさえ無事ならば問題ないと思っていた。
もちろん、それは極端な話であるしそんなことになればウェルノアイゼン家全体としても無視できない損害ではあるがそれでもウェルノアイゼン一族直系のシュバルツを失うことのダメージの方が大きい。
それは戦える人数の損害という目に見えるものではなく一族の権威が衰えるという形のものだった。
いずれにせよ、ローゼルトはシュバルツにこのことを理解させる必要があると考えていた。
「シュバルツを呼べ」
「畏まりました」
悩み多き老人はその皺に手を当ててこれからやってくるシュヴァルツにどのように話を切り出そうかを考え始める。
その姿はどう見ても久しぶりに会う孫をどう可愛がろうか、と悩む好々爺のそれであった。
ー·ー·ー
さて、ローゼルトがそんなことをしている頃、当のシュヴァルツはと言うと自室でだらけきっていた。
若獅子アレクとの死闘(?)から2日。慣れない馬上で長時間重い鎧で過ごしていた彼の体は戦ってもいないのにボロボロだった。
人が死ぬのも自分が殺されかねない状況も初めてのことだったが、筋肉痛に必死に耐えていた彼はそれどころではなかったので丁度良かったかもしれない。
ポーカーフェイスを最後まで保ち続けたのは流石というべきか。
「戦争など懲り懲りだな」
それが彼の偽らざる心境だった。ただし彼の場合はその主語に自分で、という文字がつく。
他人が争って流血が起こるのは知ったこっちゃないというわけだった。
「シュバルツ様。旦那様がお呼びです」
「ん……分かった。すぐ行く」
気怠そうに体を起こし服を整えさせる。体の節々の痛みはまだ消えていなかったが彼は厳格な祖父を待たせる気は更々なかった。
ー·ー·ー
「失礼致します。シュバルツ様をお連れいたしました」
「うむ。久しぶりじゃな、シュバルツ。一ヶ月くらいか」
「はい。お久しぶりでございます。お祖父様におかれましてはご息災のご様子、何よりでございます」
「そなたも元気そうであるな。欲を言えばもう少し大きくなっても良いのではないかとは思うが傍目には分からぬところで成長しているようだな」
実際の年齢よりも若く、あるいは幼く見えるというのはこの祖父と孫との唯一と言っていい共通点である。
前者はともかくとして後者は結構気にしているので苦笑いをするしかなかったがシュヴァルツにとって幸いなことに早く成長するために鍛錬を増やせ、とはローゼルトは言わなかった。
その代わりにローゼルトが口にしたのは先日のシュバルツの初陣についてだった。
「まずは、良くやった。かのイーゼルの若獅子を初陣で打ち破るとは儂も鼻が高い」
ローゼルトはまずは如何にも機嫌の良い老人といったふうに話を切り出し始めた。まあ、実際に機嫌は良かったので演技な訳でもないが。
「ありがとうございます。信頼できる部下と兵士に多くの点で助けられました。彼らがいなければ私など今頃は若獅子の腹の中でしょう」
「謙虚なのは良いことだが有能な部下を適切な役割にて使うことのできるのが良い指揮官というものだ。そなたに付けた副官、サイロスもそなたのことを敵を目の前にして一歩も引かぬ勇気を持ち合わせそんな状況下でも冷静に判断を下すことのできる優れた指揮官、と言っておったぞ」
「少々、過大評価が過ぎますな」
シュバルツは名前も忘れていた副官の思わぬ評価に苦笑する。ローゼルトもまたどうせ忘れているんだろうなと思いつつまだまだ未熟な孫を見る。
とはいえ彼は本来の目的を忘れたわけではなかった。
「まあ、それはともかくそなたは一歩も引かなかったのは事実らしいな。若獅子がそなたの目の前に現れたときも」
「あれは肝が冷えました。正しく獅子の如き武勇、敵ながら天晴、というものでしょう」
「然り。なれど儂が憂慮するのはそなたが己の命を粗雑に扱っておるということだ」
「粗雑に扱う、でございますか」
「そうだ。問おう。そなたは何者ぞ?」
「ウェルノアイゼン家当主ローゼルト·フィルツ·ウェルノアイゼン様の孫、でございます」
「そう、そなたは儂の孫じゃ。そしてそなたがもし死ねばウェルノアイゼン家自体に傷がつく。先程、そなたは過大評価といったがそなたはそなた自身のことを過小評価し過ぎている。傲慢は悪なれどいきすぎた謙遜はそれよりも悪いと知れ」
「………なるほど。確かに私はあのときもし勝てずとも最低限若獅子に傷を与えてから死んでやろうと思っておりました」
それは反省すべきことです、と続けたシュバルツに毒気を抜かれたのはローゼルトの方だった。本来ならば納得しかねる、と反論するだろうと思っていただけに次の言葉を探してその視線は少しの間宙を泳ぐ。
そして何故に祖父が自分を呼んだのかを理解したシュバルツは一つのアイデアを思いついた。
悪戯好きの子供のような目をした(風貌が幼いので本当に子供のように見える)シュバルツは言葉を紡ぐ。
「その意味で私は戦には向かぬのかも知れませぬ」
実際に彼は向かないと思っていた。如何に冷静に判断し如何に戦局を見る目があったとしても彼の身体は長時間の戦闘に耐えられないのだ。
「ですので今回が初陣でしたが戦の道ではなく私は文官になろうかと考えます」
「うぅむ………」
ローゼルトは割と呆れていた。確かに彼はシュバルツが名将になるとは思っていなかった。しかし彼の常識からするとシュバルツの年齢で騎士や武人に憧れない者などいないと考えていただけにシュバルツの提案は突拍子もないものであると言えた。
「そなたはまだ若い。武人か文官かそれは今決めずともよかろう。…………………数年すればそなたの体も成長するであろうしな」
結局、ローゼルトはその日のうちに結論を出すことはしなかった。シュバルツもまた特に結論を急がせようとは思っていなかった。
むしろ、事を性急に進めすぎた、と内心で反省していた。彼はそれはないと思いつつも彼の祖父が意固地になって強権をもって武人に育て上げようとすることを恐れていた
いずれにせよ彼はこのままローゼルトが素直に自分を文官にしてくれるとは思っていなかった。
ローゼルトは孫の意思と家の都合であれば後者を選択する人間である。本来ならばこの場で文官の道を断つべきだとローゼルトの理性は囁いていた。
それでも迷ったのは孫可愛さではなく数年経ってシュバルツが戦闘に耐えうる体に成長するかどうか自信が持てないでいたからであった。
結局、ローゼルトの悩みは一つ消えたが再び一つ追加されただけだった。