嫁が愛らし過ぎるのです
ここは、きちんと話しておくべきだ、と思う。
ジョゼフィーネは、おそらく、思い違いをして、不安になっているのだ。
初めての時以来、ジョゼフィーネとの口づけは、ディーナリアスにとって、快いものでしかない。
相性が悪いはずがない、と確信している。
それまでの女性とは、まったく違う感覚だったからだ。
最初は、自分の嫁だからだろうかと思った。
けれど、相手がジョゼフィーネだからだと、今は気づいている。
ディーナリアスは、彼女のなにもかもが愛しい。
口づけを交わしていても、心もとなげにしている姿に、胸がきゅっとなる。
こんなことなら、リスに言って、行事を後ろに倒させれば良かった。
リスは大変だっただろうが、それがリスの仕事なのだから、構うことはない。
婚姻や即位の祝祭行事が重なり、新婚旅行に出るのが遅くなったのを悔やむ。
早く2人だけで過ごせる時間を作るべきだったのだ。
ジョゼフィーネが、1人で思い悩む前に。
「多いかどうかはわからんが、確かに、女性とベッドをともにしたことはある」
言うと、ジョゼフィーネが、いよいようつむいてしまう。
比べられたくない、と思っているのかもしれない。
ディーナリアスに、そんなつもりはないし、比べることもできないのだが、それはともかく。
「手慣れた者ばかりであった。俺には婚姻する意思がなかったのでな。長く関係を続ける気もなかった。体の関係を、否定はせぬさ。だが、愛しく思い、夜をともにした者はおらぬ」
「そ、そう、なの……?」
「軽薄な男だとの誹りは免れぬやもしれぬがな」
もっと早くジョゼフィーネと出会っていたら、という仮定は無意味だ。
彼女とは政略的な婚姻を機に知り合った。
これは、ジョゼフィーネ自身にも言われたことだが、もしほかの女性が婚姻相手として現れていたら、その女性を正妃として娶っていただろう。
ジョゼフィーネとの出会いは、偶然の重なりに過ぎない。
「だが、お前は特別なのだ、ジョゼ」
出会いが偶然だとしても、だ。
今のディーナリアスにとって、ジョゼフィーネは、唯一の存在となっている。
彼女以外の女性など考えられない。
「え、えと……あ、あの……」
ジョゼフィーネが顔を上げた。
頬が赤く色づいていて、とても可愛らしい。
「す、好きになった、人は……いなかった、の?」
「おらんな。どういう心持ちになるのか、考えたことすらなかった」
言ってから、ちくりと胸の奥に嫌な痛みを覚える。
ディーナリアスは、ベッドをともにした女性がいても、心惹かれた者はいない。
が、ジョゼフィーネにはいたのだ。
それが、幼い感情であったとしても。
彼女には、婚姻を誓い合った男がいた。
ただの口約束に過ぎず、相手の男に、その気はなかったと知っている。
ジョゼフィーネにとっても、虐げられる環境で、救いを求めていただけだろう。
とはいえ、彼女は、その男を「好きな相手」として認識していたのだ。
「ディーン?」
首をかしげ、自分を見つめてくる菫色の瞳に、愛しさが募る。
その愛しさが、嫉妬心や独占欲もかきたてるのだ。
自分しか知らない彼女を見たかった。
大事にしたいと思うのと同じ心で、ディーナリアスは、ジョゼフィーネを快楽に泣かせたい、とも思ってしまうのだった。
「俺は、お前が思っておるより、邪な男なのだぞ?」
「よこしま……?」
膝に座らせているジョゼフィーネの頭を、ゆるく撫でる。
独占欲を振り回したくなっているみっともなさと、理性の維持が難しくなりつつあることへの情けなさに、内心で苦笑した。
そして、自分を信頼しきっている菫色の瞳に、若干の、後ろめたさを感じたりもするのだ。
自分が想像していることを彼女が知れば、飛んで逃げるのではないか、と。
「ジョゼは、いつ箱を開けてくれるのであろうかと考えておる」
ディーナリアスは、らしくもなく冗談を言ったつもりだった。
からかう台詞と口調に、ジョゼフィーネも肩の力を抜くことができるだろう。
急ぐ必要はないと思えるに違いない。
そんなふうに考えてのことだ。
なのに、ジョゼフィーネは、突然、顔を真っ赤に染めた。
あげく、ぴょんっと膝から飛び降りてしまう。
ディーナリアスは、自分がなにを間違えたのかが、わからず茫然とする。
声をかける間もなく、すたたたたっと、ジョゼフィーネが離れて行った。
「怯えさせてしまったか……」
正妃選びの儀の日を思い出す。
ジョゼフィーネは、適温であるはずの広間で、ぷるぷるしていた。
その後も、身を硬くして、緊張しっ放し。
その際、ディーナリアスは、自分はそれほど恐ろしく見えるのかと思ったのだ。
ジョゼフィーネが、自分を好いてくれているのは知っている。
だからと言って、男女の関係に慣れていない彼女が怯えるのは当然だった。
自分にとっては冗談でも、ジョゼフィーネにとっては違う。
体の関係を強要されたと捉えられている可能性もあった。
(我が君)
ほんの少し不機嫌さが滲む。
ジョゼフィーネを探し、誤解を解かなければと立ち上がったところだ。
リロイが重要な件でなければ、連絡して来ないとわかっていても、2人の時間を邪魔された気分になる。
ディーナリアスからすると、たった、ひと月の新婚旅行。
すでに半月しか時間は残されていない。
王都に戻れば、公務だのなんだので、否が応でも忙しくなる。
ジョゼフィーネと2人でゆっくりと過ごす時間も減るのだ。
(ご正妃様が、先にお休みください、と仰られております)
(先に……? ジョゼはいかがする?)
(あとからお休みになられる、とのことにございます)
ジョゼフィーネを、かなり怖がらせてしまったらしい。
まるで、巣穴に潜り込んでしまった子ウサギのようだ。
今さら、冗談だったと言っても、警戒心は解かれないだろう。
ディーナリアスは、大きく溜め息をつく。
(わかった。先に休むと伝えよ)
カウチから立ち上がり、寝室に向かった。
ジョゼフィーネの走り去ったほうを振りむいたが、姿はない。
明日の朝、しっかりと話をしよう、と思う。
ディーナリアスの中には、流すとか、そっとしておくとか、蒸し返さないとかの選択はなかった。
すれ違ったままにしておけば、溝は深まるばかりだ。
ディーナリアスは、勘違いから、ジョゼフィーネの言葉を聞かずに、口を封じたことがある。
そうしたことは1度で十分だった。
同じ過ちを繰り返す気はない。
ベッドに横になり、深い溜め息をつく。
なにから話をしようかと考えていた時だ。
キ…と、かすかに音がする。
扉が、わずかに開き、ジョゼフィーネが顔だけを覗かせていた。
「ジョゼ? なぜ入って来ぬ?」
「ちょっと……き、気合いを……入れてる……とこ……」
「気合い? どういう意……」
パッと扉が開き、ジョゼフィーネが飛び込んで来る。
「じゃじゃーん! な、なんちゃっ、て……」
軽く両手を広げてみせているジョゼフィーネは、恐ろしく可愛らしかった。
恥ずかしいのだろう、顔を赤くしている。
ぽすっ。
心臓に、なにかが刺さった。
ような気がした。
すくっと立ち上がる。
目をしばたたかせているジョゼフィーネを抱き上げた。
彼女は、ディーナリアスが選んだ「寝間着」を着ていたのだ。
リスが贈った艶めかしい物とは違うが、ジョゼフィーネの愛らしさを引き立たせているのは間違いない。
「は、箱、開けた、よ……? あ、あの、あのね……ディーンは、よこしまでも……カッコいいと……思う……」
ジョゼフィーネに、恰好の悪いところは見せたくないと思っている。
なので、心の中でだけ呻きつつ、なんとかぶっ倒れるのを阻止。
そして、冷静さを装いつつ、寝室に向かった。
(これはもう……なんとしても無理であろう……俺の嫁は愛らし過ぎるのだ……)
基になる話の直後に書いた話でしたので、かなりビクビクしておりました。
主人公、相手役ともに、前の話とは、まるで違うタイプでした。
なので、次を楽しみにしてくださっていたかたに「期待外れ」と言われるかもしれないと、ビクビクしておりました。
可愛さやカッコ良さにも、色々あるので、内容はワンパターンでもキャラクターは個性を出したいなぁと思いつつ、書いておりました。




