心の準備はできたはず?
ジョゼフィーネは、小さく溜め息をつく。
自分の勇気のなさにも、辟易していた。
なにかに積極的になったこともない自分を、十分に自覚している。
ここでの過ごしかたも、ディーナリアスに任せきりだ。
ジョゼフィーネには、基本的に自己主張というものがない。
強い意志で「こうしたい」と思い、行動することは稀だった。
とくに、ディーナリアスに対しては、従順と言える。
彼が怖いからでも、夫だからでもない。
好きだからだ。
ディーナリアスを信頼しているし、彼が楽しそうにしているとジョゼフィーネも楽しい。
彼が嬉しいと、彼女も嬉しくなる。
一緒にいられるのが幸せで、場所は関係なかった。
のんびり庭を散策するのも、城内を見て回るのも、ディーナリアスと手を繋いで歩いているだけで、胸が暖かくなる。
2人の会話は、そう多くはないのだが、それでも気まずさはない。
自分のたどたどしさを、彼が待ってくれるからだ。
こういう言いかたは、本来、自分には分不相応なのかもしれなかった。
けれど「愛されている」と感じる。
なのに。
ディーナリアスに、なにも返せていない。
ベッドをともにすることを「つとめ」だと考えてはいけないと、ディーナリアスからは言われている。
ジョゼフィーネも、今はもう「つとめ」だとは思っていなかった。
とはいえ、なにもなければないで、不安にもなる。
女性として求められてはいないのだろうかと。
口づけから先に進めないのは、自分の身体的な魅力のなさではないのかと。
(あれも……まだ、開けて、ないし……)
ディーナリアスから渡された箱に、思いを巡らせる。
自分から頼んでおきながら、箱の蓋すら開けていなかった。
そういう雰囲気にならなかったというのもあるけれど、開くのが怖かったのだ。
開いてしまえば、後には引けない。
中に入っているものを手にすることになる。
それが怖かった。
はっきり言って、ジョゼフィーネは、男性とベッドをともにする「状況」というものを想像できずにいる。
どうすれば、そういうことになるのか。
ディーナリアスが主導してくれるのだろうし、その流れに、自分は身を任せればいいと、そう思っていたからだ。
が、実際には、ディーナリアスは、なにもしてこない。
一緒に眠っていても、王宮にいる時と同じ。
(でも……あれを、着たら……私が誘う?みたいな……?)
婚姻祝いに、リスからもらった寝間着は、ディーナリアスの好みではなかった。
そのため、ジョゼフィーネは、ディーナリアスの好みの寝間着を選んでほしいと頼んでいたのだ。
そして、ディーナリアスの好みらしき寝間着が「箱」には入っている。
(に、似合わなかったら……がっかりされる、かもしれないし……)
ジョゼフィーネが怖いのは、ベッドをともにすることでも、誘うような寝間着を身につけることでもない。
その寝間着が自分に似合わなかったら。
ディーナリアスを落胆させたら。
結果、拒まれたら。
それが、怖いのだ。
ジョゼフィーネは、駄目なら再挑戦、などという勇気が持てずにいる。
前世も含めて、初めて恋をして、好きになって、絶対に離れたくないと思えた人なのだ。
1度でも失敗したら、2度と踏み出せそうにない。
「ジョゼ」
声をかけられ、顔を上げた。
ディーナリアスは、とても真面目な顔をしている。
彼は、なにに関しても、生真面目に物事を考える性格の人だった。
「体には相性というものがある」
「相性……?」
「そうだ。誰しもが胸の大きな女を好むとは限らんのだ」
「そ、そう……? だけど……大きいほうが……いいのかなって……」
「リロイは、大きさより形だと言っておったぞ」
「え…………」
ジョゼフィーネは、言葉をなくす。
あのリロイが、そちら方面のことを考えていたなんて信じがたかったのだ。
女性に興味がないものとばかり思っていた。
しかも、そんな具体的なことを言うとは、意外過ぎる。
(そ、そう、なんだ……大きさだけじゃなくて……形……私は、どうなんだろ……それも……自信、ないな……あんまり、見ないけど……)
王宮に入ってから、自分の体を自分で洗うことがなくなった。
ここにも同行しているが、ジョゼフィーネ付きの侍女サビナを含めて、何人かの侍女が世話をしてくれる。
それが「正妃」として当然らしい。
とはいえ、不慣れなジョゼフィーネにとっては恥ずかしいことだった。
だから、洗われている時には、極力、意識しないよう、自分の体も、侍女たちのことも見ないようにしている。
自分の体だというのに、大きさはともかく、形まで正確に把握はしていない。
(……相性……相性って、なに……? まさか……)
思い立った時、ザッと血の気が引いた。
ディーナリアスが口づけ以上をしないのは、そのせいなのではないか。
1度だけ胸にふれられたことがあるのを思い出していた。
(せ、生理的に、受け付けない……ってこと、かも……あるよね、そういう……)
ジョゼフィーネが前世で、人と関わりを持っていたのは、12歳頃までだ。
性格など、とくに嫌いでもなかったのに、どうしても生理的に受けつけない、と感じる教師がいたのを覚えている。
そして、恋をしていたはずの、幼馴染みであるアントワーヌのこともあった。
口約束ではあったし、相手は本気でもなかったが、アントワーヌとは婚姻の約束までしていたのだ。
なのに、実際にふれられると、嫌な感じがした。
その頃にはもうディーナリアスに恋をしていたからかもしれないけれど。
「ジョゼ? 顔色が優れぬようだが、いかがした?」
「……ディーンは、私にさわるの、イヤじゃ、ない……?」
「毎日、さわっておるではないか」
「そうじゃなくて……」
ジョゼフィーネの頭は、かなり混乱気味。
子供ができなくてもかまわない、と言っていたのは、自分の体に興味がなかったからかもしれない、とさえ思い始めている。
1度だけ胸にふれた際、嫌悪感をいだかれたのかもしれない、とか。
きっと「相性」が悪かったのだ。
「なにを考えておる?」
くいっと、顎を持ち上げられる。
緑色の瞳で見つめられ、じわ…と涙が浮かんできた。
この人に嫌われたら、自分はどうなるのか、と思う。
ましてや「生理的に受け付けない」だなんて最悪だ。
「私、ディーンと……あ、相性……悪かった……?」
「それはない」
ジョゼフィーネの目元を、ディーナリアスが親指で撫でている。
その瞳の緑が、わずかに濃くなった気がした。
すいっと唇が近づいてくる。
ディーナリアスの胸のあたりを握り締め、目を伏せる。
(あ……くるんって……する……ほう……)
重ねた唇の間から、やわらかなものが滑り込んできた。
くるんっと、ジョゼフィーネの舌が絡めとられる。
新婚旅行に来てから、初めてだ。
それも不安の種だった。
くるんっという感触が、心地いい。
体の相性は定かでないけれど、口づけの相性はいいのだろう。
ディーナリアスも、くるんとする口づけは好きらしいし。
(体の相性……まだ、わかんない、だけ……なのかな……?)
口づけの甘さに、少しだけ前向きになる。
ジョゼフィーネは、勇気を出してみようか、と頭の隅で思っていた。