訊きたいことが多いのです
きょにゅう。
おそらく、前世の記憶にある言葉だろう。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネに前世の記憶があると打ち明けられていた。
彼女の記憶にある言葉とロズウェルドで「新語」とされている言葉は、ほとんど一致している。
その「新語」をまとめた「民言葉の字引き」を編纂したのは、ディーナリアスの曾祖父だ。
かつて新語を使っていた女性は、自分と同じ世界から転生してきたのかもしれないと、ジョゼフィーネは言っていた。
が、その女性は、すでに他界しているため、確かめるすべはない。
ディーナリアスの曾祖母にもあたる女性なのだが、どういう人であったのかは、ほとんど文献が残されていないのだ。
なでなで、なでなで。
ジョゼフィーネの薄い緑色をした髪を撫でる。
菫色の瞳が、小さく揺れていた。
(意味を聞くべきであろうか。いや、しかし……俺が、その“きょにゅう”を好みとしており、自分はそうではない、とジョゼは思っておるようだ)
言葉について深く聞くのは、あまり良い方法ではない気がする。
ジョゼフィーネは、小さなことにも傷ついてしまう、とても脆い女性なのだ。
ほんのちょっぴりも傷つけたくはない。
ディーナリアスが、誰よりも大事にしている「嫁」でもある。
「なぜ、そのように思ったのだ?」
「……ディーンは、たくさん、ある、から……」
「たくさん?」
ディーナリアスは、ジョゼフィーネの言葉を組み合わせて考えてみる。
彼女は、言葉を操るのも苦手だった。
が、そうしたところも、愛しいと思っている。
少しも面倒には感じていない。
胸が小さい。
きょにゅうのほうがいい。
たくさんある。
ジョゼフィーネは、右手でディーナリアスの左胸あたりをつかみ、反対の手で、自分の胸を隠すようにしている。
うつむいて、眉を、ふにゃりと下げていた。
ひどく心もとなさそうな表情だ。
(そうか……ジョゼは……)
彼女の心情に思い至ったところで、呻きそうになる。
またもや自制心が吹っ飛びかけた。
ジョゼフィーネには自覚はないのだろうし、それはわかっている。
彼女は、けして「誘って」などいないのだ。
本気で不安になっていると、頭では理解している。
なのに、ディーナリアスは、そういう、いちいちに勝手に煽られていた。
そう、勝手に。
ジョゼフィーネは、肌の透けるような寝間着も着ていないし、ディーナリアスを誘うような仕草ひとつ見せない。
ロズウェルドでは完全に大人と見做される16歳という年齢に対して、彼女は、とても幼いのだ。
男女のいとなみについても、どこまで知っているか。
(体を気にしておるのだから、少しは知識があるのだろうが……)
具体的なことまでは、わかっていないと感じる。
わかっていれば、身体的な特徴など、ひとつの指標に過ぎないとわかるはずだ。
女性の体は、それぞれに違う。
そもそも。
(胸の大きさが、それほど重要であろうか?)
確かに、大きな胸は、さわり心地はいいかもしれない。
さりとて、体を重ねるとなれば、大きければ良いということにはならないのだ。
少なくとも、ディーナリアスは、自分だけが快楽を得られる行為はない、と思っている。
相手も快くなるから、より深い快楽が得られる、と考えていた。
ディーナリアスは、こういった場面についても、生真面目に向き合っている。
たとえ欲を満たす行為であったとはいえ、好き勝手に女性の体を扱ったりはしてこなかった。
相手が、ジョゼフィーネとなれば、なおさら慎重にならざるを得ない。
ある意味、ディーナリアスにとっても初めてのことだからだ。
今まで、ベッドをともにしてきたのは、手慣れた女性ばかり。
婚姻する気がなかったので、いっときの関係だと、お互い割りきれる相手としか体の関係は持っていない。
男性を知らない女性との経験はなかった。
参考になるかは不明だが、自分1人で結論づけるのも危険と判断する。
本来、国王は魔術が使えないとされているし、ジョゼフィーネにも隠していた。
が、ディーナリアスは、実は魔術を使える。
ジョゼフィーネの手を握りつつ、側近に呼び掛けた。
(リロイ、リスを呼べ)
(かしこまりました、我が君)
リロイは多くを語らなくても、きちんと心得ている。
姿を現すことなく、ディーナリアスの即言葉に応じてきた。
即言葉は、特定の相手との会話を可能にする魔術だ。
もちろん、直接にリスこと、宰相のリシャール・ウィリュアートンに連絡をすることもできる。
だが、それは側近であるリロイを無視することになるため、ディーナリアスは、必ずリロイを通じてリスと連絡を取るようにしていた。
リロイが、それを不満に思ったりしないとわかっていても、あとから重ねて説明するほうが、よほど面倒でもあるからだ。
(っんだよ、うるせえなあ! 新婚旅行中に、ちょくちょく連絡してくんなよ! いつも、どーっでもいいことばっか……)
(お前は、きょにゅうが好みか?)
(は? なんだって?)
(きょにゅうだ)
即言葉ではなく、複数で会話のできる集言葉をリロイが使っている。
当然に、リロイにも聞こえているはずなのだが、たいていは、口を挟まない。
(リロイ、お前はどうか?)
(恐れながら、我が君。私は、きょにゅうという言葉がわかりかねます)
(あー、そういうことか。なんだ、リロイ、わかんねーのかよ)
魔術での会話は、声の抑揚がほとんど伝わらない。
それでも、リロイのムッとした雰囲気が伝わってくる。
(だいたい野菜のリロイに、女の体のこと聞くほうが、どうかしてるぜ)
(それは、かぼちゃのことであろう? そうか、リロイはかぼちゃであったか)
(いいえ、そういうわけではございません、我が君)
王族の文献の中で、かぼちゃというのは、性に関心のない者と記されていた。
ロズウェルドで使われることはないし、どちらかと言えば秘匿に近いことだ。
なぜリスが知っているのかは、この際、問わないことにする。
リスは、ディーナリアスが知らないような、巷の事柄にまで精通しているので、気に留める必要を感じなかった。
(あっそう。んじゃ、お前は、胸の大きい女が好きってことか)
(リス、あなたは単純に過ぎますね。大きさなど、さほど意味はありません)
(そうか。俺も、そう思うのだ)
ディーナリアスの同意に、リスが不満そうに鼻を鳴らす。
リスは大きさにこだわりがあるのかもしれない、と思った。
(けど、大きいほうが目につくだろ? つい見ちまうってのはあるじゃねーか)
(いいえ、大きさではありません。形です)
(形…………そういうものか)
三者三様。
意見がバラバラになってしまった。
参考になったような、ならなかったような。
(ていうか、ディーンは、どうなんだよ? デカさ? 形?)
(どちらでもない)
(どちらでもない、と言いますと……)
2人の意見は意見として尊重はする。
そういう「好み」も実在するのであれば、ジョゼフィーネが気に病んでいることにも納得がいった。
さりとて、ディーナリアスの観点は、いずれとも違う。
(反応だ)
(反……っ……ディーン、それは言わ……)
繋ぐのはリロイに任せたが、切る際には、自分で切る。
術者にしか魔術は解けないとされていても、ディーナリアスには関係ない。
訊きたいことは訊けたため、ジョゼフィーネのほうに意識が戻っていた。
まだしょんぼりしている彼女を安心させなければ、と思う。
(ジョゼは貴族教育を受けておらん。それゆえ、なおさら不安になるのであろう)