なにかあってもいいのでは?
薄い緑色の髪が、肩から胸元に落ちている。
染めているのではなく、生まれた時から、この色だった。
最初は馴染めなかったが、16年もつきあっていれば、嫌でも慣れる。
それでも、未だに「普通の」色だったら良かった、と思うことはあった。
彼女、ジョゼフィーネは、4ヶ月ほど前に婚姻をしている。
相手は、大国ロズウェルド王国の王太子だ。
彼は、ジョゼフィーネとの婚姻により、正式な王位継承者となり、その後すぐに王位についている。
つまり、今は、その大国の国王、ということ。
「ジョゼ、疲れてはおらんか?」
「だ、大丈夫……」
ジョゼフィーネは、ロズウェルド王国の人間ではない。
元は、隣国リフルワンス国の公爵令嬢だ。
政略的な婚姻をするため、ロズウェルドを訪れた。
2人は、現在、新婚旅行中。
王都から離れた、レクハッグという場所に来ている。
王族ご用達の静養地であり、王族以外の者は出入りを禁じられているらしい。
今回は、新婚旅行だからか、護衛も必要最小限だった。
侍女と侍従が、それぞれ5人程度。
門衛となる近衛騎士は連れて来ていなかった。
王宮にいる時のことを思えば、確かに少ないと感じる。
王宮とは比較にはならないものの、ここも「城」なのだ。
1人で歩き回れば、確実に迷子になるだろう。
そう思うくらいには広い。
今いる広間も、ジョゼフィーネの感覚からすれば、ものすごく広いのだ。
ただ、護衛に関しては、なんの心配もしていなかった。
ロズウェルド王国は、この大陸で、唯一、魔術師がいる国だ。
彼もジョゼフィーネも魔術は使えないが、頼りになる側近魔術師がいる。
リロイという名の魔術師は、とても忠実で、優秀だと知っていた。
なにかあったとしても、リロイが対処するに違いない。
なでなで、なでなで。
ジョゼフィーネは、頭を撫でられ、頬を赤くしてうつむいた。
彼は、彼女の頭を、よく撫でてくれる。
大きなカウチで膝抱っこも、今ではあたり前になっていた。
ロズウェルドに来てから、彼は、ずっとそういう調子だからだ。
けして、めずらしいことではないのに、なんだか気恥ずかしい。
(や、やっぱり……新婚、旅行、だから……)
どうしても意識してしまう。
ジョゼフィーネは、特異な生まれであり、彼に出会うまでの人生は最悪だった。
日本と呼ばれる国から、なぜか、この世界に転生。
前世で、彼女は、引きこもりのハイパーネガティブな生き方をしていた。
今世でも貴族令嬢として産まれながら、様々な事情で、その生き方は変わらず、後ろ向きな生活を続けていたのだ。
ジョゼフィーネは、ちらっと横目で「夫」となった人を見やる。
とたん、ぶわっと顔が熱くなった。
彼女から見ると、彼は、とても恰好いいのだ。
16歳のジョゼフィーネとは、ひと回り以上も年上の30歳。
けれど、前世にある30代のイメージとは異なっている。
ツンツンとした短く、くすんだ金髪に、青みがかった緑色の瞳。
背が高くて体格も良く、ジョゼフィーネを軽々と抱き上げる男性。
大国ロズウェルド王国の国王、ディーナリアス・ガルベリー。
威厳があって、落ち着いていて、国王に相応しい風格がある。
それが、彼だ。
とはいえ、ジョゼフィーネの前でだけは、時折、狼狽えたりする。
無自覚におかしなことを言ったり、ズレていたりもして、そういう彼が、彼女は大好きなのだ。
「いかがした? 顔が赤いようだが、熱があるのではなかろうな?」
こつんと額を当てられ、ますますジョゼフィーネの顔が熱くなる。
そして、ディーナリアスはズレている。
ジョゼフィーネは、熱があるのではない。
ディーナリアスに「熱を上げている」のだ。
前世、今世と繋げれば、とても長く引きこもりをやっていた。
人との関わりを避けてきたし、関わること自体、望まず生きてきた。
そのため、人と話すのも苦手で、知らないことも多い。
できてあたり前のこともできない自分を、ジョゼフィーネは「出来損ない」だと思ってきたのだけれど。
ディーナリアスは、そういうジョゼフィーネを愛しいと言ってくれる。
彼女が、戸惑ったり、怯えたりするたび、手を伸ばし、抱きしめてくれたのだ。
正直、婚姻しても、まだ、なぜ彼に気に入られたのか、わからずにいる。
「具合が悪いのであれば……」
「へ、平気……こ、これは、そういうのじゃ……ないから……」
ジョゼフィーネは、彼の左胸あたりを、ぎゅっと握り締める。
初めて会った時からの仕草で、すでに癖になっていた。
彼女にとっては特別なことであり、こうしていると安心するのだ。
ぽてん…と、頭をディーナリアスの胸に落とす。
ディーナリアスといると安心する反面、どきどきするようになった。
最初は、政略的なものに過ぎなかった婚姻が、別の意味を持っている。
愛し愛される婚姻。
だからこそ、意識してしまうのだ。
単なる政略的な婚姻であれば、しかたがないと諦められた。
諦めて、それが「自分のつとめ」だと、体を放り出せただろう。
さりとて、ジョゼフィーネの中で、ディーナリアスとの結びつきには意味があるものになっている。
だから、そう簡単ではなかった。
ディーナリアスの気持ちが、とても気になる。
ここで過ごすのは、ひと月ほど。
が、まだ「なにも」ないのだ。
(……ここに来て、半月、だよね……ディーン、なんにもしないけど……ど、どうなの、かな……)
自分と「そういうこと」をしたいと思っているのだろうか。
そこが、はっきりしない。
前世の記憶は24歳まであったが、引きこもりだったので、彼氏はおろか男性とまともに話したこともない。
オンラインゲームの中、ちょっとしたやりとりをしたことがあるくらいだ。
それだって、相手が本当に男性かどうかなどわからなかった。
ゲーム内のキャラクターと「中の人」の性別の不一致など、ざらにある。
とはいえ、小説や漫画、アニメーション、テレビドラマから、男女関係の知識は得ていた。
もちろん、表面上のもので「耳年増」と言えるほどのものでもないくらいなのだけれど、それはともかく。
まったくの知識ゼロではないのだ。
(裸……自信ない、な……ディーンは、いっぱい女の人、知ってるし……)
ジョゼフィーネは、自分に自信を持ったことがない。
体にしても、貧相だと思っている。
夜会でディーナリアスを囲んでいた女性の、誰1人にも勝てないと感じた。
今まで、彼の周りにいたのは、いわゆる「美女」だ。
胸を強調するようなドレスを身にまとっていた令嬢たちを思い出す。
男性というのは、ああいう魅力的な体に惹かれるものなのではなかろうか。
ディーナリアスがなにもしてこないのは、自分に身体的な魅力が欠けているからかもしれない。
ちらっと視線を、胸元に落とす。
やはり貧相だと感じた。
胸の奥が、ちくちくっとする。
今まで、ディーナリアスが夜をともにしていた女性が羨ましく思えた。
ジョゼフィーネは、ディーナリアスを好きになってから、やきもちを妬くようにもなったのだ。
「……ディーン……私……胸が……」
「苦しいのか?! やはり、リロ……」
「胸が、小さいの……っ……」
「…………………」
ディーナリアスが、ぴたりと動きを止めている。
そして、ジョゼフィーネの顔を見つめていた。
あまりに唐突な言葉だったと、ジョゼフィーネは気づいていない。
頭の中で悪いほうに考える癖が、抜けきれていないのだ。
そのせいで、会話に脈絡がなくなることも、しばしばある。
「ディーンも……やっぱり……巨乳のほうが、いい、よね……」
半月もなにもないのは、自分のせいなのだと、しょんぼりしてしまう。
耳年間的な感覚で、ジョゼフィーネは、男性は、女性に魅力を感じれば、性的なものを求めるものだと思い込んでいた。