最善の結果に
ドリエルダは、いつになく緊張している。
ピッピに言われたことが、頭から離れないのだ。
(だ、大丈夫よね? ブラッドのことだもの。万事任せておけって感じよ)
きっと。
そうは思うが、初夜についてどう思っているのかなんて聞けはしない。
考えただけでも恥ずかしくなる。
もちろん貴族教育で、男女のいとなみについて学んではいた。
だが、実際的なことを想像してはいなかったのだ。
「DD」
呼ばれて、びゃっと声を上げそうになる。
なんとか堪えて、視線を声のしたほうへと向けた。
ソファの向かい側にいるブラッドが、まっすぐにドリエルダを見つめている。
ブラッドの端正な顔が目に映った。
無表情ではあっても、思わず見惚れてしまう。
「夕食の時もそうだが、様子がおかしいぞ? よもやピッピに、くだらん戯言など吹き込まれてはおらんだろうな?」
「え、いや、なにも……別に……」
すぃ~っと視線をそらせた。
あからさまに怪しいそぶりだが、いたしかたがない。
ブラッドの目を見ていると、心の裡を洗いざらい話してしまいそうになるからだ。
そもそも彼女は嘘をついたり、隠し事をしたりするのを不得手としている。
ブラッド相手だと、さらに「下手くそ」になるとの自覚もあった。
「では、なぜさっきから手を動かさんのだ」
ドリエルダの手には、長い招待客リストがある。
確認のため見直していたのだが、初夜のことを考えて上の空になっていたため、手が止まっていたのだ。
(そ、そういえば……全然、意識してなかったけど……)
ドリエルダと婚約して以来、ブラッドとピッピはシャートレーの屋敷で暮らしている。
以前、勤めていた屋敷を辞めたため、街の宿屋に泊まっていたのだが、そこも、追い出されかけていたからだ。
もちろん、彼女と彼は同じ部屋で暮らしてはいない。
だが、ブラッドの部屋とは気軽に行き来できる程度にしか離れていなかった。
両親が「気を利かせた」ようだ。
式の準備もあるのだからという言葉を鵜呑みにしていたので、あまり気にかけていなかったのだけれども。
「やはり、なにか言われたのだな」
「え……っ? なにかって言うほどじゃ……」
「言われたのだな?」
ドリエルダは、ブラッドと視線をあわさずにいる。
意識すればするほど、恥ずかしくてたまらなかった。
顔が、ほかほかしている。
リストを放り出して、部屋から逃げ出したくなった。
ここはドリエルダの部屋だが、それはともかく。
「DD」
不意に、ブラッドが立ち上がる気配がした。
直後、ソファが沈む感覚がする。
ついで、顎を掴まれ、くいっと引かれた。
否が応でも、視線が交わる。
ちら。
つい、ブラッドの口元に視線が流れた。
ブラッドと口づけを交わしたことを思い出したのだ。
同時に、いろんな「あれこれ」が頭をよぎる。
(ブラッドって、そういうこと考えてなさそうな人なんだもん! 私ばっかり変なこと考えてるみたいじゃん!)
彼は、女性に人気があるのも分かるくらいに性的な魅力も持っていた。
さりとて、彼自身に性的な欲があるようには見えないのだ。
ドリエルダの知っている、女性に対し、欲望丸出しな視線を送ってくる貴族子息たちとは違う。
「それで、なにを言われたのだ? なにかと言うほどではなくとも“なにか”は、言われたのだろ?」
ちらちら。
ドリエルダには、ブラッドの言葉よりも、その言葉が発せられている唇が気になってしようがない。
形が良くて品がある唇の感触を、彼女は知っている。
意識すると、急に心臓が、ばくばくしてきた。
(初夜って……初夜って……く、口づけだけじゃすまないわけで……)
ぼうっとなっているドリエルダにはおかまいなしに、ブラッドが両頬を、がしっと掴んでくる。
顔を近づけられ、鼓動の激しさに眩暈がした。
「正直に話せ。これほど頬を赤くするような“なにか”とはなんだ?」
ブラッドは頭がいいのに、少々、抜けているところがある。
なにやらまた勘違いをしているようだが、ドリエルダもドリエルダで誤解を正すどころではなかった。
ブラッドに想いを寄せられているのだと、しみじみと感じられ、ますます鼓動が速まっている。
「親しくしてた女性がいなかったなんて信じられないわ……」
「いったい、なんの話だ?」
「あなた、“モテて”いたんでしょ?」
ドリエルダは、元は平民の出だ。
そのため、こうした民言葉と呼ばれる俗語も知っている。
ただ、公爵家の養女となってから、平素は敢えて使わないようにしていた。
なのに、ブラッドと話している時にだけ、気軽な言葉になってしまうのだ。
「ピッピに言われたのか?」
「モテていたっていうのは言われなくてもわかるわよ。でも、親しくしてた女性はいなかったって聞いたの」
ブラッドが小さく息をつく。
ドリエルダの瞳を見つめ、真面目な顔をしていた。
「俺がモテていたかは知らん。だが、俺には興味のない女を侍らせる趣味はない」
ということは、自分は、ブラッドの興味のある「女性」なのだ。
女性を侍らせる趣味のないブラッドが、突如、求婚をしてきたのだから。
「私が思っていた以上に、愛されてるみたい」
「みたいとはなんだ。当然であろう? でなければ、婚姻などするものか」
「そうよね。ブラッドは、そういう人だもの」
ドリエルダは頬にあるブラッドの手に、自分の手を重ねる。
なんだか、ふわふわした気分になっていた。
ぶっきらぼうで愛想はないが、彼は優しいのだ。
いつも、ドリエルダを助けてくれた。
「すっごく愛してるわ、ブレイディード・ガルベリー」
ドリエルダは、ふわふわ気分のまま、自分から唇を軽く重ねる。
ぴくっと、ブラッドの指が動いた。
目を開き、翡翠色の瞳を見つめる。
「あなたに任せておけばいいのよね?」
「……なにをだ?」
少しかすれた声のブラッドには気づかず、ドリエルダは、にっこりした。
うっとりし過ぎていて、ブラッドの眉がひそめられているのにも気づかずにいる。
「初夜のことよ」
しばしブラッドから返事が来ない。
そのことに、ちょっぴり首をかしげた。
とたん、ブラッドが、数回、咳払いをする。
「う、うむ……任せておけ……」
ドリエルダの中では、ブラッドが女性に見向きもしてこなかったということと、女性経験がないということが結びついていない。
頼りになる旦那様だと、なんの躊躇もなくブラッドに抱き着いた。




