役割を担うことは
やはりピッピと2人になどすべきではなかった。
と、ブラッドは思っている。
「いかがされましたか、ブレイディード殿下」
隣にいるバージルが声をかけてきた。
2人は馬に乗り、小高い丘の上にいる。
眼下には、それなりの規模の街と、それを囲む農村が広がっていた。
元はバージルの弟が治めていた領地だ。
「よせ。俺は、ただのブラッドだ。殿下などと呼ぶな」
「そうは仰られましても……」
ブラッドは、婚約者であるドリエルダの父バージルを小さくにらみつけた。
はっきり言って、ドリエルダよりもバージルとのつきあいのほうが長い。
20も年上の兄、現国王ルイシヴァにバージルは仕えている。
兄が23歳で王位につく前からだ。
「私は、殿下が1歳の頃より存じておりますので……」
ブラッドは王族であり、当然のことながら王宮で育っている。
兄の側にいたため、バージルもブラッドを近くで見ていた。
そういう縁もあって、バージルと妻のニーナニコールに、幼いドリエルダを引き合わせたのだ。
彼らには、子がいなかったので。
「しかし、まもなく俺はシャートレーの婿となり、養子に入るのだ。いつまでも、そのような呼びかたをされては困る」
本人ですら意識したくないのに、ドリエルダには、なおさら王族だと意識されたくはなかった。
彼とて王宮や王族が嫌いなわけではない。
ただ「厄介」な存在なのは確かなのだ。
ブラッドは、現ガルベリーの王族の中で、唯一、魔力を持たなかった。
そのため、誰も彼もが、ブラッドを心配し、世話を焼く。
筆頭が、兄だ。
母が違うからなのか、ブラッドと兄は真逆とも言える性格をしている。
「兄上も、とやかくは言わんだろ?」
「陛下は……喜んでおられました……」
バージルの口の重さから、兄が喜びのあまり号泣したと察しがついた。
兄の3歳下と歳が近いため、2人は主従というより友人のような関係なのだ。
そして、兄はブラッドが20歳を迎えた頃から「婚姻」の心配をしている。
友と言えるバージルの娘との婚姻となれば、喜ばないはずがない。
理屈を好むブラッドとは違い、兄は感情の赴くままに生きていた。
「ガルベリーの名をお捨てになることにも抵抗はないご様子で……」
「だろうな。兄上は、そういうかただ。スペンスは、どう思っているか知らんが」
「スペンシアス王太子殿下は、婚姻を機にブレイディード殿下が王位を継承されることを望んでおられましたよ」
「くだらんことを……俺は王位を継ぐ気なんぞ、これっぽっちもない」
「でしょうね」
ブラッドは、ある特殊な機関の頂点に立つ者だ。
ロズウェルドは魔術師を持って国を守っているが、魔術防衛のみに頼っていては、いざ魔術師がいなくなった時に、たちまち防衛機能を失う。
それを補うための機関を率いているのがブラッドだった。
王位につくとなると、その機関を誰かに委ねなければならない。
(苦労してこの眼を手に入れたというのに、俺が国防から離れてなんとする)
ブラッドの眼には、魔力を必要とせず魔術に似たことのできる刻印の術が刻まれている。
ブラッドが、その気になれば、魔力を持つ者を容易に弾き飛ばせるのだ。
現状、どんな魔術師であっても、ブラッドに敵う者はいない。
それゆえ、魔術師を用いない国防を担える。
加えて、次に指揮をとる者を、彼は、すでに決めていた。
思い返すにつけ、そわそわしてくる。
ブラッドがドリエルダを任せられるのは、ピッピしかいない。
とはいえ、ピッピ自身が安全かどうかを、彼は疑っていた。
なにしろ女性の扱いという点では、ピッピのほうが優れている。
それもしかたがないことではある。
16歳まで親族縁者の魔術師たちに、ぎゅうぎゅうに囲まれて育った。
入れ替わり立ち代わり訪れる彼らの数のほうが、侍従より多かったほどだ。
女性と関わる機会なんて、まるきりない生活。
20歳で王宮を飛び出し、ローエルハイド公爵家の勤め人となったあとは、2つの仕事を掛け持ちしている。
女性に現を抜かしている暇なんてなかった。
というより、興味を惹かれる女性に出会わなかったというのが正しい。
まさしく、ドリエルダはブラッドの初恋。
彼女を強く突き放し切れなかったのは、そのためだ。
どうしても放ってはおけず、元婚約者との関係修復に手を貸したことさえある。
面倒くさいことが嫌いなブラッドが、事細かに説明をしたり、厄介事の後始末をしたりするくらいには、ドリエルダに「惚れて」いた。
「なかなか良い領地のようだな」
バージルは、領地管理のほとんどを双子の弟に任せている。
そのぶん、王族騎士団の隊長という役目に注力しているのだ。
バージルに後継ぎはいない。
ブラッドは養子に入るが、当主となるつもりはなかった。
今後も大半の領地は、当主の座とともに、バージルの弟が引き継ぐことになる。
だとしても、領地を持たない公爵家はない。
分家であれ、いくばくかの領地を持っていた。
ブラッドも例外にはならないため、バージルとこうして自領地となる土地を見に来ている。
領地管理なんてブラッドにとっては、面倒事のひとつでしかない。
さりとて、ドリエルダとの婚姻の条件ともなれば「否」はなかった。
これも、彼女に「惚れて」いるからこその決断だ。
決めたからには、きっちり真面目に役目を果たす。
(そうだ。俺は妻子を持つのだからな。領地くらい管理できねばならん)
どれほど「国の機関」の仕事が忙しかろうとも。
ブラッドは、さらに、そわそわしてきた。
早く帰って、ドリエルダに会いたいとの気持ちがわきあがってくる。
彼女は、ひとつ言えば百を理解するような女ではない。
逆に、百を言っても、ふたつみっつ理解できれば上出来といったところだ。
(だが、あの、きょとんとした顔は、なんとも愛らしく見える。不思議なものだ)
ブラッドは頭が良過ぎるため、日頃は会話に積極的ではない。
仕事において指示をするのも、報告も、ピッピとしかしないことにしていた。
いちいち説明するのは面倒だし、時間の無駄と感じる。
なのに、ドリエルダに対しては、ちっとも面倒に感じなかった。
「そろそろ帰るとしよう。領地に関する報告書は、すべて頭に入っている。現地も見た。今後の管理方針は帰ってから話し合えば良い」
「娘とピアズプルが2人きりなのが、気にかかっておいでですか?」
「む……そのようなことは言っておらん」
「お顔に出ておりますよ、殿下」
バージルに微笑まれ、ブラッドは決まりが悪くなる。
なまじ知られているからか、無表情なはずの顔から心を読まれてしまうらしい。
「ご心配には及びません。殿下がお顔に出されるのは娘のことに関してだけです」
それが、1番、恥ずかしいのだ。
ピッピにも笑われている気がして、癪に障った
「これなら、すぐに孫の顔が見られそうですね」
「まぁ、それは……」
言いかけた言葉が止まる。
思わず、片手で口元を覆った。
領地のことや式の準備に慌ただしく、すっかり忘れていたのだ。
実のところ、非常に気がかりな「案件」がある。
ブラッドには、女性経験がない。
ドリエルダに手を貸していた時、2人で夜会に行ったことがあった。
親密な仲だと周囲に思わせるための演技もした。
その際には、事前に、彼女と「練習」までしている。
とはいえ、そうしたことは、ブラッドの「計算のうち」で、予定されていたことだからできたのだ。
(いや……知識がないわけではないのだ……おそらく……どうにかなろう……)
ブラッドは、常に物事を理屈で考える。
たいていの場合、ブラッドの先読みは正しいし、結果も見えていた。
ブラッドの「結果」に曖昧さはない。
が、ドリエルダに関してだけは、それが通用しないとも、知っている。




