遠回りな告白に
「いったい、どうしたの?」
シェルニティは、隣にいる彼のほうへと向き直る。
秋が来る前あたりから、2人は再び同じベッドで眠るようになっていた。
彼は、自室には戻らず、シェルニティの部屋にやってくる。
ベッドの上で体を起こし、しばらく他愛もない話をしたあと横になるのだ。
どちらが先に眠るかは、まちまちだった。
彼が先の時もあれば、シェルニティが先の時もある。
お互いに、とても自然に眠りについていた。
今夜も、ベッドに入っているのは同じだ。
彼は、シェルニティと同じく、枕をクッション代わりに座っている。
いつも通りと言えなくもない。
なのに、おかしいと感じていた。
「なにがだい?」
「帰って来てからずっと、なにか新しい命題でもできたような顔をしているから」
彼が、すっと両手を軽く広げた。
その手に書類が握られている。
「どちらにするか、迷っていてね」
「新婚旅行の旅程で迷っているの?」
「どちらも捨てがたい」
サハシーへの十日間コースと、ひと月かけての、のんびりコース。
どちらにするかで、彼が迷うとは思っていなかった。
サハシーは観光地としては有名だが、なにしろ人が多い。
高位の貴族と顔を合わせることも少なくないだろう。
「あなたは、サハシーには行きたがらないかと思っていたわ」
「あの街はスノッブの釣り場みたいなものだからね。やあ、久しぶりだね、なんて声をかければ、みんな、自分のことだと思って振り返るに違いないよ」
「そういう人たちを、あなたは嫌っているのじゃなかった?」
「だとしても、サハシーは、そう悪い場所でもない」
シェルニティは、ロズウェルド最大の観光地になど行ったことはなかった。
1年ほど前まで、屋敷は違えど、自分の部屋に、ほぼこもりきりだったからだ。
サハシーどころか、小さな観光地にすら行った経験がない。
地図上や新聞に紹介された記事で知っているだけだ。
「あの街は、始終、改築をしていてね。その年にしか見られない出し物も、少なくないのだよ。そういえば、きみは演劇を見たことはないのじゃないかな?」
「ないわ。エリスティが置き去りにしていたパンフレットを見たことがある程度」
エリスティは、シェルニティの母親違いの妹で、父から大事にされていた。
当時、問題をかかえていたシェルニティとは異なり、夜会や旅行にも頻繁に行く姿を、窓から見ていたものだ。
今なら多少の羨ましさを感じるかもしれない。
が、その頃はまだシェルニティに感情の起伏はなく、羨ましいとも思わずにいた。
「きみに初めての経験を与…………」
彼が、急に言葉を止める。
なぜだか、口を片手で押さえていた。
しかも、シェルニティから、わずかに顔をそむけている。
それに、どういう理由からかはわからないが、微かに頬が赤い気がした。
「あなた、本当にどうしたの? 迷っているのはわかったけれど、それにしても、おかしいわ」
「ああ、いや……気にしないでいてくれると、ありがたい。我ながら、おかしいと気づいているのでね」
シェルニティは、首をかしげる。
彼自身が気づいているのなら、その「おかしい」と思う理由を、話してくれてもいいはずだ。
自覚しているのに、なぜ話してくれないのかが、気になった。
「新婚旅行のこと?」
「まぁ、そういうところかな」
非常に曖昧な返事に、いよいよ気になってくる。
気にしないでくれと言われても、気にしていないフリはできない。
おそらく、自分になにか関わりがあることだ。
彼が言葉を濁しているのは、シェルニティに言いにくいからではなかろうか。
「あなたは、私の初めてを手に入れるのが好きよね?」
「えっ……?」
彼が、パッと顔を、シェルニティのほうに向ける。
その驚いたという表情に、むしろ、シェルニティも驚いてしまった。
以前から、彼は、シェルニティが新しいことを覚えたり、知ったりするたびに、そう言っていたのだ。
今さら驚くようなことではない。
(私にとって初めての新婚旅行を楽しいものにしようと思って、それで悩んでいるのかと思っていたのだけれど……違うのかしら?)
実のところ、シェルニティの中では、どちらにしたいか、決まっている。
彼の意見も聞いて、最終的な判断をするにしても、できれば、同じ意見であってほしいと願っていた。
もし、彼の悩みの原因が「シェルニティを、どちらがより楽しませられるか」にあるのなら、簡単に解決できると考えていたのだけれど。
「あなたは演劇に興味があるの? なにか、とても見たい演題があるとか?」
「そういうものは、これといってないな。演劇は嫌いでもないが、どうやってでも手に入れたいチケットがある、といったふうでもないよ?」
彼の答えに、シェルニティは、少し混乱気味。
たとえば、すごく良い出来のトマトを見つけたりすると、彼に見せたくなる。
自分の喜びや楽しみ、そうしたものを彼と共有したくなるのだ。
似た感覚で、彼は演劇に興味があり、シェルニティにも観せたいと思ったのではないかと思っていた。
(なんだか、よくわからなくなってきたわ。彼、さっきから曖昧な返事をしたり、驚いたり、おかしな言動ばかりするのだもの)
そして、なによりおかしいのは、彼が、あまり軽口を叩かないこと。
いつもなら、悩んでいるにしたって、もっと軽口を織り交ぜてくる。
新婚旅行をどちらにするか、という悩みは、ある意味、楽しい悩みなのだ。
少なくとも、深刻な悩みとは言えない。
(新婚旅行……本当は、どちらにするかっていう悩みではないのだわ!)
不意に、そう気づいた。
もちろん、それも悩んでいるのだろうが、それより「深刻な」悩みがあるに違いない。
なぜなら、シェルニティにも「深刻な悩み」があるからだ。
アリスにしか打ち明けられないような悩みが。
(きっと、彼は心配しているのね……私が、ベッドの中でのことに手慣れていないから……おかしな言いかただけれど、どう手をつければいいのかわからずにいるのじゃないかしら……)
シェルニティは、彼と出会い、初めて深く愛されることを知った。
その愛し、愛される関係の上で、婚姻しようとしている。
だから、ベッドをともにすることにも、抵抗感のようなものはない。
アリスにも語ったように、時々は、自分から口づけたくなったりもするほどだ。
とはいえ、彼は手慣れた女性に、慣れている。
経験のない女性を相手にしたことがあるのかも知らなかった。
もしかすると、そういう女性は、彼にとって面倒なのかもしれない。
なにしろ、実際的な部分を、なにも知らないのだから。
今まで、彼とつきあいをしてきた女性と比べられたら勝ち目はないのだ。
シェルニティは、すっかり、しょんぼりしてしまう。
無意識に、ぽつ…と、つぶやく。
「初夜の経験くらいしておけばよかった……アリスに教わりたいくらいだわ……」
「シェリー?!」
がしっと、両肩を掴まれた。
いつになく、険しい彼の表情に目を見開く。
「会ったのかい? 彼に?」
「え……ええ……会ったけれど……」
「まさか誘われたのじゃないだろうね?」
今にも、アリスの尾に火をつけに行きそうな勢いだ。
が、シェルニティは彼の言う「誘う」の意味が、いまひとつ理解できずにいる。
アリスが、果物をねだってきたかを聞かれているのだろうか。
「いいえ、アリスには、なにもあげなかったわ」
はあ…と、彼が大きく息をついた。
額に手をあて、目を伏せている。
怒っているようでもあり、安堵しているようでもあり、複雑な顔つきだ。
「…………少し前に、エミリーとサラと街に行ったのよ、私……なのに……」
とある店に、王都の屋敷で仲良くなったメイド2人と一緒に行った。
2度も足を運んだのに、結局、買えなかった品を、シェルニティは、今度は手に入れたのだ。




