右往左往
ルーナが起きると、すでに朝食の準備がされていた。
ベッドサイドから、いい香りが漂ってきている。
室内にあるテーブルに、カップや皿の並んだトレイが置かれていた。
その近くに、ユージーンが立っている。
だが、ユージーンも、まだ寝間着姿だ。
いつもなら、とっくに、執務用の貴族服に着替えている。
そして、朝食後、ルーナの身支度を手伝ってくれてから、王宮に出かけていた。
その際も、おかかえ魔術師に点門を開かせる。
王宮と屋敷は離れているため、馬車を使うと時間がかかるからだろう。
ユージーンは、時間を無駄にするのを好まない。
常に、忙しく頭と体を働かせている。
「起きたか」
トレイを手に、ユージーンが、ベッドに歩み寄ってきた。
剣を持ち、戦っている時とは違い、ゆったりとした動きだ。
時間を無駄にするのは嫌うが、ユージーンは、せかせかしていない。
王族の頃の癖が、抜けきらないらしかった。
体を起こしたルーナの前にトレイを置く。
トレイには脚がついていて、ルーナの体に荷重はかからない。
毎朝ではないが、時々、こんなふうにベッドで朝食を取ることもあった。
小さかった頃は、隣にユージーンがいてくれるのを嬉しく感じていたものだ。
「ジーン、どうしたの? 着替えてないけど」
「今日は休みとしたのだ」
「休みっ?! ジーンが?!」
ルーナの記憶では、ユージーンが仕事を休むことなど、滅多にない。
いつ寝ているのかわからないくらいなのに、常に、ユージーンは、健康体。
寝込む、というような姿は見たことがなかった。
それに、今日も体調が悪そうには見えない。
「む。俺とて、休むことくらいはある」
「午後? 朝だけ?」
「今日は、丸1日、休む」
ユージーンが、スプーンですくってくれたスープを、ルーナは口にしていた。
スープであるにもかかわらず、喉につっかかって、げほっとむせる。
「なにをしておるのだ、お前は。大丈夫か?」
背中をさすってもらい、咳がおさまった。
ベッドの縁に座り、ルーナに給仕、というより親鳥のごとくかいがいしく世話をしてくれているユージーンを、ルーナは見上げた。
「な、なんで? なにかあるの? 仕事より大事な用事?」
「仕事より大事ではあるな」
「なに?」
ユージーンが「ウサギ」に見立ててカットのされたリンゴをフォークに刺して、ルーナの口元に運ぶ。
しゃり…と齧りつつ、ユージーンの様子を窺った。
少し寝乱れたままの格好に気づき、どきっとする。
「デートだ」
「デートッ?! 誰とっ?!」
思わず、ユージーンのほうへと体を乗り出したため、トレイが、がしゃんと音を立てる。
半分に齧られたリンゴを、ユージーンが、しゃりしゃり。
ルーナの慌てようにも、平然としていた。
「お前に決まっているだろ」
「へ? えと……私?」
「そうだ」
「私と、デート……?」
「俺とお前は、婚姻前から、ともに暮らしていたようなものだが、1度もデートをしておらん。新婚旅行もままならんのだ。デートくらいしてもよかろう?」
まさか、ユージーンに、そんな「お誘い」をしてもらえるなんてと、ルーナは、ひたすら驚いている。
ユージーンが忙しいのは前からだったし、宰相としての役目を果たそうと懸命になっているのも知っていた。
だから、新婚旅行に行きたい、などと口にしたことはないはずなのに。
以前のルーナであれば、我儘をしていたかもしれない。
が、ユージーンを失いかけた時に決めたのだ。
もう我儘はしない、と。
ユージーンは優しくて、言えばきっとルーナの望みを叶えようとする。
無理をする。
その結果、命まで懸けさせる状況になったのを、ルーナは悔やんでいるのだ。
ルーナにとって大事なのは、ユージーンと一緒にいられることだった。
それが、王宮の執務室だろうと、私室だろうと、どこでもかまわない。
この先も、ずっと一緒にいられるのだから、新婚旅行には、ユージーンが宰相を辞めたあとに、行けばいいことだ。
(死ぬまで、新婚でいられるっていうのも悪くないしね。まぁ、ジーンは、きっとこのまんまって気がするから)
ユージーンが、トレイを元の状態に戻している。
ロズウェルド王国は、この大陸で、唯一、魔術師のいる国だ。
けれど、誰でも魔術を使えるわけではない。
そのため、ウィリュアートン公爵家も、魔術師を雇っていた。
ルーナ自身は、魔力顕現しており、魔術が使える。
とはいえ、あまり真面目に魔術を学んでいないため、正確に使えるのは転移と、防御など支援系の魔術のみだ。
そして、ユージーンは魔術を使えない。
だから、なんでも自分の手でやる。
「仕事は、本当に大丈夫なの? 忙しいんでしょ?」
ルーナは、幼い頃から執務室で書類に埋もれているユージーンを見慣れていた。
その書類の片づけだって、ユージーンは、魔術でパッパッなんていうふうには、できないのだ。
しかも、ユージーンは真面目で、几帳面なところもある。
ルーナの相手をしながら、整理整頓をしていた姿も覚えていた。
最近も執務室に入り浸ってはいるが、ルーナは大人しくしている。
構ってほしいと、駄々をこねたりはしない。
ユージーンが、テキパキと仕事をこなしている姿を見るのも好きになっていた。
宰相という役目が、本当に合っていると感じる。
「忙しくない、とは言わん。だが、たかが1日くらい、どうとでもなる。それしきのことも準備しておらん俺だと思っているのか?」
ユージーンの手が伸びてきて、ルーナの頭を軽く撫でた。
婚姻しても、子供扱いされている気がしなくもない。
とはいえ、やはり、嬉しくなる。
「ジーンが大丈夫って言うなら、大丈夫だね!」
うむ、とユージーンが鷹揚にうなずいた。
であれば、急いで用意をして出かけなければ、と思う。
おそらく、ユージーンは前もって準備をしてくれたのだ。
1日空けるために、日々の仕事量を増やしていたに違いない。
ユージーンは、とてもとても優しい人なので。
ルーナは、トレイに並んだ皿を、次々に空にしていく。
せっかくの「デート」なのだから、おめかしもしたい。
となれば、ゆっくり朝食を取ってなどいられなかった。
だからといって、ユージーンの用意してくれたものを無駄にしたくもないし。
「これ、ルーナ。いっぺんに、口に入れるでない。喉を詰まらせるぞ」
んぐんぐと、返事らしきものをしながら、嚥下。
ユージーンが、水の入ったグラスを手に、少し笑う。
「頬をふくらませておる姿は、栗鼠のようだな」
ちょんと、頬をつつかれた。
ユージーンの翡翠色の瞳が細められている。
いつからだろう。
わからない。
けれど、ユージーンは、時折、こういう目をする。
そのたびに、ルーナの胸は鼓動を速くするのだ。
ユージーンの目に、愛おしいと書いてあるようで。
思わず、見惚れてしまった。
そのせいで、げほぉっと、またむせる。
ユージーンが、パッと瞳の色を変えた。
グラスをルーナの口元に持ってきて、飲ませてくれる。
「まったく、いつまで経っても、お前は目が離せん」
また子供扱いに戻ってしまった。
ルーナとしても、大人扱いしてもらいたいと思ってはいるのだけれども。
(……私、ジーンのこと好き過ぎるんだよね……)




