評価の帰結
「お怒りは、ごもっともなことにございますが、ご理解いただけないでしょうか、セラフィーナ様」
声に、びくっと顔を上げる。
セラフィーナは、まだエセルハーディの屋敷にいた。
歩いて帰るには、王宮内の屋敷と屋敷は離れ過ぎている。
あとで、馬車を頼もうと思っていたのだ。
だとしても、あの場に留まっていたくはなかった。
だから、ここにいる。
馬車止めの片隅に、膝をかかえて座っていた。
とにかく、腹も立っていたし、悲しかったし。
声をかけてきたのは、ヴィクトロスだ。
上げた顔を、膝にくっつける。
ヴィクトロスは、ナルの屋敷の執事であり魔術師。
ということは、すぐにもナルに連絡を入れているに違いない。
(きっと、大見栄を切って出て来たくせにって、笑ってるわね。それから意気揚々と迎えに来て、皮肉を言うんだわ。ナルのすることなんてわかってるんだから)
今は、ナルには会いたくなかった。
迎えに来られても、素直に、その手を取る気になれずにいる。
あの場で、婚約指輪を外さなかったのは、それでもナルが好きだったからだ。
だが、その気持ちを前提に、あたり前みたいに振る舞われたくもない。
「今は、会いたくない、と言っておいて。ここには来ないでって」
「殿下には、お伝えしておりません」
え?と、顔を上げる。
ヴィクトロスは、いつものように悩み深げな表情を浮かべていた。
長く、ナルに仕えていると聞いている。
そのため、執事という以上に、忠実なのだろうと思っていた。
「公爵様が、少し手厳しく殿下を懲らしめる必要がある、と仰っておいでです」
公爵様との言葉に、ハッとする。
伯爵家のセラフィーナが知っていると言える公爵様は2つくらいしかない。
ナルと婚約する前に、婚約関係となる可能性があった、アドルーリット公爵家、それと。
ローエルハイド公爵家。
セラフィーナは、まったく知らなかったが、ものすごく遠い親戚なのだとか。
現当主には、1度だけ会ったことがある。
独特な緊張感はあったが、スマートさを感じさせる人だった。
「セラフィーナ様が望まれるのなら、殿下を納屋に閉じ込めると」
ヴィクトロスが真面目な顔をして言うので、思わず、吹き出す。
それでも、ヴィクトロスは表情を変えない。
きっと、そういう人なのだろう、と思った。
「でも、ナルは腕のいい魔術師なんでしょう? 転移で逃げられちゃうわ」
「いいえ。公爵家の納屋は特別にございます。公爵様のお許しがない限り、たとえ殿下でも出られはしません」
「すごいのね、公爵様って」
納屋に閉じ込められるナルを見てみたい気もする。
が、閉じ込めたところで、なにも解決はしないのだ。
ふう…と、溜め息をついた。
「お心だけありがたく、と、お伝えしていただける?」
「かしこまりました」
そういえば、と思い出す。
「私は、ナルのなにを理解すればいいの? 彼の、あのいけ好かない言い草?」
「あの言い草には平手で対処なさるべきで理解を示される必要はございません」
「それじゃあ、なにに対して?」
ヴィクトロスが、いっそう悩み深げに、眉間に皺を寄せた。
この執事が、こうなったのは、ナルのせいなのではなかろうか。
長年、仕えてきたということは、長年、悩まされてきた、ということでもある。
「殿下が、セラフィーナ様を愛しておられることにございます。殿下にとっては、特別なかたに過ぎて……少々、距離感がわからなくなっておいでですが」
ヴィクトロスの説明に、セラフィーナは、ぽかんとしてしまう。
もちろん、彼の愛を疑ってはいなかった。
けれど、特別過ぎて距離感がわからない、という意味がわからない。
いつも主導権はナルにあって、割とグイグイ来る性質の人だったからだ。
「殿下は、今、ご自身の、お屋敷を駆けずり回っておられます」
「は? 屋敷になんて戻ってるわけないじゃない。私は魔術師じゃないんだから」
「仰る通りにございます、セラフィーナ様」
しばしののち、理解した。
それほど、ナルは動揺している、ということ。
戻れるはずがないと気づきもせず、屋敷中を探し回るほど。
呆れると同時に、ほんのりと嬉しくなってくる。
自分でもどうかしていると思うのは、毎度のことだ。
ちょっとしたことで、不愉快さが薄れ、ナルを許してしまう。
「セラフィーナ様は、魔力をお持ちではございませんから、魔力感知で探すこともできません。殿下は、ご自分の足で探されるほかはないのです」
「そういえばそうね。それって、彼には、とても大変なんじゃない?」
「大変でしょうが、甘やかさないほうがいいと、公爵様も仰っておられました」
「あなたも同じ意見?」
「彼ら……いえ、殿下は、時に痛い目を見られたほうがよろしいかと存じます」
セラフィーナは、小さく笑った。
そして、立ち上がる。
ヴィクトロスが軽く手を振った。
うずくまっていたせいで汚れていたドレスが、すぐに綺麗になる。
こういう時、魔術は便利だ。
伯爵家の財政では、とても魔術師を雇うことはできなかった。
セラフィーナが魔術にふれる機会ができたのは、ナルと出会ってからだ。
とはいえ、彼女自身は興味はなく、便利だな、としか思っていないのだけれど。
「エセルハーディ殿下が、“愚息”の行いについて謝罪したいので、お茶のやり直しをと望まれておられます。いかがいたしますか?」
「もちろん、お受けするわ」
セラフィーナは、あの大広間に逆戻り。
テーブルには、新しいお茶とケーキが用意されていた。
エセルハーディは、大歓待で迎えてくれている。
ちょっぴり泣きそうになっていた。
(エセル殿下は、感情に素直なところが可愛らしいかたよね……ナルは、ちっとも似ていないけど)
「ヴィッキー、ナルは、まだ屋敷にいるのかい?」
「いいえ、今度は街のほうに移動されました」
セラフィーナは、ヴックトロスに感心する。
そんなことまで分かるのか、と思ったのだ。
視線に気づいたのだろう、ヴックトロスがしかつめらしい顔でうなずく。
「実のところ、殿下の正確な位置まではわかりかねるのです。ただ、殿下の魔力はほかの魔術師より大きいので、領域での追跡は、それほど難しくはございません」
よく分からないが、そういうものなのか、と思った。
ここだというのはわからなくても、だいたいこの辺りにいる、というのはわかるということらしい。
「ラフィ、あの子は性格がひん曲がっているけれど、きみには本気なのだよ」
エセルハーディが、しんみりとした口調で言う。
常々「ナルは婚姻できないと思っていた」理由と関係があるのかもしれない。
「ナルは女性不信というか、人間不信なところがあってね。幼い頃からつきあいの合った者しか信用していない。おそらく、きみのことも、試すような真似をしたのではないかな?」
「ええ……彼にも、はっきり言われました。私がどう反応するか試していたと」
「そういうことを本人に言うのだからねぇ……困った子だ」
エセルハーディが、せつなげに眉を下げた。
ナルの両親は、とてもナルを愛している。
何度か食事をともにしているが、それは明白だった。
なのに、なぜ人間不信になるのか、セラフィーナには理解できない。
家族に馴染めずにいたセラフィーナからすれば、とても羨ましかったからだ。
(王族扱いされるのも嫌ってるわよね。王宮が原因? それとも貴族?)
改めて考えてみると、婚約してからずっと一緒にいるのに、ナルのことをなにも知らずにいる。
今の自分に恋をしてほしかった、と言われたからかもしれない。
過去のナルがどうだったのか、自分といない間どう過ごしていたのか。
1度も聞いたことがなかった。
(ナルは嫌がるだろうけど、関係ないわ。言わずにわかれってほうが無理だもの)
ナルを愛しているからこそ、根本的な部分は正しておくべきなのだ。




