紳士失格
ナルこと、オリヴァージュ・ガルベリーは、苛立っていた。
セラフィーナが、自分の屋敷ではなく、父の屋敷に入り浸っているからだ。
そうでなくとも、問題をかかえている。
解消させようと、ナルなりに頑張っていた。
それを、婚約者であるセラフィーナは、ちっとも理解してくれない。
もちろん、その「問題」について、話していないのだから当然なのだけれども、なぜか、わかってくれていると思い込んでいる。
そもそも、ナルは、女性と一定の距離を保ってつきあってきた。
心にまで踏み込ませたのは、セラフィーナだけだ。
婚姻を考えたことはあったが、特定の女性を思い描いていたわけではない。
そろそろ時期だし、婚姻するとなると最善の相手は誰になるだろう。
そんなふうに考え、自分の中だけで婚姻を前提につきあってみたりした、というだけのことだ。
だが、結局、その誰とも婚姻はしなかった。
婚姻について口に出そうとするたび、気が進まなくなり、それっきり。
会うことすらなくなった女性ばかり。
そのため、女性の扱いや、あしらうことには慣れていても、深い交流には慣れていない。
そして、わずかばかり過信しているところがあった。
セラフィーナの心は自分のものだ、と思っている。
間違いではないが、それで手綱を握っている気になっているのは間違いだ。
とはいえ、ナル自身は、気づいていない。
苛立ちも露わに、扉を叩く。
なぜ自分が、わざわざ足を運ばなければならないのか。
それは、この屋敷には転移疎外がかかっているからだ。
ロズウェルド王国は、この大陸で、唯一、魔術師のいる国だった。
ナルは、その中でも、非常に優秀な魔術師と言える。
王宮に属している上級魔術師を遥かに凌ぐ力を持っていた。
魔術の研究にも余念がなく、いくつかの新しい魔術を作ってさえいるほどだ。
なのに、この屋敷の内部に、直接、転移することはできない。
転移を阻害する「転移疎外」という魔術がかけられているからだ。
そのため、屋敷の庭までは転移できても、そこからは徒歩。
当然に、屋敷内も徒歩。
転移することに慣れているナルにとって、面倒以外のなにものでもない。
セラフィーナと一緒ならば、徒歩も悪くないと思える。
彼女は魔力顕現していないため、ナルの転移に便乗させると、魔力影響を受け、意識を失ってしまうのだ。
だから、セラフィーナと出かける時は、あえて馬車を使ったりもする。
ナルのイライラが、さらに募った。
扉の前で待っているのに、中からの返事はない。
待ちきれず、扉を勝手に開く。
扉近くに立っていたヴィクトロスが、わずかに非難がましい目でナルを見た。
かまわず、ソファに座っている父に近づく。
口を開きかけたとたん、セラフィーナが顔を向け、ナルをキッと睨んだ。
なぜ睨まれなければならないのかわからず、ナルもムッとする。
「まだ返事もしていないのに、勝手に踏み込んで来るなんて不躾に過ぎるわ」
「ここは“私の”父の屋敷だと思っていたのは、勘違いだったかな?」
「もちろん、ここは、“あなたの”お父さまのお屋敷よ? でも、私の大事な友人のお屋敷でもあるの」
「これは驚いた。きみが、父上の友人だったとは知らなかったよ」
「そうでしょうね。あなた、最近、雛に餌やりをする親ツバメくらい忙しいみたいだから、気づかなくて当然よ」
セラフィーナの自分より父を優先しているかのような態度の意味がわからない。
皮肉に嫌味で返されたのはいつものことだが、今は楽しめる気分ではなかった。
問題を解決するために、ナルは骨を折っている。
鬱々とした気持ちになってはいたが、セラフィーナと楽しく過ごせると期待して屋敷に帰ったら、彼女はいなかった。
あげく、ヴィクトロスに魔術で連絡しても「忙しい」で切り捨てられている。
(私のほうが、よほど忙しくしているさ)
自分が嫌な問題に立ち向かっている間、彼女は父とお茶と談笑。
せめて屋敷で帰りを待つくらいしてくれてもいいのに、と苦々しく思った。
ナルの行動は、セラフィーナのためだけではないが、概ね、彼女のためだ。
自分だけのことなら、割り切れもしたし、諦めもついたに違いない。
「どうやら、私の小鳥は、鳥かごが嫌いらしいね。もっとも、いつでも飛び立てるように、戸は空け放してあるから、好きなだけどうぞ」
「ナル!」
父が咎めるように、声を上げた。
ちらっと、父に視線を向けてから、セラフィーナに戻す。
彼女は、両手を膝の上で重ね、うつむいていた。
ぎゅっと手が握られる。
「そうね。かごの戸が開かれてるって、私、気づいてなかっただけみたい。教えてくれて感謝するわ」
言うなり、セラフィーナが立ち上がった。
これみよがしに、父へと、にっこり微笑んでみせる。
「また、こちらに伺ってもかまいませんか?」
「ああ、もちろんだよ、ラフィ……」
ナルは、心の中で呻いた。
いつの間に、父は、セラフィーナを愛称で呼ぶようになったのか。
父となにかあるなどとは思っていなくても、不愉快に感じる。
嫉妬深く、独占欲が強いのは自覚済みだ。
父に声を上げなかっただけでも、自分を称賛したくなるほどに。
「それでは、ごきげんよう」
「ラフィ、帰るのなら点門で……」
「そんな、悪いわ。あなたの貴重な魔力を、私のために使うことはないと思うの。気にしないで、私には自由の翼があるのよ?」
カツっと靴音を立て、セラフィーナが、ナルの横を通り過ぎる。
どの道、帰る場所は同じだ。
ヘトヘトになりたければ、そうすればいい。
同じ王宮内とはいえ、馬車が必要なほどの距離を歩くはめになるだけだ。
彼女は、実に憎たらしい。
あえて、ナルはセラフィーナを追わずにいる。
これまで、ずっとナルのほうが、彼女を追いかけて来た。
だとしても、自分が、いつも追いかけると思っているなら、それを正さなければならない。
「ナル、あなたの首の上についているのは、スイカか大きな瓜なんじゃない?」
嫌味を言い捨てて、セラフィーナが出て行く。
顔をしかめ、ナルは、その背を見送った。
「追いかけたほうがよろしいかと存じます、殿下」
「なぜ、私が彼女の機嫌を取らなくちゃならないのか、わからないね」
「やはり、お前に婚姻は無理らしい……」
「なにを仰っておられるのですか、父上? 半月後には式をあげるのですよ?」
父が、大きく溜め息をつく。
2人の言葉に、ナルは、にわかに不安になってきた。
あんなやりとりは、自分たちにとっては「いつものこと」だ。
たいしたことではないと言い聞かせても、落ち着かない気持ちになってくる。
「殿下は、紳士失格にございます」
「ヴィッキーの言う通りだ。あんないい娘を傷つけるなんて……」
「意味がわかりませんね。私だって遊んでいるわけではありません」
「ナル、お前、わかっていないのか? ラフィは、私に、またここに来てもいいかと聞いたのだよ?」
「それがどうしたって言うんです? あたり前のことでしょう?」
父が、悲しげな表情を浮かべた。
不安が、さらに募ってくる。
ヴィクトロスを見れば、呆れた顔をされた。
「セラフィーナ様は、エセルハーディ殿下の、ご友人として伺ってもいいかと尋ねられたのです。殿下の婚約者としてではなく」
「な…………」
言葉を失うナルに、ヴィクトロスが追い打ちをかけてくる。
「式が半月後でも、明日でも、関係ございません。かごの戸が開いていると仰ったのは殿下にございます」
「そのようなつもりで言ったわけないだろうっ?!」
「どう受け止めるかは、セラフィーナ様次第ではございませんか?」
父も同じ意見らしい。
ぽそっとつぶやく。
「屋敷に戻った時、婚約指輪が残されていないことを願うよ、ナル」




