旦那様と一緒
レティシアは、未だかつてないくらいに、どきどきしている。
これまでいろんなことがあり、何度かは、命の危険に晒されたこともあった。
目の前で大事な人が傷つけられたり、命を奪われかけたりもしている。
そういう時も、心臓は波打ち、心拍数が上がった。
けれど、そういうのとは違う、どきどき、だ。
緊張と期待、そして、ほんの少しの不安が入り混じっている。
そのため、なかなか次の行動に出られずにいた。
手をドアノブにかけ、じっとしている。
じっと、自分の手を見ている。
(いやぁ、これは勇気いるわ~……)
いつもの自分の部屋。
ここで暮らすようになって、1年以上が過ぎていた。
すでに慣れ親しんだ「ウチ」になっている。
レティシアは、レティシアだった。
ここに来た時から、レティシアだったし、今もレティシアだ。
レティシア・ローエルハイド。
それが、彼女の名。
だが、元は違う名で、違う世界で生きてきた。
ある日、気づいたら、この世界にいて、レティシアになっていたのだ。
当時は知らなかったが、その時、本物のレティシアの魂は、すでに消えていた。
代わりに「彼女」の魂が、レティシアの体に飛び込んだらしい。
最初は戸惑ったし、そもそも夢だと思っていた。
それでも、この夢の中に、ずっといたいと願い始めたのは、1人の男性の存在が大きくかかわっている。
ジョシュア・ローエルハイド。
本物のレティシアの祖父だ。
レティシアは16歳で、祖父は48歳。
普通では、恋愛など考えられない歳の差だと言えるだろう。
とはいえ、この世界に来る前のレティシアは、27歳。
そして、祖父は実年齢にはそぐわない35,6歳の外見。
加えて、祖父は、彼女の「理想の男性」そのものだった。
漆黒の髪に、深い黒をした瞳。
その瞳は、切れ長なのに、少し垂れ気味、奥二重。
鼻筋が、すうっと高く、形のいい唇。
穏やかな雰囲気をまとっており、微笑むと、いっそう優しく見える。
なのに、時折、洒落っぽく笑う姿は、男性的な色気を感じさせたりもする。
さらに、外見だけではなく、本当に彼は優しい。
頭も良くて、なんでもできて、その上、強かった。
どんな時も、レティシアを許し、守ってくれたのだ。
まさしく、レティシアの頭の中の理想の男性が、現実に現れたといったふう。
ただし、彼とレティシアとの関係は、元は祖父と孫。
実際に、血の繋がりもあった。
だから、自分の心に「恋」を見つけても、うまくいかないと思っていたのだ。
心が別人などという特殊な状況でなければ、彼女自身、近親婚なんて、考えられなかっただろう。
が、今は違っている。
レティシアの体には、ローエルハイドの血は流れていない。
血縁という意味で言えば、彼とレティシアの間には、なんの繋がりもないのだ。
その過程を経て、彼とレティシアは、無事、結ばれている。
婚姻の式をあげたのは、7日ほど前。
レティシアは、彼の「妻」になった。
さりとて。
そう簡単に「妻」に変身することはできずにいる。
これは、レティシアにとっては、大きな変革なのだ。
別の世界で生きていた頃、レティシアは恋愛よりも家族愛を優先させてきた。
恋人がいたこともあるが、結婚を考えたことはない。
最後の一線を越えた相手もいなかった。
本気の恋をしていたのではないと、今ならわかる。
彼女の場合、いわゆる「恋に恋をしている」状態以前。
なんとなく周りや相手に流されて、つきあっていたに過ぎなかったのだ。
今さらに、申し訳なかったと思いはするのだけれども。
(あ~……どきどきし過ぎて倒れそう……)
レティシアは、まだドアノブを回せずにいる。
ここは彼女の部屋だ。
少し前に「かなり」改装されてはいるが、レティシアの部屋で間違いはない。
ただ、レティシア「だけ」の部屋ではないというだけで。
(もう7日……つまり1週間も、おんなじことしてるんデスけど……)
部屋に入るのに、ものすごく勇気がいる。
なにがということもないのだが、とにかく勇気と気合いが必要なのだ。
なにしろ。
ガチャ。
「さっぱりしたかい、レティ?」
思わず、ぽ~っとなってしまう。
クッションを背に、ベッドで足を伸ばし、座っている彼の姿に見惚れた。
そう、ここは彼の部屋でもあるのだ。
婚姻後は、そういうことになっている。
夫婦なのだから、当然といえば当然だった。
が、レティシアは、毎夜毎夜、くらりとくる。
彼は平気そうだが、レティシアのほうは平気ではない。
心拍数が上がり過ぎて倒れそうだ。
そんな彼女を見て、彼が、くすっと笑ったりするものだから、よけいに顔が熱くなる。
同じベッドで眠るようになって、もう7日も経つのに。
こんなことで、自分は大丈夫なのだろうか。
一生、慣れるなんてできないのではなかろうか。
(なんだろう……普通の人だと笑える寝間着なのに……なんで、あんなカッコ良く見えちゃうんだろう……自然に似合っているというか……寝間着まで着こなす?)
彼は、ベッドにいるが、上掛けはかけていない。
寝間着の裾から、素足が見えていることにも、どきどきする。
この世界の寝間着は、彼女がいた世界の物とは異なり、上下に分かれていない。
フリルなどがあしらわれていなければ、男女兼用にもできるワンピース型。
男性用のものは、シャツの裾を膝下まで長くしたようなデザインだ。
彼曰く、野外や宿屋で寝る際には、似たような生地のズボンを履くのだとか。
屋敷内であり安全が確保されているので、気楽な格好をしているらしい。
(男の人の足なんだよなぁ……ちょっとごつごつってしてて……)
彼は、片方の膝を立て、軽く足を組んでいる。
寝間着が持ち上げられ、くるぶしのあたりなど素足が見えるのだ。
「レティ? 動くのが面倒なら、私が迎えに行こうか?」
「そ、それは、ない! だ、大丈夫!」
ぎくっしゃくっ。
そんな調子で、ベッドに近づく。
この7日、これといって「なにか」あったわけでもない。
単に、彼が隣で眠っているだけだ。
彼に抱きしめられて、目を覚ましているだけだ。
「お、お邪魔します……」
「ちっとも邪魔ではないけれどね」
くすくすと笑われ、ものすごく恥ずかしくなる。
我ながら、なにを毎日、同じ台詞を言っているのかと、呆れているのだ。
そして、そろりそろりとベッドに上がる。
「レティ」
「は、はいぃっ!」
足先から頭の天辺まで電気が走った、ような感じ。
びびびびんっと、体が硬直した。
いよいよか、いよいよなのか、だが、恥ずかしい。
緊張につつまれているレティシアの体が、ひょいと持ち上げられる。
「ここ最近、きみは寝つきが悪いようだから、こうしてはどうだろう」
「へ……?」
彼を背もたれにするようにして、レティシアは座らせられていた。
が、当然のことながら、振り向くなんてできずにいる。
そのレティシアの前に、彼の手が現れた。
手には、分厚い本が握られている。
「少し読書でもすれば、寝つきが良くなるのじゃないかな」