新たなる始まり
「えっ? 一階攻略の申請……ですか?」
新チーム結成の為の書類を作成してもらった後、早速塔の階層を攻略する為の申請をした途端だった。
かなり驚いた様子で、いつも穏やかに業務をこなしている受付嬢のマイさんが珍しくすっとんきょうな声を上げる。……いや、僕は数日前にも聞いているけれど。
マイさんの声がギルドの屋内に響いて、その場にいた冒険者達が僕達へと視線を向けてくる。それは、先程『銀色の傭兵』と名高いエメディスーラさんを連れ立ってギルドの扉をくぐった時に集めた以上の数。
好奇。侮蔑。嘲笑。
それ等の色に染まった目で身体中を貫かれ、僕は顔から火が出そうなくらいに恥ずかしかった。
でも、僕の横に立っていたエメディスーラさんは全く意に介した風もなく、事も無げに首肯して見せた。
「あ、えっと、少々取り乱してしまい申し訳ございません」
まだ少し戸惑っている感じはあるけれど幾らか冷静さを取り戻したようで、マイさんはちょっと頬を赤くしながら頭を下げた。
「それで……本当に一階でよろしいんですか?」
おずおず確認をするマイさんに、再び頷くエメディスーラさん。
正直な所、困惑するマイさんの気持ちはとても分かる。
チームを組むと決めた、昨日。
ワシブカさんが調理したステーキを食べながら聞かされた時は、僕も同じような反応をしたのだから。
オーゴレイの塔の機能として、冒険者は自身が今まで攻略してきた階層と、そこから一つ上の階を冒険する事が出来る。それはいい。
冒険者が、現在攻略に向かえる最上階よりも下の階層を冒険する事もままある。それは、街の人達からの依頼を受けて素材を採取する為だったり、新しくチームに加えたメンバーが自分達より低い階層までしか攻略出来てない場合の手伝いだったり、怪我や病気で長期間冒険を休んでいた後の腕試しだったりと理由は沢山ある。それもいい。
しかし、しかしだ。
仮にも三十階を突破した冒険者と、かの『銀色の傭兵』が二人揃って、塔の一階……初めて塔に来た者しか入らないような階層に足を向けるというのは、奇異の目で見られても仕方ない。僕自身、そんな事をした冒険者の話は聞いた事がない。
「……よければ理由をお聞かせ願えませんか?」
「なに、ラージェの力量を見極めてやろうと思ってな」
尋ねられると、エメディスーラさんはあっさり返した。
更なる羞恥で顔の熱さに拍車が掛かる。
これも昨日言われた事。
確かに今の僕は弱い。しかし、これで何年も冒険をしてきた自負はある。手を差し伸べ、握ってくれたエメディスーラさんの事は信じたいと思っているけれど、いくら力を見極める為とはいえわざわざ一階で行う必要はないんじゃないだろうか。
そうエメディスーラさんに異を唱えたけど、頑として聞き入れてもらえなかった。
「そうですか……」
まじまじと此方を見るマイさんの視線が、他の視線より怖かった。
僕を応援してくれたマイさんにまで、弱い所を見られたくはないから。弱いが故に失望、されたくはないから。
「分かりました。それで、ご希望の日取りはございますか?」
どう思われたのか検討がつかないまま、マイさんは業務に戻った。
「出来るだけ早いといいな。出来れば明日にでも」
「申し訳ございません。明日からはつい先程予約が入りまして……彼方のチームなんですけれど」
促された方を見ると、少年一人と少女二人で構成されたチームがいた。
少年は興奮冷めやらぬといった調子でギルド内や先達の冒険者達をきょろきょろと見回している。その胸に輝く、傷一つ無い胸当てが眩しい。
少女二人は緊張と気分の高揚が綯い交ぜになったような表情で、ギルドの職員と何事かを話している。
ああ、あの様子には見覚えがある。とても昔のように感じてしまう、あれは。
「ルーキーか」
「ええ。なんでも今日この街に着いたばかりだそうで。我慢できずにその足で、いの一番にギルドへ来たみたいですよ」
その衝動も身に覚えがある。
とにかく前に進む事しか考えられなかった、あの感覚。
「今日街に着いて、明日から塔へ……だと? それはまた随分と……」
「危険だという事は重々説明させていただいたのですが、本人達はやる気満々で。最終的には冒険者さん側が決める事ですし。ですので現在、しっかりと諸々の注意と説明を行っているところです」
苦笑いを浮かべるエメディスーラさんの言葉に、マイさんも困り顔だ。
「……僕は分かりますよ、彼等の気持ち」
ぽつりと呟いた声音には、多少の羨望が混じっていて。
「ん?」
「僕……達も、初めはああでしたから」
「ああ、そうですね。懐かしいです」
当時を知るマイさんが、思い出すように目を閉じた。自然、僕の脳裏にも昔の情景が浮かぶ。
僕と、ハーリッド。
夢を抱いて、二人で初めてこのオーゴレイの街に来た時も、あんな感じだった。
血気に逸って、僕はすぐに塔一階の攻略を予約しようとして。
今と変わらず注意喚起したマイさんを、ハーリッドが柔らかい口調で、でもしっかりとした意志で説得した。
『ラージェには、俺がついてますから』
と。
今にして思えば、既にあの頃から僕はハーリッドに守られていたのだろう。夢に邁進すべく前しか見てなかったから気付かなかったのか、単に僕が鈍いのか。
多分両方ともだろう、と胸中でこぼす。
「程度の差はあれど、新人の冒険者さんは皆様希望に満ち溢れてますからね。とはいえ街に着いて日を置かず、という方は中々見ないですけれど」
「ふむ、そういうものか?」
顎に手を当てて首を傾げるエメディスーラさんには、どうやら思い当たる記憶は無いみたいだ。
……エメディスーラさんは、どうして冒険者になったんだろう。
そんな疑問が生まれた。
「まあいい。彼等が明日から、という事ならば……三日空ければ予約出来るか?」
話を本筋に戻したエメディスーラさんの言を受けて、マイさんは紙をパラパラと捲り目を通していく。
「そう、ですね。はい、彼等の後であれば大丈夫です」
オーゴレイの塔の機能に、一つの階に入れるのは五人までという上限がある。従って冒険者のチームも五人までという決まりになった。
実は今回の場合、三人のチームと僕達二人が同時に塔一階に入る……という事は、オーゴレイの塔のルール的には問題無い。
でも、その昔。一つの階に二組のチームが同時に攻略に入り、中で何があったのかお互いを妨害し合い、果ては殺し合いに発展してしまったという凄惨な事件が起こったらしい。
それからは、ギルドがしっかりと冒険者の入塔を管理し、同じ階に複数のチームが入ってしまわないようにしている。
「それでは予約票等を作成しますので、少々お待ちください」
そう言ってサラサラと紙に記入を始めたマイさんから目を離す。
特に当て所も無くふらふら彷徨った僕の目線は、知らず知らずの内に件の新人三人チームに吸い寄せられていた。彼等の放つ、ルーキー特有の熱量というか溌剌さに当てられたのだろうか。
と、此方の視線に気付いたのか、少女の内の一人と目が合った。
肩口で切り揃えられた青い髪が印象的な女の子は、軽く会釈をしてみせた。僕も慌てて会釈をし返す。
それを見た彼女は幾らか目を丸くした後、ふっと笑み、顔の向きをギルド職員へと戻していった。
「……惚れたか?」
「なぁッ!?」
突如として投げ込まれた疑問文に動揺しながら首を曲げると、ニヤリと嫌な笑い方をしたエメディスーラさんがいた。
一連のやり取りをしっかり目撃していたようだ。
「そっ、そういうんじゃないですよ! ただ彼等が眩しくて、羨ましくて──」
力一杯弁解したせいで、いらないことまで言ってしまった。
恥ずかしくなって口をつぐむ。
「羨ましい? ふむ……」
「お待たせしました。こちら、オーゴレイの塔一階攻略の予約票です。記載された日付に、これを塔の入り口に待機しているギルド職員にご提示ください」
「は、はいっ」
助かった。
内心でマイさんに感謝しながら、差し出された予約票を受け取る。
「それでは、お手続きはこれで終了です。攻略、頑張ってくださいね」
「……はい」
「ああ」
にこりと微笑んで応援してくれたマイさんに、曖昧に頷く。
と、
「エメディスーラさん」
「何だ?」
すっ、と表情を引き締めたかと思うと、マイさんはエメディスーラさんに対して深々と頭を下げた。
「ラージェさんとチームを組んでくださって、ありがとうございます。ラージェさんを……よろしくお願いします」
「ちょ、マイさんっ!」
そんな保護者みたいな事言わなくても。うう、何だか恥ずかしい。
「ふ、別にお前に感謝されるような事はしていないが。まぁ、ラージェが音を上げない限りはついててやるから安心しろ」
頭を上げたマイさんとエメディスーラさんは少しの間無言で見つめ合い、どちらからともなく頬を緩めた。
「ええ、お願いしますね」
「ああ。……行くぞ、ラージェ」
僕を置き去りにした二人の会話が終わり、僕は先に出口へと歩きだしたエメディスーラさんの後ろにすごすごとついていく。
途中、様々なチームが新メンバーを募集する貼り紙を貼っている掲示板が目に留まった。
その中でも僕の目が引き付けられたのは、ハーリッド達の新メンバー選考会の知らせだった。えらく達筆な文字だ、おそらくソクセナさんが書いたのだろう。
選考会の日付は、今日。昼過ぎから始まるらしい。
ゆっくりとギルド内の階段に目を向けると、掃除道具や椅子を抱えていそいそと階段を上がる職員が見えた。
この手の選考会は、ギルドの中にある空き部屋を使用して行われるのが常。平時から綺麗にはしているだろうけど、念には念を入れて清掃をするのだろう。椅子は、選考会を受ける希望者が待機する為のものだろうか。
……数時間後には、僕じゃない誰かがハーリッド達のチームに五人目として加入する。
自分の非力さが招いた結果だと半ば飲み込んでいるし、新たにエメディスーラさんとチームも組んだ。
なのに息が詰まるのは、さっきルーキー達を見て昔を、新人だった頃の気持ちを、ハーリッドとの夢を思い出してしまったからだろうか?
悶々としたままギルドから出る。
眩しい朝の日差しが顔に当たり、思わず目を細めた。
「ラージェ」
「はい?」
くるりと踵を返して、エメディスーラさんが此方を向いた。なんだろう?
「お前は生まれ変わるんだ」
「……はい?」
生まれ変わる?
あまりに唐突で、エメディスーラさんが何を言いたいのか分からなかった。
「何故一階で力試しをするか分かるか?」
首を横に振る。
「お前という冒険者を、一からやり直すからだ。いいか、今までの自分を一時捨てるんだ」
「捨てる……」
「そう、言わば新たなる始まりだ。今までの弱い自分に別れを告げろ。生まれ変わり、これから強いお前になっていくんだ」
新たなる、始まり。
「ルーキー達を羨ましいと言っていたな? 喜べ、一からやり直すお前もルーキーと変わらん。……だからルーキーらしく前を向いて、希望を抱いて、がむしゃらになれ」
これは、励ましてくれているのだろうか。相対している表情から心情を窺い知る事は出来ない。
でも、その言葉は胸に刺さった。
「……はいっ!」
生まれ変わる。やり直す。
今日から、また始まる。始めるんだ。
僕の冒険者人生を!