閑話・守るべきものは
「テメェなんざ不合格だ雑魚野郎。とっとと出てけやコラ」
男から渡された冒険者名簿の写しを一瞥するや、ゼレオが口火を切った。
「なっ、んだとぉ……! 若造が偉そうに!」
「ハッ、冒険者は強いヤツが偉いんだっての。んな事すら分かってねえから万年二十四階で足踏みする羽目になるんだよロートル。テメェが俺達と肩を並べるまでの手伝いなんぞやってられるかよ。理解したらさっさと帰れや」
言い終わると、ゼレオは手にした名簿の写しを放り投げた。
ひらひらと宙を舞った紙が地に落ちる。
それを茫然と見ていた男は肩をわなわな震わせ始める。
当然だ。ギルドで管理されている冒険者名簿には自分が冒険者登録をしてからの経歴が記されている。写しとはいえ、それを放り投げられるというのは自分の冒険者人生を否定されているに等しい。
「こっ、の……調子に乗りやがって……! 表出ろクソ野郎が!」
正に怒り心頭といった様子で椅子から立ち上がると、青筋を浮かべてゼレオの胸ぐらを掴もうとする男。
対するゼレオはというと、男の地を揺らすような怒号を耳にしながら不敵に口角を歪めていた。獲物が罠に掛かったと言わんばかりに。
ああ、またか。
胸中で辟易しつつ、ゼレオの鋭く重い拳打が男の顔面に炸裂しかけた瞬間に二人の間に割って入る。
「待て、二人とも」
ゼレオの胸ぐらへと伸びた男の手首を右手で掴み、ゼレオの拳は左掌で受け止める。衝撃で左手が痺れるが気にしてはいられない。
「チッ……」
「む……」
制止すると、怒りに呑まれ周囲の人間の存在を忘れていたのか、男はばつが悪そうに唸った。
かたやゼレオは不満げに舌打ち。警告の為に睨みつけると、興が冷めたと主張するようにばりばりと頭を掻いた。
ゼレオに言いたい事は山程もあるが、ぐっと堪えて二人から手を離し、男に向き直って頭を下げる。
「すまない。チームメンバーの非礼はリーダーである俺の責任だ。謝罪で気が済まないならば俺を殴ってくれ」
「む、う……。いや、ハーリッドを殴りてぇワケじゃねえ。俺も冷静さを欠いたな、すまん」
自らの行いを恥じるように頬を掻く男。
謝罪が受け入れられた事に安堵しつつも、事実を伝えなければならない為に心を鬼にする。
「……重ねて済まないが、言い方こそ少し……いや、かなり乱暴だったがゼレオの言葉の通りだ」
「俺を加入させて、攻略の手伝いはしてくれねえのか」
「俺達が目指しているのは最上階の踏破だ。故に足踏みはしていられない」
オーゴレイの塔の機能として、突破した階層が冒険者個人毎に記録されており、冒険者が探索出来るのは自身が今まで踏破した階層と次の階のみ。
自分よりも上階を突破しているチームに加入したからといって、間の階層を飛ばして合流する事は出来ないのだ。
つまり、この男をチームに加入させて三十一階以上を冒険したいならば、この男が三十階まで踏破するのを手伝わなければならなくなる。それはあまりに時間と労力を費やす事になってしまうのだ。現トップチームとの差を考慮すると、その選択は取れない。
故に、能力は勿論、現到達階というのも採用如何の大きな割合を占めるのだ。
高望みをするならば進捗度合いが俺達とまったく同じ冒険者が望ましいが、それではあまりに門戸が狭い。が、妥協しても二十八階突破者くらいが限度だ。
そして、理由はもう一つ。そちらの比重がなかなか大きいのだが、しかし、さすがにそちらは本人に伝える必要はないと判断を下す。
「今回は縁が無かったという事で納得してはくれないか?」
「あ、ああ……。力不足ですまねえな。つーか、それならそれで募集要項に書いておけよ」
非難混じりの声音で、至極当然の指摘を受ける。
書きたいのは山々なのだが、
「少しばかり事情があるんだ」
苦笑しつつ言い訳をする。
が、男は此方の言い分には大して興味はないらしく、冒険者名簿の写しを拾い上げると、
「そうかい。……じゃあ、帰るわ」
生返事と一緒に踵を返した。
「すまないな」
最後にもう一度謝罪を投げると、男は背中を向けたまま片手を挙げ、そして部屋を後にしていった。
息をつく。
「けっ、クソ雑魚め」
「やめろ、ゼレオ」
悪びれもせずに悪態をつくゼレオに注意するが、本人は気にした風もない。
「なんか間違った事言ってるかよ? あの野郎、たかが二十四階に四年は居座ってやがる。典型的な諦め野郎だろ」
「それは……そうだが」
塔に蔓延る魔物達に苦戦して冒険が停滞する、という事は往々にして起こり得る。
しかし、前人未踏の領域を冒険しているトップチームならいざ知らず、二十三階まで攻略してきた実力を持つチームが、魔物の情報も階層の地図も出回っている二十四階に四年も留まっているのはおかしい。
大怪我を負って冒険を中断、というのも無くはないが、その理由ではないのは名簿の写しと本人を見れば明白。
こういう場合、考えられる理由は大抵一つ。
本人達がこれ以上の危険を冒す事を諦めているのだ。
冒険者というのはいつ命を失ってもおかしくない職業。俺のように夢の為だったり、ゼレオのように強さと戦いを求めている冒険者ならともかく、金を稼ぐ為に冒険者になった者の中には上層階に向かうのを諦め、比較的安全な階で素材等を回収して生計を立てる事を選択する者が出てくるのだ。
先程の男もおそらくその類だろう。楽をして上層階に向かう好機と考え俺達を利用する腹積もりだったかもしれない。
俺達は最上階の踏破を目指しているのだ。そんな心持ちの人間を仲間にする訳にはいかない。
「命惜しさに諦めたクソは、見てるだけで苛つくんだよ」
相当腹に据えかねているらしいゼレオの言葉が、俺の胸に突き刺さる。
命惜しさに諦めた。
俺も、そうだ。
ラージェに死んでほしくなくて、アイツとの夢を諦めた。それはゼレオが言うところのクソ、なんじゃないか?
いや、判断は間違っていない筈だ。
優先すべきは、夢よりも命。死んでしまっては元も子もないのだから。
……でも、共に夢見た親友と別れた今、俺は何の為に冒険をするのだろう。
思考が出口の見えない迷宮へと足を踏み入れかけているのに気付き、首を振る。
先ずは目の前の問題からだ。
気持ちを切り換えるべく下を向いていた視線を仲間達に向けた。
一連の騒動を無表情で眺めているソクセナと、興味もないと余所見をしながら髪を弄っているミナ。
果たして、全員の眼鏡に敵う冒険者は現れるのだろうか。
「……次の希望者、入室してくれ」
「私を入れてくれたら、誠心誠意努力します!」
「はい不合格。努力とかサムい事するヤツなんて、お呼びじゃないのよね」
「なっ……!」
眉間を押さえる。
「正直、今のチームじゃ大した働きは出来てねえが……採用してくれりゃあ心を入れ換えて身を粉にして仕事するぜ!」
「現在のチームで結果を出せてない無能など、新たなチームに移ったところで無能のままでしょう。役立たずはお帰りください」
「なんだとぉ!」
頭を抱える。
「……お前達、どんな冒険者なら採用するんだ?」
あれから何人断って、残りは何人なのだろうか。
言い表せない程の心労を感じつつ、三人に問いを投げた。
「俺と同じくらい強いヤツに決まってんだろ」
「えーっとぉ……、努力なんてしない天才で、冒険中荷物とか全部持ってくれて、あと出来れば美形の男がいいわね」
「結果を出せる有能な人材ですね。頭脳明晰であれば更に良いですが」
「……そうか」
三者三様の返答。
これこそ、募集要項に到達階層を記載できない理由だった。
この三人の望む冒険者の能力が、あまりに高すぎるのだ。だから階層で戸口を狭めたりせず、ルーキーからベテランまで幅広い層の希望者を審査してきた……のだが。
全ての条件を満たすような傑物、大人物が、これより先の加入希望者にいるだろうか。正直、望みは薄いだろう。
「……しかし、これでは埒が明かないのも事実」
「ん?」
次の希望者の入室を促そうと口を開きかけた時、ソクセナがゆっくり立ち上がった。
「ゼレオ、ミナ。そろそろ面倒ではありませんか?」
話を振られた二人は顔を見合わせる。
「ん? まぁ、そりゃ面倒だけどよ……」
「座りっぱなしでお尻が痛いし、早く帰りたいけど……それが何? ちゃんとした人を選ぶんならしょうがないんじゃない?」
「発想を変えるんです。ラージェよりマシな冒険者なら誰でもよくはないですか? 勿論、我々と近い階層の踏破者に限りますが」
「何?」
眼鏡を指で押し上げ妙案だとばかりに語るソクセナだが、俺を含めて聞き手は良い顔をしていない。
「それじゃ愚図が入ってきちゃうじゃない」
ミナが口を尖らせると、ゼレオも同意するように頷いた。
それはソクセナの想定内の反応だったようで、彼はニヤリと口端を上げる。
「ええ、そうですね。ですから、我々が無能だと判断した時、また追い出せばいいのですよ」
「で、また選考会を開くのか? そちらの方が面倒だろう」
「それは確かに。ですがハーリッド、我々の要求に合致するような冒険者が簡単に見つからないだろうと、あなたも考えているでしょう?」
正に先程考えていた事を見透かされ、言葉に詰まる。
ソクセナはその沈黙を肯定と受け取ったらしく、一つ頷いて言葉を続けた。
「その人物を見つけ出すまで冒険を中断していては、他のA級チームに塔攻略の先を行かれてしまいます。ですので、冒険と人材募集を平行して行うのです。選考会で大雑把に誰か一人を採用し、その人物と塔の攻略に向かう。無才無能と判断したらクビにして、再度選考会を開く……この繰り返しならば、時間を無駄にする事も無いでしょう」
「待て、そのやり方ではどちらも疎かになるだろう。採用した者の力量次第では冒険にも支障をきたす可能性がある」
「問題ありません。何せ我々は、あのラージェを加えた状態でここまで来たのですよ? 誰を採用しようが冒険に差し障りはないでしょう」
「なるほど、確かにな。あんなクソ雑魚をチームに入れてた事を思えば、どんな野郎でもマシに思えてきたぜ」
「同感。誰を加えても、ラージェがいた時よりは攻略の速度も上がるでしょ」
あの、の部分を強調したソクセナに対して、彼の言に同調し出した二人に対して自身の眉根が寄ったのを感じつつも、そこを追及してしまうと話が拗れるので胸の奥底に生まれた苛立ちにはいつも通り無視を決め込み、食い下がる。
「だが、何度もメンバーを入れ替えていたらこのチームの悪評が広まるだろう。そうなっては誰も応募などしてこないだろう」
大怪我や死亡、不和等様々な理由でチームに欠員が出た場合、今回のようにメンバー選考会を行うのは他チームでもままある事だ。命懸けの冒険である以上、ある程度は仕方ない。
しかし同時に、死と隣り合わせの環境を共有する事で大体の場合はチーム内にある種の信頼感や連帯感が生まれ、そう簡単にはメンバーを放逐しなくなるものなのだ。
翻って、幾度となくメンバーの追放を繰り返すようなチームは協調性の欠片も無い自儘な人間の集まりだと周囲に公言しているのと同義。
誰が自分を信じない集団の中に加入して危険な塔に繰り出すと言うのか。広いようで狭い冒険者界隈ではあっという間に話は広がり、白い目を向けられるのは必至だろう。
だというのに、ソクセナは織り込み済みだと自信満々に笑む。
「問題はありませんよ。我々が上階に進み結果を残し続けていれば、その手の悪評など鳴りを潜めます。学生時代に経験済みですのでご心配なく」
「ソクセナの案でいいんじゃねえか? 兎にも角にも、これ以上ダラダラと足踏みしてんのは性に合わねえ」
ゼレオが首をごきりと鳴らす。
ゼレオの事だ、面倒な事は早く終わらせて戦いたいのだろう。
「アタシも賛成。選考会なんて初めてだったけど正直飽きてきたし、お腹空いたし。ハーリッド、終わったら一緒にご飯行きましょ?」
「……ああ」
上体を伸ばしながらミナも賛同した。
彼女は三人目くらいから興味を失い退屈そうにしていた。加入者への希望要項がある以上付き合ってくれていたが、ソクセナが代替案を出した以上、早く帰りたいらしい。
三対一。ソクセナによって盤面はひっくり返された。
俺が一応チームのリーダーとはいえ、これ以上反論するとチームにいらぬ軋轢が生まれかねない。
喉を上っていた反対意見を、ソクセナの案と共に飲み下す。
「分かった。ソクセナの案でいこう」
「二十九階踏破……。彼でいいのでは?」
話し合いの直後に入室してきたのは、やや痩せぎすの男。
彼から名簿の写しを受け取ったソクセナが首を向けて尋ねると、ゼレオとミナは一も二もなく頷いた。
「おう」
「賛成賛成」
「ハーリッド、貴方はどうです?」
事ここに至って、この流れに逆らえる筈もない。
「……彼でかまわない」
「はい決定。よかったわね、アンタ」
「へ? え?」
感情を伴わない声で祝福されるが、話の流れを理解出来る筈もない男は当然目を白黒させている。
「今日から、俺達のチームの一員として働いてくれ」
落ち着かせる意味も込め、男の前に進み出て握手を求める。
男は少しの間狼狽えていたが、少しずつ理解が追い付いてきたらしい。
戸惑い半分喜び半分といった表情で俺の手を握った。
「へ、へへへ……。嬉しいんだけど、本当に俺でいいのか?」
握手を終えた後。
笑みを溢しながらの男の言葉に、
「構わねえよ。まさかラージェ並に弱いってワケないだろうしな」
「ラージェみたいな無能じゃなきゃいいわよ」
「ラージェよりを仕事をこなしてくれれば問題ありません」
皆が口々に応答した。
ゼレオは既に扉へ歩を進めている上、ミナは帰りたがって俺の腕を引っ張っているが、まだ残っている加入希望者達への説明やギルドへの申請、次回の冒険の計画を立てたりとやる事は沢山あるのでそうはいかない。
制止すべくゼレオに声をかけようとした時、
「へへへ……当たり前だ、あんなヤツとは違うぜ。そうだ、ラージェといえば噴飯物の面白い話があるんだ。知ってるか?」
男が声を出した。
先程の嬉々とした笑顔とは全く違う、下卑た笑みを浮かべている。
ラージェの事を笑い者にすれば、メンバーに取り入る事が出来る。皆の返答からそう理解したらしい表情だった。
瞬間的に拳に力が入る。
が、これから同じチームで冒険をする仲間に暴力を振るってしまってはチームとして立ち行かなくなる。それは駄目だ。
ゆっくり、息を吐くと共に力を抜いていく。
「噴飯、なんて随分大きく出たじゃない。勿体つけずに早く教えなさいよ」
男の言葉がミナの興味を引いたらしく、続きを促している。見ればゼレオも足を止めて首を此方へ向けており、椅子に腰を掛けたままのソクセナも耳を傾けているようだった。
かく言う俺も、あの夜以降ラージェがどうしていたのかは知りたかったので人の事は言えないのだが。
目論み通り皆の耳目を集め、男は満足したように鼻を擦ると、得意気に口を開いた。
「俺も今朝見た時は目を疑ったぜ……。あの野郎、寄生してたアンタ達に捨てられて形振り構わなくなったらしい。なんと、あの『銀色の傭兵』を雇ってたんだ」
僅かばかりの静寂が流れた後、
「……ぷっ」
誰ともなく吹き出し、そして笑い声が場を包んだ。
「あはははは! 相も変わらず他人頼りなんて、ラージェらしいったらないわね!」
「まったくだ。『銀色の傭兵』も厄介なヤツに目を付けられたもんだぜ。ぎゃはははは!」
「我々が駄目なら別の者に寄生するとは……ふふふ、しかも金銭に物を言わせてまで。見苦しいにも程がある」
目尻に涙を浮かべつつ腹を押さえて大笑するミナ、あまりに面白かったのかバンバンと壁を殴りつけながら笑うゼレオ、口元を手で覆いながら体を震わせるソクセナ。
予想以上だったらしい三人の反応を見て、男がほくほくと顔を綻ばせているのを視界の端に捉えながら、俺の心中は穏やかではなかった。
俺は、ラージェとの夢よりもラージェの命を守りたかった。だからチームから抜けさせたのだ。これ以上は危険だと伝えたのだから、俺達の故郷であるサルカ村に帰るものとばかり思っていた。
だというのに、この男の言葉を信じれば、ラージェは未だ塔の攻略を諦めてはいないらしい。
『銀色の傭兵』。
俺達も噂を耳にする、音に聞こえし凄腕の冒険者。たしか今の俺達より到達階は上だった、と思う。
なるほど確かに良い人選なのだろう。俺より力量が上だと思われる冒険者が傍にいるならば、ラージェの身に危害が及ぶ心配は無いのかもしれない。
……しかし。
ラージェが未だ諦めず冒険を続けるのならば。
俺は何の為にラージェとの夢を、ラージェを守るという役目を捨てたのだろうか。
今からでも皆を説得して、ラージェに謝って、そして再びラージェと共に冒険を──。
いや、最終的に決断を下したのは俺だが、ラージェをチームから外す提案をしてきたのはゼレオ達だ。彼等を納得させられるとは到底思えない。新たに加入するメンバーも、今決めてしまった。
夢。ラージェ。チーム。
その三つが頭の中で複雑に絡まり、渦を巻く。
俺が、守るべきものは。
「あはは、アンタ最高よ」
「そ、そうかい? ……へへ、実はこの話には続きがあるんだな、これが」
喜色満面といった具合の男の言葉が、俺を現実に引き戻した。
続きとは何だろうか。
ラージェのその後を聞くべく耳をそばだてる。他の三人も笑声を抑えて傾聴の体勢に入っているようだ。
「かの『銀色の傭兵』を雇ってまでラージェが予約したのは、塔の何階だと思う? なんと──」