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Orange Room  作者: 冷泉 連理
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月の恵み

それは突然の出来事だったのです。


ある平日の朝のことです。その日はとても気温の高い夏の日でした。東京都中野区に籍を置く東中野駅は今日も大勢の乗客で賑わっておりました。ラッシュアワーを迎えたころには、黄色いラインカラーが特徴の緩行線が数分おきに、ひっきりなしに当駅にやってきては、大量の乗客を積んで、新宿方面へ発車するのです。しかし、既に車内はどの列車も大混雑しており、多くの乗客を残して、列車は出ていってしまうのです。東中野駅は、汗をかきながらひっきりなしにやってくる乗客を懸命に整理していました。当駅はほかにも地下鉄線の接続があるため、そちらからの乗客のコントロールも欠かすことはできず、目まぐるしいほどの激務に身を削りながら、乗客を捌いておりました。

それからしばらくして、ラッシュアワーが過ぎたころ、東中野駅は外の景色を眺める余裕が出てきました。仕事で凝り固まった体をぽきぽきとほぐしながら、暇な時間があれば、隣の大久保駅と雑談をして、少しの休息をとっていました。

すると、昼過ぎころ、いつものように景色を眺めながらリラックスをしていると、向かいの2本の快速線のうち、一番奥の線路を颯爽と通過する一編成の電車にふと目が留まりました。その列車は数年前にデビューした新型車両で、東京駅から高尾や青梅方面へ乗客を運ぶ快速電車でした。その電車の横顔に目をやると、その美しさに心が鮮やかにもえてしまいました。それは思いがけないことだったのです。その電車が通過した後も、その電車が通った線路にはふわふわとその電車の残像が残っていました。

それからというものの、その電車が度々通るにつれて、東中野駅はその電車の造形が脳裏に焼き付いていくのでした。数か月が経ったときには夢にまでよく出てくるようになったのです。それ以降、たとえ、その電車がいないときでさえも、業務の傍ら、常に向かいの線路に目がいってしまうのです。


ある日の深夜のことです。東中野駅はあと数便の列車を残していました。人もだいぶ疎らになり、あと少しで業務が終わるところでした。深夜帯になると、中央線の緩行線はいつも走る黄色いラインカラーの車両に代わって、日中走る快速車両が緩行線を走ることになっているのです。その時になると、東中野駅は少し期待をしました。


ひょっとしたら、「あの電車」が来るかもしれない。


しかし、いくら待ってもあの電車が来ることはありませんでした。いつもやってくるのは、不揃いの果実のような似たり寄ったりの快速車両でした。彼らは、静かな夜に似つかわない煌々とした車内を見せつけるようにやってくると、汚くてガラガラの車両をこするように停車させ、ちょっかいをかけては、あざ笑うように去っていくのです。そんな彼らに東中野駅は辟易していました。

時刻も翌日になり、あと2本の便を残すところまでになりました。東中野駅は期待の思いをすっと心の中にしまい込んでいました。

「どうせ、今日も来ないか。」

すると、綺麗な光がカーブを描くように夜のベールから姿を現しました。それは、武蔵小金井行きの最終電車で、悠々と上品な出で立ちで東中野駅に到着しました。疲れと夜の暗さで東中野駅はその列車に目もくれず、機械的に業務をこなしていました。そして、その電車にふと目を落とすと、その便を運行していたのは、あこがれの「あの電車」だったのです。

東中野駅ははっと息を飲みました。突然の登場に体は硬直してしまいました。

そんな不審な動きをする東中野駅を見て、「あの列車」は優しく声をかけました。

「大丈夫ですか。体調が悪いんですか。顔が真っ赤ですよ。」

東中野駅は押し黙ったままでした。

「今日はもう休んだらどうです。あまり無理しても、体を壊すだけですよ。」

「い、いえ、大丈夫です。」

ようやく口を開いた東中野駅は、取り繕ったような毅然な態度を表しました。そして発車時刻になり、「あの列車」は心配な顔を浮かべて、駅を発車しました。


星の輝きもないどんよりとした夜に消えていくあの電車を東中野駅はじっと見つめていました。その姿がなくなるまでにはくすんだ瞳は一番星のように明るくなり、胸に残した違和感が月のように輝いていました。


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