若獅子と箱入姫
六月。三人の姉が揃って生徒会長を退任したので、長兄の家で慰労会が開かれた。
「いつもこんなことをやっているんですか?」
と迎えに来た希総兄さんに訊くと、
「僕の時は無かったなぁ」
との答え。
「兄さんたちがマンションを出てみんなで集まる機会が減ったからね」
と皆人。
「沙弥加嫂さんがやたらと張り切っているのよ」
と笑う華理那姉さん。
「いらっしゃい。もうみんな揃っているわ」
と沙弥加さん。主賓の三人が上座に座り、その右手に三人の兄。西条総志、御堂春真、神林希総の順。その反対側にはそのパートナー。西条沙弥加、御堂美紗緒、片桐掟。
「私の方が上で良いのでしょうか」
と恐縮する美紗緒さんに、
「年齢の事は言いっこ無しよ」
と宥める片桐さん。
そして僕と不破皆人が主賓の対面に座る。
「居ない人を挙げた方が早くないかな」
と春真兄さん。
「矩総兄さんは会期中で多忙なのは判るけど。姉さん達は呼ばなかったの?」
と希総兄さん。彼が単に姉さん言えば長女の総美姉さんを指すが沙弥加さんが総志兄さんと結婚してからはそれぞれ総美姉さん、沙弥加嫂さんと呼んで区別している。万里華姉さんも姉であるがが四カ月しか違わない同学年なので通常は“りか”と呼んでいる。
「俺は恭子の兄として、春真は真梨世の兄として。お前は矩総の代理で華理那の兄として。弟二人はまあおまけだ」
と総志兄さん。
「ふうが居ないのは、例によって私と店長とが同時に休めないから。万里華さんは単純にスケジュールが合わなかったのよ」
と沙弥加さん。長年の相棒だったので結婚後も呼び方はそのままだ。
「さて、兄から妹たちへ一言ずつ」
と沙弥加さんが仕切る。
「華理那はともかく、真梨世や恭子まで会長に成ると言い出した時は大丈夫かと思ったけれど、無事に任期を務めあげてホッとしている」
と総志兄さん。
「酷いなあ、兄さんは。俺は何も心配していなかったよ。華理那は当然として、恭子は部活動で主将を務めていたし、真梨世は仮にも御堂のお嬢様なんだからね」
と春真兄さん。
「二人とも褒めるのが下手だねえ。それじゃあ、上げているんだか落としているんだか判らないよ」
と希総兄さん。
「出来て当然と言うのは只でさえプレッシャーなのに、僕や兄さんの存在がハードルを上げてしまったなぁと申し訳なく思っている。真梨世や恭子は部活動でも実績を挙げて、それが会長就任への道を開いた面もあるだろうけど、二人にとってはこれからが本当の戦いだと思うので、頑張れ」
と纏めた。
真梨世姉さんは合唱部、恭子姉さんはバスケ部で共に全国大会出場の原動力となっている。
「私は冬もあるから、最後ではないけれどね」
進学校の南高では夏の大会が最後だが、東商は冬の大会まで出られる。と言ってもその頃には進路は決まっているだろうけど。
「私からも一言良いですか?」
と美紗緒さん。
「私は一個上で、実際に真梨世ちゃんの活躍を見ていたので、当時はまさかこう言う間柄に成るとは思っても居なかったけど、この御縁の一端は真梨世ちゃんが繋いでくれたと感謝しています」
「え、私も喋るの?」
振られて困惑する片桐さん。
「私は高校時代には勉強しかしていなかったので、生徒会活動で実績を挙げた三人には素直に称賛したいです。と言うか、此処には生徒会に関与していない人間の方が少数派ね」
誰とは名指ししていないが視線の先は明らかだ。
「では本人達からも一言ずつ」
と話題を切り替える司会役の沙弥加さん。
「兄さんたちが色々と言ってくれましたけど、そもそも総志兄さんがうちの兄を引っ張り出さなければ、希総兄さんも立つことは無くて、私はもっと楽にやれたのになあと思います」
と華理那姉さんが言うと、
「自分が会長に成る事は既定路線なのね」
と笑う片桐さん。
「ええ。先程の話を受けてではないですけど、総志兄さんが動かなかったら、逆に春真兄さんが会長をやっていたかもしれないですね」
と真梨世姉さん。
「実際に、俺たちの次を決める際に春真を擁立する動きも有ったんだよ。こいつは断ったけどな」
「兄さんたちの直ぐ後なんて、地雷原以外の何ものでも無いじゃないか」
「まあ間に挟まっていた事でハードルが下がっていた事は否定しないよ」
と希総兄さんも賛意を示す。
「ハードルと言う点では私が一番低かったでしょうね」
と恭子姉さん。
「りなねえは言うまでもなく、りせねえも出馬に際して希理華姉さんに口利きを頼んでいるから。その点、うちは元々成り手が少なくて、生徒会の権限も弱いから」
とやや自嘲的だ。
「まあ確かに、東商業や西工業の会長は他とは若干毛色が違っていたね」
と希総兄さん。
「南高の生徒会がそもそも飛び抜けて独自性が強いんですよ」
と口を挟む。僕も母校中央高校では生徒会役員を務めている。
「南高の生徒会長なんて只の雑用係で、やりたがる人間が少ないし」
「北女も似たようなものよ。部活動の予算を配分するのが主な仕事だし」
と真梨世姉さん。
「南高の生徒会が強いのは昔からの伝統だけれど、特に発言力を増したのは父さんたちの時代らしいね」
と希総兄さん。
「それで、中央は太一と貴志のどちらが次の会長に成るの?」
と華理那姉さんに訊かれたので、
「じゃんけんで負けた速水が会長で僕が副会長に成ります」
と答えた。
「なんだ。会長は罰ゲームなのか?」
と笑う春真兄さんに、
「そう言う訳でもないんですけど。僕には裏の仕事もあるので」
「裏と言っても、大して出番もないだろう」
と前任者の春真兄さんが笑う。
「ええ。矩総兄さんが表で二代目を継いだから、こちらは僕の代で仕舞いにしようかと思っています」
大学選手権を控えた七月初旬。竜ヶ崎道場へ招かれた。
「僕で練習相手に成るでしょうか」
僕が初段を取ったのは中一の時だ。僕の父は若い頃に世界中を放浪して現地で様々な武術を会得していた。僕はその父の手ほどきを受けて、剣道のルールの範囲内で使える技を用いて挑んだが、癖が強かったのか二段以上は受からなかった。対して麗一さんは竜ヶ崎道場の跡取りとして鍛えられた剣道エリートで既に三段である。
道場では非番で家に居た父親の竜ヶ崎規弘氏が待っていた。
「見れば見るほど父親似だなぁ、君は」
と笑い、
「折角だから防具無しでやってみないか」
と言い出す。何が折角なのか良く判らないが、僕は籠手だけを着けさせてもらった。僕が父から習ったのは日本刀を用いた中国武術、苗刀術である。刀は攻撃手段の一つに過ぎず、拳や足技も用いる。その為に籠手をグローブ代わりに着用したのである。
麗一さんは剣道ではあまり見ない八双の構えを取る。それに対して僕は中段から足を大きく前後に開いて腰を落とし握りを左の腰に引き付ける。
僕の攻撃を自分で描写するのは難しい。何せ決まった型が無いのだ。しかしその場の思いつきで放つ技の全てが当たらない。
「予想以上に面白い技を使うなぁ。君は」
「参ったなあ。時間切れです」
僕は竹刀を捨ててその場にしゃがみ込む。心拍数が一定値を越えた状態が続いたために股間のモノが暴れ出したのだ。それで無くても大き過ぎて戦闘には不向きなのだけれど。
「待て」
と審判の制止を受けて竹刀が寸前で止まる。
「そんな所も父親似なんだな」
と苦笑する竜ヶ崎氏。
「済みません」
と言いながら四つん這いで壁の方へ這って行く。そんな僕を見ながら釈然としない表情の麗一さんが、
「まだ本気をだしていなだろう?」
「それは本気の定義によりますね」
と嘯く。
「まさか義理の兄と本気で殺し合いは出来ませんし」
半分ハッタリ、半分本気だ。
「その格好で言われてもなあ」
僕は右膝を立てて勃起をカモフラージュしている。
「君は竹刀を片手で振り回していたが、あれで人が斬れるかな?」
と具体的に訊いてくる竜ヶ崎氏に、
「あいにく人を斬った事は有りませんが、真剣なら扱った事があります。と言うか父の指導ではいつも真剣を使っていました」
と返したら目を丸くされた。
「日本刀は五、六本しかありませんでしたけど、それ以外にも父が世界中で集めてきた各種刀剣が大小合わせて百本ほどに成るでしょうか」
それを聞いた竜ヶ崎氏は、
「では実際に見せてもらおうか」
と道場に飾ってあった日本刀を握って外へ導く。庭には立派な竹藪があり、氏は無造作に二三本斬って地面に突き刺す。
「どうかね」
僕は刀を受け取る前に刺さった竹に触って反応を確かめる。
「では」
僕は受け取った刀を腰に指し、間合いを測りつつ抜刀して下から右手一本で逆袈裟に斬り上げると、天辺で左手に持ち替えて背後の竹を右から左へ斬り落とす。そこから右手に持ち替えて逆手で一度納刀し、最後の一本に向き合ってそのまま抜刀。下から上へ逆手に斬り上げて落ちてくるところを空中で右上から斬り下げる。鞘を腰から抜いて顔の目の前で垂直に納刀する。
竜ヶ崎氏は僕の差し出した刀剣より先に切り口を観察していた。
「うちの流派では片手斬りは推奨していないが、この腕前を見れば認めざるを得ないだろうなあ」
と言いながら受け取った刀を抜いて、
「刃こぼれも無しと」
と言って鞘に戻す。
「僕はむしろ両手斬りを教わっていないので」
刃渡りの短いナイフから始めて古今東西あらゆる刃物を扱える。
「それはそれで特異だなあ」
と苦笑する竜ヶ崎氏。
「片手はいざという時の為に空けておけ。と言うのが父の指導方針でしたから」
「なるほど。一対多を考慮した戦い方だな」
と納得する。
「竜ヶ崎では足捌きで同時に一人だけを相手するように指導している。その上で、相手を一撃で倒してけば同時に二人以上を相手にしなくてもいいから」
なるほど。
夏休みに入って市内の巡回をしていると、見慣れない制服を着た二人組が居た。相手に気付かれないように写真を撮ってネットで検索を掛けようとしたら、
「あれは小田原実業だな」
と声を掛けてきたのは僕の前任者。九代目獅子王を務めた春真兄さんだ。
「どうして此処に?」
「いや。妙な噂を聞いたモノだから」
「僕も、夏休みに入ってから余所モノが出没していると聞いて廻っているんですが」
「小田実ならバスケの強豪校だから、遠征でこの辺りに出没してもおかしくは無いが」
「あの二人はそんなスポーツマンタイプには見えませんね」
こちらの視線に勘付いたのか、彼らがこちらに向かってくる。藪を突いてしまったのだろうか。
「我々は獅子王を探しているのだが」
と背の高い方が告げる。
「なんだ。僕を探しに来たのかぁ」
「貴方が当代?」
「ええ。十代目の滝川太一です」
「我らが姫様は当代獅子王との面談を望んでおられる」
「姫?」
「我らが主箱根姫だ」
「会いたいなら自分の方から出向くべきだろうに」
と兄さん。
「部外者は口を出すな」
と背の低い方。
「そうですよ。先代は控えて下さいよ」
「先代って。御堂春真さんですか?」
男たちは急に態度を改めた。
「流石に有名人ですね」
と褒めると、
「顔も知られていなかったけどな」
と苦笑しつつ、
「俺の代に追い返してやったのに、性懲りもなくまた出て来やがったか」
と戦闘モードに成る。
「かつての無礼はお詫び致しますが、姫は獅子王との共存共栄を望んでおられるのです」
兄さんはまだ何か言いたげだったが、
「ともかく、一度会ってみましょう。日程についてはこちらの都合に合わせて下さい」
と言ってその日はお引き取り願った。
「それで、箱根姫って言うのは何者ですか?」
「元々箱根辺りで元大名家のお姫様を頂く一団があったらしい。父の時代には傘下に入ったけれど、空位時代を経て三代目が獅子王を継承した時には県の西部一帯を手中に収めて不戦同盟を締結した。ただ明確な境界線を決めていなかったので、続く歴代の獅子王が内向きに成っている間にじわじわと勢力圏を拡大した」
「それで九代目の時に獅子王のお膝元まで侵入して蹴散らされた訳ですか」
瀬尾総一郎と言う人は頼られると断れない人なので、成り行きでほぼ県内全域、どころか箱根の山を越えて伊豆の方までその力が及んでいたらしい。
「じゃあ今の箱根姫は?」
「先代の姫は現箱根市長だけど、その娘さんがこの四月に高校生に成ったらしい。と言うところまでは調べが付いたのだけれどね」
「取り敢えず行ってみますよ」
僕が小田原駅に降り立つと僕に会いに来た二人組ののっぽの方が出迎えてくれた。
「貴方一人ですか?」
「あまり大勢で待ち構えて騒ぎにしたくないので」
大人数で待ち伏せして袋叩きにされる可能性も事前に考慮していた。それで市内の監視カメラの位置も事前に把握してある。向かう先も予想通りで、市長の娘が通っている箱根女学館だった。通称箱女、一部では箱入女学館の別名もある。
「自分はこの中へは入れませんので」
と言って案内役を引き継いだのは姫の侍女と称する風間唯衣嬢である。
「校内は男子禁制なので、これを羽織って下さい」
と言われてフード付きの黒いマントで顔を隠して校内を進む。
「良いと言うまで声を出さないで下さいね」
辿り着いたのは正面に見えていた本校舎で無く、今は使われていない旧校舎。
「この中には監視カメラもありませんので自由にして頂いて結構ですよ」
と許可が出る。フードを外して、周囲を見渡す。使われていない割には補修が行き届いている。
「人気がありませんね」
兵が伏せてある訳では無さそうだ。
「貴方を人知れず始末してもリスクばかり大きくてメリットは有りませんよ」
と後で笑われた。
「重要なのは獅子王と箱根姫と言う互いの肩書だけ」
僕が通されたのは古い教室で、教壇が有ったと思われる所が御簾替わりのござで囲われている。
「何とも手作り感が満載ですね」
と言ったら苦笑された。
「そこに腰掛けて下さい」
僕がマントを外して用意されていた椅子に腰を下ろすと、
「ようこそいらっしゃいました」
と御簾の中から声が掛かる。最初からいたのか、あるいは裏に入口があるのか、良く判らない。
「滝川太一です。お召しにより参上しました。大久保姫佳さんですね」
少し間があって、
「どうして私の名前を?」
声のトーンが若干上がった。どうやらこちらが地声らしい。
「市長のお嬢さんですよね?」
「御免。ゆいちゃん、後はお願い」
それっきり応答が無い。
「申し訳ありません。姫はお加減がすぐれないようで」
と取り繕うとする唯衣嬢。
「失礼ですが、この御簾の向こうには誰が居るんです?」
「どう言う意味でしょうか」
「事前に調べて来ましたけど、箱根姫こと大久保姫佳嬢の御尊顔は見つかりませんでした。何か事情があって外に顔を見せられないのか、あるいは…」
「姫は非常に内気で、殿方に慣れておられないのです」
「では質問を変えましょう。貴女は何者ですか?」
「私は姫の侍女を務める…」
「大久保市長は公人なので顔は知られています。で貴女はその大久保市長に顔立ちが似ておられる様にお見受けするのですが。これは偶然なのですか?」
「そこまで御承知なら、全てお話しましょう」
唯衣嬢は御簾に近寄ってこれを引き倒す。そこに現れたのは、
「パソコン?」
「ええ。姫佳ちゃんはこのネットの向こう側に居ます」
「文字通りの箱入りですね」
と茶化したが、
「彼女は中学の頃から引きこもりの不登校なのです」
と深刻そうな表情だ。
「疑問が二つ。貴女は何故彼女の代理人を務めているのか。そして僕を呼びだして何をさせたいのか」
「そうですね。順を追って説明します」
以下風間唯衣嬢の語り。
私は双子として生まれて、旧家にありがちな理由で今の両親のもとで育てられる事となりました。双子の姉である姫佳と出会ったのは中学に入った時です。
私たちは顔立ちこそ良く似ていましたが性格は真逆。私はモノ覚えが早いけれど飽きっぽい。姫佳ちゃんは出来るまで時間が掛かるけど根気強い」
「まるでウサギとカメ」
適切な比喩だと思います。
母親の期待にこたえようと頑張っていた姫佳ちゃんは、私の存在を知って歩みを止めてしまったのです。私の方が母の後継ぎにふさわしいのではないかと。
姫佳ちゃんが引きこもってから数年、高校生に成った時に箱根の四天王と名乗る方々が私を姫佳ちゃんだと思い込んで接触してきたのです。直ぐに誤解は解けましたが、姫佳ちゃんを引き合わせる事も出来ず、私が間に入って対応する事に成りました。
実質的には私が箱根姫としての活動を行っていた訳ですが、彼ら四天王の中でも意見対立があって、私たちが双子であることが知られると分裂の可能性があります。そこで貴方をトップに迎えて権力の一元化を図りたいのです。
貴方にもメリットは有ります。彼らの意見対立の最大の軸は現状維持か拡大か。そしてその最初のターゲットは獅子王の縄張りなのですから。
「要するに僕と四天王をぶつけて、勝った方に担がれようと言う事ですね」
「でも私が黙っていれば四人全員と戦う事に成っていましたよ。その方が良かったですか」
昔の僕なら困惑するところだが、
「貴女のやり口は、忠実な部下を切り捨てて命乞いをしているに等しいですよ」
「彼らが本当に忠臣ならこんなことをしなくても良かったのですけどね」
と寂しそうな目に成った。
「では四天王それぞれの情報を教えて下さい」
唯衣嬢はパソコンを操作して四人が写っている写真を表示した。
「この中で最も長身なのが、滝川さんをここに御案内した多田久斗。四天王最強と言われて事実頭一つ抜けていますが、独断専行を嫌う穏健派。と言えば聞こえはいいですが、本質は責任を取りたくないだけの優柔不断な性格で、箱根姫を推戴する事を提案したのも彼です」
「その右隣の厳つい男も見覚えがあるな」
「それは増川長道。主戦派で形式とは言え女性を頭に抱く事を快く思っていないようです。力の信奉者だから最強の多田には逆らわない」
「まあそんな感じだったね」
「多田の左隣に居るのが持山邦弘。現状維持派で、戦いは好まないけれど守る為の戦いには力を発揮するタイプ。但し姫佳ちゃんとは幼馴染で、この同盟には反対しています」
「それなら初めから姫を担ぎ出すことをしなければ良かったのに」
「護衛役に成れば会う機会が出来ると思っていたらしいです」
「君が間に入って邪魔していると」
「仕方が無いんです。引きこもり生活の過程で太ってしまって、余計に人に会う事を怖がっているのです」
「へえ。僕は太めの方が好きだけどねえ」
「本気で言っていますか?」
「僕が嫌いなのは体型を気にして食の細い女性かな。健康の為のダイエットなら仕方ないけど、健康を害さない範囲ならよく食べる女性の方が好きだね」
唯衣嬢は明らかに不機嫌になった。彼女は細身ですらっとした体型だ。
「それよりも残りの一人は?」
と話題を変える。
「広野学は日和見主義で他の三人が二対一で意見が割れた時、必ず一人の方に味方して均衡を保とうとする天邪鬼です。本人はバランサーを自認していますが」
眼鏡をしていて一見して強そうに見えない。
「見た目は華奢ですけど、実は筋肉質で武道の有段者ですよ」
「後は実際に会ってみてだな」
唯衣嬢に頼んで邪魔が入らない場所へ四人を集めてもらう。
「君らは姫様に信用されていないんだねえ」
とぶちまける。脇で見ていた唯衣嬢の眉が一瞬ピクリと動く。
「君らが負けたら自分にも難が及ぶから今のうちに降伏すると言われたよ」
「あんなお飾りの意思なんか関係ない。今此処でお前を倒せば済む話しだ」
と息巻く増川だが、
「自分は姫の意志に従う」
と動かない多田に、
「腰抜けが」
と罵声を浴びせる。その一瞬の隙を付いて一気に間合いを詰めて腹部へ渾身の右フックを喰らわせる。腹を押さえて地面に倒れ込んだ増田の首を右足で踏みつけて、
「このまま踏みつければそれでお仕舞い。それが君の望んだ力による支配と言うやつだ」
「助けてくれ」
「強いモノにはしっぽを振る。実に判りやすいねえ」
と言って足を離すと、地面を転がって砂を掴んで眼つぶしを仕掛けてくる。だが僕はそれも右手で払い除けてそのまま手刀を頸部に叩き込む。
「まだ足りないかな」
今度は彼の右手を踏みつけて、今度は躊躇わずに踏み潰す。
「僕は弱い者いじめはしないけど、向かってくる相手には手加減はしない」
「やり過ぎだ」
と不満を漏らす多田に、
「何を他人事みたいな事を言っているんですか。そもそも貴方が責任を回避して無関係のお嬢様を担ぎ出そうとしたからこういう馬鹿が生まれたんですよ。それで困り果てた姫は更に無関係な僕を引っ張り出す事に成った」
多田は申し訳なさげに顔を伏せた。
「姫に手を出すな」
と持山。
「それは君には関係の無い話だな」
と突き放すと、
「俺は姫を守る」
と言って突っ込んで来る。僕は右手一本でその猛攻を軽く捌きながら、
「本気で守りたいだけなら巻込まなければ良かったんだ。君は姫の推戴にこそ抵抗すべきだった。そうしなかったのは君の下心だろう」
図星を刺されて一瞬攻撃が止まった。その瞬間を狙って右手を伸ばしてデコピンを決める。持山は尻もちをついてそのまま動かなくなった。
これで終わりかと思ったら今まで傍観していた広野が動き出した。
「僕らは初手から対応を誤ったんだ。そもそも姫の推戴が空位時代を生き延びるためだったのだから、獅子王が復活した時点でその傘下に戻れば良かったのに」
「いつの話をしているんだい?」
「三代目以降の歴代獅子王は常に受け身で、我々はそれに乗じてじわじわと勢力を拡大してきたが、それは明らかに本来の目的を逸脱していた。守る為の組織の筈が、攻めを主張する馬鹿が繰り返し生まれてきた」
と言いながら右手の痛みに苦しんでいる増山に視線を向ける。
「若き獅子王よ。愚かな我々を導いて下さい」
と言いながら仰々しく跪く。続いて多田と持山、少し遅れて増山がそれに倣った。
「右手を出してみな」
僕は増山の手を確認して、
「歯を食いしばれ」
と命じて外れている関節を入れ直した。
「これで普通に動かせる筈だよ」
「まさか。踏みつけて手の関節を外したんですか?」
と武道の心得のある広野。
「まあ普通の格闘技では教えない技術だよなあ」
骨と言うのは頑丈なもので、土の上で踏みつければ真っ先に壊れるのは関節部分だ。これは野外で仕留めた獲物を解体する為の手法である。
「話は纏まったようですね」
と唯衣嬢が声を掛ける。その口元に浮かんだ笑みが、単なる安堵だったのか、狙いが当たった満足顔だったのかは未だに良く判らない。
滝川太一のお話1。