希総最後の戦い 後編
インカレ直前に解散総選挙があったので、希総は母兄瀬尾矩総の選挙運動に協力した。と言っても選挙区を練り歩く兄の後ろに控えていただけだ。地元選挙区は神林家のお膝元で、神林家の意に沿わない候補は当選しない。希総が同行するだけで対立候補に対する牽制になる。むしろ積極的に関与されると神林家に借りを作ることになって、当選後の足かせになりかねない。
矩総の当選に伴い滝川千種が政策秘書になることに決まったので、
「引き継ぎもかねて一回戦だけはベンチに入ります」
がその試合の相手は優勝候補筆頭、西の優勝校、京都室町学院大学である。
「籤運無いなあ」
「でも、ここに勝てれば優勝も夢でないですよ」
と笑う千種。
「あの当時はでかいだけでレシーブが弱点だったのだけどなあ」
一年生エース王島茂治は中学時代から何度も対戦した勝手知ったる相手だが、厄介なのはその操り手だ。正セッターの唐橋要は現在大学生最強と言われる。
「身長は俺と同じくらいなのにセッターなんだよなあ」
と梅谷がぼやく。
「まあ空中戦では勝ち目が無いよなあ」
「問題は高さよりも速さですね」
試合前に見せたマイナステンポの超速攻。
「僕が合宿で仕込んだ技だけど」
と希総が言ったら二人から睨まれた。
「下から打ち上げる僕のトスと違って、唐橋さんのは最高打点からほぼ平行に出しているから、かなり打ち難いと思うよ」
「あんなの防ぎようがありませんよ」
とぼやく梅谷だが、
「トスが早すぎてコースの打ち分けは出来ないはずだよ」
「つまり事前の作戦に変更はないと言う事ですね」
王島の高さに対抗できるのは梅谷のみ。よって彼には梅谷が一枚で付いて、残りはレシーブで対応する。中学までバスケをしていた梅谷は横のフットワークが優れているので、振り切られる懸念は無い。
第一セットは希総が重視したサーブによって主導権を掴み、また梅谷による王島封じも完全に機能したことでT大が先取した。
「まさかここまで上手く行くとは」
と梅谷本人が腑に落ちない表情だ。
「いつも言っているだろう。バレーは読みと反応だと。君は実に良い仕事をしたよ」
希総が王島にとって打ち易い方で待ち構えて打ち難い方へ誘導して、梅谷がブロックで撃ち落とす。
「直感型の王島君が主導権を握っていたら予測し難かったけれど、超速攻は唐橋さんがトスを微妙に調整してコースの打ち分けを決めていたからむしろ判り易かったな」
「逆じゃ駄目だったんですか?」
「僕らが被らなければどちらでも構わないのだけれど、セッターの心理とすれば敵陣に打ち込んで相手のチャンスボールにするよりは、ブロックに捕まってもフォローできる方がマシだから」
「けれどこのままでは済まないでしょうね」
と引き締めを図る千種。
「中軸の二人を同時に引っ込めて、読み合いではなく単純な力勝負にこられたら、うちの勝ち目は無くなるなあ」
と希総。
「そこまで思い切ると、うちには勝てても、優勝は無理ですね」
と冷静な千種。
「そうなんだ。だから次善の策としてどちらかを下げてくるはずなんだけど。僕としては王島君の方を下げて欲しいなあ」
「彼みたいな力押しタイプは予測がし難いのですね」
と千種。
「まあ、相性の問題だね」
残念ながらこちらの希望は叶わなかった。
「やはりそう来たか」
このまま何も出来ずに引っ込んだら王島は二度と使い物にならないだろう。下げられた唐橋もそれを理解してか腕組みをしてじっと戦況を見つめている。
「過去に何か因縁でもあるのですか?」
と千種。
「彼も言っていたけれど、初対面だよ」
試合前にあいさつに来て、
「これが最初で最後になるだろうが、君との対戦を楽しみにしていた」
と言われ、
「大学ナンバーワンの唐橋さんにそう言って戴けるのは光栄です」
と返した。
「そうですか。気合が入り過ぎて空回りしていた印象が有ったので」
二番手のセッターは唐橋ほど速く正確なトスは出せない。だがシンプルなオープン攻撃から繰り出される王島の攻撃は適度に暴れて、梅谷一人では手に負えなかった。
第二セットは先にマッチポイントを握りながらも競り負けて第三セットに突入する。ここで再び唐橋が投入された。
「前と同じ手はもう使えないだろうなあ」
戻ってきた唐橋は最速のトスを封印した。相手は切り札を放棄した訳だが、対応すべき選択肢が増えて却って厄介になった。
希総が珍しくサーブをミスしたところでベンチから交代が要求された。
「打つコースを迷ったでしょう」
ベンチに戻った希総に声を掛ける千種。
「理性で判断に迷ったときは直感に委ねるのも有りよ」
不満そうな希総に、
「直感はでたらめとは違うわ。直感と言うのは積み上げられた経験に基づいて瞬時に最善手を導き出す能力よ」
「最善手を指しても勝てない相手にはどうすれば良いだろうか?」
珍しく弱気を吐く希総。
「格上を倒すには最善手だけでは足りない。ミスしないだけでは勝てない相手には相手に自分以上のミスをさせることだ」
「それって・・・」
「私は華理那さんから聞いたのだけれど、瀬尾総一郎氏の喧嘩術の一つらしいわね」
「そう言えば教わった気がする」
「誰しも、自分が必要を感じない知識は身に成らないものですからね」
と苦笑する千種。
「それにしても控えのセッターなんかいつの間に養成したの?」
「こう言う事も有ろうかと、合宿で不在の間に候補を選抜してこっそりと鍛えました」
実を言えば希総が最も苦手にするのが自分の代役を育てることだった。
「選定は片桐さんが済ませていたから、私は仕上げをしただけです」
「意外とうまく回っているなあ」
控えのセッターはよく頑張ったがそれでも地力の差で逆転をされた。ここで希総は出ようとしたが、
「今出て行っても流れは変えられませんよ」
と千種に止められた。
一周廻ってセッターが後衛に下がったところで再投入。五点差で相手のマッチポイントだった。
「勝ったと思った瞬間に隙ができる」
此処から希総の連続サーブポイントでデュースまでもつれ込む。相手のベンチが慌ててタイムアウトを取ろうとしたが、セッターの唐橋が制止して、
「ここで止めるぞ」
と気合を入れた。
次の希総のサーブを辛うじて止めて再び室町学院のマッチポイント。そのままブレイクで試合終了となった。
希総は、勝った試合ではインタビューを受けないが、負けたときは率先してマイク前に立つ。
「今日の出来ですか、百二十点です。それでも十回に一回勝てるかどうか。千載一遇のチャンスを逃しましたね」
と笑いながらも、
「いずれはこのレベルの試合を八十点と言えるようにしたいですね」
それを聞いていた千種は、
「大会前には希総君のワンマンチームと言われたけれど、それも無くなるでしょう」
「バレーボールにおいてワンマンチームはあり得ないのだけどねえ」
神林希総は中学で終わった選手だと言う声もこれで立ち消えとなった。
大会が終わって、希総は王島と唐橋を会食に誘った。その使者として依頼を受けたのは義姉の御堂美紗緒である。
「僕が直接声を掛けると何かと障りがありますので」
「俺の車で行くと目立ち過ぎないか?」
と異母兄の春真。
「むしろ格好の目眩ましになりますから」
「室町家は一枚岩でないですからねえ」
と美紗緒が笑う。室町家内部には御堂家との接近を快く思っていない勢力がある。もっと言えば、瀬尾総一郎の総理就任により神林家との関係改善を模索する動きがあるのだ。
「ドライですね」
「元々、うちの母は本家とは一定の距離を取ってきましたから」
「ご本家は御堂と神林が裏で繋がっていることも承知しているんだろう?」
「お祖父様と、慶長伯父だけはね」
春真の派手な外車に送られて二人がやってきた。
「ここですか?」
降ろされたのはごく普通の民家の前である。
「お待ちしていました」
待ち受けていた梅谷に案内されて奥へ進む。
「ようこそ」
店舗スペースで希総が重箱を開いていた。
「ここは一日一組しか客を取らない隠れ家的な店でね」
奥で店主が夜のための仕込みをしている。
「建物自体がうちの持ち物で、食材もうちの系列から納入している関係で、空き時間に利用させてもらっているのです」
一段目に入っていた取り皿に料理を取り分けて配膳する希総。そしてお椀には自家製の味噌玉を入れて、店の電気ポットからお湯を注ぐ。
「大将の手料理は久しぶりですねえ」
と梅谷。
「これって神林が作ったのか?」
「下拵えは家のものに手伝ってもらったけどね」
「君、あの神林家の跡取りなんだよねえ」
と不思議そうな唐橋に、
「神林の家風は率先垂範ですから。料理を初めとして一通りの事は自分でやれますよ。高校までは夕食は主に僕の担当でしたし」
「部活動は?」
「南高は進学校でもあるので、すべての部活動は五時上がりでしたよ」
と梅谷が補足する。
「それであの実績かあ」
と感嘆する王島。
「改めて優勝おめでとうございます」
と希総が振ると、
「完全優勝は逃したけどな」
室町学院は残りの試合を圧勝して優勝したが、唯一セットを落としたのがT大戦であった。
「その所為なのか、西の大学が二校ほど練習試合を申し込んできましたよ」
T大が実質準優勝と言われていることが納得できないらしい。
「さて本題に入りましょうか」
と希総。
「俺は高校までは至って凡庸な選手でね」
と語り始める唐橋。チーム一の長身と言う事で何となく攻撃的なポジションを任されていたらしいが、
「進路に迷っていた三年の時に、君たちの試合を見た」
「それは初耳ですね」
と驚く王島。
「俺は王島の才能に惚れ込んで室町学院大への進学を決めた」
彼は室町の付属中学にいたからいずれ大学まで上がってくることは確定していた。
「同時に神林君を手本にしてセッターへの転向を決めた」
「唐橋さんのスタイルが、うちの大将にどことなく似ていたのはそう言う事でしたか」
と手を叩く梅谷。
「いや、スペック的に見て明らかに上位互換だよ」
と素直に称賛する希総に、
「実際に戦った結果は、試合には勝ったけど勝負には負けたという感じだけどなあ」
と唐橋も本音を吐露する。
「卒業後の進路は決まりましたか?」
「プロリーグからの打診もあるんだけどね」
唐橋の家は田舎の素封家らしい。
「神林家とは比べ物にならないが、後継ぎとして期待されているんだよ」
「ご長男なんですか?」
「上に姉が二人妹が一人居るけど、男子は俺一人だ」
「待望の跡継ぎ息子ですか。それは大変ですね」
と言われ、
「それも、君ほどじゃないよ」
「もしかしたら、力になれるかもしれません」
と希総が請け負う。
「済みませんね。勝手に話を進めて」
数日後、唐橋の実家を訪れた希総は、その広大な休耕田を見て法人化を提案した。人を雇って耕作させて出来た農産物を神林の系列会社で一括買取する契約だ。経営についても人材を派遣して、出資も約束した。唐橋家は元は山持ちで、谷の土地は別の家が地主として君臨していたのだが、戦後の農地改革で没落した。元々収穫高が低く大規模農業で食い繋いでいたので、個別での耕作は成り立たずに元小作農たちはほとんどが農業を諦めて出て行った。唐橋の祖父はそんな放棄された農地を順次買い取っていったのだが、人手が確保できずに放置されていた。
「父は一人息子で一括相続したけれど、俺の代になってそれが相続でばらばらになってしまうのを嫌がっていたんだ」
唐橋には既婚の姉二人に加えて未婚の妹もいるので、そのままだと四分割されるはずだった。法人化すれば土地は分割されることもなく、唐橋が役員に名を連ねる事で跡取り問題も決着した。
「初めは僕のポケットマネーで買い取って解決するつもりだったのですけどね。思ったよりも土地が広くて断念しました」
単純に広さだけなら神林家が所有する土地よりも広い。地価が大きく異なる上に、神林の資産は不動産より株式がメインではあるが。
「いくらまでなら出せるの?」
「一億なら、僕の裁量で動かせるんですけど」
「支払ったコストに見合うリターンが有れば問題ありません。農地として活用されるようになれば、地価は確実に上がるし、作物の売り上げも出る。何より雇用が生まれて地域が活性化する」
口には出さないけれど、神林家の評判が上がればなお良しである。
「個人的な思い入れもありますけどね」
神林の後継者として選べない道。それを代わりに進んでもらおうというのだ。
「期待に応えられるように最善を尽くすよ」
二人はがっちりと握手した。
年度が替わって、新入部員が入ってきた。多すぎるので半分は同好会に引き取ってもらったが。
「一軍と二軍みたいなものですか?」
新入部員として入ってきた高校の後輩鹿角晃が訊いてくる。
「違うよ。判断基準は実力ではなくてやる気の問題」
実は双方の練習メニューはほとんど同じである。違いと言えば、同好会は公式戦には出られない代わりに合コンが自由である。
「別に一対一の普通の交際は禁止しないよ。僕も婚約者がいるしね」
情報分析については千種の引退に伴って各学年から一名ずつ三名の分業体制とになった。このマネージメントチームは選手兼任なので自分自身、を含む同学年の分析からは外れる。新たに入ってきた一年生には基礎練習と雑務がある当面は選出しないつもりだったのだが、
「鹿角なら、すぐにでも任せられるよなあ」
と梅谷に言われ、
「勘弁してくださいよ、先輩。ようやく責任ある地位から解放されたのですから、しばらくは一兵卒で行かせてください」
と言うので見送った。
「それで、残りの三人はどこへ行ったんだい?」
「猪口は桜塚先輩に呼ばれてW大に、菊池は松木先輩に誘われてM大に、蝶野はどちらかを選べずに敢えて誰も居ないK大に行きました。但し三人とも推薦は受けずに実力でね」
「お前はどこからも声が掛からなかったんだな」
「自分は主将の仕事があってあまりコートに立ちませんでしたから」
一級下に柳原と言う天才セッターが居るから、それを差し置いて出るのは難しいだろう。
「どちらにしてもセッターは競争が激しいからな。その点、うちは選手層が薄いから。全国経験者は貴重だ」
経験者どころか、希総たちが引退した後の春高でも優勝し、続くインターハイでも連覇を成し遂げた。
「ミスパーフェクトの後方支援が大きかったですけどね」
ミスパーフェクトとは希総の異母妹瀬尾華理那の異名である。生徒会長となった華理那は、希総が企図した人材配分策を継承深化させていた。
「なんにせよ、助かるよ。しばらく留守にする事になる、僕のやり方を熟知している人間は多いに越したことはない」
南高OBが席巻した六大学対抗戦や東日本選手権を経て、八月のユニバーシアード大会へと進む。その壮行会で総一郎は総理として選手団に向かって激励演説を行った。
「蜘蛛の糸か」
総一郎が用いた比喩表現だ。この大会を単なるいい思い出にするか、上を目指す最後のチャンスにするか。
「そうなると僕は一歩引いた方が良いんだろうね」
「小父様も直接言ってくれればよかったのに」
とむくれる掟に、
「母さんもいたからね。息子の教育に口を挟まない約束だから」
総一郎の言い方は、出るなではなく、出るかで無いか自分で決めろだった。希総は控えの四年生セッターの意思を確認したうえで先発を譲ったのだが、
「出番が回って来たみたいね」
控えのセッターがミスを連発して第一セットを落としたために、第二セットの頭から出場することになった。
「良かったわ。せっかくお姉さんをお呼びして解説をいただこうと思っていたから」
と千種に言われ、
「お姉さんは止めてください」
と苦笑する西条沙弥加。
「希総君にセッターとしての基本を叩き込んだのが沙弥加さんだと聞いているのだけど」
と掟が話を振ると、
「その表現はいささか大袈裟ですね。同じポジションだから多少のアドバイスはしたけれどね」
と前置きして、
「私に西条総美と言う相棒が居た様に希総君にも春真君が居たのだけど、私たちとは違って二人は学年が一つ違った。まあそれで無くても二人は大企業グループの跡取り息子と言う立場でいずれは判れる運命だったのだけど。春真君が卒業した後の中三に至って私の模倣を脱して独自のスタイルを確立した」
神林希総の完成形が中三と言われるのもそこに起因する。
「私はコートの女王様なんて言われたけど」
正しくは小さなと言う形容が付くが、
「希総君の異名は黒い王子。私と違ってコートの外から全体を支配出来る。私に言わせれば、神林希総はコートの外にいてこそ怖いわ」
「それはなんとも、通な見方よねえ」
と笑う掟。
おねえさん 希総はいつも通りに敵のエースをねらって全力のサーブを打ち込む。おそらく油断があったのだろう。手元で伸びるサーブが上ではなくレシーバーの顔面を直撃。そのまま後方へ倒れて後頭部を床に打ちつけて脳震盪を起こしそのまま担架で運ばれてこの試合には戻れなかった。
「見事な殺人サーブねえ」
と笑う千種に、
「今のは出来過ぎよ」
とクールに対応する掟。
二発目は先ほどとほぼ同じコースで少し内側。動揺していた交代選手の反応が遅れて間に落ちる。更にそれよりボール一個内側へ打たれると、今度は両方が反応して激突する。
「完全に浮足立っているわねえ」
ここまで強打を続けてきて、四点目は無回転サーブ。強打を警戒して一歩下がっていた敵はオーバーで拾おうとしたが、手前で急激に落ちたため取り損なう。その次はネットを掠めてそのまま入る。
「ようやくタイムアウトを取ったわね」
「ベンチが動揺していたら勝てないわ」
「前から気に成っていたのだけれど」
と掟。
「強打と軟打ってどの段階で打ち分けているのかしら?」
「彼は空中で打ち換えるほど器用ではないから、トスを上げる時点でどちらを打つかは居るはずですよ」
無回転の方がトスの打点がわずかに低い。但し踏切位置も修正しているから正面からは違いが判らないはずだ。フォームもほぼ同じで、当たる瞬間の手首の角度が違うだけだ。
「それなら踏み切り位置で見分けられるのでは」
と千種。
「ええ。でも踏み切り位置を注視すると、ボールから目を切ることに成るから、サーブの軌道を捕捉出来ないわ」
「誰かが見ていて指示を出せば?」
と掟が言うと、
「その場合は声を出した人間を狙えば良い。ですね」
「その通り。希総君と読み合いをして勝てるのは、お宅の先生くらいのモノよ」
交代直後のサーブはアンダーから高々と打ち上げるいわゆる天井サーブ。落ち着いてオーバーで処理すれば良いはずなのだが、その間に悠然と歩いてセッターの定位置へ辿り着く。
「チャンスボール」
レシーブと同時に跳んだ王島に合わせて希総のトスが上がる。マイナステンポの超速攻だ。
「その昔、私とふぅとでやろうとした技ね」
と沙弥加が笑う。
「春真君が真似しようとして、あの当時は出来なかったけれど」
「義姉さんたちは出来たんですか?」
「練習では成功したけれど、公式戦で使えるレベルではなかったわ」
結局十点取ったところでサイドチェンジとなり、そこで希総は交代した。
「今日の出番はこれで終わりかしらね」
戻ってきた四年生セッターはすっかり立ち直っていた。
日本チームはグループを一位で通過して決勝トーナメントへ進む。一つ勝って準決勝、勝てばメダル確定と言うところで希総がスタメンで出場した。母の希代乃が、
「この日なら都合がつくから」
と事前に話していた所為である。父の総一郎も見に行きたがったが、流石に予定が合わずその代わりに付き添いとして指名されたのは、
「私で良かったんですか?」
父の面差しを受け継ぐ長女西条総美である。違いと言えば身長がわずかに低いことと、肩まで伸びた長い髪くらいだろう。高校までは短髪だったので気が付かなかったが、実は曲っ毛で軽く櫛で整えるだけで天然のソバージュヘアが出来上がる。
「あの子にバレーを教えた貴女を置いて、この晴れ舞台を一緒に見るにふさわしい人はいないわ」
「それなら私よりもさーやの方が相応しいかもしれませんけど」
「あの子の母親が良い顔しないでしょう」
沙弥加の母の波流歌と希代乃はかつて総一郎を争ったライバルである。
相手方のサーブで試合開始。レシーブがセッターの希総に返ってくると、王島の超速攻を囮にしていきなりツーアタックを決める。そこから後衛に下がってサーブを打つ。
「…最後まで打ち切っちゃったわねぇ」
「零封とか。現行のルールではあり得ない点数になっていますねえ」
と笑うしかない総美。
「体力は大丈夫なのかしら?」
と母親らしい顔を見せる希代乃に、
「まれは、通常練習後のサーブ百本を日課にしていますから」
初めにやらせたのはほかならぬ総美だ。サーブは誰の力も借りられない個人技だから、努力がそのまま形になる。
「バレーにおいてセッターは一番運動量の多いポジションで。司令塔と呼ばれるポジションにここまで機動力を要求する競技も他にないのではないかと思いますけれど」
総美の相方はレシーブを徹底的に鍛えて、ファーストタッチがセッターに戻るようにしていた運動量を軽減していたけれど、
「まれはとにかく触って上に挙げろ。後は俺が何とかするというスタンスで」
「希総は”俺”なんて言わないけれど」
「言葉の綾ですよ」
と苦笑しつつ、
「どんな体勢からでも攻撃に転じるから、打つ方も大変で。結果として丁寧なレシーブを心掛けるようになった。そこが頂点に届かなかった私たちとの差ですね」
「それが判っていて貴方たちは方針転換をしなかったの?」
「判ったときにはすでに引退した後でしたから。まあ動きながら情報解析をやるのはそうやのりでも無理ですけどね」
「総志君はバスケでやっていた気がするけれど」
「バスケはボールを持てますから。そうが自分でボールをキープして攻め込むときは頭を休めている時です。のりは、動き続けるとオーバーヒートを起こしますし」
幸か不幸か、敵チームは第一セットで既に心が折れていたために希総がセッターとしての妙技を振るうまでもなかった。第三セットにはテストなのか、三位決定戦へ向けての休養なのか大きくメンバーを代えてきた。
「あ、返事がきた」
試合直後に打ったメールの返信が来たらしい。
「父さんはなんて?」
「思ったよりも早かったなって。やだ、誰に送ったか言わなかったのに」
「え、この状況で送る相手なんて誰でも分かりますよ」
と笑い、
「父さんも、まれが負けるとは全く思っていなかったんですね」
「希総は、私が見に来た試合で負けたことがないから」
試合が終わって会場を出ようとすると、
「神林様、声を掛けていただければ席を用意しましたのに」
と話しかけてきたのはバレーボール協会の副会長だった。
「一般席の方が近くで気兼ねなく応援できますし」
と希代乃。
「それにこの後大変になるでしょうから」
と言ったら動揺を見せた。
「何かご存じなんですか?」
「いえねえ。私は良いんですよ。自分に利害がおよばない問題に首を突っ込むほど暇ではないので。でもうちの息子はどうでしょうねえ」
と言ってフェードアウトする。
年度錯誤による改編版。
手を入れ過ぎてほとんど別物です。