希総最後の戦い 中編
改稿版。
四月。T大に進学した希総は少し悩んだ末にやはりバレー部に入部した。これが三度目とあって「自分より下手な先輩たちとの主導権争い」も手慣れたもの。というよりも受け入れ側が希総の実績を高く評価して大歓迎だったのだ。
練習がきつくなることについての反発から数名の退部者が出たモノの、高校時代ほどの大激変無しに新体制は発足した。彼らについては同好会という形式で緩いメニューを提示して関係を維持した。
「楽しむためにも最低限の基礎技術は必要ですから」
新体制に成って、一年生が上級生の付き人する様な体育会系な悪習は無くなったが、ネット張りや後片付けの様な全体の雑用は引き続きこなした。無論一年生である希総自身もそれに加わっている。一番早く練習に出て来て最後に引き上げる。神林家の家訓である率先垂範を実践していた。
これに一番驚いたのは神林の名前に惹かれて残った一部の上級生であった。
「そんなことを君がやる必要は」
「上級生が下級生を個人的に使役するのは宜しくありませんが、下級生がチームの為に雑務をこなすことは別の話です。その点で僕自身を例外とする理由はありませんね」
これは上級生に対してよりも同級生に対しての配慮だ。一番長く付き合うと異なる同級生に反発されればチームとして成立しない。
新チームの初陣は連休明けの六大学対抗戦である。短期間で実力をつける方法としてサーブレシーブから始めた。希総の強烈なサーブに目を慣れさせると同時に、正しいフォームを叩き込んだ。むしろ変な癖がついていないので成長は早かった。希総一人でサーブを打ち続けるのはきついので、ほかの選手にもサーブを交代で打たせる。その際にジャンプサーブにトライさせた。空中でボールをとらえる感覚を身に着ければふつうの攻撃にも応用が可能だ。
そして一つ勝てば大事件と言われるT大が初日に三連勝を挙げる快挙を成し遂げた。この一ヶ月間、三対三の実戦形式で部員同士のあらゆる組み合わせを試して連携を強化して来たので、誰を入れてもチームとしてそれなりに機能するようになっていた。裏を返せば跳び抜けた選手が居ないと言う事でもあるが、それが対戦相手に狙いを絞らせない効果をもたらしていた。
二日目は観客も取材陣も大幅に増えていた。残る相手は全勝のW大とそのW大に惜敗したR大である。
「やっぱり、敵に回すと厄介だな」
R大は一年生の望月をリベロとして投入してきた。実戦経験の少ないT大の攻撃陣は望月の粘り強いレシーブに耐えきれずにミスを連発し、フルセットまでもつれ込んだ末に最後は競り負けた。この敗北はしかし神林希総の評価を高めこそすれ下げたりはしなかった。
そして残るは全勝で来たW大。全てストレートで一セットも落としていない。もしストレート勝ちできれば三校が一敗で並び、セット率で首位に成るが。
ここまでの四試合でベンチ入りメンバーは全員がコートに立って実戦を経験した。最終戦は現時点でのベストメンバーを選んだが、これもまだ暫定でしかない。大会前に想定した顔ぶれとは異なるが、実戦の中での成長度合いが計算以上だったのだ。
第一セットを先取して、W大の完全優勝を阻止。第二セットもあわやと言うところまで追いつめたが、ここでピンチサーバーとして投入された桜塚に流れを変えられてフルセットにもつれ込むと、最後はスタミナ負けした。桜塚は第三セットには頭から出場して、きっちり結果を残した。
余勢を駆って六月の東日本大学バレー選手権大会、通称東日本インカレでもT大は上位八校に残って十二月の全日本インカレへの出場権を獲得した。
その戦術は徹底的なサーブの強化。スタメンの全員がジャンプサーブを操り、成功率は高くないが、入ればほぼ得点になるまさにギャンブルサーブである。だがサーブ強化はあくまでもおまけ。狙いは確実なサーブレシーブで、そこからの組み立てはセッターとしての腕の見せ所だ。
大会三日目、T大の快進撃を止めたのは一月前に勝ったM大。前の対戦では控えだった松木がスタメンで出場して希総の必殺サーブを見事に封じて見せた。最大の得点源を欠いたT大に勝機は無かった。
そして最終日、準決勝の組み合わせは、M大対R大、H大対W大。希総は掟と共に偵察に来ていたが、
「昨日は惜しかったなあ」
と手招きする兄の矩総。隣には滝川千種もいる。
「どうして?」
「いや、キヨノさんから代わりに見てきてくれと頼まれて」
昨日希総が勝っていれば観戦に来るつもりだったらしい。
「さっちゃんもお疲れ様」
掟は解析システムの運用を依頼していた電脳研からの派遣という形でベンチに座っていたのだ。交代に関しては希総がコート内から掟にサインを送る。いくつかのパターンが決まっているので、出る選手を示せば、入る選手は自ずと決まるのだ。
掟と千種が並んで座り、それを希総と矩総が挟む。そこへ、
「あの。神林さんですよね」
と声を掛けてきた女子高生がいた。
「誰?」
と掟が気色ばむより先に、
「君、どこかで見たことあるなあ」
と矩総がぽつり。
「いっと兄、望月一兎の許嫁で、海野睦実と言います」
「許嫁?」
「親同士が勝手に言っているだけですけど。うちは望月の家の本家筋で、長野の旧家なんです」
「それだ。四年前の全中バレーを見に来ていたね」
「はい。えっと」
「僕の異母兄で瀬尾矩総。それから婚約者の片桐掟さんと、その友人の滝川千種さん」
と希総が三人を紹介する。矩総と千種の関係については誰に聞かれるか分からないので慎重にぼかした。
「しかし、東日本の八強に東京六大学が五校。しかもそのすべてに昨年のインターハイ覇者南高のメンバーがいるとなれば、希総の評価もさらに高まるだろうなあ」
と矩総。
「いやあ。肝心の僕が真っ先に敗退ですから」
と謙遜するが、
「お前を止めたのが、かつての仲間なんだから評価に影響しないさ」
「仲良いんですね」
と興味津々の睦実。
「母親が違うから?」
と矩総。
「両親と同じでも仲の悪い兄弟はいくらでもいるだろうし、温度差はあってもうちの兄弟は上手く行っている方だろうねえ」
「兄弟仲というのは、基本は親からの愛情の奪い合いで、次に互いの競争心だけど」
と希総が続ける。
「僕は母にとっては一人息子なので誰とも張り合う必要がない。父は基本的に子供の養育に関与しないので、父の愛情を奪い合う必要がない。兄弟間の競争については、この兄は突出して頭が良くて、張り合う気持ちすら起きない」
「同じ文系でも、専門が違うからなあ。僕は法学で希総は経済だから」
と矩総。
「将来選挙に出ようと思ったら、神林家の機嫌を損ねたら地元からは当選できないだろうなあ」
将来どころかこの数か月後に実現するのだが、それはまた別の話。
決勝に勝ち残ったのはM大にW大。負けたR大の望月とH大の大鳥が希総たちに合流してきた。
「お久しぶりですね。瀬尾先輩」
と直立不動であいさつする二人に、
「チームを離れてこんなところに来ていて良いのかい?」
「偵察だと言ったら許可が下りました」
と大鳥。
「今日はいつものカメラは来ていませんね」
と望月、
「あれは母さんの趣味だから。僕が出ない日には出動しないよ」
「じゃあ今日は撮っていないんですか?」
「僕はね」
希総は高校時代からデータ収集のためのネットワークを作っていたが、解析AIを一般公開することで集まる情報量は飛躍的に増大していた。登録会員は動画データを投稿するとその解析データを無料で受け取れる。管理者である希総はすべてのデータを包括的に利用出来る上に、投稿された動画を見るのは有料なのでそこから運営経費を捻出できる。
「そういうところはきっちりしているよなあ」
希総は母の教育により何事にもコスト計算を欠かさない。それに対して矩総は要不要が前提にあって、必要と判断すればコストは考慮しない。そこが二人の大きな違いであろう。
「それにしても、両チームとも一年をオポジットに据えるとは、興味深いねえ」
W大は桜塚、M大は松木。南高の主将と副主将が同じポジションで激突することになった。
「松木に対角を任せたのは中三の一年きりだったのに」
と希総。
「どちらが上かは、聞くまでもないのかな?」
と矩総に振られ、
「タイプの違いですよ」
と答える希総。それまでオポジットを務めていた兄の御堂春真が卒業してその後継と言う形だが、高校では桜塚がその位置を占めた。春真が攻撃一辺倒のスーパーエース型だったのに対して、桜塚は守備も出来るユニバーサル型。松木はその中間型になる。
「桜塚は僕の意図を理解したうえであえて対案を提示してくるのに対して、松木の方は僕の意図を忖度して動く。セッターとしてなら実は松木の方がやり易いんだけど」
希総は高校ではベンチワークを主体にして、コート内の指揮は柳原兄弟に任せていた。
「松木君はラインタイプで、桜塚君はスタッフタイプなのね」
と千種が一言でまとめた。
「流石は姐さん」
と大鳥がからかうと、
「私、三姉妹の末っ子なんだけど」
とズレた反応を見せた。
試合そのものはW大が順当に勝ったが、
「まっつんは十分にアピール出来たんじゃないですかねえ」
と大鳥。
「どうだろうねえ。選ぶのは僕じゃないから」
と希総。
「一年生を起用するとなれば、外される先輩の気持ちも考えないといけませんからねえ」
と望月。
「その点、桜塚はそつがない。勝っている試合で無理に前に出る必要もない。と判断したんだろう」
希総はそう評して立ち上がる。
「二人には会って行かないのですか?」
と大鳥に訊かれ、
「半年後に会えると良いな。と伝えてくれ」
「それにはまず初戦に勝たないとなあ」
と矩総が煽る。
「うちが一番きついんですよね」
初戦は東西対決となるが、八強止まりのT大は西の四強以上と当たることになるのだ。
閉会式前に会場を引き上げた希総は掟の車で帰途についたが、
「あれ、道が違っていない?」
「これで良いのよ」
辿り着いたのは都内の一流ホテル。カジュアルな格好の二人はフロントで止められたが、希総の名を聞いて受付の様子が一変。フロアマネージャーがやってきて、
「伺っております」
と案内されたのは上得意だけが利用できる特別会議室である。その入口で待ち構えていたのは、
「母さん?」
「既に全員揃っているわよ」
と微笑む希代乃。残って練習しているはずの部員たちが彼を取り囲む。
「指定のメニューはこなしてきたからな」
と主将。どちらが上級生か判らない。
「乾杯用のシャンパンを回してください。アルコールはこの一杯だけですが、料理の方は食べ放題なので足りなくなったら注文してください」
と掟。
「まずは乾杯の音頭を神林から」
と主将に言われ、
「正直言って一年目で全国まで来られるとは思っていなかったけれど、皆さんの努力の成果をまずは喜びましょう。乾杯」
乾杯を済ませた後、
「我々四年は、これで引退になるが、最後に大きな夢を見せてもらった。ありがとう」
一部理系の先輩は大学に残るが、ほとんどは就活に入る。
「お疲れさまでした」
と先輩を労った後、
「君は知っていたの?」
と掟を問い詰める。
「お話し中失礼します」
と梅谷が寄って来て茶封筒を差し出す。
「毎年の壮行会を今年はやらないのですか。と言ってきたのが掟さんなのよ」
と希代乃。
「会費を集めて来ました」
掟が受け取ると、
「言われた通り一人三千円ですけど、足りますかねえ」
と心配そうだ。
「大丈夫よ。残りはこの子が払うから」
と希代乃。
「え?」
と驚く希総を尻目に食事に戻る梅谷。
「じゃあこれは」
と封筒を差し出す掟に、
「君が持っていてよ。払いはカードでするし、僕は現金を持ち歩かないから。それよりも…」
「外注の方がコストパフォーマンスが良かったのよ」
これまでは会場となる神林邸が徒歩通学圏内にあるので移動距離が短い。材料費は父母会が負担し、準備その他も父母会で行っていた。しかし大学生ともなれば、実家から通うのが一割程度、残りは親元から離れて一人暮らし。
「話が逆じゃないですか。父母会の企画では予算に上限が有るからこれまでは外注出来なかったのでは?」
と掟が指摘すると、
「それもまあ正解ね」
と苦笑しつつ同意する希代乃。
「確かに、驚くほど高額でもないですねえ」
と請求書を見た希総。
「この部屋はお得意様向けのサービスだから、一介の大学生が申し込んでも受け付けてくれないけれど」
と希代乃は笑う。
「今後は貴方の名前で使えるわよ」
「要するに顔繫ぎですか。それにしても食べ放題とは」
「料金は既に設定済み。食材はうちの会社が納入しているから、彼らが食べるほどむしろうちは儲かるのよねえ」
「それじゃあ僕も売り上げに貢献して来ます」
といって料理に向かう希総を見送って、
「それで、間近で見ていてどうだった?」
と希代乃。
「初めはサインを見落とさないように気を使っていて、希総君のプレイそのものは目に入っていなかったのですが」
と掟。
「敵チームまで含めても彼が一番上手ですね。事前の予測が正確だから動きに無駄が無くて、派手さとは無縁ですけど」
「それは、期せずして我が家の家風そのままね」
「期せずしてなのですか?」
「ええ。あの子、世間的には一人息子だけれど、上に異母兄が三人いる、揃いも揃って派手でしょう」
と希代乃は笑う。
「四人を比較すると、うちの息子は全部二番手」
スポーツでは長兄の総志が、学業では次兄の矩総が、芸術分野ではすぐ上の春真がいる。三人はそれぞれの分野で天下を取れる逸材なのだが、小さい頃はそれが判らない。
「対抗するためには堅実さで勝負するしかなかったのね」
「学業の二位はわかりますけど、スポーツや芸術でもですか?」
「春真君は斑っ気があって、矩総君は持久力に難があるの。総志君はリズム感は良いけど音程が取れない」
「意外ですね」
「厳密には他人の音程と合わせることが出来なくて、昔春真君と合唱したら、耳の良い春真君が酔ってしまって」
春真は絶対音感を持っているので、不協和音に敏感だ。彼が気を散らしやすいのはその所為かも知れない。
「それじゃあ、私は上に客を待たせているのでこれで失礼するわ」
と言って希代乃は退室した。
「来客ねえ」
話を聞いた希総は含み笑いを浮かべた。
「心当たりがあるの?」
「秘書も連れず、部屋で一対一で会う客なんて、一人しかいないよ」
四年生はこの大会での引退を表明。慰労と引き継ぎが行われた。
「私も交代するわ」
四月から始まっていた神林邸での花嫁修業が本格化するらしい。これまでは神林家の血を引く家付き娘が奥向きを仕切り、婿養子が会社を切り盛りする形であったが、希代乃はそれを一人でこなしている。これを希総に引き継ぐに際して夫婦の役割分担をどのように分けるか。今は試行錯誤の段階だ。
そして掟の後任として現れたのが、
「法学部四年の滝川千種です」
元々矩総は掟と千種の二人に頼んだのだが、最終的に掟が自分だけで良いと言い出したのだ。千種の方は司法試験に受かって、永瀬矩華の事務所で司法修習を始めている。
交代から数日後。希総は来年開催予定のユニバーシアード大会に向けた代表強化合宿への参加を要請された。師匠の野田阿僧祇の推薦とあって返事を保留したが、
「それは是非ともやるべきだと思うわ」
と掟に背中を押されて承諾した。
「一週間ほど留守にするけど、その間はお願いします」
「大丈夫です。しっかりと偵察してきてくださいね」
と千種。
希総は少し早めに宿舎に入り、体育館へ向かう。背負っていたリュックを降ろすと、
「手伝いましょうか」
と声が掛かる。
「お前も呼ばれていたのか」
R大でリベロを務める望月一兎である。
「これ、いくつあるんですか?」
二人は小型の監視カメラを体育館の外周に設置していく。
「ちょうど百個かな」
高性能のカメラを持ち込めなかった代わりに物量作戦を選択したのだ。百個の目で見た異なる角度の映像を合成解析することで、性能の差を補う事が出来る。稼働限界は内蔵電池で一週間。動体感知機能付きだから練習していない時間帯はスリープ状態になるので十分に間に合うだろう。データは希総のパソコンを経由して、AI内蔵のスーパーコンピューターへ送られて解析される。
「動作確認するから、真ん中に立って動いてみてくれ」
希総はパソコンを立ち上げて映像が送られているかを確認する。
「他のメンバーは知っているかい?」
「梅谷以外は全員呼ばれていますよ。一年では他に室町学院の王島だけですね。あとはうちの先輩が二人。俺が知っているのはそれ位です」
「王島君、こちらに来るの?」
彼ならA代表も狙えるはずだが、
「神林希総を呼ぶならと条件を付けたらしいです」
「なんだ。僕は彼のバーターで呼ばれたのか」
と苦笑する希総。
作業を終えて部屋に入ると、
「相変わらずでかいねえ」
待ち構えていたのは王島。三人部屋で、希総は望月と王島が同室だったのだ。
「悪いけど、こちらは僕が使うよ」
部屋には二段ベッドが一つと、大きめのベッドが一つ。
「君の身長じゃあ、こちらの二段ベッドは小さすぎるものなあ」
と笑いながら二段ベッドの上に荷物を置く望月。
「ああ、上にも寝られるんだね」
と惚けた感想を漏らす希総。
「小さい頃、母さんの天蓋付きベッドの上に上って叱られたなあ」
「普通の家にはそんなものありませんけどねえ」
体育館に選抜メンバーが集う。三十人中一年が六人というのは多いのか少ないのか。
「T大一年神林希総です」
最後に名乗った希総に対しての反応は微妙だった。彼の凄さは実際に体験してみないと判らない。先の大会で実際に見た東日本の選手はまだしも、見ていない西日本の選手はこの起用に不満を持ったのだろう。それを敏感に感じ取った希総は、
「正セッターは選手たちの投票で決めてください」
と提案した。
「君は組織票を持っているものなあ」
と絡んでくる二年生セッターに、
「確かに実力主義に則るなら、一人一票は不合理ですね。選手の実力に応じて票数を変えれば良いでしょう」
「そうだな。選手をAからCのランクに分ける。Aはスタメン候補で三票。Bは控えで二票。それ以外は一票としよう」
と監督が決定する。
この投票制はランク分けまで含めて希総が事前に監督に提案していたモノなのだが、
「選ばれるセッターからもベストメンバーを提示してもらおう。実際に決めるのは我々だが、一応参考にさせてもらう」
と監督独自の修正案を加えてきた。セッター同士を競わせるだけでなく、ほかの選手の競争意識も高める狙いだ。
「君は投票で選ばれる自信が有るのかい?」
と訊かれて、
「僕は正セッターに成りたい訳ではありませんよ」
と答える希総。
「狙いはセッターの意識改革です。やり方はそれぞれでしょうけど、セッターの仕事は味方に気持ちよく打たせることですから」
「それは本来ベンチの仕事なんだが」
と苦笑する。
セッター選びで最も重要なスパイク練習に、希総はの四人目として満を持して登場する。
「お願いします」
一人目は希総を試す様に視線を向けたまま跳ぶ。希総はその顔面を狙ってトスを放ち、相手は避けきれずに尻もちを付く。希総は謝りもせずに、
「心配しなくても、僕は打ち手の視線に合わせてトスを上げるので前を見て全力で跳んで下さい」
言われた通りボールも見ずに全力で跳ぶと、打った本人が驚くほど綺麗にスパイクが決まる。
「ナイスです」
さほど感情を込めず、当然と言う表情の希総。
「俺の視線に合わせて上げると言ったな」
「ええ」
二人目はボールをやや高めに放って、希総の背後へ走り込む。希総はバックトスでピタリと合わせてきた。
「お前。こっちを見ていなかっただろう」
「踏み切り位置は音で判ります。高さについては事前に調べておいた最高到達点を参考にしました」
「そうか」
そして三人目は更に高度な動きを見せる。普通に跳ぶと見せかけて一度体を大きく沈めてタイミングをずらす。いわゆる一人時間差だが、それにも希総はきっちりと合わせてきた。
「何故判った?」
「一人時間差がお得意なのは知っていましたから」
と希総。
「一人時間差の際に両足を揃える癖は直した方が良いですよ」
こんな具合で各人に細かな修正点を指摘しながらトスを上げていく。
「お前、全員の情報を把握しているのか?」
「当然でしょう。技術で劣る僕はここで」
と言ってこめかみを人差し指で指さして、
「勝負するしかありませんからね」
希総は技術的に難しい事をしている訳ではない。打ち手の要求を先読みして対応しているだけだ。彼の持論は予測と反応。その為には情報の収集と解析は欠かせない。
「それ位、セッターなら出来て当然だ」
と二年の選手が言うと、
「だが、彼のセットアップが一番討ち易かったぞ」
と返されて、
「それは個人差があるでしょうね」
とフォローされる。
現状に満足せず、常に上を目指して努力を欠かさない希総だが、それを周囲にも要求しがちだ。練習中でも、
「もっと高く跳べませんか」
とか、
「もっと速くしても良いですか」
言葉は丁寧だが内容は厳しい。
「そんな態度なら、お前には投票しないぞ」
と半ば冗談で言うと、
「構いませんよ。僕は集票活動の為に練習をやっている訳ではありませんから」
と素っ気なくあしらう。
「僕自身は勝敗には興味が有りません。しかし勝つ為に必要とされれば協力は惜しみませんし、必要ない、むしろ邪魔だと言うなら荷物を纏めて引き揚げますよ」
「問答は時間の無駄ですから替わって下さい」
と後ろで控えている選手から押し退けられる。
「上げてくれるか」
「もちろんです。チームの勝利に必要なら誰にでもトスを上げますよ。それがセッターの役目ですから」
置いてきぼりを喰らって呆然としている選手にも、
「どうしました。練習を続けるなら、列の後ろに並んで下さい」
とフォローを入れる。
そんな具合で最後まで希総に付き合ったのは半分程度。かつてのチームメイトはその中に入っていない。希総の目的はデータ収集なので、彼らのデータは不要だと判っているのだ。
希総は練習後にその日の解析データを見て翌日の課題を検討する。そんな一週間を繰り返し、最終日に行われた投票では圧倒的な支持が彼に集まった。
「まさかここまで票が偏るとは」
と驚いたのは希総本人。
ランクAの三票持ちが青い用紙、Bの二票持ちが黄色、Cの一票持ちが赤い札を与えられた。初めに開票された青票の全てが希総に集まった。先程の感想はその時点での発言である。
希総は青票を与えられたメンバーとはほとんど練習していないのだ。彼は控えを鍛える事でチーム全体の底上げを図ると言ういつもの方針をここでも徹底して、あと一歩と言う選手たちと練習を重ねていたのだ。
青票は五人しか居ないので全部で十五点。続く黄色票は十人で二十票。全員が希総に票を入れ、希総以外への票は四票に留まる。そして赤票に至っては、一人を除いて全員が希総に入れていた。
「こうなると僕に入れなかった一人が気になるけど」
と笑う希総。
それとは対照的に四人の中で一票も入らなかった選手がいた。
「この結果について意見のある方は挙手を願います」
と希総。
「大会まではまだ間が有りますので、僕の立場もまだ暫定的です。判断基準を伺って今後の参考にしたいのですが」
「狩野は」
これが票の入らなかったセッターの名前だ。
「トスが正確すぎる」
「それが悪いんですか?」
と希総。
「打ち手の事を考えていない。自分の技術に酔っている。それに対して神林は常に打ち手の視点からトスを提供している」
「神林はこちらの打ち損じに際しても、問題点を一緒に考えてくれる。狩野は打ち手のミスを責めるだけだ」
と別の選手。
「まあそれ位で良いでしょう」
「これも計算どおりかな?」
と監督に言われ、
「別に選ばれなくても良かったのですけど」
と希総。
「選ばれた以上はその立場を全力で利用させていただきます」
希総はその立場を活用してメンバー選考にも口を挟む事になる。
五輪の時期の修正だけのつもりが大幅な改稿になってしまいました。
あと少しだけ続きます。