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現代的男女同権ハーレム 列伝2  作者: 今谷とーしろー
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戦友後楽 中編

希総


 時間は少し戻る。神林希総は黒のスーツを纏って神林重工の本社ビルを訪れた。受付で書類を出すと、番号が掛かれた入館許可証と案内地図を渡された。

「退館されるときにはこの許可証をこの受け付けへお返しください」

 希総は地図に書かれた道順を辿って会場へ向かう。

 待機場所に座っていると、

「妙な所で会いますね」

 と声を掛けてきた男がいる。

「やあ桜塚君じゃないか。久しぶりだな」

「こんなところで何をしているんですか?」

 と言いながら希総の隣に座る桜塚に、

「何って、多分君と同じ目的だと思うのだが」

 と答えて、

「まあ先に入っていった梅谷も、君と同じような表情だったな」

 と苦笑を浮かべる。

「正直なところ、僕が一番困惑しているんだ」

 とここで面接を終えた三名が退室してきた。入れ替わりで希総他二名が入室する。

「梅ちゃんも知らなかったのか?」

「俺も会うのが久しぶりだからねえ」

 梅谷はT大バレー部の現主将だったが、希総が部を去ってからは会う機会が減っている。

「どんな事を訊かれた?」

 と探りを入れてくる桜塚に、

「参考にはならないと思うけれど」

 と言いながら、

「僕の場合は部活動と学業の両立についてだな」

「梅ちゃんは学年三位だからな」

「強力なツートップに阻まれて万年三位だったけれどね」

 さて、中の様子を見てみよう。

 希総と同じ組に配された二人は、どちらも女性だった。神林は他所に比べると女性の総合職採用が多いと言われる。社長を務める希代乃がロールモデルとして認知されている事が要因の一つだが、女性が働きやすい環境が整っている事も理由の一つだろう。現に女性二人は志望理由を訊かれて、

「御社の子育てに配慮された福利環境が決め手となりました」

「女性でも活躍できる御社の雰囲気は理想的だと考えます」

 取締役会も女性が三割もいる。その一つは女性でなければ務まらない職務であるが、それ以外にも女性の視点が多く取り入れられている。

 さて前の二人を受けての希総の回答は、

「僕は幼少期をここの育児施設で過ごして、いつか大きくなったらここで働くものと教えられてきました」

「君の親御さんはここの社員なのかね?」

 と面接官。

「ええ。母が」

 名前を訊けば希総が何者かは直ぐに判っただろうが、彼らが持っている応募者のエントリーシートは名前と顔写真が消されている。面接に際しては、応募者が胸に付けている番号で行われている。

「君は大学三年でバレー部を辞めている様だが、理由は何かな?」

 と訊かれて驚く希総。訊かれるとすれば大学に入ってからも続けた理由だと思っていたのだ。

「一言で言えば潮時ですね」

 面接官が視線で先を促したので、

「僕の選手としてのピークは中学まで。体格に恵まれなくて、高校ではあまり試合には出ていません。チームはほぼ毎年の様に全国大会に出場していましたが、強豪校だったからではありません。調べてもらえば直ぐに判りますが、いずれも僕が入った年が初出場でしたから」

「バレーボールの経験が我が社に入って生きると思うかね」

「バレーは一人の地下打では勝てない競技ですから。味方の力を信じてチームで戦う。僕はセッターとして後方から現場の最前線を支える仕事が出来ればと考えています」

 ここで右端に座っていた女性が、

「君の言う通りね」

 パソコンを使って検索を掛けたらしい。

「インタビュー記事も出てきたわ。神林まれふさくんと読むのかしら?」

 この名前が出たことで場が一瞬凍り付いた。

「我が社に勤務する君の母上と言うのは、まさか」

 と同様を見せる面接官。

「ここまでかな」

 これまで黙っていた真ん中の人物、恐らく一番偉い立場なのであろう。

「今年から顔と名前を伏せて採用審査を行う。と上からのお達しがあって。理由を訊いたらコネ入社を回避する為と言われたが、そう言う事だったのか」

 と苦笑している。

「お手数をお掛けしました」

 と希総が言うと、

「いや、君が謝る筋合いではないが」

 と苦笑しつつも、

「それにしても顔を見れば君の素性は一目瞭然だね」

 希総の面接はここで打ち切られ、一足先に退室した。

「あれ、早かったですね」

 梅谷はまだ桜塚と談笑していた。

「ああ。バレた」

 と舌を出す希総。

 そもそも希総は卒業後に神林警備保障の社長になる事が決まっている。十八になった時に平の取締役になり、今は専務取締役。上には会長と社長しかいない。現会長は母の希代乃で、希総が社長になった時には相談役に退き、現社長が会長となる。重工の本社ビルは都内の一等地にあるが、警備保障の本社は神奈川の県都Y市に置かれている。なので、希総が本社に足を踏み入れたのは母に連れられてきた幼少期以来だった訳だ。

「この後時間があるなら一緒に見学して廻ろう」

 と梅谷を誘う。

「良いなあ」

 と羨ましそうな桜塚。

「終わったら電話してくれ。一緒にランチを摂ろう」

 と約束した。

 希総が真っ先に向かったのは、地下一階にある育児施設であった。

「ここに来るのは十五・六年振りかな」

「と言うと、就学年齢まで?」

「そう」

 と言って施設を見回して、

「昔よりも規模が大きくなっているな」

 二人が居るのは施設を囲む廊下で、上半分がガラス張りで中が見えるようになっている。

「僕が居た頃は子供は十人前後だったと思うが」

 今はざっと見て五十人近くは居るだろうか。それに伴って保育士も常に十数名が配置されている。その中の一部は教員資格も持っていて、就学前教育も万全である。

「若大将もここで勉強を?」

「いや。僕の頃はまだそこまでの人員は居なくて、僕に読み書きを教えてくれたのは矩総兄さんだったよ」

 と聞いて目を丸くする梅谷。

「年齢的には一個上ですよね」

 梅谷から見れば希総も十分に化け物なのだが、その異母兄は遥かに上を行く。矩総が立候補した時には、梅谷は既に大学生になっていたが、住民票は親元に残してあったので、彼の当選にわずかながらも貢献した。生徒会長時代の矩総の手腕を知ればこそだ。

「部外者の方は…」

 と二人を詰問してくる保育士が居た。

「僕が居た時はまだ駆け出しだったのに、今は主任にご出世されたのですね」

 と希総に言われて、

「まーくん。希総さま」

 咄嗟に当時の呼び方が出て、慌てて言い直す。

「ご立派になられて。もうそんな年なんですね」

 と二人の胸元の入館許可証に目を止める。

「そちらの方は?」

「高校からの友人で、来年からここの社員になる。予定だ」

「まだ決まっていないですけれどね」

「中に入っても良いですか?」

「どうぞ」

 と言って入口に案内してくれる。

「中の子供たちも二人を気にしていたわ」

 特に梅谷は百九十超えの長身なので目立つ。子供たちは興味を示しつつも距離を保っている。

「まずは座ろう」

 と希総。

 目線が下がったことで警戒感が薄れたのか、勇敢な男の子たちが近寄ってくる。梅谷は一人一人を抱き上げて相手すると、

「もっと」

 とねだる声があり、天井の高さを確認した上で立ち上がって大きく上に差し上げる。子供が両手を横に広げて飛行機のポーズを取ったので、その場でぐるりと一回転。

これが受けて、男の子たちが我も我もと殺到する。その一方で希総の方には女の子たちが集まってくる。

「あの当時もこんな感じだったわねえ」

 と主任さんが苦笑した。

「一件目で随分と時間を喰ったな」

 育児ルームを離れた希総たちは、梅谷の要望を聞いて神林マテリアル(KM)の本社スペースへ向かった。

 KMは七階建てのビルの四階の半分を占めている。希代乃が自費で買収した複数の企業を統合して誕生した企業で、創立時点では希代乃が株式の全てを保有していた。その後、この場所に本社機能を置くに当たって株式の二割を重工に譲渡し、一割は息子希総への誕生日プレゼントとなった。残りの七割は依然として希代乃が保有している。KMはその成立過程もあって神林本体とは異質である。

「社長はいるかな」

 と言う希総の聞き方もどうかと思うが、

「なんだ。お前らは」

「神林希総が来たと伝えてくれるかな」

 と言ったら直ぐに社長室へ通された。と言ってもフロアの一角をパーテーションで仕切っただけの場所だが。

「いらっしゃるなら事前に連絡を頂ければ」

 本社内で希総の顔を知っているのは社長の他には希代乃が送り込んだ人事部長(おめつけやく)だけだ。

「それじゃあ抜き打ち視察に成らないだろう」

 とニヤリと笑う。

「まあ冗談はさておき、入社予定の新人を紹介しておこうとおもってね」

「まだ面接を終えたばかりですよ」

「なるほど。そう言う事でしたか」

 状況を理解した社長。

「雇われ社長の新開です」

 と右手を出す。

「新入社員(仮)の梅谷良一です」

 と言ってそれを握り返す。

「彼が私の後釜かな?」

 と新開氏。

「僕に貴方の首を挿げ替える権限はありませんよ」

 KMは女王陛下の庭とも遊び場とも言われ、採算を度外視した大胆な研究投資を行っていた。新開氏はその無茶振りによく応えて結果を出し続けていた。

「ああ失礼」

 ここで時間切れ。面接が終わった桜塚からの電話が入った。

「すぐ行くから、ロビーで待っていてくれ」

 二人は新開の元を辞去した。

「少し慌ただしかったな」

「お気遣いなく」

 希望通りマテリアルに採用されたとしても、いきなり本社勤務は無いだろう。現場で実績を上げてゆっくりを顔と名前を覚えてもらえば良い。

「あいつもか」

 ロビーに先着していた桜塚の周りには女子が三人居た。希総と梅谷は入館許可証を受付に返して桜塚に合流する。

「先程はどうも」

 三人の内二人は希総と同じ組で面接を受けた子だった。

「その三人も同席させるのかな?」

「拙いかな?」

 と桜塚に言われて、

「構わないけれど、この人数だと僕の車に乗りきらないから」

 近場で店を探すことになった。都内の一等地なので少々お高い店しかない。希総は食べられないモノが無いか確認して目に留まった寿司屋に入った。

「高そうですね」

 と女性の一人。

「一人千円で良いよ。それを超えた分は僕は持つから」

 と希総。

「え、奢りじゃないの?」

 と茶化す桜塚に、

「神林の入社面接を受けに来て、その神林の御曹司に飯を奢らせるって。死亡フラグに成っていないかい」

「なるほど」

 と言って先陣を切って千円を差し出す桜塚。この一連の流れは、事前の打ち合わせをしていないが、この場を収める為の二人の小芝居である。

「好きに頼んで良いよ」

 六人はカウンターに座る。

 女子三人は目についたものを適当に頼む。梅谷と桜塚はお任せで。そして希総は、

「ここからそこまで全部一貫ずつ」

 と言う豪快な注文をした。

「承知しました」

 寿司屋の大将は若干巻き舌で応じる。女性陣の注文に逐次応えつつ、梅谷と桜塚に寿司を提示、そしてその合間を縫って希総の分を握る。

「これは当たりだったな」

 味の事はもちろんだが、その対応に無駄も隙も無い。

「あの後どうなりましたか?」

 と希総が切り出すと、

「そもそも何があったんです?」

 と桜塚が質問した。

「バレー部での話の流れで、面接官の一人が検索を掛けたので僕の顔と名前が割れた」

「なるほどね」

「神林さん?が出られた後は、真ん中の人が主に仕切って普通に面接が続きました」

「今更だけれど、神林希総です」

 と名乗り、残りの二人も紹介する希総。

「俺の時は、三人連続か。とかぼやかれていたなあ」

 桜塚も梅谷も、高校で希総と出会っていなければここには居なかっただろう。

 希総は五人から千円ずつ貰って、カードでまとめて支払う。お会計は二万円に少し足りない程度だったが、希総が一番食べていたので問題ない。

「皆さん、高校時代からこんな感じで?」

 と訊かれて、

「奢ってもらったことは無いよ」

 と桜塚。

「あの当時は、自由になる金はなかったしね」

 カードは持たされていたが、何に使ったかはきっちりと母の管理・監督下にあった。

「そもそも現金を持ち歩いていなかったモノなあ」

 現金なら何に使ったかは調べられないが、カード決済であればすべて追跡可能だ。あの当時は財布すら持っていなかったが、今は婚約者の片桐掟から貰った財布を愛用している。

 女子三人を最寄り駅まで見送って、希総の車が停まっている駐車場まで歩く三人。

「なんだか、梅ちゃんが一番得したみたいなんだが」

 と桜塚。梅谷が三人の女子と連絡先を交換したことを指すらしいが、

「オッカは彼女持ちだろう」

 と希総。

「自分から言い出さなかったら、後で彼女の方へ警告を出そうと思ったけれど」


 七月には総一郎の家でちょっとした騒動があった。

 神林の警備担当が門前で不審者を取り押さえたのだが、D国の外交官を名乗ったので希総から官邸の方へ一報を入れた。身分確認の際にスマホに時限式のGPS追跡アプリを仕込ませた。公安から発注された紐と呼ばれるスパイアプリで、最短で24時間。長くても72時間で機能を停止して自動的に消去される。

 実は神林の職員は彼らの用件を聞きだしたのだが、それがあまりに信じ難いので希総は裏付け調査を命じた。

 甘いモノ好きの大使は、総一郎が英国大使館で菓子を作った事を知って自分も食べたいと思ったらしい。ドーナツカフェは外国人には敷居が高いので、委託販売のモノを買いに行かせた。だが数が限れていてるので買い逃した。そこで出直せば良かったのに、総一郎の自宅の位置を偶然に聞きつけたので、駄目元で押しかけた結果がこの騒動と言う事だ。

「本人から言わない限りはこちらからは黙っていることにしよう」

 大使と部下二人が目的を最後まで明かさずに帰国したので、真実を語れるのは希総と現場の二人、そして現場にいた日本人通訳である。希総は、大使館を解雇されたこの通訳を警備保障で雇う事にした。口封じの意図もあったが、依頼者の秘密を最後まで守り通したその口の堅さを高く買ったのである。

 事態の終息後、矩総は父総一郎を訪ねて報告を入れた。その際に、矩総にも送った映像を見せたが、

「これって、音声は無いのか?」

「不鮮明なので、予断を与えない様にカットしました。完全版もありますけれど?」

「まあいいや。聞いてもD国語は俺には判らないし」

 総一郎は希総の判断を受け入れた上で、

「俺が出て行って追い返した方が良かったかな」

 と笑った。

「それをされると、外交問題とは別に、うちの社内問題が発生しますから」

 その場合希総の母希代乃が黙っていないだろう。


 それから三カ月後の十月。希総の異母兄春真が御堂財団理事長として初めて手掛けた仕事の全貌が明らかになった。若手演奏家を集めて組織された交響楽団、その初回公演である。希総は先行販売された協賛会員チケットを買った。一般販売の二倍の金額だが、これ一枚で楽団の演奏会をすべて聞ける。つまり二回目があれば元が取れ、三回目以降は実質無料と言う事に成る。但し有効期間は一年。なので来年以降も楽団が存続しないと意味が無いのだが。

 財団としての表向きの目的は若手演奏家の育成であるが、裏の目的はこの公演日が誕生日である妻美紗緒へのプレゼントだ。春真自身が指揮棒を取り、ピアノ協奏曲では演奏も披露するらしい。

「僕には思い付けない。思い付いても金は出せない」

「まあ演奏会を贈られても困るけれど」

 当日。希総は道中で掟の姉片桐奏を拾って会場へ向かう。奏の父は音楽家で、自身も有名な演奏家にして作曲家である。現在交際中の相手が楽団のメンバーと言う事で家族向けのチケットを持っていたのだ。

「それで、今回は結婚するの?」

 と妹の掟に訊かれて、

「今回は。は余計よ」

 と返す姉の奏。

「この演奏会の結果次第かしらね」

 これまでの相手は奏との経済格差から破綻していた。

「若い音楽家が演奏だけで喰っていくのは大変だから」

 奏の専門はピアノだが、作曲による収益の方が大きい。

「お相手の楽器は?」

 と希総に訊かれて、

「トロンボーンよ」

「それは、潰しのきかない」

 と掟が漏らすが、

「御堂の兄が苦手な楽器ですね」

 と希総が被せてくる。

「春真君はピアノとバイオリンならプロ級だけれど、管楽器はあまり得意でないからね」

「噂程度には聞いていたけれど。マジなのね」

「協奏曲では弾き振りをやるそうなので、ピアノの腕前は拝めると思いますよ」

 車は会場の駐車場到着した。

「やっぱり待伏せされているなあ」

 希総はスマホを操っている。ここの警備システムも神林家が納入したもので、彼は役員権限でこれにアクセスできる。

「目当ては小父様でしょう。まだ来ていないのかしら」

「いいや。既に会場入りしたと言う報告が入っているよ」

 希総が囮になって二人を際に会場へ入らせる。

「貴女も大変ねえ」

 と呑気な奏だが、

「集まっているマスコミのメインターゲットは瀬尾前総理かもしれないけれど、私達だって他人事じゃないのよ」

 二人の母親は現職の法務大臣なのだから。

 希総が記者の一人に声を掛けると、その素性に気付いた記者たちに取り込まれた。

「開演まで間がないので質問は一つだけにしてください」

 海千山千の政治記者たちが若い希総の掌の上で見事に転がされている。

「瀬尾前総理は現政権をどのように評価されているでしょうか?」

「僕は父と政治の話をしたことがありませんので」

 と一蹴し、

「これは僕だけでなく兄が相手でも同じでしょうね」

 政治家ではない希総をこれ以上追求することは無理筋だった。

 希総はロビーで片桐姉妹と合流する。姉妹は総一郎たちと談笑していた。

「もう紹介は済んだ様ですね」

 希総が声を掛けると、同席していた義姉の美紗緒とその叔父室町慶長氏がこちらに一礼してくる。

「ご苦労さん」

 と父に言われ、

「まあこれも仕事の内ですよ」

 と満更でもない表情である。

 六人の雑談は自然と三人ずつの二組に分かれる。美紗緒と奏は音楽談議に花が咲き、二人の間に挟まれた総一郎は聞き役に徹している。そして希総は掟と二人で慶長氏と仕事がらみの話になる。

「卒業後は警備保障の社長に成られるのですね」

 と慶長氏に問われて、

「まあ名実ともに」

 と苦笑する。神林の役員会は統裁合議制である。つまり役員が自由に意見を述べて、最終的には社長が決定を下す。希総の今の肩書は専務だが、最後に意見を求められてその意見がほぼ採用される。

「そこに疑問を感じている限りは大丈夫でしょう」

 と掟。

「怖いのは周りがすべてイエスマンになって誰も止めてくれなくなった時」

「なるほど」

 と納得する希総に、

「まあ、この奥方が隣に控えている限りは、神林は安泰でしょうね」

 最後に希代乃に宜しくと言って慶長氏は一足先に会場へ向かった。

「そろそろ行きましょうか」

 慶長氏と入れ替わりで真冬が声を掛けてきたので揃ってホールへ入った。招待券の総一郎たちは三階のスートボックスへ向かい、一般販売の希総と掟は二階席である。家族枠の奏はステージ正面の一階席、距離は近いが椅子はは無くて畳敷きだ。

 初めに春真の短い挨拶があって演奏が始まった。

「慣れって怖いなあ」

 と訊き終わった希総が漏らす。

「子供の頃から知っている身としては、この程度は出来て当然だと思ってしまう」

 それよりもその後に起こったアンコールだ。

「アンコールが起こったらどうするのか」

 と前日に訊いてみたが、春真は曖昧にごまかしていた。

「別の曲を練習する余裕は無い筈だけれど」

「そこが二人の違いよねえ」

 と掟。

「希総君はあらゆる局面を想定して万事抜かりなくと言うタイプなのに対して、春真君の方はアドリブ上等。ピンチもチャンスに変えてしまう。良く言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったり」

 春真がバイオリンを持って舞台の上手から現れたのはほぼ希総の読み通りだったが、下手から現れた人物には目を丸くした。

「あら。帰って来ていたのね」

 春真の妹御堂真梨世である。

「その手があったか」

 春真は右手に持った弓を頭上に掲げてゆっくりと円を描く。客席が静まったところでそれを前方へ振り下ろすと、それに操られるように客が着席する。そして春真の演奏に合わせて真梨世の歌声が客席を包み込む。

「どこまでもこちらの予想を上回って来るなあ。あの人は」

 アンコールの時には立ち上がらなかった希総も、今度は真っ先に立って拍手と称賛を贈った。

「姉さんは家族を交えた慰労会に参加するから先に帰ってくれって」

 と掟。

「僕の方は父さんから連絡が来たよ。帰りは乗せて欲しいって」

 希総は先に出て車を裏手へ回し掟は総一郎と合流して車に向かう。

「真冬さんの方は良いんですか?」

 と希総に訊かれた総一郎は、

「真冬と美紗緒は慰労会に参加するそうだから」

「じゃあ、自宅の方へ送れば良いですか?」

「いいや。このまま神林邸へ向かってくれ」

「は?」

「希代乃から招待を受けているからね。四人で食事をしようって」



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