総美の新婚生活
春は人事異動の季節である。西条沙也加が産休から復帰して一号店の店長となり、それまで店長であった宮園正彦は新設の七号店を任される事に成った。
とこれだけ聞くと左遷に見えるかもしれないが、実質的には独立である。当面は宮園が一人で廻すが、時期を見て人を雇う予定である。
それよりも問題なのは宮園と西条総美の結婚についてである。事前の準備が忙しくて、宮園の実家への訪問は一ケ月前となった。それにしても、
「門前払いは無いわよねえ」
総美の口調からは怒りよりも呆れが感じられる。
「予想通りではあったけれどね」
宮園の家はそれなりの旧家である。だが売れる土地は既に売り尽くし、残っている土地は資産価値が無く、当主である宮園の父も只のサラリーマンである。姉が三人の末っ子長男ではあるが、菓子職人になるために家を出てからは一度も帰っていなかった。結婚報告がぎりぎりになったのもそのためである。母親と事前の調整をしたにも関わらず、父親は居留守を使った。
二人は当初の予定通り、そのまま役所へ向かって婚姻届けを出した。婚姻届けの証人は義弟である御堂春真と神林希総の名が記されている。ちなみに一足先に結婚した西条総志と沙也加の時にはそれぞれ母親の神林希代乃と御堂真冬が署名している。
新居兼店舗は既に完成していて後はいくつかの書類提出が残っているだけだ。一階の大部分が店舗で、二階が居住スペース。風呂と台所だけが一階にある。一階の台所と二階の居間は荷物用の小さなエレベーターで繋がっている。
それから一週間後、引っ越しの荷物を運びこんで荷解きを始めると呼び鈴が鳴った。
「まだ近所への挨拶回りもしていないのに」
と言いつつ玄関に設置されたカメラからの映像をモニターで確認する総美。
「どちら様でしょうか?」
「ここは宮園政彦の家だな」
「どちら様でしょうか?」
総美はゆっくりと質問を繰り返した。
「政彦の父だ」
「政彦なら下の店に居るので、そちらに廻って下さい」
そう言って夫に丸投げするつもりだったが、
「中に入れろ」
と言ってドアノブを掴んで引っ張り始めたので、
「手荒な真似をすると、警備会社が飛んできますよ」
と警告する。
「それとも警察を呼びましょうか」
と言ったら諦めて店の方へ行ったのだろう。夫から電話が掛かって来て、
「済まないが、下に降りて来てくれ」
開店準備中の店内で、義父との初対面となった。
「客がいないな」
と義父が言うと、
「まだ開店準備中ですから」
「それなら傷は浅いな。とっとと閉めろ」
「貴方の指図は受けません」
「俺が知り合いの先生に声を掛ければこんな店は」
潰せると言いたかったらしいが、
「それは止めた方が良いと思いますよ」
と最後まで言わせずに反論した。
「先生と言うのはどのレベルかしら」
と総美が割って入る。
「妻の紹介がまだだったね」
宮園は妻を制止して、
「こちらが妻の総美です。もしかしたら顔に見覚えがあるかもしれないけれど」
「会うのは初めてだぞ」
と言って首を捻る。
「もう父が第一線を退いてから大分経つからねえ」
と総美が苦笑する。
「彼女の父親は瀬尾総一郎と言う」
「なに!?」
宮園父は改めて総美の顔を見て、
「なんでそんな娘とお前が?」
「僕の就職先は瀬尾総一郎氏がオーナーパティシエとして立ち上げた菓子専門店で、ここはその支店だよ」
母親には定期的に連絡を取っていたのだが、父親の方には全く伝わっていなかったらしい。まあ知っていれば門前払いなんてことはやらなかっただろうが。
宮園父、一彦氏は呆然として、何も言わずに帰っていった。
「結局、あの人は何をしに来たのかしら?」
「仕事を辞めろ。妻と別れて、家に帰って来い。そう言っていたけれど」
仕事を辞めて家に帰るとすれば、まずこの店舗に掛った費用を違約金として払う必要がある。更に、昨年までの年俸と同額の仕事を紹介してもらわなければならない。
「この二つの金額を言ったら真っ青になっていたな」
違約金と言うのは半分嘘だが、
「二番目の案件については当事者を呼ぶ。と言って君に電話をしたんだが」
「私には何も言ってこなかったけれど」
「そう言う人なんだよ。内弁慶で」
家族には強く言えるけれど、外の人間には弱い。
「父が出した三つの条件のすべてに瀬尾総一郎氏が絡むと知って、困っていたな」
「知り合いの先生と言うのは?」
「地元の代議士だろうね。確か民自党の後援会に入っていた筈だけれど」
「山梨の小選挙区も全部与党議員では無かったかしら?」
「ここの先生は比例で生き残っていたと思うよ」
「それは、大丈夫かしらね」
「君が気にする事ではないよ」
開店の前日、夫婦揃ってご近所に挨拶回りをした。比較的日持ちのする商品を宣伝を兼ねて配った。場所は商店街の外れなので、既に顔と名前は知られている。例の義父とのやり取りも噂となって広まっていた。
そして当日。店頭に大きな花輪が二つ飾られた。一つには神林重工社長・神林希代乃、もう一つにはMMM・御堂真冬とある。
客の入りは上々どころではない。早起きして作った菓子は午前中の内に売り切れて、昼に追加で作った分も閉店前に売り切った。明日以降の材料も使ってしまったので追加発注した材料が閉店間際に入荷した。
「大盛況ですね」
材料の追加発注を聞いて社長の華理那も駆け付けた。
「お客の四割は店のポイントカード持ち。つまり新店舗の様子を見に来た常連客だった。またアンケートを見る限り、約半数が県外から来ているから、通常時の上限は今回の半分と見るべきでしょうね」
「そうねえ。お菓子なんて毎日買うものでは無いから、今日のお客がどの程度リピータになるか、新規顧客をどの程度集められるか」
と言いつつも、
「まあ開店初日としては上出来でしょう」
「毎日これでは持ちませんよ」
「少し早いけれど助っ人を準備するわ」
そして翌日に現れたのが、
「え、父さん?」
瀬尾総一郎である。
「昨日の今日ですぐに動けるのが俺だけだったんだそうだ」
と苦笑している。
「明日以降は他の店舗から人を回すそうだ」
二日目は、初日ほどは客が押し寄せなかったが、別の仕事が発生した。共通ポイントカードの発行である。初日は客が多過ぎたので発行作業を見送って、代わりに限定割引券を配布した。二日目以降に来た客に付いても、初日の支払いが証明できるなら(現金払いならレシートの提示、電子決済ならこちらで突合できる)ポイントが加算される。二日連続で来た客も結構いた。開店から一週間はポイント二倍という戦略が当たったのだろう。初日のポイントは他のチェーン店でもポイントカードを作れば受け取れるので、この一週間はチェーン店全体の売り上げが上がった。但し総一郎の六号店は例外だが。
初めの一週間で、想定していた一カ月の売り上げをクリアしてしまった。助っ人の人件費は向こうの店舗で負担するそうで、
「連動セールで他の店舗も二割から三割り増しの売り上げになったから問題ないわ」
と華理那。
「実に凄腕ね」
と総美も舌を巻いた。
次の山は四月末から五月頭に掛けてのゴールデンウィーク。ここで更なる新規顧客を開拓し、七号店の経営は軌道に乗った。初期投資を回収するにはこのペースだと半年ほどと見込まれる。
そこを越えて、商店街の組合会合に出席した宮園夫妻。
一通りの説明を受けた後、
「この特別交際費と言うのはどのような用途でしょうか?」
と総美が訊ねる。使用目的が書かれていないにも拘らず金額が大きいのである。
「それは…」
と言い淀む組合長に替わって、
「警備委託費ですよ」
と答える年配の人物。
「みかじめ料ですね」
とズバリと切り込む総美に、
「そこは、長い付き合いもあって」
と全員が俯いてぼやく。
「今時そんなものを払っているとは」
と呆れ顔の総美。
「これは払っている側も捕まる案件ですよ。だから本来の用途を伏せているのでしょうけれど」
「新参者が口を挟むな」
と凄むが、
「警察に告発しましょうか」
とやり返すと黙ってしまう。
「この件は、こちらに任せてもらえないでしょうか」
と宮園が調停に入る。
「任せるとは?」
と組合長。
「先方と話を付けてきます」
神林家の護衛を一人連れて敵地に乗り込んだ総美は、話し合いが不調に終わった時点でテーブルに合った灰皿を窓ガラスに放り投げる。それを合図に周囲を固めていた警官たちが突入して、組員たちは全員が監禁罪容疑で捕縛された。
組は自動的に解体。帰る場所が無くなった組員たちは余罪を自らぶちまけて、そこから旧与党系の議員(引退・浪人を含む)まで巻き込んだ一大疑獄事件へと発展する。早めに自供を始めたモノは司法取引で免罪となり、神林家に拾われて社会復帰していく。幹部の数名は能力を買われて公安のスパイとして再教育に回される。
商店街側の首謀者である長老は血相を変えて乗り込んできたが、総美に諭されて弁護士を伴って警察に出頭。事情聴取されただけで送検には至らなかった。組員たちの自供から発生した事案が大き過ぎて、そちらの方まで手が回らなかった様である。
「久しぶりね、総美さん」
と訪ねてきたのは片桐掟。年齢は総美よりも一個上だが、異母弟の神林希総と結婚して義理の妹になる予定だ。面倒なのでお互いにさん付けで呼ぼうと話が付いている。
「新婚生活はどう?」
この質問も、他の女性なら揶揄っていると取られかねないが、彼女が言うと本気で聞いているのだと判る。
「色々とご面倒を掛けまして」
商店街の問題で紹介した弁護士と言うのが掟であった。
「私の出る幕はなかったわ」
警察に付き添って聴取に同席したが、それ以上の仕事は無かったらしい。
「やはり法務大臣の娘と言うのが効いたのかしら」
「民事案件なら相手が引いてしまう場合もあるでしょうけれど、刑事事件ではほぼありえないわ」
攻守交替。
「宮園さんの仕事は順調みたいだけれど、総美さんの方はどうなの?」
総美は家業である不動産業の手伝いをしていて、関連資格も持っている。今の主な仕事は空き家の管理を請け負って、持ち主の希望に応じて売却したり維持管理したりしている。全国で持ち主不在の空き家が増加している事態を懸念して、空き家に掛かる税率が高くなり、また市町村が一時的に接収する(持ち主が名乗り出れば未払いの税金と引き換えに返却される)事も可能になっている。
空き家=普段使っていない住居と言う事だと富裕層の別荘もこれに該当する。普通に空き家税を払っても良いが、それを回避する方法がいくつかあって、一番わかりやすいのは管理人を称して人を住まわせておくこと。その家に住民票を置く人間がいれば空き家とみなされないのである。故に家族の一人の住民票をそこに移すと言う裏技がある。住民票の当人に収入があれば住民税が発生するので、地元自治体もそれで納得する。管理さえきちんとやっていれば。その様な管理代行業も総美の業務の一つである。
町内にも数件の空き家があって総美が管理を任されている。少し後になるが、商店街の長老も不起訴が決まった時点で店を閉めて他所へ引っ越した。その空き家の管理を総美に依頼しに来た際には、かつてのような毒気がすっかり抜けて好々爺になっていた。
「家は貸しますか、売りますか?」
と確認すると、
「売れるものなら売って下さい。子供たちも家業を継ぐ気は無さそうなので」
空き店舗は、しばらくして借り手が付いて、中を改装して新たな店を始めた。三年ほどで資金がたまったところで建物を買い取り、そこからさらに五年後に土地の名義も手に入れるが、その頃には老人はこの世を去っていたので、相続人に分配される事に成る。
「町内会単位で神林警備保障と契約しようと言う話が出ているのよ」
「それを私に言われても困るわ」
「ええ。既に矩総に話を通してあるわ」
希総は警備保障の筆頭株主で今でも役員待遇だが、大学卒業後には代表取締役への就任が内定している。
神林警備保障は個人向けの契約の他、隣り合う数軒単位の共同契約と町内会のような団体単位の契約を提供している。厳密には個人向けには一戸建てと共同住宅向けの二種類があって、後者は住宅のオーナーが対象だ。
共同契約の場合には参加する世帯同士が互いに隣り合って繋がっている必要があって、途中に飛び地があるとそこで切れてしまう。監視カメラの設置が警備システムの肝であるためにそれを嫌がる人は一定数いる。団体契約は全体の三分の二以上から同意書を取り付ける事が条件となっている。同意していなくても警備システムの恩恵を受けられるが、近所に監視カメラが置かれる負担は強いられる。交渉の要点はそのカメラの位置の決定にあるのだ。
町内会主催の説明会が開かれて神林からは事務担当と技術担当の二人が来た。その技術担当の方は神林希総だった。
「なんであんたが?」
「言ったじゃないですか。優秀な人間を送るって」
本人は名乗らなかったが、総美がぽろっと漏らしたことで一気に広まった。神林家の本気度が伝わったから、では無かろうが、普通なら交渉に一年以上かかる団体契約は僅か三カ月と言う異例の速さで纏まる事に成った。
話は神林家との契約が済んで工事を行っている時期に戻る。
宮園が午前の商品を売り切って午後の商品を準備しているところへ父が客を連れてきた。準備中の札を出して鍵を閉めていたのでひと悶着あったが、丁度総美が戻って来たので対応を交代した。
「なるほど、前総理によく似ておられる」
客のこの一言で総美の塩対応は決まった。父親似であることを指摘されることが嫌な訳では無い。父に近付こうとしておべっかを使ってくる相手が嫌いなのだ。しかもこの客の本命は引退した瀬尾総一郎では無く、現役の官房長官である矩総の方だった。総一郎の客なら、総一郎に引き合わせて一喝してもらえば済むが、弟の客であれば話は違う。どんなに偉くなっても弟は守る対象なのだ。
「役に立たないな」
この捨て台詞は仲介者である宮園氏に対してだろう。客は彼の上司であるらしい。
席を立った上司の後を追おうとする義父に同情した訳では無いが、
「仕事の話をしませんか」
と声を掛ける総美。
「何?」
「宮園家でお持ちの土地について相談したいのです」
「あんな二束三文の土地がどうだと言うのだ」
と言いながらも座り直す義父。
「誰もが価値を見出す土地を売るなら素人でもできます。多くの人が価値を見出さない土地に値を付けてこそのプロと言うものですよ」
「プロだと?」
「西条の実家は不動産業を営んでいて、私も家業を手伝っています」
宮園氏は不動産屋に良い感情を抱いていない。父祖伝来の土地を買いたたかれた恨みがあった。それでも宮園氏は連絡先を交換した。総美が買い手の当てがあると明言したからだ。宮園氏は総美の電話番号を旧姓の西条総美で登録した。総美の方も家族では無く顧客カテゴリーで設定したのでお互い様であるが。
「あの人も行き詰っているなあ」
作業を終えた宮園が厨房から出てきた。
「宮園家は旧家で、御一新の頃には地方の大地主としてそれこそ神林家と比べての遜色ない家だった」
しかし神林家が維新の大波に乗って資本家・企業家として大成功を収めたのに対して、宮園家は波に呑まれて衰微する一方だった。旧家だけに人脈だけは保っていて、宮園氏はその伝手を使ってどうにか仕事をしていたのだが、今回の政権交代でその人脈もずたずたになった。
「それにしても、宮園家の手に残っている土地なんて本当に使い道がないよ」
使い道の多い平坦な土地は既に売ってしまった。山ならそこから木材なり鉱物なりの資源が取れるのだが、売れ残った土地は実に中途半端だ。
「それが良いと言う客も存在するのよ」
と自信たっぷりの総美だった
それから数日後、総美が義父に引き合わせたのは弟の御堂春真だった。
「どう、注文通りではないかしら?」
「姉さんも現地は初めて見たんだろう」
と苦笑しつつ、
「広さも地形も立地もこちらの条件に合致するね」
地図を見ただけで実際の地形が頭に思い描ける。西条家の人間が共通して受け継ぐ空間認識能力によるものだ。
「その条件と言うのは?」
と宮園氏。
「御堂財団が全国に運動公園を作っているのはご存じでしょうか?」
と急に丁寧な口調に替わる。
「まさか、こんな起伏の激しい所に運動公園を?」
「世の中には起伏がある方が良い競技と言うのもありましてね」
春真はニヤリと笑い、
「ここはモトクロスのレース場を作るのに最適だ」
「ただ走るだけなら、このままでも行けそうだけれど、周囲に観客席を作って、安全を確保するには少し工事が必要ね。あとここに来るまでの道も整備しないと」
と総美が言うと、
「そもそも掛けた費用が回収出来るかどうか」
と疑問を呈する宮園氏。
「それは問題ありません」
と春真。
財団が出資している御堂家の運動公園はどこも入場無料である。事故があっても責任は取らないと言うスタンスで、その代わりにスポーツ安全保険への加入を推奨している。
「別に利益を度外視している訳では無いですよ」
御堂でも道具類の販売を行っているので、競技が盛んになれば収益が出る。ここは周囲に何もないので食事を提供すれば確実に需要がある。
「ただ遊んでいた訳では無いのね」
総美がスマホでアクセスしたのは、春真が大学時代にネットに挙げた動画で、内容はマイナースポーツに一から挑戦すると言うものだが、技術的な問題以前に道具類の値段等が詳細に紹介されている。
「リサーチですよ」
それなりのアクセス数を稼いでいるが、初期投資が掛かり過ぎてペイしないので追従者は現れなかった。
「楽しそうですねえ」
とポツリと漏らす宮園氏に、
「どうです。ここの管理人をやりませんか?」
と持ち掛ける春真。
「ここの地代だけでも充分に喰って行けるとは思いますが」
この案件で宮園家の家名は僅かながらも回復した。滑稽なのが衰微した本家と疎遠になっていた分家・庶家がすり寄ってきたことだろう。長男嫁として受け入れられた総美がどのように対処したか、推して知るべし。
タイトルを「宮園家の一族」にしようかと思ったけど、宮園家の人々があまり出てこなかったので断念。
総美ちゃんは主人公にし難い事を実感しました。良い娘なんですけれど、弟たちのキャラが立ちすぎて。