フライングゲット(裏)
神林希総の婚約者片桐掟は別邸に住む先代夫妻に呼ばれた。
「お客様が来るから料理を作って欲しいの」
と祖母のほのか。普通の客であればメイドが担当するはずなので、
「来客のリストがあれば見せて戴きたいのですが?」
返答は客本人から来た。
「掟さんが作るの?」
「なんだお義姉さんでしたか」
「お義姉さんは止めて」
希総の異母姉西条総美は、掟よりは一つ年下である。甥っ子姪っ子に当たる双子を連れているが、
「この子たちの両親は一緒じゃないの?」
「父親の方は仕事だけれど、母親の方は敷地内の体育館でバレーボールよ」
「もう動いて良いの?」
「出産から三カ月たっているからね。見た目はほぼ戻っているわ」
「料理は何人分になるのかしら?」
「体育館に居るのは希総とさーや。御堂御三家の御曹司たち。太一と皆人、そして速水の貴真ね。他に桃華と大久保のお姫様」
「すると三対三なのね。おじい様もご一緒に食事を摂られるのですよね?」
と後半は祖母のほのかに聞いている。
「だーさんは、部屋で観戦しているわ。会長として見逃せない一戦だとか言って」
と笑う。ほのかの夫・神林俊樹氏はバレーボール協会の会長をしている。
「そうすると、料理は私を入れて十一人分ですね」
沙也加の子供たちがいるが、これは料理の数に数えなくても良い。
「私も手伝おうか?」
と総美が言うが、
「私が十一人分を一人で作る訳では無いから」
献立を決めるのは掟だが、実際に作るのはここのメイドたちである。
「それに、きっと総美さんにもお呼びがかかるわよ」
「まあそれも想定して動きやすい服装で来たけれども」
この直後に電話が入って総美は体育館の方へ呼ばれた。ほのかも乳母車に双子を乗せてその後を追う。掟はそれを見送って調理場へ向かう。
こちらの別邸は、元は希総の母希代乃の子供部屋として作られた。希代乃が本邸を継いだ時、入れ替わりで先代夫妻がこちらを隠居所として使う事に成り、雇い人もその時に大幅に入れ替えられた。
掟にとってこの別邸はアウェイである。こちらのメイドは若手中心であるが、それでも全員が掟よりは年上。二十代の後半になる四名とそれを纏めるのが三十代半ば。それに対して本邸は希代乃と同年代かそれ以上のベテランになる。本邸には次期当主である希総も出入りする(今は移り住んできている)ので、間違いが起きないように配慮したのだ。逆に言うとこちらにはあわよくば御曹司のお手付きにと言う意識がある。その意味でも希総の婚約者である掟は敵になる。その掟の指示に従わなければならないのだから心中は穏やかでは無いだろう。
「本日のランチはお客様を含めて十一人です。なので十六人分作ります」
声は出さないモノの当惑の表情は隠せないメイドたち。
「残りは皆さんの分ですが、ある意味で保険になりますね」
つまり失敗作が出たらメイドチームに回される事に成ると言う事だが、最初から余り物を食えと言わないだけマシである。
「初めに私が一人前を作るので、皆さんはそれを分担して担当してください。その振り分けに付いてはお任せします」
とリーダーに視線を向ける。
掟は本邸で希代乃を筆頭にベテランのメイドたちに徹底的に鍛えられていた。スキル的にはここのメイドたちと比べても遜色が無いレベルだが、それぞれの力量が判らないので仕事の割振りはリーダーに一任した。
掟はまずメインの皿を作る。出来上がると即座にリーダーが一人に指示を出す。
「同じものをあと十五皿ね」
見ただけで同じものを作れるのは凄い。と言う訳でもなく、掟の料理は本邸でベテランメイドに習ったものなので、レシピが共有されているのだ。恐らく掟の作れる料理はこのメンバーなら全員が作れる。指名されたのは最も手際の良いメイドなのだろう。
掟は二皿目を作りながら、平行してスープの準備も始めた。こちらの方は一人分と言わず全員の分をまとめて作る事に成るが、まずは冷蔵庫から予め用意されていた出し汁を取り出す。保存用の容器には内容が書かれているが、念の為味を確認して、計量カップで量って鍋に入れる。材料を入れ終わったら、
「この鍋に付いて灰汁取りをお願いします」
と言って二皿目を仕上げる。
最後のサラダに取り掛かりながら、
「一人はテーブルの方の準備をお願いします」
と直接指示を出して、
「ドレッシングを作ってもらえますか」
掟はサラダを人数分作ると、それぞれに名前とドレッシングの種類を紙に書いて添えた。
「後はお任せしても良いですね」
「若奥様はどちらへ?」
リーダーは全く無意識にそう呼んでいた。
「お風呂の準備をしてきます」
本邸の風呂は循環式でいつでも入れるのだが、こちらは準備に時間が掛かる。
「一部の隙もありませんでしたね」
掟が出て行った後、メイドの一人がぽつり。掟の仕事は決して早くは無いが丁寧で無駄が無い。
「あの希代乃様がお認めになった方ですから」
とリーダー。
程なくして体育館から女子組が引き揚げてきたのでメイドの一人が風呂に案内した。男子組は体育館に備え付けのシャワールームで汗を流してから合流する。
食堂の長いテーブルの上座とその左隣は空けて、女性陣が年の順に座る。一番が沙弥加で次が総美だが、二人に間に置かれたベビーベッドには双子がすやすやと眠っている。これはかつて西条志保美が幼い子供たちを連れて遊びに来た時に使われたモノなので、
「親子二代で使う事に成ったわね」
と沙也加が笑う。
「全然覚えていないわ」
と真顔で答える総美に、
「このベッドに収まるくらい小さなころの記憶が有ったら、その方が怖いわよ」
反対側には男性陣。一番手が希総で太一と貴真、皆人と続く。最後尾はまだ空いている。
「お待たせしました」
掟を先頭に、この屋敷の主である俊樹氏とほのか夫人が腕を組んで歩いてくる。俊樹氏は妻の為に椅子を引き、夫人が座った後で上座に腰を下ろす。それを見届けて掟が皆人の隣に座る。
「では頂こうか」
と俊樹氏の合図で皆が食事を始めた。
「中々白熱した試合だったな」
俊樹氏が孫の希総に声を掛ける。
「あれをご覧になっていたのですか?」
体育館には数台のカメラが設置されていて、その映像はこの別棟にある端末に記録される。元々はここの主だった希代乃の私物で、外部とは繋がっていない。ここにアクセスできるのは、今の管理責任者である希総と、前任の希代乃、そして俊樹氏の三人だけである。
「バレーボール協会の会長としては、あの二人が代表に選ばれなかったのは実に勿体ないと思う」
その視線の先には沙弥加と総美が居る。
「沙也加さんについては、やはり身長がネックだったのでしょうね」
彼女は小柄な事を逆に利用して機動力を駆使したり、より低い位置に潜り込んでセットアップを可能にしていたが、やはり前衛に立った時にはブロックの穴になる。同世代の、特に戦ったことがあるチームの同業者からは圧倒的な支持を集めているのだが。
「総美姉さんは、あの容貌が原因の逆忖度が大きいのかなと」
父である瀬尾総一郎によく似た相貌の為に当時の協会が選出に二の足を踏んだ可能性がある。それはメディアも同様で、沙也加とその恋人であるバスケット界のスーパースター西条総志をセットで取り上げながら、その総志の双子の姉であり沙也加の相棒である総美には極力触れないようにしていた。
「向こうの二人の御嬢さんは、産まれる前から知っているが会うのは初めてだな」
と俊樹氏。どちらの生家も神林家と縁があるのでここまでなら違和感は無いが、
「どちらもお前の嫁候補だったが」
と言われて希総には珍しく唖然とした表情になった。
「そもそもうちと関係があって、お前と年齢が釣り合いそうな娘さんは全員が希代乃のチェック対象だったのだがな」
と笑う。
「嫁候補を絞ると言うよりは不適格な相手をブラックリストに列記してお前から遠ざける事が目的だった。島津嬢の方は一人娘だから最初から優先順位は低くて、大久保の御嬢さんも御同様で、風間家に出されていた双子の妹さんの方が上位だったな。お前が第二候補だった片桐嬢と上手く行ったから、追跡調査はそこで終了したようだな」
姫佳の双子の妹風間唯衣の第一志望は南高だったのだが、希総が片桐掟と付き合い始めたことから進路を箱根女子へ変えたと言う。彼女が中学までバレーボールをやっていたのも希総との接点を多くするためだった様だ。
「気になる点が二つ」
と冷静になった希総。
「大久保姉妹の妹が候補に挙がっていたと言う事ですが、彼女が風間家に養子に出されたのも僕の所為なのですか?」
「それは大久保家の内部事情だよ。双子の片方を外へ養子に出すのは、一つには継承争いを避けるため。もう一つはリスクの分散だな」
双子を異なる環境で育てる事により、事故や疫病などで同時に二人を死なせる危険を回避する事が出来る。
「風間夫妻を神林で雇用したのはこちらの意図だけどな」
希総と風間唯衣との接点を増やす為だ。
「掟さんが第二候補と言う事なら、最有力候補が他に居たと言う事ですね」
「第一候補ならほらそこに」
その視線の先に居たのは、今や義姉となった沙弥加である。
「なるほど」
「片桐嬢が次点だったのは、優先権が瀬尾家の方にあったからだな」
掟は年齢的にも関係性の点でも、希総よりも先に矩総の方と出会い、結ばれる可能性が高かった。そこに滝川千種と言う不確定要素が絡まったことで、矩総からの紹介と言う形で掟と希総は知り合う事となった。
「矩総くんがお前と御堂の春真君を競わせた件については、希代乃や矩華さんも面食らった様子だったが」
「あれは、掟さんに『いいえ』と言わせない為の交渉術だった。と本人は言っていましたけれどね」
単に弟を紹介すると言えば、「はい」か「いいえ」かの二択になるが、二人同時に紹介すればどちらを選ぶかと言う話になって、「いいえ」と言い難くなる。
「そう言えば、大久保嬢の片割れ、本物の風間唯衣嬢だが、またバレーボールを始めたらしい」
風間唯衣は姉のいる箱根女子学園に入学した際にはバレー部に入らなかったが、姉の名で学園生活を始めた事をきっかけに、改めてバレー部に入ったと言う。姉が自分の名でバレーを始めたので元に戻った時の辻褄を合わせると言うのが建前だが、本音は姉との直接対決を望んでいるらしい。
「公式戦で双子対決が実現すれば面白そうだけれど、残るチャンスは来年のインターハイ予選の一回きりだからなあ」
中央は学業優先、箱女はお嬢様教育がメインで、どちらも部活動には力を入れていない。両校が勝ちあがって激突と言うのは考えにくいので、一回戦で当たるのが唯一の可能性だろう。
「こればかりはトーナメントのクジ引き次第だな」
太一と貴真そして皆人の三人は揃って理系である。貴真が一類、太一が二類、皆人が三類である。右端の希総が文化二類で左端の掟が文化一類なので、
「あとは文三がいればコンプリートですね」
と皆人が笑う。
「私の上の姉が文三なのよね。卒業はしていないのだけれど」
「綴さんでしたっけ?」
分科三類は教育・文学系だが、掟の長姉片桐綴は在学中に文壇デビューを果たしていた。綴の実父も物書きだが、知名度でも収入でも既に父を大きく超えている。
「私と姉は六つも違うから、余り接点も無いのだけれど」
と言うと、
「僕も上の兄さん姉さんとは六つ違うから」
と意外な共通点を見つけた。
「違いと言えば、うちの姉妹は父親違いで、皆人君の所は母親違いと言う所ね」
「どちらも普通では無いけれどね」
「三人姉妹だと、真ん中が上とも下とも仲が悪くて孤立しがちなのだけれど
次姉の奏は実父譲りの音楽の才能を持っていて、良くも悪くもマイペースだった。
「ぼくらの中では春真兄さんタイプだね」
「春真君はまだ他人を調子を合わせようとするけれど、姉の方は合わない相手とは、徹底的に合わせないわね」
好き嫌いがはっきりしていて裏表が無いのが救いではあるが。
「大学の方はもう慣れた?」
と話題を変える掟。
「まだ一カ月経っていないけど。皆人君は一人年下だから心配だわ」
「それは姉さんたちからも言われたけれど、僕は周り全部が年上の環境に慣れているから」
と皆人。
「周りが何かと気遣ってくれるし、むしろ同年代や年下を相手にしている方が苦労するな」
跳び抜けて頭が良いから同年代を相手にするとどうしても浮き上がってしまうのだろう。
「その感覚は判らなくも無いわ」
と掟が共感する。
「ただ甘え上手な皆人君と違って、私は末っ子のくせに甘え下手だと友人に言われたわ」
誰の台詞なのか、容易に想像がつく。
「良いじゃないですか。掟さんは希総兄さんにだけ甘えられれば」
と皆人に言われて動揺を見せる掟。
「何か呼んだ?」
と希総が聞きつけたので、
「兄さんは面倒見が良いなあ。と言う話ですよ」
と皆人が取り繕った。
「なんだか、唯衣に申し訳ないわ」
と姫佳が漏らす。
「もともとバレーをやっていたのは唯衣だから、此処に居たのは私ではなくて妹だったかもしれないのに」
「それは前提がおかしいわ」
と桃華がバッサリ。
「唯衣がバレーを諦めて居なかったら、箱女では無くて南高に行っていた筈で、そうなっていれば私と会う事も無かった。その場合、姫佳は双子の妹の存在を知ることも無く、私や太一先輩との出会いも無かったでしょう」
唯衣がいなかったら、姫佳は一人で箱根姫を引き受けることは無かっただろう。
「だから姫佳が唯に感じるべきは罪悪感ではなく感謝の気持ちよ」
姫佳は双子に生まれて、一人残されたことで、外に出された妹への贖罪意識が強すぎるのだ。唯衣の方も失った元と同時に得たモノもある。どちらに価値があるかは容易には決められない。
「唯衣が南高で無く中央へ来ることは?」
「それはあり得ないでしょう」
中央のバレー部は弱小だ。それに対して南高は総美と志保美が入って以来の新興勢力として、いまや県内の三強の一つに数えられている。
「桃華が中央を選んだのは太一さんが目的だったのね」
「それもあるけれど、まずは父の母校だし、そもそも私は中学までは他県だから、公立の中央高校へは入れないのよね」
「桃華ちゃんにその気があれば、抜け道はあったのにね」
と隣で聞いていた総美。
「ええ。三年の段階でこちらの中学に転校しておけば、ですね」
これを計画したのは神林希代乃。風間唯衣が南高に来た場合に、その相棒として期待されたのである。
「でもその場合、セッターは唯衣で、私のセッター転向は無かったでしょうね」
と桃華。
「そうね。二人が入ってくれれば、在学中に全国制覇も可能だったかもしれないけれど」
と沙也加も議論に参加してきた。
「それは過大評価ですよ」
と桃華。
「もちろん。二人だけで勝てる訳では無くて、私たちが育てた後輩たちを使いこなせればの話よ」
と沙也加。
「うちの後輩は、私たちの残したやり方に忠実過ぎてねえ」
と総美がため息をつく。
「私とふぅ。つまりセッターとエースのホットラインを軸にしたオーソドックスな戦術」
これはエースの力量で全てが決まる。
「残念ながら西条総美を越えるエースはうちの学校には生まれなかった」
と言われて照れる総美。
「けれど、南高と言えば守備力に定評がありますが」
特にサーブレシーブに優れ、サーブポイントでの失点率が県内最低である。
「ファーストタッチがAパスになる確率が高いのは良い事だけれど、それに慣れ過ぎてセッターの対応力が明らかに下がっている」
沙也加が得意としたコート上を縦横無尽に駆け回って攻撃に繋げる事の出来るセッターはいない。あの動きは希総を介して男子部の方へ継承されている。
「うちの後輩たちはAパスに拘り過ぎて、練習時間を守備に割き過ぎている。結果として攻撃力が足りない」
希総はまず上にあげる事を課題とし、Aパスには拘らない。
「希総君は流石と言うか、良い伝統は残しつつ、常により良いやり方を探し続けている」
「私とさーやは同い年だったけれど、希総の相棒だった春真は一学年上だったから、一足先に卒業してしまって、春真が抜けた後の中三の時に絶対的エースを抜きにした新たな戦術を身に付けた。そこが大きな転機だったわね」
「女子部にも一度チャンスがあったのだけれどね」
と沙弥加。
「上級生が指名した新チームのセッターに、エースが異議を唱えた。彼女の長年のパートナーを推して譲らず、チームの雰囲気もエースに味方して。結局生徒会の仲介が入ってバスケ部へトレードされた」
どちらも結果は残したけれど、得をしたのはバスケ部の方だった。
「白雪沙豊さんですね」
と桃華。
「姉の沙織さんは私たちの一級下よね」
と沙弥加。
「中学の時に一度当たったことがあるけれど」
「そうだっけ」
と総美が首を傾げる。
「中央高校の会長として五校会議に来ていたけれど」
「白雪沙織先輩は飛び級で中央高校に入ったので、恐らくどちらの記憶も正しいです」
食事が済んで、男女に分かれて談笑する。まずは女性陣の方だ。
「この子たち、父親に似て大人しいわねえ」
とほのか。
「そうですね。この子たちの父親は、小さい頃は姉の影に隠れる気の弱い男の子でした」
「そうそう。片割れの姉の方は非常に活発で、どちらが男の子なのか判らないと言われていましたね」
話題の当事者である総美は苦笑するばかりだ。
「速水さんも、この子たちを見て逝ったのね」
ほのかがしんみりと言う。
「予定日よりも遅れたので、間に合ったと言うべきか、待っていてくれたと言うべきなのか」
双子の曽祖父である速水秀臣が亡くなったのは、沙也加が双子を引き合わせたその日の夜だった。
「速水の祖父は、少しやつれていて抗癌剤の所為で頭髪が無くなっていたのでウィッグを付けていたのですが、この子たち引っ張ってしまってズレてしまって」
と総美が思い出し笑いする。
「流石にこの子たちもびっくりしていたけれど、祖父が大笑いしたのでその場は収まりました」
「まあ」
ほのかもつられて笑顔になる。
「この子たちは覚えていないでしょうけれど、私たちの最後の記憶はあの笑顔になりました」
と沙弥加。
「頭はつるつるだったけど」
と総美。彼女は祖父似なので苦笑いになっている。
「もう少し待てば、総一郎さんも任期を終えて葬儀に参列できたでしょうに」
「父は公務が欠席の口実になって好都合だった、と言っていましたけれどね」
と総美が苦笑する。
「彼にも思うところはあるのでしょう」
とほのかがフォローに回る。
「実の父親からも、母の実家からも何の手助けが無く育ったのですから」
どちらにもその存在を知られていなかったのだから仕方のない事ではあったが。
「後は若い人たちで楽しんでね」
ほのかは速水秀臣の最後の様子を聞いて満足したのか、そのまま場を後にした。
「二人が緊張しているから気を使われたのね」
と掟。
「ほのかさまは別に怖くないと思うけれど」
総美は、希代乃さまと違って、と言い掛けて辞めた。実際、桃華と姫佳は希代乃相手にもあまり気後れして居なかったのだが、
「いえ。なんとなく話題的に口を挟んではいけない雰囲気だったので」
と桃華。
「あの総志さんが大人しかったって本当ですか?」
と姫佳。
「総志の臆病さが良い方に発揮されたのがバスケにおけるあの身のこなしなのよ」
と総美。西条総志は極めてファール数が少ない、と同時にファールされる機会も極めてまれで、要するに敵との接触がほとんどないプレイヤーだったのだ。ファールされながらシュートを決める、いわゆるバスケッとカウントも、総志の場合にはファールをされた時には既にボールは手から離れている。裏を返せばシュートに行く瞬間は相手との接触を避けきれないだのとも言える。
さて男性陣の方は、
「速水家の方は落ち着いたかい」
と俊樹氏に訊かれて、
「祖父は隠居して久しいので、家の中はさほど変化が無いのですが」
と貴真が答える。
「それも悲しいな」
「ただ、地域の商工会で世話役をやっていたり、何人かの政治家に献金を行っていたりと、家族も知らないもう一つの顔を持っていて」
現総理の城田も献金を受けた一人で、あと数年生きていたら政界のフィクサーとして名を馳せたかもしれない。
「祖父はいいタイミングで亡くなったのかもしれない」
と希総が呟く。本人にその気が無くとも、政界のフィクサーなどと祭り上げられていたら、その息子である元総理との間に確執が生じるのは避けられなかっただろう。