録・迷・館
難題を言い出すのはいつも桃華である。
「私たちもご挨拶に行きたいのだけれど」
「滝川家に?」
と太一が問い返すと、
「それもいずれ行かなければならないけれど、今回は鎌倉の方へ」
鎌倉には瀬尾総一郎の邸宅がある。関係者の間では密かに鎌倉殿と言う呼称が用いられ始めていた。総一郎を訪問することも鎌倉詣でと言われるようになり、隠遁生活を決め込んでいる総一郎の意にはそぐわない状況も生じているのだが、
「私たちちょうど五人だから」
「じゃあ予約を入れておくよ。都合の悪い日とかある?」
「土日祝日であれば基本的に大丈夫だから」
太一は姉の華理那に連絡を付けて予約を取り付けたのだが、
「僕を入れて六人になるから、車一台では乗り切れないな」
と言って兄の希総に車を貸して欲しいと頼む。
「ワゴンとかリムジンとか、六人以上乗れる大きな車は、父さんの家には入れないから、僕がもう一台出そう」
と請け負ってくれた。
予定ではそれぞれの家を回って拾い集める筈だったのだが、五人は事前に打ち合わせて前日に太一の家に押し掛けた。夕食は太一の手料理。五人それぞれの家の家紋が入った箱膳が出てきたのには驚いた。
食事の後は、太一を一階に残して五人は二階へ上がった。話題に上がったのは瀬尾総一郎の息子たちの事で、
「私は女子も含めて全員を知っていますが」
と桃華。
「一番上の総志さんを知っているのは沙羅さんだけで、一番下の皆人君は姫佳さんだけが会っているわね」
「え。そうだったの」
と驚く姫佳。
「みーくんは、母親似だからねえ」
「じゃあ、六人の中で一番父親似なのは誰?」
と唯衣。
「顔立ちなら文句なしに太一君だけれど、性格となれば、小父様本人は春真さんだと言っている」
と桃華。
「桃華の意見は違うのね」
と天音。
「春真さんは苦学生だった小父様にとっての理想形で、実際に一番近いのは、私の見るところでは希総さんね」
「それはやっぱり神林の血かしらね」
と唯衣。
「それもあるけれど、母親の希代乃さんの教育が大きいと思うわ」
「私も神林の御曹司とは面識があるけれど」
と天音。
「祖父が総理をやっていた頃だから、十年以上前になるかしら」
パーティーの席上で母の希代乃に同行していたらしいが、
「なんと言うか、年の割の落ち着いた、絵に描いたような貴公子だったわ」
「年の割にって、貴女そのとき何歳だったのよ?」
と沙羅にツッコまれ、
「小学校に上がったばかり」
どっちもどっちである。
翌日の朝食は洋食。バゲットを適当な大きさに切ってトーストしたモノとベーコンエッグ。そしてミックスジュースである。自家製のジャムが数種類用意されていてお好みでと言われた。
「どこまでが自家製なんですか?」
と唯衣。
「ベーコンとジュースの素材の一部。バゲットは近所のパン屋で買ってきたばかりだよ」
と太一。
「卵も、滝川の実家では産みたてが食べられるのだけれど、ここでは飼っていないから」
「流石にフランスパンは作れないのね」
と沙羅に言われ、
「作り方は知っているけれど、このサイズを焼くだけの窯が無いからね」
「滝川家には設備があるんですか?」
と姫佳。
「うちには、ピザ用の窯があるから、それで焼けなくも無いけれど。パン作りに関しては希総兄さんから教わったよ」
事前に想定した時間に希総が姿を見せた。
「出発時間の変更は連絡しましたよね」
と太一が訊いたが、
「折角だから、ここでランチを摂ってから出発しようと思ってね」
と言いながら持ってきた食材をキッチンに運び込む。希総は米も玄米で持ち込んできたが、
「精米済みのモノがあるので、そちらを先に使ってください」
と太一。米は玄米のままで備蓄しているので家庭用の精米機も完備しているのだ。
「ご無沙汰しています。先輩」
と沙羅が緊張気味に手伝う。
「やあ、青木君。久しぶり。それと」
沙羅の背後に視線を向けて、
「これを」
と天音に色紙を差し出した。そこにはうのあまねとひらがなで書かれている。
「昔、パーティーで会った時に書いてもらったものです。あの時はまだ漢字が書けなかったので、次に会った時には漢字で書いたものと交換します、と言われたのですが」
「まだお持ちになっていたのですね」
と照れ気味の天音に、
「うちの母が何でも取って置くタイプの人で、僕の婚約者が部屋の整理をしていて見つけてくれました」
と真正直に打ち明ける希総であった。
「今となっては貴重なモノなので、交換ではなく裏に書いてもらえますか」
「そうですね。別のモノに書いて、並べて比較されるのも恥ずかしいですから」
希総が作ったのは神林家のパーティーでは必ず出てくると言うちらし寿司だ。
「これは素材の良さが九割なので、料理の腕はほとんど必要ないんですよね」
とは言うが、魚を捌く希総の手際は見事なものだ。
「御曹司自ら作られるんですか?」
と唯衣に訊かれ、
「メインで作るのは母で、僕はもっぱら手伝いだけで。なにしろ多い時は百人前くらいになるから」
「料理の手際もさることながら、この家の中を熟知していらっしゃるのですね」
と天音。
「引っ越しも手伝ったし、そもそも前の住人の頃から何度も来ているからね」
「前に住まれていたのは元総理秘書官の滝川千里さん。娘の万里華さんとは高校の同級生で会長と副会長の間柄でしたね」
「回りくどいなあ」
希総は太一と桃華に目配せをしつつ、
「万里華の父親は僕らと同じだよ。彼女の方が僕よりも四カ月ほど年上になるね」
「私はまだ直接お目に掛かったことはありませんけれど、これで一応コンプリートですね」
と笑う天音。
「あれ。希総先輩は万里華先輩と交際登録をしていませんでしたか?」
と沙羅に訊かれて、
「面倒事を避けるための方便と言うやつだよ」
と希総が答える。
「万里華は昔から男子にモテたからねえ」
希総も超優良物件なのだが、地元で神林の御曹司に手を出そうと言うツワモノは居なかった。
「滝川姓の二人は外で育ったから僕たち九人とは多少の距離感があって、僕が万里華と初めて会ったのは一緒に小学校に上がった時だった」
「僕は万里華姉さんとは従姉弟だと思っていた。実はもっと近い、母親違いの姉弟だと知った時は少し当惑したけれども」
「万里華さんの事を好きになっていたんじゃないの?」
と桃華に訊かれ、
「僕としては頼るよりは頼られる方が好きだな」
と太一。
「万里華姉さんは、僕から見ると隙が無いと言うか」
「滝川校長もそう言うタイプに見えたけれど」
と沙羅。
「うちの母は、仕事は出来るけど家の事はあまり出来なくて、プライベートでは結構隙だらけなんだよね」
「ギャップ萌えですか」
と喰い付く姫佳。
「特定の、信頼できる相手だけに見せる弱み。と言うのは確かにツボだよねえ」
と希総も共感を示した。
「千里さんはいつから小父様と?」
桃華がかねてよりの疑念をぶつけてくる。
「万里華さんが生まれた時には小父様はまだ無名の菓子職人でしたよね」
瀬尾総一郎の名前が世間に知られたのはいわゆる神林の乱の後。希総が産まれたばかりの頃だ。
「千里さんは創設メンバーの一人で、その当時まだ未成年だった真冬さんの枠を確保するために送り込まれたのだと聞いている」
と希総。彼も正確な入れ替え時期を教えられていない。知っているのは上の二人総志と矩総だけだ。
「真冬さんと交代した後も、月一でいわゆる安全日を選んで通っていたのだけれど、祝い事の際にイレギュラーで出来たのが万里華だった」
「祝い事と言うのは、小父様の結婚式ですね」
と指を折って数える桃華。
「君は結婚式の映像を見て居るんだね」
「うちの父も出席していましたから」
新郎の総一郎は新婦の矩華を皮切りに七人の女性と踊り、それに対応して女性に関係したカップルが踊った。矩華や希代乃の時にはその両親が、志保美の母は総一郎の父速水秀臣と踊ったがこの二人は後に内縁関係となった。真冬に対応して踊った姉の真夏は後に夫となる永瀬貴志と、なゆたの弟野田阿僧祇も後に妻となる木島可奈多と踊った。唯一間に合わせのカップルが戸倉翼と瀬尾聡太郎であったが、二人の子供たちが結ばれる事に成ったのはまさに奇縁である。
太一が片づけをしている間に、
「誰がどちらに乗るか決めないと」
と希総が言う。
「二人と三人に分かれるなら、年長組二人と年少組三人なのですが」
と桃華。
「年長組がこちらと言う事かな?」
「唯衣さんがそちらに乗りたいと言ったので、天音さんと交代しました」
つまり希総の後輩である青木沙羅と双子の妹風間唯衣が希総の車に乗り、残り三人が太一と言う事で決まった。
太一は鎌倉行の道程を知らないので(住所は知っているから打ち込めばナビゲーション機能は使えるが)、二人の車の自動運転機能を無線接続して希総の車を先導車に指定する。これで希総が走った道筋を追って太一の車が走る事に成る。
前を行く希総の車は、助手席に唯衣が、後ろに沙羅が一人で鎮座する。
「さて僕の何か話があるのかな」
と希総が水を向けると、
「姉と桃華さんが希総さんのご指導を受けたと聞きました」
「僕が指導をしたのは太一以下三名で、その二人は練習相手として呼んだだけだよ。指導と言うなら姉たちがやったみたいだけれど」
「元々バレーボールをやっていたのは私なのに。狡いです」
「君は箱女に入った時にバレーを辞めたと聞いたけれど」
中学まではセッターをやっていたらしいが、
「姉が始めたと聞いて入り直しました。大久保姫佳としては初心者なのですが」
「箱女のバレー部ってかなり弱いよね」
「だから希総さんのご指導を受けたいのです」
「個人指導ならいつでも良いけれど」
「バスケならともかく、バレーでは一人が上手くなっても意味が無いですよね」
と沙羅が割って入る。
「特別コーチとしてお招きしたいのです」
「僕が出向くにはまず学校側の許可が必要だな」
「バレー部の顧問はF女の出身で、希代乃さんの同級生なんです。だから希総さんなら大歓迎です。それでも校内へ招くのは厳しいと思うので、外部の体育館を借りる手筈を付けます」
「僕は女子相手でも手加減はしないけれど、箱女のお嬢様が果たして付いて来られるかな」
「それはやってみないと判りませんが、少なくとも希総さんに会えば部員たちは大喜びすると思います」
「そうなのか?」
と不審げな希総に、
「先輩って、意外に自分の事は判っていませんね」
と笑う沙羅。
「普通に王子様キャラなのに」
「それも乙女ゲーの第一攻略対象になりそうな正統派の」
と唯衣も同意する。
「具体的にどの辺りが目標なのかな」
と希総が話を戻す。
「上は全国制覇から下は一回戦突破まで」
それによって練習の強度が違ってくる。
「部員の総意としては公式戦での一勝でしょうけれど、私個人はあの二人に勝つこと」
「それは違った意味で厳しいな」
中央も部活動に力を入れていないので一回戦に勝てば御の字のレベル。箱女はそれすら怪しいが、
「初戦で当たれれば話が早いけど、反対のブロックとかに成ったら大変よねえ」
と沙羅。
「それはもう籤運次第ですね」
一方の太一の車では、
「唯衣さんの目的は何だと思う?」
と桃華に訊かれ、
「希総さんにコーチしてもらう事でしょうね。私の名前でバレー部に入ったらしいから」
「公式戦での姉妹対決は実現するかしら?」
と天音に訊かれ
「それは抽選の籤を引く順番次第ですね」
と姫佳が答える。
「順番?」
と太一が首を傾げる。
「向こうの籤を誰が引くかは知りませんけれど、こちらの籤を引くのは私ですから」
要するに、中央高校が先に引いていて、箱女が引く時にその相手がまだ決まっていなかったら、そこを自分が引き当てて見せると言っているのだ。
その結果がどう出たかはまた別の話。
無事に鎌倉の瀬尾総一郎邸に到着すると、五人を総一郎に引き合わせて、太一と希総は外階段から二階へ上がった。
「立地は良いけれど、夫婦二人で住むには広すぎて持て余しませんか」
と太一。
「仕事場も兼務しているからね」
と希総。
「此方の棟の一階は父さんの店舗で、L字の反対側に当たる北棟の方は矩華さんの書斎らしい。夫婦の生活スペースは真ん中の本棟だけなのだけれど、二階は客間として使うらしい」
「あれ。するとここの二階は?」
「お前の家の二階と同じだよ」
「ああ。なるほど」
二人は居間へ入り、太一が丸いテーブルを出し、希総はお茶を用意する。
「誰か来たな」
希総のスマホが反応する。この家の警備システムは神林警備保障が請け負っており、希総はそこの筆頭株主にして取締役の一人に名を連ねている。そんな訳で、彼のスマホは神林の警備システムと連動しているのだ。
「母さんの車だな。もう一人同乗者がいるようだけれど」
この家の警備システムに置いて、事前に登録していない車は大手門を通れない。中へ入るには濠の外で車を降りて歩くしかない。希総の車は登録されているし、太一の車は総一郎の店の客としてパスが発行されている。予約の際にナンバープレートを撮影して登録すれば良い。登録されているのはこの家に住んでいる総一郎と矩華の車、そして娘の華理那。息子の矩総は官房長官への就任以来自分で運転する事が無いので妻の希理華の車を代わりに登録している。
希代乃は登録外だが、事前に申し込めば二十四時間のパスが与えられる。つまり彼女が今日来ることは事前に知っていた。問題はその同行者であるが、
「イラッシャイマセかんばやしきよのサマ」
と通用門の管理AIが応対する。
「ドウコウシャのカタのオナマエをウカガイマス」
「滝川翼」
「母さん?」
太一は驚いているが、希総の方は同行者がいると判った時点で想定の範囲内だ。
「あの人も悪戯が過ぎるな」
希代乃と翼は母屋から渡り廊下を通って息子たちに合流した。
「誰から聞いたんですか?」
希総は希代乃には紅茶を翼にはコーヒーを提供しながら訊いた。
「久しぶりの母への第一声がそれなの?」
と拗ねて見せる希代乃に、
「昨晩あったばかりでしょうに」
希代乃と希総は同じ建物の同じフロアに暮らしているが、使用スペースを分けているので朝夕の食事時以外は会う機会がない。それも時間が合えばの話だ。
「今朝、掟さんから聞いたのよ」
これも想定通りの回答だ。希総は父総一郎の訓え通り、掟には隠す必要のない事は話すようにしている。
「口止めするのを忘れていたな」
「元気そうで何よりだわ」
とこれは翼から息子の太一への第一声だ。
「そちらはいつ以来だい?」
「祖母の四十九日に会って以来ですね」
「百恵様にはお線香を上げさせて頂いたわ」
と希代乃。
「駄目元で連絡したら空いていると言うから」
「貴方が来ていることを聞いたから一緒に連れてきてもらったのよ」
希代乃がその心算でばらしたのは判っている。
「翼さんと面識があるのは沙羅さんだけかしら?」
「他の四人も顔は知っているわ。いずれ劣らぬ美女揃いよねえ」
と笑う翼。
「別に顔で選んだ訳では無いですけれど」
と不満げな太一。そもそも彼自身が募集した訳では無いのだから。
「初めて対峙する四人は当然として、青木君も別の意味で驚くでしょうねえ」
と話題を変える希総。翼の服装は仕事中のかっちりしたモノではなく、開いた胸元から深い谷間が見えている。縛らずに自然に流した髪も色っぽい。いつも通りな眼鏡が逆にアクセントになっている。
「僕から見ると、パンツ姿の希代乃さんに驚いたのですが」
と太一。
「そうかな。僕は見慣れているんだけれど」
希代乃が車を運転するときはこの格好なのだが、仕事の場面で彼女が運転席に座る事は絶対に無いので、この姿は限られた身内だけが見る事が出来るレアコーデなのだ。
「鵜野天音さんとは昨秋の国体の試合後に知り合ったのね」
と確認口調の翼に、
「華理那姉さんから紹介されました。姉さん本人も会うのはあの試合が初めてだったそうですが」
「華理那さんが出場していたのには私も驚いたわ。あれはどういう経緯で?」
「それは私も聞きたいわ」
と希代乃も喰い付いてくるが、
「その件は下に当事者が居るので直接お聞きになって下さい」
と答えるしかない。
「では大久保市長の娘さんたちとはどういう経緯があったの?」
「その辺の経緯はうちの調査でも掴めなかったのよね。軽井沢にある御堂家の別荘を訪ねている事は調査に上がっているのだけれど」
と息子に視線を向ける希代乃。
「僕もその場に同席していて」
と希総。
「太一を迎えに行かせたのは僕ですが、大久保姉妹との縁を作ったのは春真兄さんです」
太一は東の獅子王と西の箱根姫の因縁とその結末に付いて語る。
「それで、二人の入れ替わりに貴方は関与しているの」
翼の関心はそこにあった。
「本人に会うまで何も知りませんでした」
「唯衣さんの養父である風間氏に相談を受けて処理を手伝ったのは僕です」
と希総。
「と言っても、僕がやったのは姫佳さんの学生証発行についての小細工だけですが」
大久保姫佳を名乗っている唯衣は姉の学生証をそのまま使い、新たに風間唯衣の名称で発行された中央高校の学生証を発行する際には唯衣本人の写真を使った。
「学生証はIDカードとしても使えるように重要な個人情報が組み込まれているて、その一つはDNA情報ですが、これは一卵性双生児なので問題ありません。顔の方もそっくりなので、極めて優秀な顔認証システムに掛けない限りはバレないでしょう」
「つまり現状でもカードを交換するだけで元に戻せるのね。何故それをしないの?」
「実際に二人に会えば判りますが、顔はそっくりなのに首から下が大きく違うんです」
と遠慮気味な表現をする希総。
「姉の姫佳さんはプランプで、妹の唯衣さんはスレンダーなんです」
と太一が説明を加える。
「プランプってどういう意味?」
と希代乃。
「日本語にすると、ぽっちゃりでしょうか」
と答える希総に、
「なんだか親近感が湧くわね」
実際に本人を見た翼は、
「あれはプランプと言うよりはカーヴィーね」
と英語担当らしい苦言を漏らすが、
「まさにカーヴィー体型な自分の母親と比べてまだまだと言う意味では」
と希代乃に揶揄われた。
太一の母滝川翼との予定外の面談を無事に終えた五人は帰途に就いた。正しくは鵜野天音だけはルームメイトの華理那と一緒に帰る事に成ったのでまだ残留している。
風間唯衣は母を送る太一の車に一人便乗した。助手席を翼の為に空けて乗ったのだが、通用門から合流した翼は唯衣の隣に腰を下ろした。
「だから言ったのに」
と太一がぼそり。
「貴女は唯衣さんの方ね」
翼は体形を見て判断した。
「はい」
「入れ替わりを企んだのはどちらなの?」
と切り込んでくる翼に、
「姉の方です」
と即答する唯衣。
「私にとっても都合の良い話でしたから」
「姉をうちの太一とくっ付けて、その代わりに大久保家を貰おうと思ったのかしら」
「そう言う目論見が無かったとは言いません。ただ大久保姫佳の立場では婿養子を取るしかないので、滝川家の跡継ぎである太一さんと結婚が出来ない訳ですから」
「そんな事気にしなくていいのに」
「え?」
と反応したのは運転席の太一。
「滝川の家名を残すなら万里華さんが居るわ。御堂家の血統を考慮すれば彼女の方が御三家に相応しいしねえ」
翼の夫である千万太が貰った遺産は、本来なら彼の死後に本家に回収されるはずだった。
「私は滝川が先に亡くなったら、今住んでいる家だけ貰って、残りは太一に任せるわ。生活費に付いては自分で稼いだものがあるからね」
「母さんがあんな事を言いだすとは思わなかったな」
翼が滝川邸で降りた後、唯衣は助手席に移動した。
「これで正妻争いが混沌として来たわ」
と真顔で考え込む唯衣。
残る三名は希総の車に乗った。助手席に後輩の沙羅、中央のバレー部コンビは後部座席だ。
「唯衣さんは先輩にコーチを依頼したんでしょう?」
と沙羅が希総に訊ねる。
「唯衣さん個人ではなく、箱女バレー部をまとめて面倒見て欲しいと言われたよ」
「承諾したのですか?」
と桃華。
「僕を受けれる体制が整えばと言う条件でね」
「彼女ならやり遂げるでしょうね」
「では後は私が籤を引き当てるだけですね」
とやる気満々の姫佳だった。
「向こうの車が停まった」
往路で互いのADSを接続したから希総の車から太一の車の動きが判る。無論向こうからもこちらの動きが調べられる。太一がやり方を知っていればだが。
「どうやら滝川邸に到着したらしいな」
「ここからは二人きりのドライブデートになるのね。羨ましいわ」
と言う姫佳に対して、
「二人きりに成るまでの過程を考えると、私には無理だわ」
と沙羅が漏らす。
「そんなに怖い人では無いけれどねえ」
と希総が笑う。
「それは、先輩が万年首席の優等生だったからですよ」
沙羅の成績は中位レベルだったが、普通なら校長との接触はない筈で、やはり華理那に頼まれて生徒会活動に従事したことが大きいだろう。
「私は名前だけの副会長だったから、肩身が狭かったわ」
「この車中、会長副会長の経験者ばっかりね」
とただ一人例外な姫佳が苦笑する。
「それにしても、プライベートだからと言うのも有るのでしょうけれど、母親としての顔は全く別なんですね」
と沙羅。
「公私のギャップと言う点ならうちの母も似た様なモノだけれどね」
と希総が苦笑する。
「似ていると言えば、希総さんと太一君も似ていますよね」
と桃華。
「どの辺が?」
「一言で言えば紳士。二人とも生真面目で気配りが出来る人」
長男の総志は生真面目であるが鈍感である。春真は気が利くが生真面目さとは無縁だ。この二人は頼られれば助けになるが、自分の方から手を出したりはしない。矩総は助言はしてくれるが手を貸すことは稀だ。そして皆人に至っては困っている人には滅多に近づかない。
「確かに皆人君には人助けのイメージが無いわ」
「あいつは毒舌のクラッシャーだから」
皆人が絡むと、状況そのものが激変する。結果として当事者は救われるが、かなりのハードランディングになるが。
「僕と太一の比較の話に戻るけれど」
と希総。
「僕たちの間には決定的に違う点がある」
総一郎が亡き母から受け継いだ訓えとして、自分のモノは自分で守れ。人のモノには手を出すな。と言うものがある。
「僕が自分のモノものとして守るべきものは神林家。これを次の代へと引き継ぐ責務を負っているけれど、太一にとって千万太さんの遺産は自分のモノを守る為の手段でしかない。太一が自分のモノとして守るべきは君たち五人と言う事に成るね」
ここで閉じれば良い話で済むのだけれど。
「じゃあ婚約者の掟さんはその守るべきものに含まれるんですか?」
と桃華が訊いてきた。
「それは本人に直接言うべきだと思うけれど」
と首を捻る希総だが、
「いやそれに近い内容は話した事があるな。あくまでも一般論として」
自分は神林の家とそれに連なって生きる人々の生活を守る為に注力する。だから自分の妻になる人物にはそんな自分を支える戦友になって欲しい。
「それってほぼプロポーズじゃないですか」
と姫佳が冷やかすと、
「多分あの人はそういう風に受け取っていないと思うんだよね」
この話をしたのが正式な一対一の交際を始める前だったと言う事もあるが、片桐掟は色恋の話題になると極めて鈍いのである。
九(急)の反対で六(録)。
タイトルを捻り過ぎると、内容をまとめるのが難しい。