§15 「それじゃあ、作戦会議始めよっか」
「それって、いわゆる、かつあげってやつ?」
紅葉が手を口に当て、目をパチクリさせる。
「そうだと思います」
「この学校でもそういうのあるんだね。割りと落ち着いた学校だからそういうのは無いものだとばかり思ってた」
紅葉は殊の外ショックだったのか、伏し目がちになり、黙りこんでしまった。
確かに柏應は偏差値で見ればかなり上位の高校であり,一般的には進学校として認知されているだけあって,スクールウォーズに出てくるような不良の巣窟とは真逆の印象である。
しかし,働きアリの話ではないが,どんなに頭のいい学校であろうと,一定数のヤンキーは存在するのだ。
「なるほど。それは深刻な問題ね。相手は誰だかわかる?」
翡翠先輩は、心情を推し量るように、尾木くんの瞳をじっと見つめる。
「裏門にたむろしてる先輩達です……」
「あーそういえば裏門のところにいつもたむろしてる奴らいるよな。なんか髪の毛が赤い人」
「確かに見たことあるかも。赤い髪とか怖いよね。なんか凶悪な海賊みたいじゃん」
いや赤い髪って言ったらお前も人のこと言えないだろう。
それに大変失礼になことを言ってるからスライディング土下座で訂正しておくけど、赤い髪の海賊は確かに見た目は怖いかもしれないが、決して凶悪ではないぞ。むしろいい人の可能性すらあるぞ。そこだけは覚えておけよ。
「その先輩の名前はわかる?」
「リーダー格は『兵藤』って男です。確か3年生だったと思います」
「兵藤か……」
「翡翠先輩の知り合いですか?」
「いや直接面識はないわ。ただ、うちの学校では比較的有名なヤンキーだからね。名前くらいは当然知ってるよ」
「ちなみにいつ頃からかつあげされてるんだ?」
一応、僕は名目上,いや事実上も班長という役割を背負わされることが決定しているので,せっかくの機会だし,疑問に思ったことはストレートに質問しておこうと思う。
相談業務というのは、相談者からより正確な情報を聞き出すことが肝要であると僕は考えている。
もちろん詳細に聞き出すことも重要であるが、「詳細」であることが必然的に「正確」であることにはならないからだ。
ゆえに、いくら僕が紳士に、真摯に質問したとしても、彼が言っていることが全て嘘だったとしたらそれはとんだ茶番となるわけだ。
もちろん彼が嘘をつくと確信しているわけではないが、被害者というのはそれが意図的かは置いておいて、自分を擁護し、自分に有利な発言をしがちである。
そのため、質問をする側は、彼の発言を全て鵜呑みにするのではなく、真実を見極める取捨選択能力が必要なのである。
と,さも相談業務のスペシャリストみたいなことを言ってみる。
「最初にお金を取られたのは1ヶ月くらい前のことだったと思います。たまたま部活で帰りが遅くなったので、近道して帰ろうと裏門から出たところに声をかけられて。それからは頻繁に呼び出しを受けては脅されてという感じで」
「1ヶ月か……」
それを聞くと翡翠先輩は考え事をするように腕組みをし、視線を床に落とした。
そして、数秒の沈黙の後、何かに気付いたかのように、翡翠先輩がパッと顔をあげた。
「ちなみに呼び出しを受けるときはどのように呼び出されるの?」
「それは……いきなり校舎裏に来いとか屋上に来いとかそんな感じです」
彼は翡翠先輩の質問に一瞬口ごもったように見えた。
確かに尾木くんの挙動は常に何かに怯えているようであって,それに加えて,自分が脅されたときの話をしているのであるから,口ごもることは別に不自然ではない。
ただ,僕の気のせいかもしれないが、直感的に何か違和感を感じさせるような口ごもり方,正確には何かに躊躇したという方が正しいかもしれない。
しかし,僕がいままでに聞いた情報では,正直なところ,その違和感の正体が何なのかは皆目見当もつかなかった。
「なるほど。これぐらい聞けば十分かな。翔斗くんと紅葉ちゃんは何か追加で聞きたいことはある?」
僕と紅葉は揃って首を横に振る。
違和感の正体を確かめたい気持ちもあったが,何を質問すればあの違和感の正体に辿りづけるのかも僕自身がわかっていなかったし,それに,翡翠先輩があれだけ質問した後では僕らが質問するなどどうしてもおこがましい。
「うん。尾木くん、勇気を出して話してくれてありがとう。私たちは全力でこの問題に対応させていただきます。そのためにもちょっとだけ時間をもらえるかな? 少し考えたいことがあるんだ。でも,次にそいつらから呼び出しを受けた場合はすぐに私のところに連絡して」
「わかりました。今日は本当にありがとうございました」
僕はこのロー研の「法律相談」という活動内容について,少しだけ誤解していたのかもしれない。
僕は「法律相談」という言葉の意味から,相談者から様々な相談を受け,それが法律的にどう評価できるのかの解釈をアドバイスするもの,すなわち,直接的に相談者の役に立つのではなく,間接的に相談者の役に立つ活動なのだと思っていた。
しかし,今日の翡翠先輩の対応を見ていると,「法律の知識を活かして問題を解決する道を示してあげる」というよりは「法律の知識を活かして問題を解決する」という,「間接的」ではなく,「直接的」なものであるように感じた。
これはもしかしたら,法律相談が「間接的」なものだという僕の理解が間違っているのかもしれないし,僕の理解は間違っていないが翡翠先輩がおせっかいなだけなのかもしれない。
ただ,これだけは言える。
僕は相談を「直接的」に解決しようとしている翡翠先輩の行動には腑に落ちない点があるというか,ある種,賛同しかねるという点が決定的に見えてきたことである。
それでもなお,翡翠先輩のカリスマ性は素晴らしく,僕がいくら疑問に思おうとも,賛同できかねるとしても,疑問にすら思わせず,賛同させてしまうだけの力があった。
翡翠先輩を見ていると,このような些細な疑問はどうでもいいという気持ちさえ起きてしまう。
「あっ! 大事なこと忘れてた!」
翡翠先輩は何かを思い出したかのように珍しく大声をあげた。
「どうしました?」
尾木くんが遠慮がちに翡翠先輩に尋ねる。
「ううん。尾木くんに連絡先教えてないやと思って」
「確かに。どうすればいいですか?」
「じゃあ,私のLimeを教えておくね。IDで検索かけるからちょっと携帯電話借りてもいい?」
「もちろんです。どうぞ」
尾木くんはポケットから携帯電話をごそごそと取り出し、少し緊張した面持ちで翡翠先輩に手渡す。
彼は終始緊張した面持ちであったが、どういう訳かこの瞬間が今日見た中で一番緊張しているようにも見えた。
まあ法律相談とはいえ、こんな綺麗な先輩とLimeを交換できるのだからそりゃ緊張もするか。そういえば、僕も翡翠先輩とLimeって交換してないな。
こんなことをぼーっと考えて,一人で納得しかけていると翡翠先輩と目が合った。
「ん? 翔斗くんも私とLime交換したいの? すごい物欲しそうな顔してるよ」
翡翠先輩は尾木くんの携帯電話をいじりながらクスクス笑う。
「僕の携帯電話は目覚まし機能しか付いてないので、せっかくのお誘いですけど、遠慮しておきます」
「だから翔斗くんは朝いつも一人早い時間に登校してるんだね」
いや、朝一人で登校しているのは単に一緒に登校する友達がいないだけであって、別に一人で来たくて来ているわけじゃない。
それにしても,僕の渾身のぼっちアピールと、精一杯の強がりを、更なるぼっちエピソードで上塗りしてくるとは本当に翡翠先輩は容赦がない。
「ぼっちおつ」
いままで空気だった紅葉がボソッと悪口を言うのが聞こえた。
そうこうしているうちに翡翠先輩と尾木くんのLimeのID登録が終わったようである。
「はい。携帯ありがと。じゃあ本当に何かあったら連絡ちょうだいね」
「わかりました。親身に相談に乗ってくださりありがとうございます」
尾木くんは立ち上がって、深々と頭を下げると、
「それでは失礼します」
と今日で一番大きな声を出して図書準備室を後にした。
翡翠先輩は彼が立ち去ったのを確認すると「ふぅ」と大きなため息をついた。
このため息は法律相談の「相談編」が無事終了したことを表していたのだろう。
僕も紅葉も入っていた力が少し抜けたように空気がふっと軽くなった。
翡翠先輩はさっきまで座っていた席に座り,一度,机の上に突っ伏したと思ったら,すぐにまた顔を上げた。
「それじゃあ、作戦会議始めよっか」
翡翠先輩の目はやる気に満ち溢れていた。