§14 「初めてなんですけど大丈夫ですか?」
「もう! なんでわたしたちがこんな雑用させれらてるの。全部しょーとのせいだからね」
紅葉はプリプリとしながら、僕と一緒に机を運んでいる。
「僕は紅葉に雑用を手伝ってくれなんて言ってないよ。ただ、『この後時間あるか?』と聞いただけじゃないか」
「『この後時間あるか?』って聞かれたら『ある』って答えるに決まってるでしょ。バッカじゃないの。……せっかくしょーとから誘ってくれたと思ったのに……」
「紅葉、なんか言ったかー?」
「もう! なんでもない!!」
そう。いま現在、僕と紅葉は「部長業務」という名の雑用をさせられている状況なのだ。
部活が終わった後なので、図書準備室に残っているのは、僕と翡翠先輩と紅葉の3人だけだった。
最近では、なんだかんだ理由をつけられて、翡翠先輩の雑用を手伝わされている。
この翡翠先輩の理由付けというのが、あの手この手、手に品変えてと実に巧妙で、僕は正直なところ、翡翠先輩から逃げるのはとうの昔に諦めていた。
「紅葉ちゃんごめんね。私が翔斗くんに『この後時間ある?』って誘っちゃったの。本当は、ちょっとだけ部長業務に付き合ってもらう予定だったんだけど、翔斗くんが『時間という概念があるかという質問なのであれば当然あると思います』という気持ち悪い返答だったから、業務量を3倍にしておいた」
「もうほんとしょーとのバカー」
紅葉が悲鳴のような声を上げている一方で、翡翠先輩は無邪気に笑っている。
翡翠先輩に対するイメージも最近では少し変わっていた。
前は、完璧な人間で、決して冷たいというわけではないが、どこか冷めた面をどこかで感じていたのだが、最近は翡翠先輩の表情が見えるというか、翡翠先輩も人間なんだなと思うところが多くなった気がする。
それは、もちろん初対面の頃と比べれば、「お互いに慣れてきた」というところも大きいのかもしれないが、それとはまた別に翡翠先輩も少しは僕に心を開いてくれたのではないかなと思うようになっていた。
「でも翔斗くんも冗談を言うんだーってちょっとだけ安心したよ。完全に理屈っぽい堅物だと思ってたから」
「いや冗談なんか言ってないですよ。僕には時を守るという重大な使命が……」
「翡翠先輩、しょーとは時々真面目な顔して冗談言うんで気を付けた方がいいですよ」
「ふふ。翔斗くんの言ってることはほぼ冗談だと思ってきくようにするわ」
そんな他愛もない話をしていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
僕が扉の方に振り向くと、少し開いた扉の隙間からこちらの様子を窺うように見ている目と視線が合った。
「どうぞ」
「失礼します……」
翡翠先輩が声をかけると、少しだけ開いていたドアがガラリと開いて、一言で言い表すならば「気弱そう」という言葉がピッタリの少年が部屋の中に入ってきた。
念のため補足しておくと、僕が彼のことを「気弱そうな少年」と表現しているのには理由がある。
僕は、彼が柏應の制服を着ていることから、少なくとも僕と同い年、場合によっては先輩の可能性すらあるという点は当然理解していた。それでもなお、僕が「気弱そうな少年」と表現したのは、彼があまりにも萎縮しており、この世の全てに怯えているのではないかというオーラを出し、決して身長が低いわけでもないのだろうが、あまりにも小さく見えたからだ。
「何かご用ですか?」
翡翠先輩がいつになく優しい声を出す。
きっと翡翠先輩も僕と同じようなことを思ったのであろう。
だからこそ、最大限の笑顔と、最大限の猫なで声で、いまにも逃げそうな猫の警戒心を解こうとするかのような対応をしていた。
「実は、法律相談をさせていただきたいんですけど。初めてなんですけど大丈夫ですか?」
気弱そうな少年は、周りをキョロキョロ見回し、怯えるような素振りを見せながらも、勇気を振り絞ったのだろう、僕らにしっかりと伝わる声を出す。
「もちろんよ。じゃあ立ち話もなんだからこっちに座って」
「はい……」
彼は、翡翠先輩に促されながら一番手前の椅子に座り、その向かいに翡翠先輩が座る。
そんな様子を傍目で見ながら、僕と紅葉が書類を運んでいると、
「ほら。あなたたちもこっちきて座って。そんなことしてる場合じゃないでしょ」
「えっ? 僕たちですか?」
予想外のことに思わず聞き返してしまった。
「当たり前でしょ。あなたたちはもうロー研の部員なんだから、法律相談は何よりも優先よ。ほら早く」
翡翠先輩に急かされて僕と紅葉も彼の横に座った。
「それじゃあ相談内容を聞かせてもらえるかな? っとその前にまずは自己紹介かな。私
はロー研で部長している糸魚川翡翠です。こっちにいる堅そうなのが大久野島翔斗くんで、その隣の可愛い子が柏の葉紅葉ちゃんよ」
「よろしくお願いします。僕は1年の尾木太一です」
尾木と名乗る少年は申し訳なさそうに頭を下げる。
僕らもそれに合わせて会釈をする。
少し幼く見えるなとは思っていたが、やはり1年生。つまり、僕や紅葉と同じ学年の生徒だ。
「いろいろ話したくないところもあると思うけど、できるだけ詳しく話してもらえると助かるかな」
翡翠先輩は慣れた口調で率先して話しやすい雰囲気を作っている。
こういうところが本当にさすがだなと思ってしまう。
「はい……。でも1つ確認しておきたいことがあるのですけどいいですか?」
「もちろん。質問があったら何でも聞いて」
「僕がここで相談したことは、外部に漏れたりするのでしょうか」
尾木くんは不安そうな顔をする。
確かにそうか。法律相談の相談者からすれば、守秘義務というのは非常に気になるところだ。むしろ、それが学校生活に関わる問題であれば尚更センシティブになる部分である。
ロー研はこういう場合はどのように対応しているのだろうか。
「その点については安心してほしいかな。ロー研は班単位で活動しているので、法律相談の内容は原則として班員と部長である私にしか共有されないわ。今回であれば班長である大久野島くんと、紅葉ちゃんと私だけよ。そうよね? 大久野島くん?」
「えっ? 班長ってなんですか? いやいやさすがにいきなりは無理ですよ」
「もちろん私がサポートするから頑張ってみよ? ねっ?」
翡翠先輩にウインクされてしまうとどうしても断れない性分のようである。
決して翡翠先輩の可愛さに屈したわけではない。
ただ、さすがに僕がここでゴネていても相談者を不安にさせてしまうので、致し方なく了承することにした。
「わかりましたよ。できる限りやってみます」
「うん。その調子だよ大久野島くん。フォローは任せたからね紅葉ちゃん」
「はっ…はい。頑張ります」
紅葉が上ずった声をあげると、翡翠先輩は満足そうに僕と紅葉に笑いかける。
「さて、尾木くん。さっきの守秘義務について1点補足だけど、確かに私たちは限られた人員にしか情報は共有しないけど、問題の内容によってはどうしても誰かにその事実を伝えなきゃいけないタイミングがくるかもしれないから、その点だけは心のどこかに置いといてもらえるとありがたいな」
翡翠先輩は、いままでの猫を撫でてるときとはまた異なった優しい声で、はっきりと、ただ、少し厳しく尾木くんに向かって言った。
言うことは言っておかなければならないという翡翠先輩なりの厳しさというか優しさが少しだけ垣間見えた気がした。
「わかりました。そこは覚悟してきたつもりです」
「うんよろしい。それじゃあ相談内容をできるだけ詳しく話してもらえるかな」
「はい。実は……先輩から脅されていて。呼び出されてはお金を取られるんです」