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§9 「お前らいい加減にしろよ」

 僕と紅葉が図書準備室に入ると、今日は昨日とは打って変わって、僕らを除くロー研の全部員が図書準備室に集まっていた。


 合計12人。


 図書準備室の一番奥の一番端には白衣を着た女性が座っているが、あの人はおそらく顧問の先生だろう。

 熱心な部活の顧問というよりは、とりあえず顧問として名前を貸しているという感じの先生だ。

 僕と紅葉が教室に入ってきたことにも関心がないのだろう。身体こそこちらを向けて座っているが、視線は窓の外に向けられている。


 いまここにいるのがロー研の全部員であると現段階で知ってるのは新入部員の中では僕しかいないだろう。


 僕は今日の昼に翡翠先輩からロー研には翡翠先輩以外の先輩がいないことを聞いている。


 いまこの図書準備室には、顧問の先生と翡翠先輩、それに今年僕と同じように入部した11人の生徒がそろっている。


 これでロー研の部員は全てなのだ。


「はーい。全員揃ったわね。じゃあみんな座って」


 翡翠先輩が一番奥の席から立ち上がり、自分が部長ですとアピールするように、こちらに向かって号令をかける。


 僕と紅葉は一番手前の空いていた椅子に座った。


「昨日も自己紹介はしたと思うけど、改めましてロー研にようこそ。私は、このロー研の部長をしております2年生の糸魚川翡翠です。そして、こちらにいらっしゃるのが、ロー研の顧問をしていただいている糺ノ森京華ただすのもりきょうか先生になります」


 先生は、視線こそこちらに向けたものの、椅子に座ったまま無愛想に軽い会釈をするだけだ。


「さて、これから私からロー研の活動内容についてお話があります。ちょっと長くなりますが、質問は随時受け付けます」


 翡翠先輩が自分に視線を戻すことを促すように少し大きな声で出す。


「この前の説明会で簡単に説明しましたが、ロー研とは司法試験研究部のことで、このロー研からは多くの弁護士を輩出しており、世間では一応名門として名前が通っています。そしてロー研の活動内容は、『司法試験の勉強』と『法律相談』の大きく分けて2つです」


 翡翠先輩の話を聞いていると、この人は本当にすごい人なんだろうなという気持ちになってきてしまう。


 内容が理路整然としており、話し方も人を惹き付ける魅力がある。

 こういう人のことをリーダーシップがあるというのだろう。


「1つ目の『司法試験の勉強』とは、文字通りの勉強で、先生による講義、司法試験の問題演習、法律のディスカッションなどを行います。そして、2つ目の『法律相談』とは、学生や一般の方から法律に関する相談を受け、その相談内容を解決に導くというボランティア活動の一種です。『法律相談』は、法律の知識を実際の事例に当てはめて、適用してみることにより、法律による実務能力の向上を図ることを目的としています」


 翡翠先輩は、ここまで言い終わると「ふぅ」と一息置く。


「そして、ここからが本題なのですが、さっき私は『全員揃ったわね』と言いましたが、ロー研の部員はいまここにいる12人で全てです。すなわち、2年生の私と、1年生のみなさんのみになります。私以外の3年生、2年生は在籍していません」


 一瞬、教室内がざわっとした気がした。

 翡翠先輩もこの教室の空気の変化を敏感に感じとったようであった。


 翡翠先輩が今度はさっきよりも大きく「ふぅぅ」とため息をつくように息をつくと、こう続けた。


「そして、ロー研の活動内容の『法律相談』こそが、私以外の3年生、2年生がこのロー研に在籍していない理由です」


 翡翠先輩は少し視線を落とす。


「どういうことでしょうか」


 僕の右隣に座っていた女の子が恐る恐る尋ねる。


「実はこの『法律相談』は去年私が提案して導入した活動内容です。最初はうまくいっていました。たくさんの人からの相談を受け、たくさんの方に喜んでいただきました。ただ、あるときをきっかけに、法律相談に対する考え方の違いから人間関係のいざこざが生まれ、最終的にはロー研は空中分解する結果となってしまいました」


 翡翠先輩は伏し目がちだった視線を僕らの方に向ける。


 僕を含めて他の人たちも驚きと戸惑いの感情に包まれているのだろう。

 誰も言葉を発しなかったし、発することからむしろ逃げているかのように見えた。

 それでも、なお、翡翠先輩は続ける。


「私はね、座学の勉強だけじゃ得られないものをみんなと共有したかった。人の役に立つことをしたかった。高校生らしくみんなで力を合わせて部活動をやってみたかった。みんなから見たら私の行動はただのわがままにしか見えないっていうことは十分分かっているつもりだけど……」


 翡翠先輩が一瞬口ごもる。


「……あのとき私が法律相談を提案したことを、私は後悔していません」


 そう言い終わると翡翠先輩は目を閉じた。

 まるで批判でも罵倒でもいくらでも受けるという強い覚悟を感じる佇まいだった。


 ただ、この雰囲気で翡翠先輩に即座に批判や罵倒ができるほどの人物はここには居合わせなかったようだ。

 時間としては短いが、すごく長い沈黙が流れる。


 この雰囲気に僕は覚えがある。


 中学校の文化祭の実行委員を決めるときに、誰も実行委員をやりたがらず、誰かが立候補するまで帰れないという状況になったときだ。


 誰か立候補してくれないだろうか、でも自分は立候補したくない。

 あの状況になったということはきっとみんなも僕と同じ考えだったのだろう。


 あの息苦しいような沈黙。誰かこの状況を打開してくれないかと思う他人任せの感情。

 誰でもいいから口を開いてくれと思っていた矢先に、


「先輩……」


 僕の3つ右隣、翡翠先輩と僕のちょうど中間くらいに座っていた少し大柄な男が深い深い沈黙を破った。


「俺は法律の勉強をしたくてこのロー研に入ったんだよ。それなのに先輩はみんな辞めたあとだなんて……。これは先輩のせいなのか?」


 男は重低音の声を教室中に響かせる。

 声こそ荒げていないが、確実に怒りの感情をまとっているのは分かる。


「『法律相談』を提案したのが私である以上、責任の一端は私にあると思っています」

「いざこざってなんだよ。何が起きたら全員辞めることになるんだよ」

「それは……」

「本当は全部あんたが悪かったんじゃないのか」

「……」


 翡翠先輩からは僕をからかってるときのようないつもの余裕は消えていた。


「意見が合わなかったならあんただけ辞めればよかったじゃねーかよ!!」


 男はさっきの重低音とは打って変わって怒号のような声を上げる。


「それは……!?」


 翡翠先輩が何か言葉を発するよりも先に僕の身体は反応してしまっていた。


「大久野島くん!! やめて!!」


 翡翠先輩が叫ぶのが聞こえる。

 しかし、僕の身体はもう止まらなかった。


 あろうことか僕はその男に掴みかかっていたのだ。


「そんなに文句があるならこの部活に入るな!!!!」


 よく交通事故の瞬間などは全てがスローモーションに見えると言うが、正にその感覚に近いものだろう。

 まるで自分の行動を頭上から俯瞰しているかのように、僕が叫びながら男の胸ぐらを掴むシーンが見えた気がした。


 ただ、それは本当に一瞬の出来事だったのだろう。

 時間が止まったような感覚に包まれたと同時に、僕は何人かの生徒に押さえ込まれた。


 かなり強い力に押しつぶされ、床にかなりの強さで打ち付けられた。


 なおも僕はその男を睨み付けるが、数人に押さえ込まれてはもう為す術はない。


 僕は降参の合図として、両手を上に挙げてみる。


 床がひんやりと冷たく感じた。




 ああ、やってしまった。この行動は完全に僕が悪い……。


 だが、あいつの言うことには正直納得ができない。確かに「法律相談」を提案したのは翡翠先輩だったかもしれないが、その提案に同意したのだから他の部員だって連帯責任のはずだ。それに、ロー研が空中分解してしまった理由は「法律相談」自体が原因ではなく、法律相談によって生じた「いざこざ」である。いや、むしろ「あるとき」の何かしらの事件がきっかけかもしれない。決して翡翠先輩が悪いわけではない。ただ、手を出したのは得策じゃなかった。これでは猿と同じではないか。


 それでいて、僕はこんな床に羽交い締めにされて……。本当にカッコワルイ……。


 僕はなぜあの時あいつに掴みかかってしまったのだろう……。


「おい。お前らいい加減にしろよ」


 今度は女性のドスの聞いた声がした。


 僕は押さえ込まれながらも顔を上げると、さっきまで空気だったはずの先生が僕の前に立っていた。


「お前ら本当にいい加減にしろ」


 先生が僕のことを睨み付けながらもう一度繰り返す。「お前ら」と言ってるが、その対象は9割方は僕を指している言葉だと目を見れば分かった。


「……すいません。」


 僕は土下座みたいな体勢になりながら謝る。


 僕を押さえ込んでいた生徒も、僕の完全降伏と先生のあまりにも気迫のある凄みを見て、僕の拘束をあっさりと解いてくれた。


「ふん」


 先生は軽く鼻を鳴らすと、今度は翡翠先輩に歩み寄り、翡翠先輩の肩に手をポンと置いた。


「お前ら、本当に暴力沙汰だけは勘弁してくれよ。私の教師人生を終わらせる気か」


 先生は今までいるかいないかが分からなかったのが嘘のように、力強い口調で僕らに向かって言う。


「お前らにも糸魚川の気持ちは十分に伝わったはずだ。だが、気持ちが伝わったとしてもそれに共感できるかは人それぞれだ。人には十人十色の考え方がある。もし、この部の方針についていけないということであれば、この部に入らなければいい。それもお前らの自由意思だ。止めたりはしない。また、もし、この部の方針に納得がいかないのであれば、入部した上で、暴力以外の方法、すなわち話し合いによって、方向性をみんなで決めていけばいい。日本は民主主義なのだからな」


 先生は僕らを一人一人見渡す。


「今日の糸魚川の話を聞き、この部の活動に賛同できる者は、来週の月曜日の放課後にこの部屋に来てくれ。今期最初のロー研の活動とする。今日はまだ火曜日だ。考える時間はいっぱいある。思う存分、思いを巡らせ、思考を凝らし、自分で結論を出してみろ。以上。本日は解散とする」


 先生はここまでしゃべると、椅子にドカッと腰を下ろした。


 僕らが先生のあまりの勢いに固まっていると、


「ほら。早く散れ」


 先生は手をパンパン叩いて、僕らを教室から追い立てる。

 皆は追い出されるように鞄を持ち、蜘蛛の子を散らすように一目散に扉へとダッシュする。

 当然、僕や紅葉も例外なく、容赦なく追い出される。


 部屋を出るときに、一瞬振り返ると、窓の外を見ている翡翠先輩の姿が見えた。


 その翡翠先輩は泣いているように見えた……。




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