にせヒーローは網タイツを履かない
「トゥーッ!!!!!」
男は跳躍した。古アパートの二階。廊下から。手摺りを飛び越え、クリーニング屋の屋根の上を疾走する。
「ハイヤーッ!!!!!」
そして幅4mの商店街を一気に飛び越え、反対側の肉屋のトタン屋根に着地する。
破壊音が響き、トタン板がひしゃげる。
バランスを崩した男は、商店街のタイル貼りの地面にそのまま後ろ向きに転げ落ちる。
「私はッ!正義のヒーロー!!変身網タイツマン!!」
「出ました!噂の変態です!ピンクの全身タイツに女性物の網タイツを重ねて着ています!目撃証言の通りです!」
女性レポーターが叫ぶ…しかし彼女は男に近づき過ぎていた。
「マイクを借りるぞッ!私は正義のヒーロー変身網タイツマン!」
「きゃっ、か、返して!」
「私はここだ!いつでも来い怪人ども!」
男はマイクに向かって叫ぶが、それは単なる外ロケ用のダミーマイクだった。
「本物のマイクはそこかッ!さあそれを貸すんだ!」
「キャアアアアアアアアアア!!!」
いきなり変態に抱き寄せられ、女性レポーターは今度は本気の叫び声を上げた。
男は構わず、レポーターの胸元のピンマイクに向かって叫ぶ。
「私はッ!ここだーッ!!!怪人共!!!」
男はレポーターから手を離す。
「待てェェェッ!」
商店街から、八百屋の吉田が、雑貨屋の錦戸が、本屋の冬木が、防犯用のアルミの刺股を手に駆けつけて来る。
「出やがったなこの変態!」
「皆さん!!皆さん下がって!!危ないから!」
下校中の学生が、買い物中の主婦が、暇つぶしの老人が、道を空け商店主達を通す。
「悪の手先ショウテンソルジャーめ!正義の裁きを受けてみよ!」
男はファイティングポーズをとる。そしてまず突進して来た吉田の刺股をヒラリと交わし、
「そいやァ!」「ぐわぁっ!」
みぞおちに一撃加える。吉田は転倒し、腹を抱えてうずくまる。
ランドセルを背負い、黄色い帽子を被った子供が叫ぶ。
「がんばれー!ショウテンソルジャー!」
「なんだと!正義はこちらだぞ坊や!」
男は逃げようとした小学生を捕まえると、網タイツに挟んであったマジックを取り出す。
「さあ、サインをしてあげよう」
「はなして!はなして!」
小学生が泣き叫ぶ。
「子供を放せ!この変態が!」
ようやく錦戸が駆けつけて来て、刺股を突き出す。
男は小学生を離すと、二度、三度と繰り出される刺股を回転して避ける。
「変態ではないっ!私は正義の味方!」
男は叫び、錦戸が繰り出す刺股を掴んで振り払った。
「ぎゃっ…!」
電柱に叩きつけられ、錦戸は昏倒する。
「私達の商店街から出て行きなさい!」
冬木は刺股を構え、叫びながら突進する。
男はそれをヒラリと交わし、背中に手刀を落とす。
「キャッ!!」
冬木はそのまま、閉ざされたシャッターにぶつかり、崩れ落ちる。
「警察だ!道を空けて!」
商店街の向こうから、スピーカーで叫ぶ声がする。
「出たな、悪の怪人警察仮面!!今日こそ決着をつけてやる!!さあ来いッ!!」
言葉とは裏腹に、男は振り向き、警官が来る方の反対方向に走り出す。
「私は正義のヒーロー変身網タイツマン!逃げも隠れもしないッ!!
「大丈夫ですか!お怪我は!?」
ようやく駆けつけた警察官が、倒れていた冬木に駆け寄る。
「だ、大丈夫…転んだだけです…」
冬木は心の中でつぶやく。
(一平さん…)
吉田も、錦戸も。周囲の人に助け起こされ、よろよろと立ち上がる。
(一平さん…すまない…)(一平…許してくれ…)
警察官は無線に向かって叫ぶ。
「はい、また出ました、ヘンタイマンとかいう…いや、ヘンシンアミタイツマンだそうです、商店街出口から南に向かって逃走しました」
商店街はまださわめいていた。買い物客も居るが、ほとんどは野次馬だ。
とはいえ時刻は午後五時。せっかく来たのだから何か買って行こうか。
「コロッケ、ただいま揚げたてですよー!」
「今日はカツオが安いよ!お刺身いかが!旦那さんのおつまみにもいいし、DHAも摂れてお子さんの頭も良くなるよ!」
「クロワッサン焼きたてでーす!いかがですかー!」
いまや8割の店が無くなり、シャッター街と化してしまった商店街。
けれども、最近はテレビが来る事もあるせいか、人通りだけはかなり増えた。
男は路地裏のゴミ袋の間でうずくまっていた。
「痛い……いてぇよォ…」
今日は肉屋の屋根から落ちた時に、肩を強打していた。最近では最初からスマホを構えている野次馬も多く、手抜きは出来ない。
ピンクの全身タイツの目元から、液体が滲みだす。
怪我をしてもまともに病院にも行けないのだ。そこから足がついて警察仮面に捕まるかもしれない。
「いてぇよぉ…いてぇ…」
そんな事になったら、誰が代わりにこの『消費の変化』という巨悪と戦ってくれるというのか。
「行かなきゃ……痛ェ…ううっ…」
男はつぶやき、立ち上がって、路地裏のさらに奥へと消えて行く。