医者「二人目の子は無理です」夫「情けない」妻「ヒエッ」
三作目です。
短い話になります。
情けない。
そう言われた瞬間、洋子の中にある、あらゆる熱のいくつかが体中から一気に抜け出していった。
それは車中での出来事だった。
運転していた勝英は言ってから、やれしまったと思ったが、言い訳の一つもしなかった。
夫の勝英がその言葉を細君の洋子にぶつけたのは、洋子が妊娠中毒症で子を産めぬ体であると診断された病院から自宅へ帰る最中であった。
勝英は二人目の子が欲しかった。
だから、産めぬのなら女として情けないと言ったのだった。
一人は産んだ。
難産であった。
二人が結婚したのは昭和の終わり頃の事であった。
洋子の母、タエの持ってきたいくつかの見合い話の内の一つで、
一つ目は、中々良い具合にいったが、男が駆け落ちしていなくなった。
二つ目は、どうもキザで歯の浮く男であった。
ようやく三つ目の勝英の話が来ても、洋子はこの人だと決めれずにいたので、タエが痺れをきらし、
「なら尼になれ」
と怒気を含んで言った。
これにはタエの長男、洋子の兄を結婚させ、家に入れるようにしたくて、私を追い出したのだと洋子は後に確信した。
かくして、半分は嫌々ながら半分はしかたなしと洋子は結婚する決意に至った。
夫となる勝英は口にしなかったが、己にとって洋子程の女を嫁にもらうのはもったいないと思った。
洋子は目鼻立ちが整っていて、さばさばした気持ちの良い気性を持っていた。
頭から伸びる髪は波打って肩の下まで伸び、服も洒落ていた。
中学を卒業すると美容学校に通って、若いうちから住み込みで働いていた。
一方、勝英は田舎の高校を出てすぐ東京へ働きに出て来ていた。
丸顔で、少々ずんぐりしていて、服は平生からジーンズのズボンとワイシャツという組み合わせを好んで着ていた。
任侠映画が好きで、よく近所のビデオ屋から借りてきていた。
博打が嫌いで、やっても年に一度宝くじを十何枚か買うくらいだった。
それから約十年、彼が三十、彼女が二十九の時結婚したのは尼となれ、とタエに言われてから数ヶ月後の事だった。
それを機に独身寮から六畳二間の社宅へ移った。
勝英が、ここに住むんだぞと言って送った手紙には、社宅の移った写真を入れた。
洋子の目にはその社宅が綺麗に見えて、
「こんなところに住めるんだねぇ」
と言って喜んだ。
しかし実際に見ると普通の社宅であった。
写真を撮った日の光線や角度やらにたまたま良い作用が働いただけの事だった。
ある日曜、二人は釣りに出かけた。
車は白のゼットというスポーツカーだった。
海岸沿いの埠頭より手前に海釣り公園があるからそこで車を停めた。
釣り場の他にレストランや土産物屋、出店も二三出ていて、少し離れた所に柵付きの池があった。
池の周りにはベンチもいくつかあってそこで休憩も出来るようになっている。
朝飯は二人共家で済ませてきていたから、まっすぐ釣り場へ向かった。
糸を垂らして数分もせぬ間に、勝英の浮きがぐい、と沈んで、竿を立てるように上げるとお化けのようなボラが付いていた。
周りの釣り人やその家族連れの中で勝英だけが釣れて、その無邪気な喜びように洋子は恥ずかしくなって、いい大人がはしゃいで、と冷めた気持ちになった。
また、昼過ぎの帰りがけに四百円のイカ焼きを、買っておくれよ、とねだった洋子を良く思わなかった勝英はイカ焼きを買ってやらずにそのまま帰り支度を始めた。
洋子にとってこのデートとは残念なものになった。
自分で買って食っても良かったが、そうねだったのはちょっとした茶目っ気からだった。
たかが四百円。
彼にはされど四百円だった。
このころの日本は景気が良かったし、彼の給料もよかった。
酒には金を使うから単にケチという訳でもなかった。
彼には後先考えずに、ぽっと思った事を口にしてしまうところがあった。
だから、出店にイカ焼き四百円の札を見た時に彼の素直さが、何の思いやりや相手を思う気遣いのろ過装置を経由する事なく、するりと流れ出た。
洋子が、初めて子をお腹に宿した時、彼は喜びに喜んだが、ある日著しく洋子の調子が悪いとき、
「病院に乗せて行っておくれよ」
と頼まれたその帰り、どうも愚痴っぽくなった洋子を嫌になって、
「そんなに言うならここで下りろ」
と言った。
自宅まではまだ距離があった。
気が短くて、気遣いが出来なくて、余計な事をしゃべる。
これが彼の気性であった。
それからしばらくして、洋子のお腹が大きくなって、そろそろ、病院に行かなくてはならぬ頃だった。
出産予定日まではまだあるから、とその日の買い物をしに近所のスーパーへ行った時の事、
「ぼく、うまれるよ」
食器洗剤などの台所用用品が並んでいる什器棚に半身隠して男の子が洋子の目の前に現れた。
その子は洋子の知り合いの誰の子でもなかった。
だからと言って自分の子でもないと思った。
勝英のように丸顔ではなく、どちらかと言えば面長であったし、自分は初産すら終えてはいないのだから、その子が自分の子でなくて当たり前の事だったが、不思議と――私の子ではないと洋子は自身を否定した。
カートを押して、ラップをかごに入れる間にその子はいなくなっていた。
おかしな子だ。
洋子はそう思った。
買い物の帰り道またふと、思い返してみても、どこの子だかわからないが、ふざけてからかったのだろうとしか思わなかった。
おとなしそうな顔してよくやると心の中で失笑した。
予定日の十日前となると、ついに洋子に陣痛が始まった。
月曜の昼下がりであった。
茶の間のテーブルに置手紙をして、すぐタクシーを呼んだ。
勝英の会社に電話を入れる余裕はなかった。
陣痛の痛みに耐えながら、どっと、どっと、と胸の鼓動が高まった。
眉毛も書かずに、部屋を出て戸締りをすると、通路を歩き出した。
そのコンクリートの通路が延々と続くのではないかと錯覚した。
ゆっくり、ゆっくり歩いてエレベーターで一階に下りた。
病院の正面玄関に下ろしてもらって、受付へ行くと、すぐ診てもらえると洋子は思ったが、普段通り産婦人科へ通された。
順番待ちなんてしてられないから、
「陣痛、始まっているんです」
と切羽詰って鋭く言った。
すると、受付の女の看護士は、
「そう、言われてもね。おたく、医師かなにか」
と言った。
洋子はぶんぶんかぶりを振って答えると、
「困るんだよなぁ、素人が、さ」
とつっぱねた。
洋子の眼前に死がちらついた。
ただ、平謝りをして、順番待ちのソファの前を横切って、診察室の前で、
「すいません。陣痛が始まっているんです」
と繰り返した。
周りの患者は、見てみぬふりをした。
この時、洋子は真っ直ぐ立っていられなかった。
もう限界だと、四つんばいで這いつくばっていると診察室のカーテンをしゃっ、開いて顔を覗かせたのは、よく胸を揉む男の医者だった。
洋子はもうそんな些細な事どうでも良くなっていた。
それから、慌しく運ばれ廊下の天井が流れていくのを眺めていると、正にまな板の上の鯉とはこの事だと思うと気を失った。
洋子はそこが病室か、分娩室か。
また、夢なのか、そうでないのか。
判然としていなかった。
自分はふわりと浮いて気持ちがよかった。
下をみると、寝ている自分の脇にタエと兄が立っていた。
洋子は漫然と、ああ戻らなくてはと、どうにか下に下りるべく、体勢を変えてみた。
そこで、自分の母と兄を中心として周りをぐるぐると回って円を描き始めた。
回転しながら手を伸ばしては掴もう掴もうと繰り返した。
勝英の姿は見えなかった。
やがて、視界が悪くなり、真っ暗闇のただ中を歩き続けた。
遠くに光が見えるものだから、そこまで歩いた。
後に彼女はこれが臨死体験だと知った。
目覚めると気を失って三日経っていた。
洋子は枕元のナースコールを押した。
帝王切開で切り開いた傷跡は醜く残り続けた。
生まれた子は男の子だった。
名を良介と名付けた。
勝英はよく良介の耳を引っ張ってからかった。
彼がそうしたのは良介の左耳の外側がぺこん、と出っ張りがあったからだった。
爪で押しつぶすようにして引っ張るから良介はよく泣いた。
ある日、洋子が見つけて怒鳴りつけた。
さすがの勝英も悪いと思って謝った。
「もうしねぇ」
洋子の兄も結婚して実家を出た。
良介が生まれた翌年、長女を彼の細君が産んだ。
良介が小学校に上がる頃、
「早くこの黄色いカバーを取りたい」
彼が言うのはランドセルに被せてある黄色い安全カバーであった。
そんな物ずっと付けていていいのにと洋子は思ったが、
「だって一年生だけじゃないか。こんなはずかしい物を付けてるのは」
と言って、カバーの余白を邪魔そうにぺらぺらとめくったり戻したりを繰り返していた。
このカバーを付けている事が恥ずかしいと思えるとはちょっとませているのではなかろうかと洋子は思った。
「やっぱり、ぼくは――」
洋子は何気なしに半身を隠した男の子を思い出して、それが良介に重なった。
生まれる前に会っている。
似ても似つかないのに、そう思えたのは母の勘と言えた。
その子の一人称は、同じく、ぼく、であった。
おつかれさまでした。
ご意見ご感想お気軽に。
主人公の魔導師ゴダイがのらくらする話。
魔道士ゴダイのああ、よもやま! ~魔法チートは持っていますが、若い娘は苦手です!その、俺、不器用なもので~
https://ncode.syosetu.com/n0631fd/
私が小さな頃体験した『腕が外れる』事件から、
大人になっていった少女の話。
見知らぬガキにひっぱられたら腕が外れた件
https://ncode.syosetu.com/n0629fd/
こちらもよろしくお願いします。