5
大地を見下ろす奇岩の頂上、中空へ浮かぶかの様にその"家"は建っていた。
遠くから見た赤い屋根に煉瓦造りの外壁。間近で見た其等は色褪せている。
だがそこに見窄らしさなど無い。
却って、この建物にある種の存在感を与えていた。
門扉を通り石段を昇り玄関へ辿り着くと、メリアが扉を開いた。
「いらっしゃい」
招かれた扉の内は音の無い、長く伸びた通路。
その空間は等間隔に置かれた、腰高の窓から指す夕影によく映える。
暖かさを帯びている筈が何故か、何処か犯し難い。
だがこれも見慣れた光景なのだろう。躊躇わず踏み入るメリアに黙って続く。
通路には灯りの燈っていない壁掛けの燭台があるだけで存外、飾り気がない。
「ここは三階でこの家の入口なの。おかしな家でしょ?」
「あー、なかなか個性的だな」
「物は言いようね。……きっと貴方が思っているよりずっと個性的よ」
「そいつは楽しみだ」
通路を行くとその先は下へと降りる階段。
その階段を降りた先は壁画に挟まれた扉と、更に下へと続く階段のある階層だった。
扉の左右には大樹を描いた壁画が其れ其れ四点ずつ。
計八本の大樹はどれも皆違う種類が描かれている。
「二階は見ての通りこれだけよ」
「その扉は? 」
「開かないわ。だからその奥がどうなってるかもわからないの」
メリアは、態とらしく肩を竦めた。
「それは残念だ。ところでこの絵はメリアが描いたのか? 」
彼女は一瞬、眼を丸くしてからくすくすと笑った。
「私じゃないわ、残念だけど」
そう言いながら彼女は一枚の壁画に近づく。
「この絵のテーマは何だと思う? 」
「テーマ? 」
「そう、テーマ。モチーフは見ての通りだけど、この作品に込められたものは何かしら? 」
改めて壁画を眺める。八本の大樹は大きさこそ変わらないが色や形状は根から幹、枝葉までも個個に特徴を持っている。
絵には明るくないがモチーフが木の時点で、これしかないだろうというものが一つある。
「樹木崇拝か? 」
「じゃあ八本描かれている理由は? 」
この程度の答えは予想されていたようだ。もう一歩深く考えないといけない。
だがこの質問は、それ自体がヒントと見做していいだろう。そして樹木崇拝と密接な関係にあるものといえば――
「九つの世界か? 数は合わないが」
そう尋ねると満足したのか、メリアは一つ頷いた。
「ええ、私もそう思うわ。世界を大樹として表現した絵なんじゃないかな」
「聖像か……だが後二本、いや最低でも一本足りないな」
奇岩の頂上の建物にある開かない扉と両側の壁画。もしこの壁画が想像通り聖像だとするなら、この扉の奥はきっと――。
「……止めだ。考えたところで開かないのなら意味が無い」
「本当に開かないか試してみようとは思わない? 」
「試したところで開けられないと思っているのだろう? 経験上、こういう時は大抵開かない。それに」
「それに?」
「ここはそっとしておいた方が良さそうだ」
一瞬、メリアの眼が大きく見開く。
「……そうね」
一言だけ答えるとメリアは此方に背を向けゆっくりと一歩、二歩と進んでから振り返った。
「もうここの説明はおしまい。次に行きましょう」
返事をする前に再び背を向け歩き出したので、黙ってその後を追い一階へと降りる。
どうやら一階は居住階の様だ。この階には食堂と幾つかの個室がある。
そのうちの一室の前に着くと彼女が立ち止まった。
「ここに貴方の荷物を置いてあるわ」
そう言って彼女が扉を開ける。
部屋の中は華美な装飾等は無く質素で、それでいて生活感の無い空間だった。
一台のベッドに一枚の窓と窓際の机。
そして持ち主より一足先に招かれていたポーチと曲刀が机の上に置かれていた。
「この部屋を好きに使っていいから、荷物の確認でもしながら休んでてくれる? 私も自分の部屋で少し休んだら夕食の用意をするわ」
「何か手伝う事はあるか? 」
「お客様に手伝わせる訳にはいかないわ。何より貴方、行き倒れだったのよ? 一応」
「すまないな。ではお言葉に甘えて休ませてもらうとしよう」
「それじゃあまた後でね」
そう言うと彼女は自室へと向かった。
図らずも一人になれた。荷物を確認した後、この場所を探索しようかという考えが浮かぶ。
だが彼女とはまだ話す事がある。
もし家探しした事がばれたら、一応友好的と思えるこの関係が壊れかねない。
況してや、目的が分らないとはいえ一度は助けられた。この状況で不義理を働くのは好ましくない。
それに折角夕食を用意してくれるというのだ、彼女の言う事に素直に従うとしよう。
宛がわれた部屋へ入り扉を閉めると、一直線に机へと向かった。
だが最初に確認するものは荷物ではない――外の景色だ。
窓の外へ眼を遣るとそこには、予想外にも庭園が広がっていた。
雑草や低木は我が物顔で長く伸び、放置された花壇は苔生し荒れ果てていた……という事はない。寧ろその逆だ。
この家の三階へと通じる奇岩の頂上は狭かったが、一階の建つ場所は広い。
滑車が設置されている。恐らく下界との荷物の運搬に使用するのだろう。
今居る建物の他に別棟が見える。あそこに何が在るのかは、夕食時にでも尋ねてみるとしよう。
気が済んだので大人しく荷物の確認をする。
ポーチに曲刀と順に確認したが特に問題は無かった。
但し、ポーチの中の焼き菓子が砕け散り、入り込んだ砂と混ざりあった事を除けばだが。
残念な事にターバンと外套、革袋は見当たらなかった。
倒れた後、飛ばされでもしたのだろうか?
革袋はそもそも、落としたタイミグが砂嵐に飲まれる前だから在るわけがないが……。
あれにはまだ酒精強化葡萄酒が残っていたはずだ。
正直、一番ここに在ってほしい物だった。
惜しい事をしたと未練がましく思うが当然、仕方ない事も理解している。
年相応には諦める事を覚えてきたつもりだ。
などと馬鹿げた事を考えつつ、荷物の確認を終える。
もうやる事は無くなった。病み上がりらしくベッドで休む事にしよう。
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