第三話
8
少女は撃鉄をおこすとトリガーを絞った。その雄姿は艶やかでありながら殺戮者のオーラをにじませている
『……マジ……この娘……コワイ』
宏がそう思った瞬間である、爆音とともに耳をふさぎたくなるような声、否、悲鳴が飛んだ。
≪イタイ、痛い、いたひっー………≫
その声は異形者から放たれていた。腕と思われる部位が吹き飛び、赤黒い体液が飛び散っていた。
少女はニヤリと嗤うと異形者に近づいた。
『どうした、つらいか?』
少女はそう言うと再び引き金を引いた。再び爆音が響くと異形者の足と思しき部位が吹き飛んだ。
『人の苦しみが蜜だと言ったな――私の蜜はお前の苦しみだ。』
少女の顔は悦びに彩られている。
『人の良心を喰らい、心を犯す。お前たち夢魔は許されざる存在だ。』
少女はそう言うと再び引き金を引いた。
≪やめろ、痛い、痛い……≫
少女は苦しむ夢魔を見てほくそ笑んだ。
『お嬢、そろそろ……』
どこからともなく嗄声が上がると少女は再びショットシェルを弾倉に送り込んだ。
『まだよ!!』
少女はそう言うと引き金を引いた。再び爆音が辺りに響くと、夢魔と呼ばれた異形者の頭部が吹き飛んだ。少女はそれを見て白い歯を見せた。
『踊れ!!』
少女は弾倉から空の薬莢を落とすと次のショットシェルを装填した。流れる動きは優雅でありながら残酷であった。
『もっとだ!!!』
だが異形者に弾丸を撃ち込む少女の姿は明らかに普通でなかった。
『この娘……おかしい……逝っちゃってる……』
自分を救った少女の中に宏は狂気を見ていた。
『…ヤバイ……』
宏がそう思った時である、大きな声が上がった。
『もういい、お嬢!!!』
その声を聞いた少女は形容しがたい表情を見せた。充血した三白眼の瞳、ワナワナト震える唇、透明感のある肌に浮き出た血管……夜叉と思えるその顔には殺意と怨嗟が浮かんでいる。
『もうこいつは死んでる、おさめるんだ!!』
声だけの存在は強くそう言って少女をいさめた。
少女は歯がゆそうにして虚空を睨むと夢魔の遺体にツバを吐いた。そして……ショットガンを腰の後ろにある革製ホルスターに戻した。
宏はその一連のやり取りを見ていたが異形者をショットガンで微塵にする彼女の姿に恐怖を感じた。
*
少女は異形者の遺体(ほぼ形状を留めていない)に近寄った。
『お嬢、こいつは本体じゃない、枝だ』
どこからともなく声が上がると少女が答えた。
『わかってる……根がない……』
少女は誰かと話しているようだが、明らかに周りに人はいない。
宏はその奇妙な会話に首をかしげた。
『どうした、アンちゃん?』
宏に声をかけてきたのは少女と話していた存在である。宏は声をかけられると思っていなかったので度肝を抜かれた。
『ビビったか、まあ、無理もネェな……』
妙にしゃがれた声でソレが言うと少女がそれにかまわず宏に近づいた。
『あの……ありがとう…ございました…』
少女は宏を一瞥した。
『礼はいらない、お前が呼んだんだからな』
『えっ……?』
宏がきょとんとした表情を見せるとしゃがれた声の持ち主が声を上げた。
『生きたいと願うお前の強い気持ちが俺たちを導いたんだ』
宏は意味が分からず首をかしげた。
『気にするな……それでいいんだよ』
しゃがれた声の持ち主がそう言うと少女が宏を見た。可憐でありながら狂気の宿る少女の姿は形容しがたい雰囲気が宿っている。
『お前は、夢魔につかれる人間ではない……だが、夢魔はお前についていた……なぜだ?』
少女の口調はいたって普通であったが嘘を許さぬ圧力があった。
宏はそれを聞いて大きく息を吸い込むと、恐る恐る妹の書いた絵のことを話した。
*
『なるほど、どうやら、お前はアテラレタようだな』
しゃがれた声の持ち主がそう言うと少女が答えた。
『根はお前の妹のほうか……』
少女はそう言うと宏を見た。
近寄りがたい雰囲気を醸しているが少女の美しさは別格であった。宏はその美しさに言葉を亡くした。
そんな時である、一陣の風が吹いた。それは瘴気渦巻く夢世界の澱みを払い、新風を送り込んだ。夢魔の支配していた空間が正常化し始めたのだ。
少女は宏を見ると有無を言わさぬ口調で語りかけた。
『妹の事を詳しく、話せ!!』
言われた宏はしどろもどろになると病に倒れた妹の事を話した。
*
『なるほど原因不明の不眠症か……夢魔に苛まれた典型例だな』
しゃがれた声がそう言うと少女が続いた。
『夢魔に苛まれた人間にはざまざまな症状が出る。睡眠障害、幻覚、幻聴、そしてそれが進めば夢遊病者のような行動もとるようになる。なかには意識のない状態で刃傷沙汰をおこすこともある。』
少女がそう言うとしゃがれた声が具体的な内容を聞くべく声を上げた。
『いつから、お前の妹はおかしくなった?』
『一週間前……だとおもいます』
少女の顔が険しくなった……
『間に合わんかもな……』
ポツリと漏らしたその内容には絶望が燦々と輝いている。
『駄目…なんでしょうか……』
宏が不安な声でそう言うとしゃがれた声が答えた。
『2割ってとこだな……助かるのは……』
何とも言えない空気がその場に流れた。
『いずれにしろ、見てみないとわからん。アンちゃん、妹の所に案内しろ』
しゃがれた声がそう言うや否やであった、瘴気渦巻く夢世界が音を立てて崩壊しだした。
『お前はもう大丈夫だ』
崩れゆく世界の中でそんな言葉が宏に掛けられた。
9
宏が気づくとそこはベットの上だった。
『あれ、一体……』
宏は上体を起こすと昨晩の夢を思い起こした。
『あれ……嘘だよな……』
宏はショットガンで異形者を肉塊にする少女の顔を思いだした
『やばかったな、あの子……』
宏はそれと同時に少女の顔を思い出した
『あの子……めっちゃかわいかったな……』
宏は口元をゆるませると窓の方に顔を向けた。その時である、その視野に見慣れぬものが入った。
『あれ……なんだ……』
宏は机に近づくとそれを手に取った。
『……髪留め…か……』
鼈甲を牡丹の花にあしらえたバレッタであった。上品かつ雅なものでその優雅さは宏の部屋の雰囲気とは似つかわしくなかった。
『あれは……本当だったんだ……』
宏はそう思うと同時にその脳裏にある単語が浮かんだ。
『たしか、『夢魔』がなんとか……』
宏はそれと同時にしゃがれた声の一言を思い出した。
『そうだ、妹の所に行かなきゃ!』
宏は机の上にあった牡丹の髪留めを持つと家を出て自転車に飛び乗った。
*
市民病院は商店街や映画館のある駅前から離れた辺鄙な所にあったが、MRIとCTを完備しているため近隣からの患者は少なくなかった。特に土曜日ということもあり見舞客も多く、受付にはちょっとした人だかりができていた。宏は受付で記入を済ますと階段を一段飛ばしで登り、妹の部屋に向かった。
由香のいる個室は眺めのいい部屋で窓からは街全体を見渡すことができた。丘に鎮座した浅間神社、こぢんまりとした住宅地、緑豊かな浅間公園、おだやかな地方都市の姿が展開していた。眺望だけでなく日当たりもいい部屋で、部屋全体が明るく病室には思えない雰囲気が醸されている。
だがその一方で、この部屋には妙な名前もついていた。『昇天の間』と囁かれ、患者や看護師たちの間では不吉の象徴として認識されていた。この部屋に追いやられる患者は二度と退院できないと揶揄されているためだ。環境の良さとは裏腹にその裏側には『死』の匂いが染みついていた。
宏はそうした噂話を頭の隅に追いやると、妹に近寄りその顔を覗き込んだ。
『顔色が……』
血の気の引いた顔色、全身の衰弱……体調が改善しているようには思えなかった。
『大丈夫なのか……』
宏がそう感じた時である、担当の医師と看護婦が入ってきた。宏が立ち上がって挨拶すると医師は鷹揚に頷いた。
「状態はさほど変わらないよ……若干衰弱はあるけど……」
医師は由香の容態が悪くないようにそう言ったが、その顔には若干の焦燥感が浮かんでいた。精神科と脳神経内科の医師に診断を受けても妹の症状は判然せず、原因不明としか言えない状況は担当医にとっても悩みの種になっていたのだ。
「とりあえず、点滴を始めよう。」
医師が指示すると年輩の看護婦が用意を始めた。
「目を覚まさなくなってるんだ……無理やりおこすのも良くないし……だけど覚醒して食事をしないと栄養失調になる……」
言われた宏は細くなった由香の手を取った。
「何か話しかけてあげて、眠っているようでも精神は活動しているの。こういう時は家族の声が一番の頼りなのよ。」
看護師はそう言うと医師とともに部屋を出て行った。
*
『先生、あの患者さん……』
年輩の看護師が小声で医師に話しかけた。
『ああ、無理かもな、神経系統の麻痺が出始めてる……呼吸も弱い……そんなに長くはもたんだろ』
『でも、高校生にそう伝えるのは……』
『父親にメールをおくっておけばいい』
医師は淡々とそう言った。その眼には日常の中で『死』を扱う医者として冷徹な観察眼が見て取れる。
『どの医者でもなおせんよ……奇跡が起これば別だけど』
医師はそう言うと何事もないかのようにその場を離れた。
*
一方、宏は看護師と医師の冷徹な会話を知らないため、言われた通り由香に話しかけていた。少しでも妹の状態が改善すると願って……
「由香……昨日、夢を見たんだ。そしたら、変な化物に襲われたんだ……」
宏は夢魔と呼ばれた化物を思い起こした。
「でも、ショットガンを持った女の子が突然現れてね……」
宏はそう言うと夢の出来事を静かに語った。
「嘘みたいな話だろ……でも本当なんだ……」
宏はそう言うとカバンの中から牡丹に誂えた鼈甲の髪飾りを出した。
『由香……』
宏はそう言うと由香の額に手を当てた。
「お前の書いた絵にあった、あの化物……あれが夢魔とそっくりなんだ……ひょっとしてアレに苦しめられてるのか……」
宏がポツリとそう言った時である、由香が額にしわを寄せた。目を覚ますことはなかったがその表情には苦悶が浮かび上がっている。
「由香!」
宏は由香が覚醒するのではないかという期待を込めてゆすった。
「由香、由香!!」
だが、呼びかけむなしく由香は目を覚まさなかった。
宏は大きく息を吐いた。
「駄目なのか……」
宏がそう言った時である、その後ろに異様な気配を感じた。
少女により夢魔が倒されたことで宏は間一髪で助かりますが、彼の見た悪夢の原因は昏睡状態に陥った妹による影響ではないかと少女に示唆されます。
はたして、それは本当なのでしょうか……宏の妹も夢魔に侵食されているのでしょうか?
そして夢世界でショットガンをぶっ放す少女と嗄声の持ち主はいったい何者なんでしょうか?