第十話
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演劇部の発表会は無事に終わった。
『すごかったな3年生……』
今年が最後ということもあり、気合の入った上級生の熱演は宏の心を穿つものがあった。舞台を立ち回る姿、聴衆に呼びかける姿勢、下級生とは違う場馴れした振る舞い、どれをとっても一目置かざるを得ないものがあった。特に3年女子、佐藤響子の見せる歌を交えた芝居はその中でも群を抜いていた。
『響子先輩……まじですげぇ……』
演劇部のマドンナ、否、高校一番のマドンナの見せる演技は他の部員とは違い、稽古だけでは身につかない気迫があった。それを見ていた部員たちは満場一致で彼女が主演の座をいとめるとおもった。
一方、ひのき舞台の7人に選ばれるべく意気込んでいた浩二であったが……顧問の出した芝居のお題に対応できず、途中セリフが飛んでわずか30秒で撃沈するという事態に陥っていた。
宏は放心状態に陥った浩二の姿を見て気の毒におもったが、緊張感の強いられる環境の中では稽古云々ではみにつかない度胸、居直る強さ、そうしたものが必要だと痛感した。
本番というのは何が起こるかわからないものだが、力を出し切れる者とそうでない者との間には断絶した谷間が生じていた。宏はその様子を見ていて何とも言えない思いに駆られた。
『これが発表会か……』
独特の雰囲気に包まれた発表会は悲喜こもごもの結果を晒していた。
21
発表会の片付けを終えた宏は胸ポケットに入っていた髪飾りを手に取った。
『結局、渡せなかったな……』
宏はそう思うと、口をへの字に曲げた。
『どうやって、この髪飾りを渡すか……自宅に行っても会えるとは思えないし……ポストに髪飾りを入れても……』
そんな時である、宏の売りに一つの考えが浮かんだ。
『そうだ……由香に連絡とってもらえば……俺が言うより由香が言った方が副島洋子も反応するだろう……』
宏はそう思うと早速、由香のいる病室に向かった。
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由香の容態は順調に回復していた。顔色はほぼ正常で、夢魔に侵食されていたことが嘘のようになっていた。
「だいぶ良くなったな……」
宏が声をかけると由香は頷いた。
「ごめんね、おにいちゃん……」
由香は今までの事を思いだして、声を震わせた。
「私のせいでお兄ちゃんも変な夢を見てたんでしょ……ごめんね……」
宏は小さくなって詫びる由香の姿に何とも言えないものを感じた。
「謝っても美紀ちゃんは生き返らない……でもこの事故にある背景ははっきりさせた方がいい。」
宏はそう言うと、副島洋子に電話するように由香に頼んだ。
「副島先生には白黒はっきりしてもらわないと困る、彼女はこの事件のカギだ」
由香は二つ返事でそれを快諾すると、早速、携帯に手をかけた。
*
だが、副島洋子は電話に出なかった。
「……留守電だね……メール送ってみるね……」
由香はそう言うと慣れた手つきでフリック入力した。
「緊急用のアドレスもあるから、そっちにも送るね」
副島洋子にメールを送り終えると由香はホッと息を吐いた。
「ねぇ、お兄ちゃん、あの夢の中で出て来た女子……あれ、誰なんだろうね?」
素朴な疑問を口にした由香に対し宏は右の手のひらをあごにやった。
「誰なんだろ……」
夢魔に襲われていた宏をすくった美少女はあきらかに普通の人間とは思えない。片手でダブルバレルショットガンをぶっ放すその姿は命の恩人とはいえ、やはり異常であった。
「それに、あの変な声……あの声はどこから出てるんだろ……」
由香の素朴な疑問は宏にとっても知りたいところであったが、美少女には質問を許さない峻烈さがあった。
「よくわからないけど……俺たちを救ってくれたのは間違いなく、あの娘だ。それだけは間違いないよ」
宏がそう言った時である、由香のスマホから着信音が流れた
「メールの着信だ……」
宏は由香の携帯画面を覗き込んだ。
以下がその内容である、
≪田中由香さんへ
おにいさんから退院できると聞きました。おめでとう。
ところで『夢』の話なんですが、会ってお話しできないでしょうか
連絡待ってます。≫
文章自体は無味乾燥なもので副島洋子の心理状態は把握できなかったが、『夢』という単語の中には彼女の抱える闇が垣間見えていた。
「先生も……ヤバイんじゃない、ひょっとして……」
由香に言われた宏は頷いた。
「由香、返信してくれ。俺が直接会いに行く……そうすれば髪飾りを渡せる……」
宏がそう言うと由香が続いた。
「私も一緒に行く」
「駄目だ、病み上がりのお前じゃ、体力が回復してない。今日はゆっくりしてるんだ!」
宏は由香のことを配慮してそう言うと病室を飛び出した。
22
由香にメールを送ってもらったことで副島洋子とのコンタクトは実に簡単であった。宏は電子ロックされたマンションの入り口を通り抜けると5階でエレベーターを降りた。
宏が欄干から吹き抜けになった1階の庭を見下ろすと、そこには高級感を漂わせる演出が見え隠れしていた。だがむき出しになった排水管や安物のプランターはその演出とは裏腹で妙にちぐはぐであった。
宏が一見すると高級に見えるこのマンションに何やら胡散臭さを感じた時である、部屋のカギが外れる音がして扉が開いた。
「こっちよ、はやくして」
副島洋子であった、どことなく落ち着きがなく、その顔色は悪い。
「早く入って!」
宏は言われるがままに副島洋子の部屋に入った。
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副島洋子は3LDKの部屋に住んでいた。三十路手前の独身教師が住むには広すぎる間取りだが、どの部屋もきちんと整理され洋子の几帳面な性格が部屋の端々に感じられた。
「由香ちゃんから、メールを貰ったわ……夢の話……」
そう言った副島洋子の顔はどんよりとして曇っている。
『俺と同じだ……』
夢魔により侵食され自律神経に異常をきたすと睡眠がうまく取れなくなる。メイクを落とした副島洋子の眼窩の落ちくぼみは年老いた老女と見間違えるほどになっていた。
「夢の中で、妙な化物が見えるの……それが……追っかけてくるのよ…」
副島洋子はそう言うとその場に座り込んだ。
「解放して欲しいの……この状態から……」
やつれた洋子の姿は宏の目に哀れに映った。
「先生、これを」
宏はそう言うと牡丹に誂えた鼈甲の櫛を差し出した。
「僕はこれで……助かりました……」
宏がそう言うと洋子が青白い顔で見上げた。
「本当に……?」
問われた宏はうなずいた。
「あなたが、夢の中で見ている化け物は『夢魔』といわれる存在です。非科学的な話で信じられないと思いますが……ですが嘘ではありません、僕も妹の影響で夢魔に襲われました。」
宏がそう言うと洋子は食い入るような目で宏を見た。
「あれは夢魔っていうのね……」
「人の心の歪みに巣食う化け物です。」
宏がそう言うと副島洋子は顔をそむけた。
「先生、なぜ、夢魔があなたの夢に出てくるようになったか、お分かりですよね?」
宏は糺すような口調で言った。
「由香が教えてくれました……中島美紀ちゃんのことを」
宏がそう言った時である、副島洋子は土気色の顔で宏を見た。
「………」
副島洋子の沈黙は明らかに触れてほしくない部分を突き刺された感があった。
「先生、本当のことを……」
宏が続けようとすると副島洋子は震える声を上げた。
「お願い、1人にして……」
宏は困惑しながらも次の選択を選ぼうとする洋子を見て立ち上がった。
「じゃあ、僕はこれで」
宏は間をおいてそう言うと一礼して洋子の部屋をた。宏がマンションのエントランスを出ると妙にべとついた夜風がその頬を撫でた。何とも言えない不快感が宏を襲う。
『やることはやった……あとは……』
夢魔に侵食された副島洋子がいかなる選択を選ぶか定かではない、だが宏は彼女が間違えないことを祈った。
23
翌昼、宏が購買で買ったコロッケパンをにかぶりつこうとした時である、後ろポケットに入れていたスマホが振動した。宏は酸味の強いソースがたっぷりかかったコロッケパンを口に運ぶのをやめると画面を見た。
『由香からか……』
宏はフッと息を吐くと電話に出た。
「おにいちゃん……」
宏は由香の声色に異常さを感じた。
「どうしたんだ、由香?」
宏が尋ねると由香が震える声で答えた。
「副島先生が……先生が……」
「先生がどうしたんだ……?」
宏が声を上げた時である、由香がポツリとこぼした。
「……自殺したって……」
宏はまさかの展開に絶句した。
「学校からメールで連絡があって……マンションから飛び降りたって……」
宏は体が震えるのを感じた。
『昨日、会ったばっかりなのに……』
宏の心中にはそんな思いがよぎったが、それと同時にしゃがれた声の言ったことを思い出した。
『たしか……かなり侵食が進んでるって……夢魔に喰い殺されたのか……』
宏はスマホを耳にあてた状態で沈思した。
そんな時である、由香が声を上げた。
「どうしたらいいんだろ、おにいちゃん……」
由香が混乱した声を上げると宏は落ち着くように言った。
「学校が終わったらそっちに行くから、それまでじっとしているんだ」
宏はとりあえず由香にそう言うと苦虫を潰したような顔を見せた。
『……死ぬようには見えなかったのに……』
宏は思わぬ展開に息をのんだ。
宏は夢魔に侵食された副島洋子と接触して、髪飾りを渡すことに成功しました。
ですが、翌日に知らされたことは副島洋子が自殺したという事実でした……
はたして、物語はこの後どうなるのでしょうか……




