結晶壁のマキナ
時間は少しさかのぼって、夜道達が幸太郎達に拳銃を向けられていること。
アシュリー・スタンフィールドは校内から抜け出し、自身の所属する部活動、【スタンフィールド水泳部】に向かっている途中だった。
公安は夜道が引きつけている。そのため、アシュリーは特に苦労することなく水泳場に辿りつけるはずだったのだが。
「……面倒、ですわ」
アシュリーはグラウンドに植えてある木の陰から、一葉のことを観察していた。
アシュリーは一葉がどんな性格か知っている。彼女の視界に入ったら、すぐさま弾丸の雨を浴びる羽目になるだろう。
「遅かれ早かれ、あなたが出てくるとは思ったましたわ。ですが……ッ」
激痛。アシュリーは右腕にそれを感じた。筋肉繊維が引きちぎられたような痛みだ。もしも夜道がラジエル奇眼でアシュリーを見ていたら、彼女の電脳体の異常に気がついていただろう。彼女の電脳体はかなりの損傷を折っていた。
外部からのダメージというよりは、内部のダメージ。それはアシュリーの電脳体の特性だ。彼女の電脳体は放っておくと、勝手にダメージが入っていくという致命的なバグが発生しているのだ。
彼女が夜道とコンタクトする際に、音声通話、ビデオ通話、念話通話などを使わず、わざわざ面倒なアナログ的手段をとったのはハッキングなどの傍受を防ぐため。というのもあるが、電脳体の損傷のせいで、電脳体に依存する連絡機能が使えなくなっていたというのがそもそもの理由だ。
――そろそろ限界ですわねえ
痛む右腕を撫でる。この後どうしようか、とアシュリーは思案する。
――現状、できることはありませんわねえ。だからと言って、一葉を放置するのもあまりよろしくないですわ。
そのアシュリーの思考は無理矢理中断させられた。乾いた音――アシュリーははっとして体を庇う。しかし僅かに間に合わず、右肩を一発の弾丸が掠めていった。
「××××!」
柄でもない、感情的な言葉を吐き捨てる。それはアシュリーの嫌いな言葉であった。自分でフィルターを掛けたため、周囲に聞こえない様になっている。もしフィルターがなければ「S」で始まり「T」で終わる暴言が聞けただろう。
当然弾丸を発射したのは一葉だ。彼女に聞こえるよう、木の陰に隠れてアシュリーは大声で言った。
「相変わらず知的なフリした脳筋ですこと!」
「相変わらず貴女は骨の髄まで変態ですね。未だに服を着ることを覚えないんですか? 赤ん坊ですか?」
「え、美人? 今、お肌が赤ん坊の様にきめ細やかで美しいって言いまして?」
「そんなこと言ってません!」
「知ってますわ」
銃声がまた一つ、二つ鳴る。一葉の銃から放たれた正確無比な弾丸は、木の陰から僅かにはみ出しているアシュリーの髪の毛を打ち抜いた。公安らしい行動だった。
――ここまで極端だと、かえってほほえましくなりますわね
面白くてアシュリーは笑いそうになる。それを何とか噛みこらえた。そしてスイッチが切り替わったように、頬の釣りあがった顔は真顔に戻り、アシュリーは一葉に問いかけた。
「解せないことが一つ。緋之宮マキナは何者でして?」
「答える義理はありません!」――また銃声。
「いいえ、答えてもらいますわ。私が見るに、あの子はただの小市民。変わっている点と言えば、入学からずっと寮に引きこもってるといたということですわね。逆に言えば、あなた達公安が介入する理由なんてありませんことよ。校則違反なんて起こしようが無いのですから」
「私だって理由は知りません。ただ上が拘束命令を出したから捕まえに――!」
一葉がそこで口をつむぐ。もしもこの後に続く言葉があるなら「しまった」だろう。
「失言でしてよ。理由無しで拘束? ありえませんわね。『指導公安委員会は正当な理由が無い限り、あらゆる警察権限を行使してはならない。また権限行使の際、その権限執行に不満、疑問を持つ全ての者に対しての説明責任を放棄してはならない』、ですわ。大変ですわねえ。決まりは守ってくださいませ。自警団系の未認可部活動がまた騒ぎ出してしまいますわよ。さて説明をどうぞ、指導公安委員会雨宮一葉さん。それとも、本当に理由を知らないのでして? ありえませんわねえ、小隊長クラスのあなたが知らないなんて」
「答える必要はありません!」
「そこでうろたえないあたり、本当に知らないみたいですわね。あなたは分かりやすくていいですわ。説明しないというより、説明できないといったほうが正しいみたいですわ。知らないのだから、説明できるわけが無い。あらあら、それこそ通常の状況ではありえませんわ。説明責任を遵守することは、全ての公安の義務のはずですもの。そうなると、あなたのいう『上』とやらの正体がおおよそ想像できますわ。その義務を課せられていない外部の存在、かつ公安に命令できる存在――生徒会でしょう、おそらく」
「……」
「ホント、分かりやすいですわ。沈黙は肯定と取りますわよ」
生徒会。選挙で選ばれた生徒のみで構成されている組織だ。制服の色は紫。主な仕事は予算編成、その他学園のためになること全てだ。
生徒会はどの委員会よりも上位の存在である。それゆえに、彼らに特別な権限が与えられている。全ての委員会に命令を出すことができる、という権限だ。学園の利益のためなら、彼ら生徒会は専門分野のエキスパートたる委員会を動かすことができるのだ。
例外を作り出すことを許される組織、学園の長。それが生徒会だ。
「一体何事ですの? 生徒会が動くなんて。それほどの価値があの女子生徒にあるのでして? ……そうでしたわ。聞いても分からないのでしたわ。ですが、一つだけ分かることがありますわ。あの生徒会がしでかすことは、大抵ロクなものではない、でしてよ」
アシュリーはホロウィンドウを展開した。反撃に出ることにしたのだ。
「残念ながら、私はいい人ですの。納得できないことは自分で追求いたしますの。それが例え見ず知らずの他人のことでもですわ」
夜道に特別な眼があるように、アシュリーにも特別な技術があった。
それは状況を一変させる、強大な力。誰にも真似できぬ狂気。切り札。アシュリーの中では最強のカードであり、使うにはただホロウィンドウを操作をしてやればいい。
……だが、アシュリーは思い知らされる。そのカードを切るのは少し遅かったし、一葉を追い詰めすぎたことに。
アシュリーが隠れている木の向うから明らかに銃声とは違う、圧縮された空気が爆ぜたような音が聞こえてきたのだ。
「あらあら」
アシュリーはその正体を見ずとも察することができた。
冷や汗――今のアシュリーはそれに対して有効な対策を打てない。それが発射される前に気がつければ回避できたかもしれなかったが、推進剤の音が聞こえてからでは明らかに遅かった。
「それはちょっとやりすぎでは無くて?」
一葉が発射したのは俗に言うロケットランチャーだ。肩に担いで発射するそれは、本来は戦車などの装甲を打ち抜く為のもの。だが今回は、木の陰に隠れるアシュリーを吹き飛ばすために発射された。
「いいえ、妥当です。貴女を打ち倒すためには、これくらいは当然です」
轟轟とした爆発音。間違いなくロケット弾はアシュリーの身を隠す植木に着弾し、彼女を吹き飛ばした。
ところで、一葉はどこからロケットランチャーなどという大きなものを取り出したのだろうか。彼女にそれらしい装備は無い。
彼女の足元には、投げ捨てられた二挺の拳銃。それと弾頭のついていないロケットランチャーが落ちていた。
◇ ◇ ◇
現在夜道が対峙しているのは、そういう女子生徒だ。
氷の仮面の下に激情を燃やし、徹底的に相手を叩く。一言で言えば危険な女。それが彼女、雨宮一葉だ。
「――緋之宮マキナを渡してください、夜道。お恥ずかしい話しですが、私は我慢強くはありません。無意識的に、人差し指が引き金にかかってしまうのです。どうか、早く。お願いですから」
早い話が脅迫である。彼女の辞書に駆け引きなどという言葉は存在しない。自分が正しいのだから、相手は従うべきだ。自分が正しいのだから、さからう相手は打ち滅ぼすべきなのだ。なぜ雨宮一葉が正しいのか? それを問うことは一葉への反逆行為だ。撃ち滅ぼされるべき反正義だ。なぜなら一葉は正しいのだから。それが一葉の宗教であり、徹底した信念だった。
獣の理屈、子どもの純情、夜道はそう思わざるを得ない。
同時に夜道は知っている。一葉は御しやすい女だと。
【雨宮一葉 電脳体異常……『疲労』】
ラジエル奇眼の示す情報はこの通りだった。見てくれからは想像できないが、相当に疲れているのだろう、と夜道は判断した。
――不意打ちが有効だろうな。この場合。
思考操作を用いてハッキングを行った。対象は天井だ。
「断る。と言ったら?」
「撃ち殺します」
「『断る』」
一葉は銃を構え、発砲する。
その行動は失敗であったと言わざるを得ない。銃を構え、狙いをつけて、引き金を引いて、着弾確認をする。大きな隙であった。発射された弾丸は夜道に届くことは無かった。上から降ってきたガレキ、それが弾丸の行く手を阻んだのだ。
そのガレキは天井だったもの。夜道はハッキングで廊下の天井の継ぎ目を脆くし、崩壊させたのだ。その効果範囲は広くに及び。一葉の頭上もその範囲内だった。
「しまっ――」
気がついたときにはもう遅い。もしも一葉に冷静な判断力があったなら、夜道の口車に乗らずにもっとマシな行動を取れただろう。それは疲労している彼女には酷な要求ではあるが。単純な彼女に疲労が重なることで、判断力はさらに落ちていたのだ。
そもそも発砲したところで夜道をにダメージを与えられたのか? 答えは否だ。拳銃程度では物理障壁に阻まれて防がれるのが関の山だ。もしも機関銃等の連射力のある銃を一葉が構えていたなら、物理障壁の張りなおしを上回る速度で制圧できたかもしれないが、それは『もしも』の話しである。
そして一葉は質量の塊に襲われた。
「……ふう」
夜道は壁にもたれかかって一息つく。思考操作は電脳体への付加が大きい。我慢できなくはないが、夜道は休めるときは数秒でも休むことにしていた。
「疲れた……」
「くらげ? 大丈夫?」
「連続してハッキングを仕掛けたからな。でも、少し休めば大丈夫だ。今のうちに移動しよう」
「ええ、そうしましょう……! くらげ! 物理障壁!」
突然マキナが叫ぶ。何事か、と夜道は緊張する。
疲労を訴える電脳体を無視し、反射的に物理を展開。するとどういうことか、どこからか富んできた弾丸を物理障壁が受け止めた。
「何だと?」
今、この場で銃を持っているのは夜道と、ガレキに埋もれたはずの一葉だけだ。夜道を狙う弾丸があるとすれば、それは一葉の弾丸だ。
見れば、瓦礫の山から腕が一本伸びている。その手には拳銃。あれこそが、夜道を狙った銃だった。
そのガレキを掻き分けて、腕がもう一本生えてくる。次に頭、胴、足……いずれも一葉のものであった。
「……痛いでは無いですか」
ガレキの上に立ち、そう言い放つ一葉の様相は異常であった。マキナが思わず「ひっ」といってしまったのも無理は無い。
頭は一部がえぐれ、片目はつぶれて血涙し。左の指の何本かはあらぬ方向に折れ曲がり、腹には大きな破片が刺さっていた。
そして極めつけは、
【重傷確認。保健室への転送まであと9991秒】
「おいおいおいおい」
さすがにこれは夜道も驚かざるを得ない。一葉は転送プログラムをハッキング、書き換えて、転送までの時間を引き延ばしたのだ。
「怒りました。ええ、完全に怒りました。感情的です。感情的に貴方達を撃ち殺さねばなりません。ハンドガンでは駄目です。貴方達にふさわしいのは、これです」
そういうと一葉はポケットの中から一枚の写真を取り出した。移っているのは、一丁の機関銃だ。
彼女にとって、写真とは設計図だ。物体の仔細を限りなく正確に書き込まれた設計図。それさえあれば、彼女は何だって作り出すことができた。
機関銃の写真は燃えるように一葉の手の中で消えて行った。代わりに出現したのは、一丁の機関銃。間違いなく本物だ。引き金を引けば大量の弾丸をばら撒く兵器だ。
一葉だけが行える特殊ハッキング。それは写真に写る物体の情報を読み出し、写真を媒介にそれを作成する技術。
――【平面召喚状】
雨宮一葉のあだ名であり、その特殊ハッキングの名前だ。
「マズイ。これはマズい」
夜道の言葉だ。機関銃の連射速度は夜道の【物理障壁】の連続展開速度を上回る。防ぎきれない。
物理障壁よりも強固な防御手段は【結界】と【空間凍結】の二つだ。結界なら機関銃の掃射に十分耐えうるし、空間凍結ならそもそも弾丸の通過を許さないだろう。
だが両方とも弱点があった。それは処理の重い空間制圧は、展開まで若干の時間を要するということだ。十秒。明らかに弾丸が夜道達に到達するほうが早い。
いつだったか、夜道はアシュリーに指摘されたことがある。
『夜道は先手を取れば絶対に負けないのですけど、後手に回ると弱いですわよねえ』
まさに、その言葉の状況が今だ。
「保健室で会いましょう。もっとも、その後のことなんて知りませんが」
それを合図として、一葉は引き金を――
「お断りよ! 私はアンタ達から逃げ切るんだから! くらげと一緒に! だから――」
引く直前、滑り込むようにマキナが言った。
マキナは右の中指と親指を合わせる。何をする気か、と夜道は思った。
そしてマキナは思いっきり指をすり合わせて――
――ぱちん
マキナが指を鳴らす音だった。
「それは、まさか」
そのマキナの行動に、夜道はひどい懐かしさを覚えた。
もう三年前にもなる。冷泉灯火という女は、指をぱちんと鳴らすとあらゆる物質を構成できたのだ。
「お願いだから、上手くいって――!」
その願いは通じたのだろう。瞬間、夜道達の目の前に、何か結晶のようなものがせり出した。
まだ整形される前の、荒々しい結晶だ。光を乱反射させ、綺麗に輝いている。
それは幾重にも重なり、一瞬で巨大な壁を生み出したのだ。
「なんですか、それは!」
機関銃が大量の弾丸をばら撒く。しかし、結晶の壁に阻まれて夜道達には届かない。それどころか、結晶には傷の一つもついていなかった。
機関銃では効果が無いと見るや否や、一葉は十枚の写真を取り出した。いずれも同じ物が移っている。ロケットランチャーだ。
「平面召喚状!」
それをすばやく実体へと変換し、ともかく結晶の壁に打ち込んだ。一発、二発……七発目でようやく壁は割れた。砕け散った結晶の破片は容赦なく一葉に降りかかり、その肌を刻んでいくが、もはやそんなことは一葉の勘定には入っていない。
一葉は壁の向うに居た夜道達を視認する。
「終わりです!」
八発目、推進音と共に弾頭が飛んで行く。
「いいや、終わらない」
しかし、弾頭が夜道達に到達することは無かった。マキナの生み出した結晶の壁は、夜道に結界を張るための十分な時間を与えたのだ。
「そして、終わるのはお前だ」
夜道はホロウィンドウのエンターキーを叩いた。夜道は結界の中でハッキングを仕掛けていたのだ。
転送システムへのハッキング。一葉がいじった転送までの時間を、夜道が元に戻した。
【重傷確認。保健室への転送まであと一秒】
一葉は、はっとして転送システムへの再度アクセスを試みるが、遅かった。
「どうして、私は貴方に勝て――」
すでにカウンターはゼロを刻んでいて、一葉は保健室へと強制的に飛ばされた。
「……終わった? 終わったの。終わったのよね……」
緊張が解けて安心したのか、へなへなとマキナがその場に座り込む。
「なんて危険な女なの、アイツ。猪か何かなの? 頭イッちゃってるのかしら?」
本人がいないことをいいことに言いたい放題言うマキナ。一方の夜道は、結晶の破片を回収していた。
「……」
もはや思考操作を使うほどの気力も無いので、手でホロウィンドウを操作している。夜道は鑑定プログラムを用いて、結晶を解析していた。
「……は?」
一体これは何なのか――夜道はその予想外の解析結果にあきれに似た感情を抱く。
「ポテトチップス? 一体これをどう見たらポテトチップスと識別するんだ?」
いや、と夜道は思考する。
ポテトチップス、ゼロから物質を生み出す力。それから想像するのは冷泉灯火だ。
しかし、三年前に夜道が見た灯火のあの力は完全であった。灯火なら、決してこんな無造作に結晶を構築するような真似はしないだろう。この結晶はもしかすると物体になれなかった、なれかかりではないか。と仮定した。
そんなことを夜道が考えるのは、この緋之宮マキナという少女が灯火の関係者、あるいは灯火が何らかの方法で変装した姿であると思ったからだ。
しかし、夜道は後者の可能性を否定する。夜道のラジエル奇眼、これが否定の根拠だ。この眼だけは絶対に騙せない。
「なあマキナ」
なら前者について確認を、と思って夜道はマキナに問いかける。だが返事は無い。
「マキナ?」
もう一度名前を呼ぶ。それでも返事は無かった。気になってホロウィンドウから視線を外し、彼女の方を向く。
緋之宮マキナは、気持ちよさそうに寝息を立てていた。安心したのだろう。その表情は穏やかだ。
「……はあ」
どうしようか、と一応考えるが。実質選択肢は一つしかない。
捨て置くわけにも行かず。起きるまで待つのも危険だ。
はあ、ともう一つため息。
夜道はマキナをおぶると、せこせことその場から去って行った。




