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私は貴方を待っています。誰もいなくなってしまった、この場所で」

 幸太郎は苛立ちに感情を支配されそうになったが、今となっては落ち着いている。それどころか、余裕まで見せている。


 ――冷静になって考えりゃ、空間が凍結してるってことは向こうも外に出れないってことだ。ここは三階だ。窓から逃げるなんてのもありえねえ。それに空間制圧なんてそんなに長く持続するモンじゃねえ。ちょっと待てば自然に解除される。


 今、幸太郎はホロウィンドウにミュージックプレイヤーを表示している。ここで選択した音楽ファイルが、幸太郎の電脳体内でテレパシーのように再生されるのだ。

 再生しているのは音声麻薬(サウンドドラッグ)。聴く者に強烈な快楽感を与える、名前の通り音楽の麻薬――当然、校則違反の不正データだ。しかしばれなければなんとやら、幸太郎はこれを常用していた。

 そんな幸太郎の肩を後輩の一人が叩いて、何かを喋っていた。音楽を聴いていいたため、何と言っているかは聞き取れなかったが、彼が伝えたいことはなんとなく理解できた。


「うっし、そろそろか」


 幸太郎は音楽を停止し、ホロウィンドウを閉じる。ホルスターに閉まっていた拳銃を構え、突入準備を整える。


「しかし木戸さん。その海月夜道って何者なんですか?」


 後輩の一人が幸太郎にそう尋ねた。


「何だ、お前【死神部隊】を知らねえのか」

「いや知ってますよ。去年まで学園でブイブイ言わせてたすっげー公安委員会だったんすよね。でも解散したって。海月夜道って人も、その死神部隊の一人だったんすよね」

「そうだ。アイツらは暴れるだけ暴れて、良く知らねえけど死神部隊内で何かゴタゴタを起こして、いつの間にか解散して公安から出てったのさ。裏切りものだよ、あいつらは。雨宮を除いてな」

「え! 雨宮先輩も死神部隊の一人だったんですか!」

「そうだ。雨宮はそのゴタゴタがあった後も公安に残ることを選んだらしいが、まあ知らん。それより! 仕事の時間だ。銃の安全装置(セーフティー)外しとけよ」

「へい、了解です」


 幸太郎達は教室の扉の脇にスタンバイする。右に三人左に三人。そして幸太郎は少し扉を動かして、空間凍結が解除されていることを確認した。


「行くぞ……入れ!」


 幸太郎の合図、それと同時に全員が教室に突入した。


「海月夜道! 出てこいや!」


 幸太郎が挑発のように叫ぶ。しかし――


「あら、何をしているのかしら」


 教室に夜道の姿は無く。そこにいたのは一人の少女だった。


 ――緋之宮マキナ!


 幸太郎は一目みてそう判断した。

 緋之宮マキナ、その名前はいまや全指導公安委員会役員の知るところとなっている。

 突然の拘束命令、困惑しない役員はいなかった。それも、この麗しい容貌の少女。さらに、実際のその姿は役員のうち誰も見たことがないという。たちまち役員内ではミステリアスな美少女として、話題になったのだ。


 ――コイツは重要参考人としてリストされた女のはずだ! 何をやったかは知らねえが……


 と、そこで幸太郎にあるひらめき――それはおおよそ妙案と呼べるものではなかったが――が走った。

 すぐさまホロウィンドウを展開、そして一葉に音声通話を賭ける。


『こちら雨宮一葉。どうしましたか?』

「聞いてください。SHIへのハッキング犯は緋之宮マキナだったんです!」

『……は?』


 ホロウィンドウの向こうで、一葉が困惑する。


『いや、そんなはずは……犯人は夜道かアシュ』

「いいえ、緋之宮マキナです! 卑劣にも彼女はどこで覚えたか知らない空間制圧で教室を隔離、その中でしめしめとハッキングを行ったのです!」

『えっと、空間制圧を行える生徒は私と夜道以外には確認されてませ』

「それでは! この校則違反者、緋之宮をとっつかまえます!」

『あの』


 一葉が何かを言おうとしていたが、幸太郎は無視する。

 幸太郎の案はこうだ。現在、ハッキング犯はまだ分かっていない。だから犯人としてそれなりに説得力のある生徒――すなわち緋之宮マキナを捕まえる。証拠は適当にでっち上げる。そうすれと、仕事をさっさと終わらせて楽をすることができる。さらに緋之宮マキナを捕まえたという功績までついてくる。もしも一葉がこの案を聞いていたら、怒りを通り越してしょうもないとあきれるだろう。

 その案を実行に移さんと、幸太郎は後輩達に命令した。


「アイツを囲め」

「了解でっす」

「……おっと、てめえは動くなよ緋之宮マキナ。保健室送りは嫌だろ?」

「言われなくたって動かないわ。その銃口が怖いもの」


 そう言ってマキナと呼ばれた少女は教室の机の椅子に腰掛けた。それは、すぐに動き出すことが不可能であると周囲にアピールする行動だ。

 幸太郎とその後輩はマキナを囲む。彼らは全員、念のためと銃を握りしめていた。しかし、どうやら何もおこる気配は無い。事が順調に進み、幸太郎は満足であった。


「おい、そいつに手錠を掛けろ」


 幸太郎が後輩の一人に命令する。「へへ、了解です」と手錠を出して少女に近づく。


「へへへ、へ……へ?」

「おいどうした」

「いや、あれ……」


 手錠を持った後輩が、教室の扉の方を指差す。

 幸太郎は少女に銃を向けたまま、ちらりと扉のほうを見る。


「……ん?」


 そこに一人の女子生徒がいた。その生徒は、特徴的なグレー系統の髪の毛をしていた。

 緋之宮マキナだ。


「あら、こんにちは」

「あ、れ、れえ?」


 幸太郎が困惑するのも無理はなかった。いま囲っている女子と、扉から外にでようとする緋之宮マキナ。姿形がほとんど一緒だったからだ。

 幸太郎のミスは二つ指摘できる

 一つは、入口に見張りを置かなかったこと。全員で突入した時点でアウトだったが、囲っている少女という餌に釣られ、そのことを完全に忘れてしまったのだ。

 もう一つは、目の前のマキナそっくりのその少女につられ、夜道という存在を完全に失念したことだ。

 この隙をついて、囲われている少女はあらかじめ机の中に仕込んでおいた拳銃を取り出した。


「間抜けめ」


 そして手錠を持っている男に狙いを定める。彼が気がついたときにはもう遅かった。少女はすでに引き金を引いていた。


「――――ッ!」



 溜めるような、声にならない悲鳴。そして、


「あああああああああああああああああいっでえええええええええええええ!」


 椅子に座った少女の、そこから一番狙いやすい弱点は金的である。少女はそこにめがけて容赦なく鉛弾を放ったのだ。

 撃たれた彼は激痛なんてものではない。男としての尊厳を、まるでヤスリで削られたかのような屈辱、それが彼を支配した。

 やがて彼の周囲にホロウィンドウが表示される。

【重傷確認。保健室への転送まであと三秒】

 そう表示されていた。それを見て、涙をボロボロと流し、嗚咽が止まらない哀れな男はさらなる恐怖に襲われる。

 淡い光が彼を包んだ。それは転送プログラムが起動する際の特徴的なエフェクトだった。


「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! 嫌だ! ああ、あ。ほ……『保健室送り』は嫌だああああ! あの鬼婆の治療はうげだぐないいいいいい……」


 そう言って彼は光と共に、この場所から別の場所――保健室に移された。

 祭葉学園は電脳世界上の学園だ。それゆえ死というものが存在しない。だが電脳体にダメージは入る、怪我もする。それは現実世界と変わりがない。電脳体がダメージを追った場合、中傷までなら時間がかかるものの、自動治療プログラムが修復する。

 だが自動治療プログラムの修復が間に合わないほどの重傷を受けた場合、人の手による完全な修復が必要になってくる。その為学園内で重傷を負った場合、自動で転送プログラムが起動し、保健室へと送るのだ。


「良く聞け指導公安委員、容疑者と思わしき人物対峙した際の基本を教えてやる」


 公安に囲われていた少女は突如として立ち上がり、銃口を幸太郎に向けたまま話を続ける。


「容疑者はその姿をテクスチャーで覆って、変装をしている場合がある。それを看破するためには頭と首の境目を見るんだ。そこが一番テクスチャーのズレを起こしやすい」


 そう言った直後、少女の外見からぽろぽろと砂のようなものが落ちる。それを見て公安委員会一同は理解した。


 ――ハメられた!


 本物の緋之宮マキナは既に教室から出て行った。では目の前の少女は誰だ? 姿があらわになり、その正体はすぐに判明した。


「海月夜道ィ!」


 叫ぶ。怒りと憎しみ。それらがふんだんに詰められた一言だ。


「このクソ野朗! 撃て! ぶっ殺せ! 保健室に叩き込んでやれ!」


 その命令を聞くまでもなく、幸太郎自信も命令を出す前に、既に撃鉄は落ちていた。五発の弾丸、それらが超至近距離で夜道を襲う。

 夜道は動かない。いや、動く必要がない。

 夜道に到達しようとしていた弾丸、それら全ては直前で阻まれた様に床に落ちてしまったのだ。

 見れば、着弾地点には薄い透明な板のようなものが表示されていた。


「空間制圧……物理障壁か! かまわねえ、撃ちまくれ! 障壁を叩き割ってやれ!」


 なん頭が悪いことか、幸太郎達は届かぬ弾丸を撃ち続けた。ある意味では有効だろう。確かに夜道を覆う物理障壁は構造が単純なため、展開するのが容易だ。だが弱点が存在する。それは耐久値が存在するということだ。ある程度のダメージを受ければ障壁は破壊されるし、現に何枚かの障壁は既に割られて、床に落ちては消えていた。


「木戸さん、どうなってるんすか」


 後輩の一人があることに気がつく。障壁が割れるたびに、新しい障壁が張られていること――もそうだが、それよりも障壁の張り方が問題だった。


「あいつ操作用のホロウィンドウ出してないじゃないですか! なのに何で、指一つ動かさずに何枚も、何枚も何枚も障壁を張りなおせるんですか!」


 通常、ハッキングは何らか操作用のホロウィンドウを展開して行われる。

 例えばアシュリーはスワイプキーボード。

 例えば夜道はQWERTY形式のキーボード。

 しかし夜道はそれを必要としない。キーを叩くよりも疲れるという点もあるが、よほど複雑な操作でなければ、夜道は考えるだけ(・・・・・)でハッキングを実行できた。

 思考操作(リガード)、そう呼ばれる技術だ。


「クソ、このくらげ(・・・)野朗が! 死ね! 死ね死ね!」


 ぴくり、と夜道の眉が動く。ある単語のせいだ。

 夜道は拳銃を持つ手を天井に向け、そして発砲した。

 幸太郎は一体何をしたのか分からなかったが、がしゃんというガラスが割れる音で何が起こったのか理解した。


「後ろに下がれ! 蛍光灯が降ってくる!」

「へ? あ、……うおおお!」


 幸太郎の警告どおり、頭上から白い破片が降ってくる。驚いて公安一味は後退する、そして銃撃は止んだ。

 夜道は物理障壁で蛍光灯の雨をしのぎつつ、教室の出口まで走る


「まて、っくそ、逃がすな。撃て! 追え! 殺せ!」


 幸太郎達は発砲しつつ、夜道を追いかける。しかし夜道は逃げながら蛍光灯を打ち抜いていた。その為に、蛍光灯の雨、それと床に散らばる破片が幸太郎達を阻む。

 そして夜道は、まんまと教室から逃げおおせた。


「畜生! 追いかけるぞ!」


 と幸太郎は教室から出ようとする。


「でっ」


 間の抜けた声。幸太郎のものだ。幸太郎は教室からでる直前、何かに阻まれたのだ。


「物理障壁か! あの野朗、俺をからかいやがって!」


 幸太郎のその言葉は誤りである。幸太郎がぶつかったのは直方体に囲われた空間の壁、そこの内部からぶつかったのだ。

 結界だ。物理障壁よりも強固な、明確に外界と内部を隔離する空間制圧だ。


「あの、木戸さん。こんなものが」


 後輩はそういって一枚のホロウィンドウを幸太郎を差し出す。


『俺をくらげと呼ぶヤツは、一部例外を除いて死ね』


 間違いなくそれは夜道が残していった文章である。


「クソが!」


 幸太郎はそのホロウィンドウに悪態をつく。そしてその忌々しいホロウィンドウを閉じた。


「ぜえ、ぜえ……畜生、興奮しすぎて体があちいぜ……」


 そういって幸太郎は制服を一枚脱ぎ、一番近い椅子に腰掛けた。


「……ぜんぜん涼しくねえな。窓もあれだけ割れてるのに」

「いや、木戸さん。これはちょっとおかしいっすよ」


 後輩がそう指摘した。


「だって、これを飲んでくださいよ」


 そう言って差し出したのは水の入ったペットボトル。後輩が水分補給用に持ち込んだものだった。


「何でお前が口つけたヤツなんか……」

「いいから飲んでください!」


 いつもはへこへこと言うことを聞く後輩、その鬼気せまる表情に圧されて、幸太郎はそのペットボトルを受け取る。そして一口飲んだ。


「……ぬるい、ぬるすぎる」


 その水は自然に温まったとか、そういった類には感じられなかった。不自然にあたたまっていて、まるでお湯だった。

 そして幸太郎は、この教室にある変化が起きていることに気がついた。


「おい、何かどんどん暑くなってないか……?」

「そうなんすよ。なんか知らないけど、この教室どんどん暑くなって……」


 そう話している間に、教室の気温は真夏日までに上がっていた。まだ五月にも関わらずにだ。


「な、何かまだ暑くなってないですか」


 もはやその教室は、声を出すことすら苦痛な空間となっていた。空気を吸うたびに、熱風が喉を焼くのだ。


「暑い、暑い暑い暑い暑い!」


 一人が発狂するように叫ぶ。

 夜道が教室を出る直前に行ったことは三つ。

 一つは挑発的なホロウィンドウを残すこと。

 二つ目は結界で囲い、教室を密室化すること。

 三つ目は結界で覆った空間を一つの区切りとして気温設定を書き換え、結界内部の気温を際限なく上がるようにしたこと。

 現在の三年四十七組教室は、巨大なオーブンとなっていた。


 ◇ ◇ ◇


「それで、この後どうするの?」


 マキナが夜道の横を歩きながら問いかけた。


「常に移動を続けて、公安に見つかったら全力で逃げる」

「……何か雑な作戦ね?」

「公安を撒くなら実際これしか方法がない。とりあえずは全ての委員会の活動が停止する午前零時までは動き続ける。朝起きたら普通に学園に登校して普通に授業を受ける。慣例的に、一時間目から六時間目まで公安は動かない。授業間休憩に校則違反者を捕まえたとしても、諸々の手続きが間に合わずに次の授業に食い込んでしまうからな。放課後はまた動き続ける。これを一週間続ける」

「一週間!?」

「そうだ、一週間だ。当然意味はあるぞ。指導公安委員会は権力の暴走を防ぐために――特定の生徒を校則違反者にでっちあげて、延々と追い詰め続けたりすることだな。一つの捜査につき一週間の時効が必ず設定される。一週間逃げ切ればその時点で自由の身。公安が追ってくることは無い」

「普段なら一週間なんてあっという間なのに、何だか長く感じるわ……」

「まあそう言うなって。とりあえず飯にでもしようか」


 と、二人は昇降口に向かって歩き続ける。彼らの先に曲がり角がある。そこさえ抜ければ昇降口、学園の外だ。

 その曲がり角から人影がちらりと覗いていた。夜道はそれを見逃さなかった。黒い制服の女子だ。

 ぱん、と乾いた音――


「へ?」


 間違いなく銃声、その弾丸はマキナに向かって一直線に飛んでいた。

 夜道は冷静だった。思考操作で物理障壁を展開、飛んでくる弾丸を受け止める。


「さすがです夜道。不意打ちにもしっかりと反応するとは。腕はまだまだ衰えていないようですね」

「そういうお前は油断しすぎだ。角で隠れてたつもりなんだろうが、スカートの端が僅かに見えていた」

「……相変わらず眼がいい」


 その声の主が曲がり角から姿を現した。

 黒制服の少女だった。少し跳ねた髪の毛は真っ黒な色をしていて短い。その上に公安委員会役員に支給されるキャップを被っていた。体は細い。すらりとして、蛇を彷彿とさせる。

 雨宮一葉(あまみやかずは)、それがこの少女の名前だった。


「ですが、油断していたのは夜道、貴方もです。今日一日尾行していたのに、全く気がつく素振りを見せない」

「何だと?」

「緋之宮マキナの目撃報告。そして彼女が貴方との接触を図ろうとしているという情報が私の元に流れてきましたからね。警戒しないわけにはいきません」


 夜道は素直に驚く。てっきり自分をつけていたのはマキナだけだと思っていたからだ。そして夜道は気がついた。アシュリーが言っていたのは、一葉のことだったのだと。


「どうです。私だって成長する。途中で日柳薊(くさなぎあざみ)に邪魔をされたので、尾行を中断させて退かざるを得ませんでしたが。――銃を乱射するだけの頃とは、死神部隊だった頃の私とは違うのです」

「アザミは元気だったか?」

「公務執行妨害で補習部屋行きです」

「……そりゃ元気そうだ」

「そして次に補習部屋に行くのは貴方と、そこの女子生徒です」


 そう言って一葉は二挺の拳銃を構える。黒い拳銃と、メタリックカラーの大口径拳銃。その組み合わせはどこかちぐはぐだ。


「戦闘開始です。逃がすものですか。例え百発の弾丸を防がれても、私は百万発の弾丸を撃ち込んでみせましょう」

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