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「私にもっとかまってよ」

 私立祭葉電脳学園、略して祭葉学園。インターネット上に展開された空間に設置された教育機関だ。

 ここの教室の一つ、三年四十七組の教室は二百人分の座席が用意された広い階段教室だ。一学年につき一万人が所属するこの祭葉学園は、各学年を五十クラスに分けている。一クラスにつき二百人、これがクラス分けの限界だと学園が判断したためだ。

 四十七組に設置された時計はまもなく五時を回ろうとしていた。五月に入ってから、祭葉学園の日没時間設定が伸びていた。

 夕日の差し込むその教室、さすがにこの時間になれば教室から生徒が捌ける。今この場所に残っているのは、居場所が欲しいカップル一組と、自主的に勉学に勤しむがり勉君と、机で突っ伏して寝ている海月夜道だけである。

 夜道の得意技はあらゆる学習への意欲を押さえ込み、思考能力を回復をはかること――すなわち居眠りである。死んだように眠っている、とでも表現するべきか。一向に目覚める気配がない。時折「ぅー」だの「ぁー」だのうなされているらしい様子を見せるが、それでも夜道は眠ることを選んだ。どうも目覚めれば夢から解放される、という発想には至らないらしい。

 そんな四十七組に一人、闖入者が現れた。女子生徒だ。

 赤い缶のコーラを片手に持った彼女は非常に目立つ(・・・・・・)姿をしていた。その姿を見たカップル、男の方はデレッと顔を情けなく顔を緩ませて、女の方はばつが悪そうに眉をひそめた。

 突然、女が男の耳たぶを掴んだ。「痛い、痛いって!」「ユウくんは私だけ見てればいいんだから!」……そのまま男は女に引きずられて、教室から出て行った。

 教室に残ったのは夜道、がり勉、そしてこの女だ。女は次にがり勉の元へと行き、声をかける。


「お勉強中、失礼しますわ。ちょっといいかしら?」


 見た目からは全く想像できない、丁寧な言葉使いだった。それに対してがり勉君――ほとんど手を入れていない髪の毛に、少々骨ばった顔、洒落っ気を微塵も感じさせない細いフレームの眼鏡、どこにでもいそうなステレオタイプじみた男――はびくりと体を震わせて、振り向いた。まるで、怪物と対峙した小市民のような反応だった。


(わたくし)、あそこで寝ている男に用事がありますの。ちょっとした用事ですわ。席を外していただけませんこと? ええ、すぐに終わりますわ。ですからほんの少しだけ……」


 がり勉君はこの女子生徒の頼みを断ることもできただろう。何せ動く理由などない。目的も告げずただ「そこをどけ」などとのたまう女子生徒など無視してしまえばいいのだ。

 ただ女子生徒にはどこか、見るものを黙らせてしまうような雰囲気をかもし出していて、がり勉君はとても逆らう気が起きなかった。

 すぐさまがり勉君は教科書――【電脳学園】たるここでも、製本された紙の質感を好む層は一定数いる――を閉じ、筆記用具を片付け、カバンの中に放り込む。


「ふふふ、物分りの良い方は嫌いじゃありませんことよ」


 その言葉に対して特に反応はしなかった。がり勉君は黙って速やかに教室から出て行った。


「……さてと」


 これで教室に残っているのは二人だけだ。そして相変わらず夜道は一向に起きる気配がない。


「全く、夜道! あなたと言う人は……。お寝坊さんにはきっついおしおきが必要ですわ」


 そう言って女子生徒は夜道の席へと向いながら、右腕では五本指を広げるジェスチャーをする。空中へのスワイプは、ここ祭葉学園ではだれもが最初に覚える動作だ。

 女子生徒が指を広げるのと同時に、空中に白地のパネルのようなものが投影された。ホログラム・ウィンドウ、略してホロウィンドウと呼ばれるものである。これは祭葉学園においてあらゆる場面に登場するツールだ。時にはディスプレイ、時には操作コンソールとして使われ、現実世界における携帯情報端末に相当する役割を担っている。

 女子生徒はホロウィンドウをなれた手つきで操作する。


「こういう細々としたことは私の領分ではないのですけど」


 ホロウィンドウに映し出されているのは4マス×5マスの文字入力フォーマットだ。かつてはスマートフォンで採用されたこの入力形式はフリックによる片手操作に特化し、また五十音の配列を憶えるのが簡単という理由で、日本で爆発的に普及した。日本語以外の入力には難があるが、それでも直感的な操作を行えるこれのユーザーは多い。

 女子生徒は慣れた手つきでこれを操作する。彼女何か操作する度に、ホロウィンドウには意味不明な文字列が増えていった。これは彼女だけが読み取れる自作の文字である。○と□と△だけで書かれた、本当に識読不可能な文章。これの他に使用者はいない。他の生徒に見られたらマズい操作を行っている時、祭葉学園の生徒は必ず自作の文字か、暗号化した文字を使用するのだ。

 大抵の場合ホロウィンドウはプライバシーモードになっているか、その上から覗き見対策フィルターが使用してある。しかしもしも、運良く自作文字、暗号化文字列を見ることができたなら、今すぐ周囲を警戒したほうがいいと言われる。

 なぜならこの場合、例外なくハッキングが行われているからだ。

 この文字にもはっきりとした意味がある。アシュリーが行っているのは放送系統ののっとりだ。そのために、放送機器の操作権限をハッキングで奪おうとしているのだ。


「……公安もこの程度の悪戯なら無視する可能性が高いですわね。そうですわ、さっきのカップルを踏み台にして侵入してしまいましょう。頭ユルそうですし。スピーカーからアクセスして、放送権限を取得するのが楽かしら。この教室の放送システムは……ああ、やっぱり。SHI(生徒会放送委員会)持ちですわ。ふふふ、学園の運営に携わる組織にハッキングを仕掛けるなんて、何度やってもドキドキしてしまいますの」


 官能的な笑み。まるでハッキングすることが楽しくて楽しくてしょうがないといった様子だ。女子生徒の文字入力は気分の高まりに比例する様に速くなっていく。


「それにしても、ここは昔からセキュリティシステム、改善の様子は見られますけど、まだ侵入するのは容易ですわね。やる気ありまして? ハッカーとのいたちごっこは疲れてしまって? 私としては楽でいいのですけど」


 その時、ホロウィンドウに変化が現れた。意味不明な文字列は画面から消えていったのだ。真っ白になったホロウィンドウ、今度は整然とした日本語が並び始めた。他にも音量を調整するカーソールや、教室の選択するチェックボックス。それらの正体を示すように、ホロウィンドウにはこう表示されていた。

【SHI・生徒会放送委員会 放送システム】


「ビンゴ、ですわ!」


 思わずそう呟く。この女子生徒は生徒会放送委員会のシステムに侵入し、操作権限を取得したのだ。

 早速、表示されたコンソールをいじり始めた。


「音量は全開、放送を流す場所は三年四十七組。流す音楽は……あら、おあつらえ向きのファイルがあるではありませんの。では、これにしましょう」


 女子生徒は放送する音楽ファイルを【アラーム・ベル】に設定した。ベルの鳴動を録音した、ノスタルジーを感じさせる音だ。

 女子生徒はもう一度設定を確認する。

【音量…99 放送対象…3-47 再生ファイル…アラーム・ベル】

 女子生徒は設定に問題がないことを確認した。


「さて――夜道、そろそろ起きませんこと?」


 そして女子生徒は【放送開始】の文字をタップした。

 ところでSHIの理念は『どんな雑音の中でも、放送を届ける』だ。例えばSHIの用意するスピーカーは全て厳選されたものである。決して音にノイズが混ざることは無い。そしてそのスピーカーは『どんな雑音の中でも』放送が届くように、限界まで音量関係のチューンがされており、映画館さながらの爆音を響かせることができる。

 三年四十七組の天井四隅に設置された合計四台のスピーカー。それらが一気に震え始めた瞬間、三年四十七組の窓は爆ぜた。


「うおおおおおおうるっせえええええええええ! 何だ! 何が起きたんだ!」


 窓ガラスが飛び散る。散らばった破片が振動する。そして夜道が飛び起きる!


「ああああああ何だこりゃああああああ! 誰だこんなことをしたアホは! うおおおお! うおおおおおお! うおおおおおおおおおお!」


 ◇ ◇ ◇


 委員会ビル、と呼ばれる施設がある。ここには学園の運営に関係する組織、すなわち『委員会』のオフィスが入っている。

 SHIもここに入っていた。そして今、オフィスは大混乱である。


「こんな放送を流したバカ野朗は誰だ! 始末書モンだぞ!」

「知るか! おい、早く止めろ! このままじゃ耳を破壊するぞ!」

「わかってますう! わかってますけど! 外部からハッキングされてるみたいで止められないんですう!」

「何ぃ? 管理ホロウィンドウを出せ! 放送責任者が表示されるはずだ!」

「は、はい。えっと、【佐藤遊(さとうゆう)】って表示されてます……? 誰ですかこの人。SHIに居ましたっけ?」

「あのバカップルの片割れじゃねえか! そいつがハッキング犯だ! 指導公安委員会に連絡してとっつかまえろ! 畜生、みんなしてポンポンハッキングしやがって。こっちがどれだけ苦労してるか……。生徒会が予算減らさなければセキュリティを強化できたんだ。こうなったら、クレームは必須だが放送料金増額するか……?」

「委員長、操作権限回復しました。放送、停止します。……あれ? 放送、すでにストップしています……?」


 ◇ ◇ ◇


「夜道。……夜道? 生きていて?」


 自分の過ちに気がついた女子生徒は、すぐさま放送を停止したのだった。女子生徒はあの殺人音声を聞いてもなぜかピンピンしていたが、夜道はそうはいかなかった。


「……」


 虫の息である。辛うじて意識を保っているが、あと少し刺激したら倒れそうだ。


「夜道―。よーみーちー。よーみっち」

「……うるさい。喋るな。頭に響く。」


 女子生徒の問いかけに、夜道は何とか反応を示した。


「大丈夫ですわ。回復(リカバリー)プログラムを投入しましてよ。すぐに良くなりますわ」

「……あー」

「何ですの?」

「……ここは?」

「祭葉学園の教室ですわ」

「俺の名前は?」

「海月夜道」

「年齢」

「誕生日、確か四月でしたわね。なら十八歳ですわ」

「……そうだ。そうだったな。夢から覚めたんだな」

「ところで私の名前は?」

「……アシュリー。アシュリー・スタンフィールド」


 それが女子生徒の名前だった。アシュリー・スタンフィールド。アメリカ生まれの日本育ち。そして祭葉学園では、夜道と腐れ縁がある女子生徒だ。


「あら、記憶喪失ってわけじゃなさそうですわ」

「あのな、アシュリー」


 アシュリーは控えめに言っても美人である。

 長い金髪は炎の様に風にたなびき、輝く。すらりと背が高くて、なおかつ男性を魅了するためとしか考えられないようなプロポーションをしていた。水泳部に所属していることも関係しているのだろう。そして、向日葵のような笑顔は男女問わず魅了し、【お姉さまにしたい女子ランキング】では先輩後輩問わずに票を集め、一位に輝いた。

 そんな彼女には致命的な欠点があった。


「服を着ろ」


 アシュリーは全裸であった。局部には反映禁止処理の一種である『謎の光(ミステリアス・アロー)』が走っており、最低限隠すべき場所は隠している。しかし、それでも凶器のような体が露出しているという事実には変わりがない。


「あらあら夜道。目覚めて早々それでして? 服を着るなんて面倒ですし――何より、恥ずかしいではありませんか」


 アシュリーは致命的なレベルの変態であった。

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