「私だ」
ぱき、ぽき、くちゃり。
《夜道! 聞こえているか! 返事をしろ。夜道、夜道――!》
まるで、ゲームオーバーのシステムボイスだな。と夜道は思った。事実そうなのだろう、とも。違いがあるとすれば、目の前のこれは確かに起こっていて、決して架空の出来事ではないということだろうか。
ぺちゃぺちゃ。ずずっ。ぬちゃあ。
ああ、それにしても生々しい音だ、と自分を咀嚼しているモノを見た。緋之宮マキナ――だろうか、はたしてミヅキだろうか。それともまた別の――それこそバケモノのような。
緋之宮マキナは己の精神状態の安定のために海月夜道の情報を必要としている。祭葉宗三郎は言った。必要なものは夜道の情報であって、海月夜道ではない。つまり、マキナからすれば夜道は人の形をしている必要性はない。
そしてマキナが永久に夜道という情報を保持するには、その海月夜道という情報を電脳体に取り込んでしまえばいい。そして、マキナは夜道を喰うに至ったのである。
下半身は恐るべき速度で食べられてしまった。脚の指の一つ一つを丁寧にもがれ、爪すらも丁寧にはがし、マキナが食してしまった。踵を硬そうに食し、臑の皮をはがし、太ももには品なくしゃぶりつき。
――アレを食いちぎられた時は、さすがにひやっとしたが。
下半身を失いないながら、夜道はそんなことを考えていた。転送システムをハックして止めているので、保健室に転送されることは無い。全身を食われるまで、夜道はこのままだ。
口から砂のようなものがこぼれ落ちた。夜道の電脳体内で破損したデータが排出されたのた。既に電脳体の崩壊は始まっていた。夜道を構成する情報は削り取られ。整合性が取れなくなったデータは崩れ、血の代わりに流れ出る。
気を抜けば意識が飛びそうになる。
油断をすれば現状を諦めそうになる。そう、諦めそうになる。
「は、はは」
思わず笑いが漏れる。そんな動作にリソースを割いている余裕などないはずなのに、今までにない八方塞で笑ってしまう。
「……貴様、何を笑っている」
祭葉宗三郎が、夜道を見下ろしてそう言った。
「決まってる。己の無力さを」
――今までは簡単だった。
相手を殺せば終わり。死の存在しないこの世界で、相手が反省するまで、諦めるまで、降伏するまで、保健室で修復を受けて復活する度、叩いて殺せば良かったのだ。
――それが、このザマ
殺せない。
たったそれだけの問題で、夜道は何もできない。他の手段は? 知るものか。そう自問し、自答し、愚かさに笑った。
そういえば、と自分が死ぬ前の世界のことを思い出した。電脳世界――死後の世界とは対の、いわゆる現実世界。
あちらの世界では人を殺してはいけなかったな、と夜道は不思議に思い出した。
――ああ、俺はとっくに狂っている。
この世界に来て死を忘れた。だから、夜道は当然のように人を殺した。何の為に、と問われれば。かつては学園の秩序を守るために。今はマキナを守るためにと答える。
――なんだ。
夜道は気がついた。気がついてしまった。気がつきたくはなかった。だが、自らの死を目前にして、あの祭葉宗三郎の話を聞いて気がついた。
――俺も、結局あの男と同じ。
祭葉宗三郎は社会を守る為に肉体を殺し続けた。
海月夜道はかつては学園秩序を守るために、今はマキナを守るために電脳体を攻撃し続けた。
――おなじじゃないか。
ならば、と夜道は思う。お互いに自分の中で殺人を目的の為なら是としてきたならば、互いにその行為を糾弾することができようか。
「出来る」
「何だ……――!」
ぱちん、と指を鳴らした。その直後、すり合わせた指から強烈な強烈な光が溢れ出る。まるで閃光弾のようだった。夜道の狙いはただ一つ、気を逸らすこと。
――あとで謝る。許せ。
「ぐっ……!」
「■ッ――!」
狙い通り。マキナは怯み、咀嚼をやめた。両手で目を押さえ、抗い難い苦痛に耐える。その隙を突いて、夜道は逃走を図った。両足はマキナに食われてしまっているので、両手で這うような移動となった。
「……全く、俺らしくない思考……だった」
はあ、と溜息を一つ。
「マキナを救う。それが一番だ……ろ。とはいえ、だ。……っ」
現状把握。考えずとも分かる、危険な状態だ。
下半身は消失し、それに伴い情報崩壊が発生している。意識は朦朧とし、電脳体は思うように動かない。零鳴による負荷もあって、体中がキリキリと痛む。呼吸は隙間風のようにかすかで、体を動かせるのは奇跡だった。
先ほどの零鳴は、夜道にはあれが手一杯だった。ただでさえ物理的に電脳体が削られて処理能力が低下しているので、具体的な形を顕現させるのが難しかったのだ。
夜道は今の零鳴で発生した負荷を元に、予測をする。あと一度だけなら零鳴を完全な形で使える。その代償として、電脳体の半分が持ってかれるだろうとも想定した。
つまり、チャンスはあと一回。
残った電脳体領域をフルに動かして、打開策を考える。マキナの視界が回復するまで、そこが夜道のタイムリミットだ。
破壊することしか出来なかった夜道にとって、あらゆる物を生み出し、あらゆる効果を発揮する零鳴は最後の砦だ。これが最後のチャンスだと、夜道は理解した。
――では、何を生み出す?
条件は、マキナを無力化、かつマキナの精神状態を正常にし、その後夜道の電脳体を修復できるもの。
――思いつかない!
少し考えれば分かる。そんなものは無い、と。
だが夜道は考えた。考えなければならなかった。それだけが唯一の打開策だからだ。
「■、■■■、!」
こうしている間にマキナは再び活動を開始しようとしていた。血走った目は怪物の如く、目は口ほどに『次は無い』と物語っていた。
《もしも、もしも私がその場にいれば多少はマシだったのだろう……! そうだ。君の考えていること、ほとんど解決できる》
――全部?
《ああ。電脳体を修復することも、緋之宮マキナを無力化することも。精神状態は……直接ハックしなければ分からないが……》
「――成程」
それは天啓の様であった。思わずほくそ笑んでしまう。この絶体絶命をひっくり返すおそらく唯一の手段を、夜道は思いついたのだ。
その閃きは、夜道の電脳体に寄生する灯火にも伝わったが、夜道とは反対に、灯火は異様に焦りを感じていた。
《馬鹿者! そんなことしたらどうなるか……! それは私でも成せなかった――いや、成そうとは思わなかった禁忌だ! そんなことすれば、どこかで漂ってる本体の私が君を許さない! 彼女はおそらくそれを認めない! やめろ、やめるんだ夜道!》
「貴様ッ……! その力はやはりあの憎き女の!」
マキナよりも先に、宗三郎の視界が回復した。同時に、夜道の力に気がつく。冷泉灯火――祭葉の歴史で、唯一システムに反抗した女子生徒と同じ力を有していることに。
「貴様の認識を改めよう。貴様は危険だ。ああそうとも。五十年前! そうだ、五十年前のあの女と同じ力を持っているのなら! 電脳体の停止まで油断など出来るものか!」
そう言って宗三郎はベルトから拳銃を抜いた。狙いを夜道の右腕につける。
「死ね!」
引き金が引かれる。軽い発砲音、叩き出された弾丸は夜道の右腕を貫く。
夜道に激痛が走った。電脳体全身に針が刺さったような痛みだ。
ああ、これでは右腕は使えないなあ、と夜道は呑気に考えながら。ぱちん、と左の指を鳴らした。
《馬鹿者!」
夜道は予測を修正した。この零鳴により自分の電脳体は、おそらく首から下は消失するだろう、と。さらに言えばそれだけの代償を払ったとして、成功するかどうか分からなかった。
それほどまでに重く、前代未聞の処理なのだ。
何せ、夜道が作り出そうとしているのは一人の電脳体なのだから。
だが不思議と夜道は、それを成功させることができるように思えた。何せ電脳体の設計図は、自分の中にあったからだ。
情報が流動する。それは夜道の見たことのない規模のデータフローであった。肉体が形成される、髪の毛が編まれる、衣服が形成される、意識が宿る。そして、夜道の中からある情報が抜け落ちた。
その膨大な処理に耐え切れず、夜道の首からしたは崩壊を起こした。頭だけがごろりと床に転がる。
「……」
表れたのは少女――いや、幼い女の子であった。私立高校たる祭葉学園では見る事はできないであろう、十歳程度の女の子。薄汚れた白衣。床まで伸びた長い髪。よれよれのジーンズ。気だるそうに眼鏡を掛けた幼子。
「……やれやれ、なんだこの姿は。電脳体を構成するための情報をケチったな?」
そういって幼子は床に転がる夜道の首をひょい、と抱きかかえた。
「……しかたないだろ。どう見積もっても五体満足でお前を構成するには、電脳体を小さくするしかなかったんだ」
「次は上手くやれよ?」
「冗談言うな。俺の中に、お前はもういない。お前を作るための触媒にしたからな」
「■■■――ッ!」
マキナが叫んだ。まるでその、夜道と幼子とのやり取りが気に喰わないとでもいいたそうに。それに同調するように、転がる大量の棺が宙に浮いた、念動力だ。それらで夜道と幼子をぐるりと囲う。円形ドームのように配置された棺は、
「■■■■!」
マキナの合図と共に棺は射出された。
「また古典的な能力を選んだものだ。しかし、リハビリにはちょうどいい」
幼子は空間にホロウィンドウ、QWERTYキーボードを投影する。左手で夜道の頭を抱えたまま、右手でキーボードを操作し始めた。ハッキングだ。
「ああ、指が小さくて打ちにくい……」
苛立ちながら中指でエンターキーを思いっきり叩いた。
「雑だ、雑だ。雑すぎる! 命令系統が丸見えだ!」
すると幼子達を襲おうとしていた棺はぴたり、と空中で停止した。幼子が行ったのは空間凍結だ。それも何百とある棺の一つ一つの座標に合わせて、細かく凍結を行ったのだ。
「■■■!?」
「ああ、空間不正破りを使っても構わないが、私はそれにハックして無効化できるぞ。そうだな、黄蘭。結局、君は私に勝てなかったな」
「■■■! ■■■■■■、■■■■!」
今度はマキナの背中から翼が現れる。鳥などのそれではなく、鋼で構成された翼だ。右腕には大口径の砲塔が、
「君の手品も見飽きたよ」
ぱちんと指を鳴らした。突如としてマキナの右腕の砲塔はバラバラに弾け、背中の翼は鎖へと変換され、まるで意思を持っているかのようにマキナの体に巻きつき、きつく拘束した。
「……さて! こんな姿だが、君なら私の正体に気がついただろう?」
そう幼子は祭葉宗三郎に問いかけた。
「……この最低最悪め! また貴様は僕の邪魔をするのか! 冷泉灯火!」
「いかにもその通りだ。とは言っても、私は五十年前君に歯向かった冷泉灯火ではないがね。いや、ある意味同じか。私はこの海月夜道が零鳴を使って作り出した、冷泉灯火の複製だ! ふむ、少し紛らわしいな。いいだろう。これから私はトーカと名乗ろう」
「……あまり変わらないな」
「活字情報では大違いだ」
「……っクソ!」
悪態をつき、拳銃を突きつける。だが宗三郎はもはや、どう足掻いても勝てないことに気がついていた。地上の防衛委員会をここに呼び出す。逃走を図る。マキナの拘束を解くようにハッキングを仕掛ける。
――無駄だ。
カウンターハッキング、空間封鎖。いずれも、トーカの力なら用意に妨害できる。それも、今のトーカは本気だ。二年前のあの日の冷泉灯火は明らかに手を抜いていた。それとは全く状況が違うのだ。
そして宗三郎は銃を下ろした。あきらめたのだ。
「夜道。あの男はもはや八方塞だ。私が表れた時点で、どう抗おうが私達の勝ち」
「俺にもそう見える」
「だから最後に君に問おう。あの男は私がとどめをさしてもいい。だが、君が望むなら――綿篠電脳体の、管理者権限の一部を君に許可しよう」
「――それはつまり」
「そうだ、君は一時的に私の電脳体を操作する権限を得る。君は、君の手で祭葉宗三郎にとどめをさしてもいい。どうする?」
◇ ◇ ◇
「……あっけない、そうは思わないか。冷泉灯火」
「トーカ、だ。ふむ、その意見には同意だ。五十年前とは違って、なんともあっけない結末だ」
「……早く僕を削除すればいい。君なら気がついているだろう、僕の電脳体は一度傷つけば再生しない。僕はこの祭葉の例外だ」
「ああ、だがその前に夜道が話したいことがあるそうだ」
灯火はそういって、夜道の首を掲げる。できるだけ宗三郎の視線に合う様に、出来るだけ高く。
「変わり果てたな」
「ほっとけ」
そう言って、宗三郎は、首の視線に合わせるために腰を下ろした。
「俺はお前を許さない」
「僕もだ」
「だけど、一瞬だけお前を許容しそうになった」
「奇遇だな、全く」
「ああ。結局のところ、俺もお前も目的のために多くの人を傷つけたことには変わりない。だから、お前がここで消えるのなら、俺もここで消えるべきなんじゃないか?」
「……僕が死という運命に殉じたなら、同じことをした貴様も死に殉じるべきか? という問いか。――馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しい、だと?」
「そうだ、馬鹿馬鹿しい。貴様の、祭葉での行いは僕も知っている。この榎田海座の電脳体も、お前を相当恨んでいた。派手にやってたようだな。だが、……いいだろう、最後に大人らしく子どもに説法たれてやろう。君は許される。だが、私は許されない」
「何故?」
「君が子どもだからだ」
「は――?」
夜道は驚き、宗三郎の言葉を理解しかねた。
「……驚くことではない。本来はそういうものなのだ。たとえ君が人を殺そうと、物を盗もうと、家屋に火を放とうとも、最大限譲歩される。理由は一つ、子どもだからだ。
無論、許容されないこともあろう。しかし、子どもは未熟な存在だ。だから、間違いを犯して当然だ。だから君は許される。大人は君を許す。
僕はそうではない。大人だ。海月夜道、子どもは未熟――と言ったが、それは子どもを基準に考えてはいけない。子どもは未熟だから、大人は完全? 違う、大人は完全であらなけれなならない。未熟なモノの模範となるように。だから、僕は許されない。大きな罪を犯し、子どもにとっての模範とは程遠くなったからだ。
子どもは未熟だ。だから、間違いを犯す。大人は子どもが間違いを犯さないように、模範と成らなければならない。祭葉学園を作ったのは大人だ。そして、学園を自由にさせすぎた。なら君のその攻撃性を育成したのは、大人だ。君は大人の過ちで、人を攻撃するようになったのだ。だから君は許される。悪いのは大人――つまり僕だ」
長い独白だった。奇妙であった。それは、今までの祭葉宗三郎の行動を全く否定するもので――これを知りながら、子どもを殺し続けた祭葉宗三郎を、夜道は理解できなかった。
「……俺はお前を殺す。それ以外の解決方法を、俺は知らない」
「構わない。その思考は、いわば僕が育てたものだ。憎たらしいが、許そう。貴様のこれまでの行いも全て許そう。貴様を許せるのはできるのは、祭葉学園唯一の大人である僕だけなのだから」
トーカの電脳体は夜道の首を持ち替えた。左腕で抱えるようにして、右腕は宗三郎の頭に当てた。
「……最後に一つだけ伝えておく。死はこの学園には存在しない。それは電脳体に一定のダメージが入ると、自動で転送システムが起動するからだ。……あのシステムの管理者権限を持っているのは、僕だ。僕が削除――死ねば、管理者がいなくなったこれは停止する。つまりだ。この学園に消去という死が蔓延する。……いや、その方が良いのかも知れないな」
「……最後に俺から聞く」
「何だ」
「お前、五十年前にどうやって冷泉灯火を倒したんだ?」
ああ、と祭葉宗三郎は目を細めた。懐かしそうに、過去を見る様に、ただ遠くを見た。
「あの時は仲間がいた。――ああ、あれは優秀な女子生徒だった。達観したような、諦めたような濁った『眼』をしていたが、どこまでも真っ直ぐだったよ。フン、貴様を見て思い出したよ。貴様の『眼』はあの子と良く似ている」
「……」
思考操作、トーカの電脳体にプログラムが走る。
全てを裂く黒い一閃。空間破壊は祭葉宗三郎を完全に破壊した。




