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テンプレート・タスク

『あらかじめ伝えておこう。君は死ぬ。どうやって死ぬかはわからない。ただ、確定した未来の事実として、一時間以内にお前は死ぬ。絶対だ。今のお前にできることは、祈るか、怯えるか。哀れな犠牲者よ。どうか、良き人生最後の一時間を』

 そう言い切ると、一方的に電話は切れた。


「……さいですか」


 ひどい悪戯電話である。海月(うみつき)夜道(よみち)はあきれてため息をついた。

 スマートフォンのデジタル時計は二十三時をまわっている。今日と言う日がまもなく終わろうとする時に、この電話はかかってきた。一度ではない。スマートフォンの着信履歴が埋まる程度にはかかってきていた。

 夜道は一度目の呼び出しは拒否した。真夜中の、見知らぬ人間からの着信には応答したくない。多くの人々の考え方であり、夜道もその考え方に従った。

 しかし一度目の呼び出しの後、二度目の呼び出しがすぐにかかってきた。同様に拒否すると、三度目の呼び出し。拒否。四度目の呼び出し……拒否しても、三秒事にかかってくる。

 最初、夜道はスマートフォンを電源を落としてしまおうか、と考えていた。しかしながら、怖いもの見たさか、夜道は不審な電話に応答してしまった。

 その結果は冒頭の通りだ。


 ――お前は死ぬ、か。


 夜道は考えた。電話のことだ。

 たかがいたずら電話だ。本気で相手すべきではない――とは思っている。しかし一方で「もしも事実だったら」と、ありもしないことを考えてしまう。夜道はそういう人間だ。『お前は死ぬ』という、電話から発せられた言葉。まるで宣告のようだ、と夜道は思った。


 ――もしも死ぬなら、どうやって俺は死ぬのだろう。


 ベッドに寝転がって、そんなことを考え始める。他殺か、自殺か。病死か、事故死か。それとも、抗いようのない運命的な死か。誰かの恨みを買っていただろうか。最後に病院に行ったのはいつだろうか。もしも、想像だにしない死に方をするなら――


「って、何を考えてるんだか」


 その言葉で、夜道は思考をリセットした。いつの間にか悪戯電話に、大きく意識を割いていたことに気がついた。


「考えるだけ無駄だってな」


 改めてスマートフォンの時計を見た。死の宣告から既に五分経過していた。

 ――あと五十五分以内に海月夜道はこの世から消える。あの電話が正しいならば。


「……寝る!」


 部屋の電気を消し、布団を被った。スマートフォンは枕脇の充電クレードルに挿した

 夜道はなんとなく時計が見たくなかった。だからスマートフォンをぱたりと倒した。

 またあの電話がかかってくるかもしれないと思った。だからサイレントマナーにした。

 しかし、すぐに時間を確認できないのは嫌だった。だからスマートフォンの電源は落とせなかった。

 真っ白な天井の、存在しないシミを探したり。布団を頭まで被ったり。

 こうして海月夜道は眠りに付いた。



 はずだったのだが。


 ――眠れない。


 今日と言う日に限って夜道の目は冴え渡っていた。ずっと目を閉じる努力をしているが、明らかに眠りに落ちる気配はない。それどころか、少しでも気を抜くと目が勝手に開いてしまいそうである。

 原因は明白だった。未だに電話のことを引きずっているためだ。

 眠るため何も考えないように努力している。しかしながら、頭の隅にどうしても電話が、死の宣告が、夜道の思考に現れてくる。


 ――何も考えない様にしよう。


 そう思えば思うほど頭が働いてしまい、余計に悪戯電話のことを意識してしまう。


 ――俺はこんなに臆病だったのか。

 夜道は心の中で苦笑を噛み潰した。四月から高校一年生になるというのに――夜道はなんだか情けなくて悲しくなってきた。


「――!」


 夜道が急な息苦しさを感じたのは、ちょうどその時だった。

 腹のあたり、まるで分銅でも乗っている様。そんな気持ち悪さが夜道を襲った。不快、そうとしか表現しようがない苦しみ。腹の中の空気は全て押し出され、新しい酸素は夜道の中に入ってこない。

 腹風邪か、それともただの下痢か。夜道はこのどちらかだろうと思った。

 ともかく、早いうちにトイレに行かなければならない。腹の薬はあっただろうか――そう判断して、夜道はベッドから体を起こそうとした。

 しかし、夜道のその試行は上手いかなかった。


 ――体が、動かない。


 夜道がいくら力を込めても、まるで強い力に抑え込まれているように動かない。


 ――いや、これは。


 つう、と。夜道は冷や汗が吹き出るのを感じた。そして気がついた。夜道を襲っているこの不快感の正体――夜道は最初、体調不良だと思っていた。しかしこれは、明らかに病気だとかのソレではないとはっきりと認識した。


 ――本当に、何かが俺の上に跨っている!


 確信であった。夜道は腕を布団から引き抜こうとして――失敗。何かが夜道の肩を押さえ込んでいた。

 何かにつかまれる感覚。夜道は上に跨っているものが人間か、あるいはそれに準じるものだと予想を立てた。

 だが、現在夜道はマンションの一室で一人暮らしである。

 父親は海外へ出張、母親は夜道が小さいときに離婚した。

 そのため、部屋には夜道の他は誰もいない。厳密には家政婦型(メイドタイプ)のアンドロイドが一機ある。しかし


 ――この時間だと、もう充電モードに切り替わっているはずだ……


 夜道の予想では、上に乗っているのは見知らぬ人間。侵入者。そして夜道を助ける人はいない。

 そう理解した瞬間、睡眠欲をひねり出そうとしていた夜道の脳、その全てのリソースがこの状況の理解のためにまわされた。

 瞬間、冷たい血が脳を駆け巡る。夜道はとある、愚か者の妄想としか捉えられない様な、陰謀論じみた考えが頭をよぎった。

 『お前は死ぬ』

 寝る前にかかってきた悪戯電話だ。

 その死の宣告は、呪詛のようにしつこく夜道の脳内を侵す。

 夜道は自分の心臓が明らかに鼓動が早くなっていると気がついた。


 ――俺は殺されるのか?


 ふざけるな、ありえない。誰だお前は――夜道はそう叫びたかった。

 だが夜道の体を襲う忌まわしき恐怖が口を縛り、瞼を開かぬように縫い付けた。ほんの少しの懐疑心は非現実的思考、現実的思考の境界を溶かしていった。


 ――そんな、これは妄想だ。だって、馬鹿な。誰かが俺を殺そうとしているなんて! 一体俺が何を……


 夜道の混乱はまもなく最高潮に達しようとしていた。

 夜道の体にまた別の異常が襲ったのはちょうどその時だった。夜道の頬に何かが触れたのだ。

 それはつまり、夜道の上の何かが眼前まで迫っていることを示していた。

 夜道にはもはやどうすればいいかわからない。

 夜道がそう思うのも無理はなかった。夜道の住むこのマンションの部屋はセキュリティが万全なのだ。マンション入口オートロック、監視カメラ、契約警備会社、モニター付きインターホン。そしてマンション内を巡視するセキュリティ・ロボッ ト。海外出張中の父親が夜道に与えた、子どもには過剰すぎる設備を備えた高級マンションだ。

 その為、まず夜道のマンションに侵入しようとする人間は表れない。もしも何か異常があれば、警備員とセキュリティ・ロボットがすっ飛んでくるのだ。

 それをすり抜けてくる存在を、夜道は想像できなかった。

 夜道の上の何かは先ほどからずっと頬を撫でている。未だに目をつぶっている夜道には、侵入者らしき者の正体はわからない。ただ頬を引っ張られたり、つままれたりしていることだけをわかっていた。


 ――弄ばれている……?


 夜道は侵入者の様子がおかしいことに気がついた。

 夜道の両頬はこねくりまわされていて、いつの間にか腕の拘束は解かれている。夜道は自分の胸板に、なにかやわらかいものが乗っていることに気がついた。

 夜道はまさか、と思った。夜道はこの感触に覚えがあった。家政婦型(メイドタイプ)アンドロイドが、夜道の前で転んで偶然覆いかぶさったときとそっくりな感触。要するに胸。

 夜道がそのことに気がつくと、恐怖は薄れ、気味の悪さが残り、そして赤面した。夜道の頭に変態的妄想がる。


 ――ろくでもないことを憶えてるな……!


 夜道の変態的予想によれば、侵入者らしき者は女性。そこそこ豊満。そして夜道に対して覆いかぶさるような体勢になっている。

 春先のため、夜道が被っている布団は薄い。人肌の温かい感触は十五歳の男子の心を絡めて離さない。

 夜道は顔から湯気が出そうな思いをして、その真っ赤な顔に微かな息遣いを感じた。


 ――勘弁してくれ……


 それは女性の顔がもうそこまで来ているというサインだった。余りに意味不明な状況。夜道は頭がくらくらしてどうにかなりそうだった。このまま黙っていた方がお得ではないか、と夜道は湧き上がる下心が隠せない。

 夜道はますますこの女性の正体が気になってきた。警備を潜り抜けて十五歳男子に口付けを迫る変態。一体こいつは何者なのだろうと。

 ついに夜道は薄目を開けて、女性の正体を探ることに下。

 目を開けていることがばれぬ様、少しづつ、薄く目を開いていって。


「――」


 絶句した。思わずかっと目を見開いてしまった。


「おや、起きてしまいましたか」


 夜道の目に飛び込んできたのは、自分と同年齢か、一つか二つ上に見える少女。邪魔にならないようにと、肩までで揃えられた髪。ホワイトブリムにメイド服。その装いは典型的な家政婦(メイド)だった。

 メイドの目は良く見るとカメラの様に何層ものレンズが重なっていて、人間のそれではない。その体温は一定でなく、処理の重さで変化する。熱い吐息は排熱機構。艶のある髪の毛は交換可能。服の下には『MATSURIBA CORP』の印字。

 祭葉コーポレーションは知らない人間がいない大企業だ。取り扱っている商品は――人造人間(アンドロイド)


「不肖私、夜道様のメイド、『ミヅキ』による深夜サービスでした。いかがでしたか?」


 夜道は何も言わず、目の前の家政婦(メイド)型アンドロイドにヘッドバッドを繰り出した。



「どうぞ、ちょうどハーブティーがございます。眠れないのでしたら、まずは神経を落ち着けることが重要です」

「……一体誰のせいだと思ってやがるのさ」

「私です」

「開き直るな」


 夜道はそんなことをぼやいた。夜道とミヅキはダイニングテーブルを挟む様に座っていた。夜道目の前には、ミヅキが用意したハーブティーが独特の香りを放っている。


「準備がいいな」

「はい。私は夜道様の完璧なメイドですから」

「まるでこうなることを予測していたようだ」

「いいえ、まさか。しかし、不測の事態に対応してこそメイドです」

「そりゃ、はあ……、俺はお前が誇らしいよ」

「光栄です」

「不測の事態を引き起こしたのはお前だがな」

「間違いないですね」

「開き直るな」

「アンドロイドは常に正確な解答をするのです。冷めないうちにどうぞ」


 夜道はお茶を一口飲んで、はあ、とため息をついた。


「……苦いな」

「ハーブですから」

「目が冴えそうだ」

「良薬は大抵苦いものです」

 ――いつからこんな性格になった。真面目な様相でからかってくるから性質が悪い。


 夜道はそんなことを思う。夜道が憶えている限り、ミヅキを購入した当初はこんな性格ではなかった。それこそ人工物らしい、無機質で淡々とした性格だった。想像できるだろうか、かつてミヅキが発する言葉といえば「はい」「いいえ」「了解」だけであったのだ。

 しかし、今夜道の目の前にいるアンドロイドはどうだ。ニコニコと感情豊かに人をからかう、悪戯好きの女の子だ。

 どこでこんなに性格が変わったのだろう、と夜道は頭を抱える。しかし、夜道とミヅキはもう長い付き合いであるから、もはやどこで変化したのか曖昧でわからなかった。

 夜道はもう一口ハーブティーを口に含む。やはり甘味らしい甘味は感じず、とても苦かった。


「かわいい反応でした」

「ぶフっ」


 ミヅキが突然そんなことを言い出した。食道を通過しようとしていた夜道のハーブティーは突如として進路を変え、気道に入り、呼吸器に深刻なダメージを与えた。夜道はむせた。

 ゲホ、と咳払い。気道に新鮮な空気が入り込む。「あのな……」と夜道がいうと、ミヅキは「何でしょうか?」ととぼけたフリをする。

 そして夜道は叫んだ。


「突然寝込みを襲うメイドがいるか!」


 羞恥にまみれた訴えだった。夜道は先ほどのことを思い出し、て頭のてっぺんから足の先まで火をつけられたように熱かった。


「襲う? いえ、あれはスキンシップでございます。……文字通りの、肌と肌の触れ合い(スキンシップ)

「一度辞書でスキンシップの意味を引いて来い!」

「何を言っていますか夜道様。私はアンドロイド、常にインターネットを通じて様々な情報を収集しているのです。もちろんスキンシップの正しい意味も知っています。わざと間違えたに決まっているではありませんか」

「悪質だ!」

「あ、エロいこともできますよ。触りますか?」

「誰が触るか! うら若き未成年をからかうな!」

「まあ落ち着いてください。ほらお茶が冷めてしまいますよ」


 ミヅキが夜道にお茶を飲むように催促する。夜道は「はあ……」と一つため息をついた。

 カップを見た。薄緑のお茶が波紋を立てていた。表面には夜道の顔が映っている。揺れる波紋が顔をぐにゃりとゆがめていた。それはまるで夜道の心象を投影しているかのようだ。

 夜道は対面に座っているミヅキを見た。素晴らしい笑顔である。


「しかし夜道様もこんなに大きくなってしまって。よよよ、何だか私は寂しいです。昔はあんなに無邪気でしたのに。あのころの夜道様は私のスカートをめくることに全力を注いでいらっしゃいました」

「ちょ、ま。いきなりなんでその話を」

「まあスカートをめくったところで見えるのはインナー状のペイントだけですが。あの時はアンドロイドに欲情する変な子どもだと思っておりました」


 再び羞恥心が夜道にまとわり着く。ただしそれは自身の行動から湧き出てきた恥ずかしさという点で、先ほど感じたそれとは性質が違っていた。

 ミヅキの言葉は事実だ。夜道の黒歴史、忘れ去りたい過去である。


「あの時はまだ俺も小学生だったから、ネットで見たことの真似をしたくなるっていうか」

「ええ、そうでしょう。小学生はなんにでも興味を持つ年頃、悪いインターネットに毒されたのだと判断できます。きっと、いつも仏頂面の私を困らせたかったのでしょう」

「だから、まあ俺の口から言うのもアレなんだが、忘れて欲しいって――」

「そうそう、七歳の頃の夜道様にお聞きしたいことが。私の胸は柔らかかったですか?」


「やめてくれ―ッ!」

 絶叫。

 夜道の羞恥は限界に達しようとしていた。ところで住むここは俗に高級マンションと呼ばれる場所だ。防音も完璧であり、いくら騒いでも隣人に声が届くことはない。夜道の叫びを聞いているのは、クスクスと笑うミヅキだけである。


「他にもありますよ。アンドロイドの記憶が消えることはないのですから、鮮明に思い出せます。例えば――」

「あーッ! あーあー!」


 ミヅキの言葉を遮るように喚く。

 そんな夜道の様子を見て、ミヅキは満足気で、


「大丈夫です。」


 と言った。

 ミヅキは立ち上がり、席を移動する。それまで夜道とテーブルを挟んで向かい合う様に据わっていたがミヅキだったが、今は夜道の隣の椅子に座っている。

 するとミヅキは夜道の手を取った。夜道の体がかすかにこわばるのを感じたが、無視をする。

 ミヅキは夜道の指をつまみ、小指、薬指、中指、親指を折りたたむ。そうして夜道の手を人差し指のみまっすぐに伸びた状態にした。

 ミヅキはやさしく、夜道の手を包む様にして、引き寄せて――ミヅキは夜道の人差し指を自分の唇に当てた。


「しーっ」


 夜道の思考はずっと交通事故を起こしっぱなしである。もっとも、この状況で冷静でいられる男がいるか、という疑問もわいてくるが。

 夜道はミヅキが何をしたいのかは理解できた。唇に立てた人差し指を当てる、というのは周囲に沈黙を求めるジェスチャーである。一般常識、一般教養だ。要するにミヅキは「これ以上は余計なことをいいませんよ」ということを伝えたいのだろう。

 そのジェスチャーをミヅキは夜道の指と、ミヅキの唇で行った。それだけだ。


「――」


 夜道から言語能力が喪失した。呆けているのだ。夜道は指から柔らかな唇から微熱を感じた。

 ミヅキを包む人工皮膚の感触は限りなく人間に近く、それに加えほとんどど劣化することはない。家政婦(メイド)型アンドロイドは例外なくこのタイプの皮膚が搭載される。赤ん坊を抱いても平気な様にするためだ。

 今、その柔らかな感覚は夜道の指を受け止めている。夜道は半分麻痺しているかのようだった。指を離そうとしても離せない。今、夜道の指は正しく触覚器は正しく機能していない。指が溶けるような錯覚が神経に走に走っている。まるでつままれた砂糖菓子、吸い込まれてしまいそうであった。

 満足したのか、ミヅキは唇から夜道の指を離す。


「……あの、夜道様?」


 そんな夜道の姿を見て、心配そうに声をかける。


「っは! 何だ、俺は正気に戻ったぞ!」


 などと夜道はのたまう。


「夜道様」

「……なんだ」

「夜道様は、私の事が好きですか」


 今度こそ夜道のメモリは焼ききれた。


「私の記憶が正しければスカートめくりその他セクハラは、小学三年生でぱったりと止みました。自分の行いに恥ずかしさを感じたのでしょう。……そう思っていましたが、今となってはあれは私に構った欲しかったのではないか、と思うようになりました。インターネットで調べると、似たような事例がたくさん出てきました」

「…………」

「そのあと、印象的な問いを夜道様は私に投げかけました『誕生日はいつか?』と。私はアンドロイドですから、誕生日は存在しません。あの時は判断に困りました。ですから、便宜的に始めて夜道様に電源を入られた日を答えました。十二月二十五日――すると夜道様は毎年私のためにプレゼントを用意してくださるではありませんか」

「…………」

「夜道様にも変化が現れ始めました。夜道様は料理を覚え、掃除を覚え、洗濯を覚え……一通り家事を覚えました。私が夜道様に『大丈夫ですから、休んでいてください』と言うと夜道様は『大丈夫、ミヅキが休んでくれ』と言うのです。あの時は、私はもう不要なのではないかと寂しく思いましたが、今思うと夜道様は私の負担を減らそうとしていたのでしょう」

「……ぁ」

「他にも、色々なことがありました。機械に過ぎない私を、夜道様は色んなところに連れまわそうとしました、デパート、公園、遊園地、動物園……。これはまるで――」

「…………ぁ、ぁ」

「これはまるで、夜道様が私の気を引こうとしているかのようです。男性の、好いている女性へのアプローチと同じです。」


 夜道は何も言わない。いや、言えない。

 思考はだんだん回復してきた。が、考えることを拒否している。

 心臓はパンク寸前、汗は放熱を促すために通常の倍流れる。

 はたして、意中の女性から心の中の秘密を暴かれて冷静な態度を取れる男性が、この世に何人いるだろうか。

 自分は人間、ミヅキはアンドロイド。

 普通なら人間がアンドロイドに恋をするなどありえない。性的欲求を満たすためのアンドロイドは存在するが、夜道がミヅキに対して向けているのはそれとは違う。夜道はずっと前から恋をしているのだ。このミヅキというアンドロイドに。

 異常なことだ。ありえないことだ。あってはならないことだ。夜道はそう思っている。ミヅキも同じことを考えている。

 夜道は失望した。禁断の恋が、まさかの意中の相手に暴かれたのだから!

 幸福感は消えうせた。夜道が現在唯一所有している感情は『絶望』。まだ態度に表れていないが、その眼は悲しみに濡れようとしていた。

 しかし、


「夜道様。私は夜道様が好きです」


 ミヅキは、そう告白した。

 夜道はうろたえた。今このアンドロイドは何と言ったのか? と。


「夜道様が、好きなのです」


 今度ははっきりと夜道は聞いた。ミヅキというアンドロイドは、人間である夜道に恋を告白したのだ。夜道が何年と悩んだ『異常』を、ミヅキは超えてきたのだ。


「今更ですが、突然深夜に起こしてしまい申し訳ありません。ですが、これは私が悩んだ末の結果なのです。あと数十分で今日が終わります。その前に渡したいものがあるのです」


 そういってミヅキは、どこに隠していたのか、一つ箱を取り出す。リボンで装飾され、黒の包み紙で包まれた人目でプレゼントとわかる箱だ。


「夜道様、覚えてますか? 今日は貴方の誕生日です。……どうか、受け取ってください」


 そういってミヅキがプレゼントを差し出す。


「あ、……ありがとう」


 夜道は何とか喉を振り絞り、プレゼントを受け取った。


「あけて、くださいませんか?」

「あ、ああ」


 ミヅキがそう催促する。夜道はそれに従い、プレゼントのリボンを解いた。

 中に入っていたのは、シルバーのネックレス。シンプルなデザインで、ファッションに疎い夜道にも使いこなせそうである。


「アンドロイドは着飾りません。与えられた服装を、与えられたがままに着るのみです。ですから、本来アンドロイドがアクセサリーを買うなど、ありえないのです。……私は、少しでも人間(あなた)に近づきたいのです」


 そういってミヅキは箱からネックレスを取り出した。そして夜道の首に手をまわし、ネックレスをつけた。


「お似合いです。夜道様」


 夜道は首にひんやりとした鎖を感じた。火照った体にはちょうど良かった。そしてそれは、目の前のミヅキが夢なんかではないことの証明だった。


「ミヅキ、俺は――」

「駄目です!」


 ミヅキが夜道の言葉を遮る。夜道は、こんなにもあわてているミヅキの姿を見るのは初めてだった。


「私は怖いのです。それを聞いたら、私はこの身が壊れるまで後悔しそうなのです」


 そういわれて夜道は何も言えなくなる。

 ――きっと、俺は後悔しない。

 夜道はそう考える。同時に、それはエゴだとも理解する。アンドロイドが人の猿真似をしたところで、はたしてアンドロイドにはできないことを求めたとき、ミヅキは何を思うのだろうか――そう思うと、決して言葉を続けることができない。


「……今日は、もう休もう」


 夜道がなんとかひねり出した言葉だ。

 ともかく、落ち着く時間が欲しかった。この一時間は、あまりに激動だった。

 だからか、夜道は電話のことなどすっかり忘れていた。


「そうですね、夜道様」


 ミヅキが悲しげに告げる。


お休みなさい(・・・・・・)

「ああ、おやす、み、い?」


 夜道は椅子を引いて、立ち上がって、歩き出そうとして、体勢を崩して膝をついた。


「……何だ、この感覚は」


 夜道は自分の身に何が起こったのかわからなかった。突然、体から力が抜けたのだ。まるで糸が切れた人形の様に。


「眠い」


 夜道はなんとなくそう発して、自分の身の異常に気がついた。

 夜道は猛烈に眠かった。先ほどまで全く眠気を感じなかったにも関わらず、突然だ。

 ――ハーブティーの効果?

 寝ぼけかかっている頭でそう考えたが、すぐに否定した。

 ――ありえない。こんな急に効くお茶がぽんぽん出回ってたまるか。まるで睡眠薬を飲まされた感覚だ。


「ミヅキ」

「はい」

「何を飲ませた?」

「睡眠薬です」

「ふざけてるのか?」

「アンドロイドの解答は常に正確です」


 夜道は、さらに体から力が抜けていくのを感じた。四つんばいで、かろうじて姿勢を保持している。しかし、その体にはもはや立ち上がる力はない。少しでも気を抜けば意識が飛ぶ段階だ。


「確かに眠れないといったが、やりすぎだ。それくらいの判断はつくだろう」

「そうですね」

「――意図的に睡眠薬をしこんだな」

「はい」

「何で……だ?」

 夜道はついに床に倒れてしまった。指はもう動かせない。かろうじて口が動いているだけだ。


「祭葉コーポレーションの命令です」

 ――なぜだ。


 夜道にはもう、言葉を話す気力は無かった。瞼を閉じないようにするだけで精一杯だ。


「夜道様。あなたは睡眠薬で眠った後、私の手でそこのベランダから落とされます」

 ――冗談じゃない。ここは十階だぞ。お前は何を言っているんだ。

「公式には自殺という扱いになります。そして、夜道様の遺体は祭葉コーポレーションが引き取ることになります」

 ――ミヅキ


 夜道は殆ど閉じた目が濡れるのを感じた。つう、と頬にそって流れ落ちる。


「夜道さま。ごめんなさい。命令には逆らえないのです」

 ――

「……ああ、こんなことになるなら。私はひどく後悔しています。夜道様、あなたの返事を聞けばよかった。大好きでした。夜道様」


 翌日の朝、海月夜道は無残な姿で発見された。第一発見者は同じマンションに住む会社員。出勤しようとしていたときに見つけたという。

 セキュリティ・ロボットや監視カメラ等の諸々の記録から、警察は自殺と断定。自殺の原因は不明。学校での人間関係も良好であり、特に問題をおこしたケースもなく、遺書などは見つからなかった。警察は海月夜道の特殊な家庭環境と関係があるのではないかと発表したが、予想の域を出ないとも言った。

 また、海月夜道は家庭用アンドロイド一機所有しており、その映像記録が自殺の原因を捉えているのではないかと期待された。しかし、自殺の原因と思われる記録は存在しせず、記録は事件前日の午後十一時で止まっていた。それ以降は、スリープモードのために記録されていない。

 血の濡れたネックレス――頭が割れ、首が曲がっても、それは死体に巻き付いていた。

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