あの慟哭をもう一度
「眠れるわけ無いだろ……」
夜道が展開したホロウィンドウは朝七時を示していた。通知欄はメールアイコンが表示されている。ちょっと前に届いたものだ。
一方のマキナは寝息を立てながら気持ちよさそうに寝ている。夜道が眠れなかった原因は、そんなこと知ったこっちゃねえと言った具合だ。
夜道はテント(硬度高め)という狭い空間で、女の子と並んで眠る度胸など無かった。悲しい男のサガだ。今まで女子がこんな近くにいるという経験が無かった夜道には、これに抗う術を知らない。
――だからと言って土の上で眠るのは寝床を用意してくれたマキナに悪い気がして、なあ。
「ヘタレだなあ……」
寝不足で痛む頭を押さえる。手動でホロウィンドウを操作して、メールボックスを開いた。交友関係の広くない夜道に、メールを送る人間はそう多くない。
学園からのお知らせメール、うっかり登録してしまったメールマガジン。マキナ、アシュリー、薊、そして雨宮一葉。
『出来るだけ早く連絡ください。このメールを送信する段階では決定事項ではないので、不正確な情報は書けません。ですが、とても許容できない状況になりつつあります。以上』
「……どういうことだ?」
雨宮一葉は公安委員会である。マキナは公安に追われる立場にある。夜道はマキナと協力関係にある。一葉と夜道は敵対の関係にある。従って、このメールの内容は極めて不自然なものであり、疑うべきものである。
「まあそれはそうなんだけど」
そして、かつては同じ委員会に所属した元同僚だ。
反応すべきか、無視するべきか――夜道は考える。
「許容できない状況ってのは気になるよなな……」
夜道は一葉の人となりを知っている。一言で言えば馬鹿。良く言えば嘘がつけない。
「まあ、結局こうするよな」
アドレス帳を開き、『雨宮一葉』の項目をタップする。【音声のみ】と表示されたホロウィンドウが展開され、マイクとスピーカーの役割が付与された。
――いや、一応警戒はしておくか
夜道は通話を、通常のモードから念話通話に切り替えた。口を動かさず、頭で思うだけで相手に音声が届くゆえに念話通話という名前が付けられた。ちなみに通常通話は無料だが、念話通話は有料である。
――残高いくらだったか
などと考えながら、相手が出るのを待つ。
『通じましたか』
『ああ、通じたぞ。保健室は快適だったか』
『まさか。熊に膝枕してもらったほうがマシです』
『それで、こんな朝早くから一体何の――』
『――状況が状況なので、私から一方的に話します。指導公安委員会は緋之宮マキナの追跡を打ち切りました』
『何? どういうことだ』
『生徒会長が現在の公安員会に緋之宮マキナを拘束する力がないと判断したためです』
『――生徒会。生徒会長。そうか、あいつが関わってたのか。合点した。生徒会長なら理由のないあらゆる執行が認められる』
夜道の頭に浮かんできたのは、小悪党風の男。榎田海座だ。
榎田海座が生徒会長に就任した経緯は奇妙なものであることは、祭葉学園のほとんどの生徒の知るところだ。生徒会長選挙に立候補した生徒のうち、海座以外が辞退したのだ。結局、新しい候補者は現れず榎田海座はそのまま会長となったのだ。
つまり、多くの生徒にとって榎田海座は信用に足る生徒会長ではない。
『そして、生徒会長は防衛委員会を再編すると決定しました』
『防衛委員会、だと』
防衛委員会。制服の色は赤。祭葉学園を外敵から守るために編成された、所謂軍隊にあたる組織だ。
しかし、防衛委員会は夜道達が入学するころにはすでに休止状態にあった。必要とされなくなったからだ。祭葉学園が出来た当時は時折ウィルスがどこからか出現する状況にあり。それらから学園を守るのが防衛委員会の仕事だった。だがそれも学園初期のころの話であり。いつのまりかウィルスは発生しなくなり、防衛委員会は不要となったのだ。
『何をトチ狂ったんだあの会長は。あんな金食い虫をまた組織して、一体何を――』
『夜道、出来るだけ頑張って逃げてください。彼らは、防衛委員会の力をもってあなた達を拘束するつもりです』
『な――! どういうことだ! 一葉、ちゃんと説明しろ! どうしてそんな事になった!』
夜道はそう問う。しかし、
『駄目です夜道。手持ちの機関銃から弾が無くなりました。再装填する時間も、新しい銃を構築する時間もありません。私はここまでです。あの赤制服が私を拘束するでしょう。全く、私が少し意見しただけでこれですか。いいですか夜道、もしもあなたが、万が一にでも捕まってしまったら。――ともかく、暴れてください。補習部屋にはアシュリー・スタンフィールドと、……日柳アザ――』
そこまでで通話は切れた。
「……マズイな。そこまでの強硬手段に出るとは。くそ。マキナ、おいマキナ。起きろ!」
夜道はマキナを揺らして、起こそうと試みた。
「……ん、んん。何よ。もう少し寝てても良いじゃない……」
「よくない! 急いでここから移動するぞ。生徒会のアホが防衛委員会を送り込んでくるんだ!」
「防衛委員会? 何よ、あそこはとっくの昔に解散したじゃない」
「その説明をしてる暇は無い。いいから早く準備……!」
夜道は今起きた現象について、警戒のスイッチを入れた。滅多に起こりえない現象だったからだ。
空間に穴が開いている。一人は通れるであろう穴だ。
――空間制圧!?
夜道は心底驚く。この祭葉学園で空間制圧を行えるものは夜道のみ。一葉もつかえないわけではないが、とても実用的ではない。実質夜道一人。そのはずだった。
目の前の大穴の正体を、夜道は一目で見抜いた。座標と座標をつなぐ、一種のワームホールだ。それは夜道が習得しようとしてできなかった、最も難易度の高い空間制圧。
直感する。この穴から出現するモノは、価値観をひっくり返す可能性があると。
「――誰だお前は」
穴から出現したそれに夜道は問いかけた。
紫色の制服。良く知る顔。不正を以って地位を得た、と噂される男子生徒。
「心外な。貴様だって知っているだろう。私は榎田海座。生徒会長だ」
男はそう名乗った。
「生徒会長が私達に何の用かしら?」
「それは愚問だ。分かってるはずだろう。緋之宮マキナ」
マキナは挑発的に、しかし警戒を解かずに言った。
「いや、違う」
夜道はマキナの言葉を否定する。
夜道には見えていた。目の前の生徒会長の姿が、はっきりと。
「違う? 何が」
「そいつは榎田海座じゃない。学年はどこだ。クラスはどこだ。どこの部活動に所属していて、どこの委員会に所属している。子どもだけの学園で、何故年齢が五十を超えている。もう一度聞く、――お前は誰だ。俺の『目』をごまかせると思うなよ! 名乗れ。いいや、俺が言ってやる。【祭葉宗三郎】。それがお前の名前だ!」
ほう、と榎田海座――ではなく、祭葉宗三郎は関心したように言った。
「素晴らしいな。その目は。まるで閻魔帳だ。そうだ、私は榎田海座ではない。祭葉宗三郎だ。私の肩書きもばれているのだろう? そうだ、学園長にして、祭葉学園の経営母体である『祭葉コーポレーション』の社長だ」
「なるほど、この学園唯一の大人か」
「私は緋之宮マキナに用がある。そこをどいてくれないか」
「断る、と言ってやる」
「いいや、それは選択肢として存在しない。緋之宮マキナは僕が攫い、貴様は補習部屋に閉じ込められる」
「もう一度言わなきゃ駄目か。断る」
思考操作。指定は祭葉宗三郎と、その周囲の空間。発動したのは空間凍結。右手は拳銃を抜いていて、さらにマキナを三重の結界で被って保護する。
――気を抜いてはいけない。油断したらやられる。
夜道は頭に痛みを感じた。万力で締められているようだった。空間凍結に結界の同時発動は、夜道の電脳体に重い負荷を与えた。
だが、そんなことを言っている場合ではなかった。夜道以上の空間制圧の使い手。それの存在を脅威と呼ばずにいられようか。
「良くねえ。それは良くねえなあ。海月夜道」
しかし、その処理は途中で中断してしまった。異物の存在を夜道は察知した。ワームホールだ。人を届ける亜空間の道がもう一つ生成されていた。
「ちい!」
結界及び空間凍結処理を強制停止。そうしなければ処理が間に合わない。すぐさま物理障壁の発動に切り替える。
眼前に展開された物理障壁。それが一筋の弾丸を受け止めた。
「いい加減お前の気配は覚えたぞ。爪を隠せない足音と、獲物を狙う下品な目。げらげらと内心で笑いながら、お前は何度も届かぬ弾丸を撃ち続ける。木戸幸太郎。お前か!」
名前を呼ばれた男。木戸幸太郎は夜道に応える様に姿を現した。今彼は黒い制服を脱ぎ、赤い制服を着ていた。
赤い制服。それは紛れも無く防衛委員会のものだった。
「再就職が決まって良かったな」
「おうよ。委員会をやめるように言われた時には、この先どう食いぶちを繋ぐかとあせったんだがな、生徒会長が俺を拾ってくださった。『君の指導公安員会としての経験を活かしたい』だってよ。ぎゃはははは、俺はこいつをずっと何も考えてない馬鹿だと思ってたけどよ、中々ヒトを目がある。見直したぜ」
「大分テンションが高いな。その制服のおかげか?」
「良く知ってるじゃねえか。そうだ! 黒制服の権限は【マスターキー】、この赤制服の権限は【動作安定】! こいつの効果で、どんなことがあっても冷静でいられる。おかげでお前を目の前にしても足がすくまねえ。全く、この権限は黒制服にもつけて欲しかったぜ」
違う、と夜道は内心で否定する。夜道は知っている。防衛委員会の赤い制服に付与された本当の権限を。
――赤制服。それに与えられた権限の本当の効果は恐怖心を消失させ、気分を高揚させるというものだ。厄介極まりない。これはヒトをゾンビにする装備だ。もはやアイツは殴られようと撃たれようと蹴られようと、例え重機でミンチにされそうになろうとも、どんな試みも恐れないだろう。
「残酷だ。祭葉宗三郎。お前はそこまでしてマキナが欲しいのか」
「ああ、欲しいとも。例えこの学園を犠牲にしたとしても、その少女は絶対に必要だ。であるから海月夜道。私は手段を問わん」
「ッ!」
夜道は空間制圧を得意としている。その為、空間情報の変化には人一倍敏感だった。
空間の湾曲、座標の同期、位置情報の齟齬の修正。新たなワームホールの出現を察知した。
――一つや二つじゃない。十でも利かない。一体いくつの穴を開けるつもりだ。
その数は、夜道の予想で百は超えていた。さらに、ワームホールの出現位置は、宗三郎の背後。
「さあ出てこいテメエら! 防衛委員会復活の復活の狼煙は、海月夜道の骸で焚いてやろうじゃねえか!」
幸太郎の宣言と同時に、ワームホールから生徒が現れる。誰も彼もが赤制服を着用していた。百に及ぶ通路から、夜道達を拘束するためだけに集められた軍団が続々と湧いてきたのだ。
その数はおよそ千を超える。公安委員会、それと南部からかき集めたのだろう、と夜道は予想した。
それら全員が笑っている。人間災害と恐れられた夜道を目の前にして、飢えた肉食獣の様に笑っている。
彼らは全員夜道に煮え湯を飲まされた生徒だ。その夜道に対して復讐の機会が今であった。彼らは今、どうしようもないほどに気分が良かった。
――それに加えて結界が張ってある。俺の結界じゃない。俺達を逃がさないため、だろう。
「さて、どうするのだ海月夜道。私が命令を下せば、赤制服の輩がすぐにでも動き出す。貴様に逃げ場などない」
その通りだ、と夜道は口に出さずに肯定した。
夜道は結論付けた。現状は積みだ、と。
「夜道……」
マキナは不安で、その言葉も弱弱しい。
――そんな顔をしないでくれ
夜道はマキナの顔を見るのが苦痛だった。
その不安を、少しでも早く解消したかった。
――なら、どうする? 現状は不利。だが、ひっくり返す手段はある。
その力はかつて旧中央学生街を崩壊させたもの。
しかし、と夜道は思う。
その手段を取った場合。マキナが自分を見る目が変わってしまうかもしれないからだ。現実として、学園内殆どの生徒の見る目は変わったのだから。
だが、とまた逆説が浮かんだ。昨晩、マキナは何と言った、と。
――ああ
夜道は気が付いた。余りに遅い気が付きだった。
――きっと俺は、マキナを守りたいと思ってる。たとえどんなことがあっても。たとえ嫌われることになっても。
――そしてほぼ確信している。マキナはどんなことがあっても、俺のことは嫌わない。最後まで信じてくれる。
夜道はその妙な感情に名前をつけることが出来なかった。と言うよりは、名前をつけるのを拒んだ。
その感情は、死ぬ前に最後に感じた感情に似ていた。
「マキナ、お前は一体何を不安がっているんだ」
「だって……」
「不安なら、他ならぬ元死神部隊の俺が、あいつに宣言してやる」
夜道は宗三郎を指差す。そして言った。
「その兵装で。その装備で。その練度で。その程度の余裕で。本気で俺を止めるつもりだったのか?」
「は――!」
宗三郎は夜道に対してひどく呆れた。どうしてこの状況で、そんなはったりをかますのか。苦し紛れの言葉にしか聞こえなかった。
だから嘲け、笑おうとした。夜道に勝ち筋などない。そう確信していたからだ。
「ほざけよ、祭葉宗三郎。俺を過小評価しすぎだ。俺を誰だと思っている。そもそも、人間災害と呼ばれた俺に、人間をぶつける方が間違っている」
夜道が手をまっすぐにかざす。手のひらが、赤制服の生徒に良く見えるように。
瞬間。そう、まさに一瞬の出来事だ。
「――貴様。それは」
奇跡的にその一瞬を宗三郎は捉えることが出来た。その悲劇を回避できたのは奇跡と言ってもいい。
宗三郎は横へ飛んだ。回避行動だ。そして、宗三郎の真後ろにいた赤制服の生徒は見た。視界がぐにゃりと曲がる様子を。
――曲がった? 何故?
正確には視界が曲がったのではない。空間が曲がったのだ。夜道が手をかざしたその地点から、まっすぐ己に向かって伸びる空間が。
水あめの様に曲がる。ミルクコーヒーの様に混ざる。それの歪んだ空間は、真っ直ぐに伸びた。
「え――?」
名前すら語られないこの赤制服の生徒が、夜道の空間制圧の最初の犠牲者となった。次の犠牲者はその後ろの生徒、次の犠牲者はさらに後ろの生徒。その次の犠牲者と。
「ふっざけんじゃねえ! てめえまだ奥の手があったのか。なんだそりゃあ!? ビームか? レーザーか? 一瞬で! 一直線に並んだ連中が一瞬で保健室送りにされちまった!」
激昂する。幸太郎は夜道の手から一直線に伸びた黒いそれをビーム、レーザーと称した。確かに一見すればそう見える。
「いいや、違う」
だがそれを宗三郎は否定した。幸太郎がビームと称したそれは、決して夜道から発射された物ではないからだ。
「【空間破壊】……空間を破壊する書き換え行動! 空間破壊に巻き込まれた物体は、同時に破壊される」
「そうだ祭葉宗三郎。ワームホールの生成方法を習得する課程で憶えた、俺の中で最もパワーのある攻撃行動だ。残念ながら、当のワームホールは習得できなかったけどな。あれは俺が使うには繊細すぎる。
いいか祭葉宗三郎。結界はな、四方八方の攻撃から身を守るための防壁じゃない。空間を切り取って情報量を減らし、その内部空間をハックしやすくするための物だ。空間は狭ければ狭いほど、情報量は少なくなる。いわば俺の師匠はそう言った。俺達を逃がさないための結界? 間抜け、その結界の内側なら俺はチートモードだ。ああ、今更結界を解除しても無駄だ。既に俺の結界が重ねて貼ってある」
夜道はもう一度手をかざす。その先にいるのは当然宗三郎。
空間制圧を得意とする宗三郎もまた、空間の変化に敏感であった。その為、避ける。割れた空間が黒い直線となる。進路のオブジェクトが全て破壊される。空間は学園の回復プログラムが修復し、元どおりになる。だが、破壊されたオブジェクトは戻らない。直撃を受けた生徒は、破壊的な損傷を受けて保健室に送られる。
「怯むな! 物量で押しつぶせ! 空間制圧は処理が重いんだ、連続で使えるもんじゃねえ。やられる前にぶっ殺せ!」
幸太郎が指示で、赤制服の軍団は応、応! と夜道に襲い掛かる。ある物は刀剣で、あるものは銃で。あるいはハッキングで。赤い制服は彼らから恐怖を奪う。ゆえに、夜道という絶対的な存在に怯える物はいない。
「囲め! あの黒い線のレンジに入るな!」
幸太郎はそう指示を出す。
ぱちん、と指を鳴らす音が聞こえた。
「させるものですか! 私だってやるんだから!」
結晶の巨大な壁が生成される。その壁は赤制服の軍団の両脇にせり出した。それは夜道達を囲もうと広がる生徒の進路を阻む。結果的に擬似的な袋小路となり、夜道には絶好の攻撃機会となった。
「いいぞマキナ!」「……ごめん、私。何も考えずに」「安心しろ、結界で防御してやる。ゆっくり休むんだ」
夜道は思考操作で、目の前の空間に十枚のホロウィンドウを投影した。そこには幾何学模様のようなものが書きつけてあった。夜道だけが読み取ることができる暗号化文章である。やがてそれは複雑に噛み合った歯車のように動き出す。プログラムが起動したのだ。その暗号化文章は、夜道の空間破壊を代行する。このホロウィンドウはたった今、砲台としての機能を有した。
「はったりだ! アレを何度も撃ててたまるか――!」
幸太郎はなお突撃を慣行する。
木戸幸太郎は知っている。いや、ほとんどの生徒が知識として知っていた。空間制圧は電脳体に大きな負荷を強いるということだ。
だから、十枚のホロウィンドウを見てもそれはブラフだと判断した。
――どう考えてもリソース不足だ! だから、さっきてめえは処理を無理矢理止めて物理障壁を張ったんじゃねえのか!? アレがお前の限界なら、そんな同時処理を行えるわけがねえ!
「はったり? だからお前は間抜けなんだ。ブラフが今ここで有効な手段だと思ったのか。このホロウィンドウは、紛れも無く真だ」
夜道がホロウィンドウのスイッチを入れた。
そして十のホロウィンドウはエネルギーを貯めるように一瞬の間を置いて、先ほど夜道が放った空間破壊と同じ動作を行った。黒い線の一本一本は細いが、横並びのホロウィンドウは広範囲にわたって空間を破壊した。
結晶の袋小路、その中の空間はズタズタにされた。なぎ払われた生徒は重傷ではすまない。一瞬で危険状態の判定をされ、保健室に飛ばされた。
「あ――」
幸太郎は黒い線に貫かれる。赤制服に穴を開けて、幸太郎の電脳体に致命的な損傷を与える。
その瞬間、赤制服の権限は無効となった。幸太郎に押さえ込まれていた恐怖が襲う。だが、幸太郎は幸運だった。その絶望は一瞬で、絶叫をあげる間もなく保健室送りとなったのだから。
「ちぃ――!」
宗三郎は仮想キーボードを投影した。そして夜道に対してハッキングを仕掛ける。対象はホロウィンドウ。それに対して書き換えを行う。そのハッキングは成功し、夜道のホロウィンドウは崩壊して消えた。
「――十五枚」
夜道は再びホロウィンドウを投影した。先ほどと同じ物を、今度は五枚増やして。
宗三郎は再びそれらを崩壊させる。
「――二十枚」
夜道は一瞬でホロウィンドウを投影する。最初の二倍の量だ。
崩壊させる。二十五枚に増える。崩壊させる。三十枚に増える。
「馬鹿な。海月夜道。お前のやっていることは電脳体に負荷をかける行為だ。電脳体のセーフティーを超えている。もうとっくに電脳体自体が崩壊を起こしていてもおかしくないはずだ。結界の内側だから? 確かに処理は軽くなるだろう。それを加味して考えてもありえん」
「何でだろうな。だが、有り得てる」
三十本の黒い筋が赤制服の集団に飛ぶ。
大戦艦の砲塔。悪魔の刃。無慈悲な獣の爪痕。抗い難い一瞬。最悪の機能不全。後に、赤制服の生徒達はその破壊を様々に形容した。
「――全滅、か」
「ああそうだ。お前が容易した駒は全てこの場から消え失せたぞ。あとはお前だけだ。祭葉宗三郎。マキナは俺が守る。それが契約だ。さあたった一人の大人、どうする? どうやって俺に届かせる?」
「貴様は何だ。この破壊活動に抵抗は無いのか」
「ある。だが、やると決めた後は――不思議だな、俺はどうしようも無く徹底的だ。そのせいで誰も俺を見なくなったのに、なぜか妥協できる。徹底するために、障害を排除するために」
病的だ。と宗三郎は思った。
なぜそんなにも簡単に攻撃できるのか。幾千の叫びを聞いて平気でいられるのか。大人である宗三郎には、子供たる夜道のその発言を理解できなかった。
――当然か。そういえばここは、そういう子供を集めた学園だったな。病的で、救えない子供たち。
「障害を排除するため。……成程、なら僕にも考えがある」
「その前に、お前が保健室に――ああ、生徒じゃないヤツが保健室に送られたらどうなるんだろうな。とりあえず新聞部は飛びつくだろうな。まあいいか。とりあえず、死ね(・・)」
「落ち着け、海月夜道。これを見てからでも遅くはないだろう。何、悪役の常套手段だ」
思考操作。祭葉宗三郎によるハッキング。
その対象は、緋之宮マキナ。
「何――」
その時だった。
マキナは酷い動悸の変化を感じた。まるで外から虫が体に侵入してくる様。
――そんな、これって……
それはマキナが忘れようとしていた感覚。思考を蝕まれる感覚。三年振りの強制命令、脅迫観念。
「……あ、ぁ。くら、げ」
「目を覚ましたのか。……どうした、マキナ」
マキナは明らかに不調を起こしていた。夜道は結界を解いて、マキナの様子を確認しようとした。
「ッ! 駄目! 駄目よ、くらげ。それ以上近づいちゃ嫌! 嫌、嫌、いやぁ! どうして、どうしてなの! どうして! 私はもう自由のはず! そうでしょう、私は私を破壊してここに来たんだから! なんでよ、祭葉コーポレーション!」
発狂。尋常ではない様子だった。
――自由? 破壊? 祭葉コーポレーション?
関連性が見出せない単語の羅列に夜道は疑問を抱く。
「ああ――アンタのせいね、祭葉宗三郎! いや、いや、嫌……。私は、もう殺したくない。私の恋を、殺したくない!
これは罰なの? 嘘をついた罰なの――? 都合よく助けてなんて言ったから――ああ、ああああああ!」
発狂はやがて慟哭へと変わった。その言葉の意味は、やはり夜道には捉えられなかった。
「落ち着けマキナ。大丈夫だ、俺が何とかするから」
「だめ、今理解したわ。私には、そんな資格なかった……アンタに助けてなんて言う資格なんて――ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……私ごときが人間の真似事なんてしようとしたから。物を食べるのは楽しかった。背中に乗るのは心地よかった。体を触られるのは恥ずかしかった。近づきたかった、人間に。だって、そうじゃなきゃ――くらげぇ……」
そう言うとマキナは夜道に一歩近づく、一歩、また一歩と。
「お願い、これが最後の私の理性――」
「……マキナ?」
「こんな愚かで、裏切り者で、アンタに恋する資格のない、私を、助けて。海月夜道、様」
「な――」
聞き覚えのある呼び声、その正体を掴む前に夜道は腹部に異常を感じた。
マキナの手には結晶が握られていた。だが、それまでマキナが生み出していた結晶とは違うもの。銀色に自ら発光していて、とてつもないエネルギーを感じるもの。
海月夜道の腹に、それが突き刺さっていた。
「――なん、で」
「……こんなことになるなら。くらげのことを知らないフリするんじゃなかった。でも、私は嫌われるのが怖いの。でも、私はアンタのことが大好き――ずっと昔から。ああ、でもこんなことになるなら、壊れたままでよかった。あの夜に、部屋の隅で壊れたままの機械でありたかった! だって、こんなに苦しいなら――!」




