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余談

「と、言うわけでね。海月夜道はまー結構追い詰められてるのよ。いやーひどかったわ、あの時の新聞部とかSNSでの叩き様は。大炎上よ大炎上。あの事件の前までは、結構彼の働きを賞賛する声をあったんだけどね。あなたみたいに(・・・・・・・)。この反動はキツいわよねー、多分」

「……そんな」


 理子の話を聞いた燐。その話はひどく壮大な失敗談で、あまりに救いが無い物だった。

 さあっと、燐の顔から血の気が引く。不本意なことだったとは言え、そのトラウマの引き金を引いてしまったからだ。

 ふとして色紙を見る。僅かに線が震えているのは気のせいであって欲しいと燐は願う。


「私は……」


 自責する。だが、燐を襲っているのはそれだけではない。

 海月夜道。

 凛々燐にとって、憧れの人物。燐の中で作り上げられたヒーロー像。

 それが、目の前で崩れるのをはっきり見てしまったのだ。

 そして、それを崩してしまったのは、


「私……!」


 その一人称を発するのが、燐には苦しい。

 告げる。お前の中の英雄を殺したのは誰だ。お前だ、と。

 余計なことを言わなければ良かった。想像するだけにしておけばよかった。そうすればあの人は傷つかなかったのだから、と。


「うーん……?」


 理子の説明に疑問符を浮かべたのは、今まで黙っていた歌草舞だ。


「海月さん、そんなに怖い人なんですか……?」


 え? と燐が小さく驚く。


「私、あの人に助けてもらった時、全然そんな風に思いませんでした。西部は頭のおかしい街です。混沌とした雰囲気で、その空気の中なら何をしても許されると思っている人の集まりが、西部です。でも、海月さんは、なんですか、その。ちょっと違う感じです。分別がついてるっていうか、自分を持ってるっていいますか……。あ、そうです。お人よしって感じです。ブレない(・・・・)お人よし。だからきっと、私を助けてくれたんですよね。無視しても何も問題ないはずなのに」


 それが、舞が夜道に対して感じた率直な感想だった。

 理子はその言葉に驚き――苦笑し、答える。


「当然の感想ね。だって、あなた達はあの壊れた街を見てないもの。現実感を奪う、あの風景を」


 弾けた建造物。砂のように溶けるオブジェクト。焼けた観葉植物。泣きながら保健室に転送される生徒。壊れた空間に張り付く『no data』の表示。

 絶望的な破壊の風景を、理子の電脳体が思い出す。


 ――だけど


「――それでいいのよ。新しい世代のあなた達は、あの風景を知らない。だから海月夜道のことは、多分私達よりもすっと受け入れられる。もしあの人に少し関心があるなら、見たままの海月夜道を憶えなさい。この学園に蔓延する、この拒絶の空気を浄化するのは、何も知らないあなた達。分かる? 燐。ほら、めそめそするんじゃないの。大丈夫よ。あなた何も悪く無いもの。ショックだったかもしれないけど、そういうあなたの無知が、いずれ海月夜道を救うわ。ね? 燐。あなたは間違ってないわ」


 理子は燐をなだめるように背中を軽く。


「部長」

「鈴乃音先輩ね。いつになったらそう読んでくれるの?」

「……ありがとうございます」

「うん、うん」


 ぽん、ぽん、と叩く。ぽん、どん、と。


「……部長」


 燐が指摘する。


「鈴乃音先輩だってば」

「強くなってる」

「気のせいよ。ごめん嘘」


 ドン、と強めの平手が燐に飛ぶ。犯人は理子だ。


「あっ」


 力いっぱい叩かれた燐はバランスを崩す。犬の情報を取り込んだ合成獣(キメラ)である理子の腕力は平均的な女子の基準よりも高い。スタートダッシュのような勢いで飛ばされた燐は、そのまま直進し、


「きゃっ」


 燐が飛び込んだのは、柔らかな感触と、ぬくもりを感じるクッション。要するに胸。爆乳。舞の胸である。


「……」

「ふあっ!? 燐ちゃん、ちょっと、やめ、はわあぁぁぁぁぁ……」

「爆乳死ね」

「ひどいっ!? 好きでこんなに膨らませたわけじゃないですっ!」

「殺す」

「殺害予告!? 部長、どうしてこんなことしたんですかっ!」

「……いやー、ちょっと頭に来たことを思い出して。燐、あなたよ。あなた」


 ――微妙に目が笑ってない。


 燐は理子を見て、そう思った。


「な、何……」

「あなたに言いたいことがあるわ。――私は接客もできるし、事務処理もできる。けど、そんなことやりたくないわね。面倒だもの」


 一体何を言い出したんだ、と燐は呆然とする。

 すると、舞はどこか合点したように言った。


「私も簡単な料理と事務処理はできます。けど、やりたくないです。接客で手が一杯ですから」


 ――あ。


 その二つのやり取りで、燐は気がついた。


 ――この二人は、私を励まそうとしている。


「燐。私達にはあなたが必要よ。生前、どんなことがあったか知らないし。興味もないわ。だってそれは、ここで一緒に部活をすることに何も関係ないもの、ね」


 そう言って、理子は燐の頭にぽん、と手を置いた。そして、


「……部長。髪、わしゃわしゃしないで」

「断る。かわいい後輩のかわいい反応がみたいんだもの」

「……客が来たらどうする? 私は裏方。けど、さすがにくしゃくしゃの髪の毛で作業したくないい」

「あ、それならいいわ。今日はもうお店閉めるもの」

「ちょっとまってください。それはどういうことですかっ」


 舞驚きと疑問の声を上げる。そして、続ける。


「一応営業時間はまだありますけど……。折角ですし、もう少し待ちませんか?」


 そう舞は提案する。


「あー。違う違う。もう私が料理できないのよ」

「それは? 何でですか?」


 当然の疑問があがる。調理器具は全て正常に動く。材料はまだある。それなのに、今日の営業を終わるとはどういうことなのか、と。


「いやほら、私犬の合成獣(キメラ)でしょ。だから鼻が良く効のよ。それは調理してるときに結構便利なんだけど、その鼻が曲がっちゃってもう機能しないのよ。とんでもない悪臭を嗅いじゃって。おかげでもー、甘いも辛いもわからないわ」

「何か腐らせた?」

「それならまだマシね。あなた達は気がつかなかったでしょうけど。今日もの凄い密度を持った臭いが店の中に入ってきたのよ。あれはそうね……十、百? いや、それじゃきかないわ。五千? ……いや、一万ね。一万人分のにおいが、一人の生徒から発せられてたのよ。

 ――緋之宮マキナ、あの子は一体何者?」


 ◇ ◇ ◇


 中央学生街(セントラル)。そこは祭葉学園の中でもっともクリーンな場所で、都市と呼ぶに値する場所だ。そこは学園の機能を支える様々な機能を有しており、一番学校らしい動きをしている。

 巨大な時計塔は、中央の象徴的な建物。ロンドンあたりに建てられても、決して見劣りはしないであろう立派な作りをしている。

 その最上階には、一つの部屋がある。様々な調度品が並べられた、まるで貴族の住処のようなその部屋は、選ばれた生徒以外は入室を許されていない。

 生徒会室。そう呼ばれる場所には、今は一人しかいない。その他の役員は既に帰路についた。もう既に時計は日付を跨ごうとしているのだから、当然だろう。

 紫色の制服を着た生徒会長、榎田(えのきだ)海座(かいざ)は窓から外を見ていた。そこは学園を一望できる絶景のスポットで、その窓に映る『今世紀最低の無能会長』などと呼ばれる彼は、いつもにましていらいらしていた。


 ――公安は一体何をしている!

 一向に良い報告が来ない。ついさっき来た報告は、『海月夜道に邪魔された』だった。

 ――海月夜道! あの人間災害! なんであいつが僕の邪魔を! 今日は『あの人』が来るのに!


 海座は独断で、他の役員に秘密で公安を動かしていた。その目的は、日之宮マキナの確保。彼にはそうしなくてはいけない理由があるのだ。

 無能と呼ばれた海座とて、緋之宮マキナの拘束命令が理に適わない、突拍子のないものであることくらいは理解できた。それを実行に移したのは、単に彼が脅されているからである。


 ――!


 ぞわり、と身の毛がよだつような感覚が走る。隠し切れない負の気配。それが生徒会室に突然現れたのだ。

 ゆっくりと、海座は後ろを向いた。そこには、一つの穴があった。ちょうど、成年男性一人分が通れそうな直径の穴だ。

 海座はそこから現れるモノの正体を知っていた。それを初めて見たとき、ひどく驚いたのを彼は覚えている。

 なぜなら、この学園に大人がいるとは思わなかったからだ。


「……調子はどうだ。榎田海座」


 祭葉コーポレーション社長兼祭葉学園学園長。その長い肩書きを持つこの男は、祭葉宗三郎と言った。

 その見てくれは非常に痩せこけていて、スーツはボロボロで、眼鏡は黒く曇っている。一目見ると不審者のそれである。もっとも特徴的な外見は、膝から下が透けて見えなくなっているということだろう。

 まるで幽霊(ゴースト)。薄気味悪さで言えば、これ以上のものはなかった。


「この前よりはっきりとお前がみえるよ」

「電脳体の修復が若干修復が進んだからな。昔、爆発に巻き込まれた時、ばら撒かれた粒子に電脳体を破壊するウィルスが混ざっていた。……そのせいで、この様だ。常に修復をしないと、電脳体が崩壊してしまう」


 フン、と宗三郎は悪態をつく。薄汚れた白衣の女のことを思い出したのだ。


「……それで、まさか今日こそは良い報告が聞けるのだろう?」


 その言葉には、痩せたその体からは想像できない強い語気が入り混じっていた。それは海座を恐怖させ、喉まで出ていた言葉を麻痺させる。

 どうして海座はここで『緋之宮マキナを捕まえられなかった』と言えようか。

 海座は、宗三郎から緋之宮マキナを捕まえるよう、命令を受けていた。その目的は海座の知るところではない。しかし、宗三郎に生徒会の不正を突きつけられては、海座は黙って宗三郎の言うことを聞くしかない。

 予算の着服――そんなしょうもないことをしていたせいで、海座は理不尽な要求に応えざるを得なくなったのだ。


「緋之宮マキナを捕まえる為の最大限の努力はしている」

「ほう」

「今日、寮の警備を無理矢理破って、緋之宮マキナを引きずりだしたという報告を受けた」

「ほう、それで」


 出来るだけ言葉を選びながら、宗三郎に報告する。怒らせないよう、不愉快な思いをさせないようにと。


「だけど、あと一歩のところで。……本当にあと少しだったんだ。海月夜道という生徒に邪魔をされて、緋之宮マキナを取り逃がした。想定外だったんだ! まさか海月夜道が関わるなんて思わなかった!」

「……」


 海座は考える。海月夜道がいかに危険で規格外な生徒であるかを、適切に伝えるにはどうすればいいかと。

 すごい、やばい、マジで、とんでもない、つよい、ありえない、想像できない、甚だしい、夥しい、著しい、ものすごい、酷い、計り知れない、尋常でない、途方もない、極まりない……形容詞は並ぶが、それを海座は整理できない。焦りが、彼から思考能力を奪っていた。

 そうしているうちに、宗三郎の方が先に口を開いた。


「……海月夜道と緋之宮マキナは接触をしたのか?」

「え――」


 まさか質問されるとは思っていなかった海座は一瞬反応に遅れた。


「答えろ」

「あ、ああ。そのはず」

「そうか。……――なら、問題ない。良くやった。それは功績だ」


 耳に異常が無ければ、海座には宗三郎は自分のことを褒めた様に聞こえた。はっきり言って驚きだった。マキナを拘束できなかったことを責めるのが筋だろう、そう考えていたからだ。


「私はこの学園の長だ。だから、生徒の身体状態を見ることができる。緋之宮マキナは入学後。精神的な不全を患っていた。感情は発露せず、不眠症のアレは夜は気を失うまで眠らず、空腹を感じても食事をせず。ただ存在するだけのモノ。実際不良を起こしていたのだろう。こちらでは、彼女の健康状態をそう観測している。初めてのことだった。現実世界で健康だったモノが、電脳世界に入った瞬間ここまで極端に欝となるのは」


 宗三郎は突然つらつらと緋之宮マキナについて語り始めた。何故? と海座は耳を傾けるが、どうも釈然としないというのが本音だった。なぜこの話題が出たのか、わからなかったからだ。


「だが、それが改善する兆候が見られた。それが海月夜道という要素だ。緋之宮マキナが海月夜道の情報を得た場合に限って、僅かな反応が見られた。それも、健康状態の改善の反応だ。もしかしたら、緋之宮マキナと海月夜道を引き合わせればもっと改善するのでは? ……そこで、僕は緋之宮マキナを観測できなくなった。どうせあの女の妨害だろう。だから僕は直接学園に乗り込んで、緋之宮マキナと海月夜道を引き合わせる方法を画策した。

 ところが、僕は見ての通りの体だ。そう重い処理は出来ない。リソースのほとんどを電脳体の修復に回さなきゃならないからだ。だから、君達を使うことにした。無事緋之宮マキナをつれてきたなら、それでいい。緋之宮マキナと海月夜道が接触したなら、それでもいい。まあ連れて来れるに越したことは無いがね。君は無事、最低ラインの役目を果たしたのだよ」

「――はは、は」


 思わず乾いた笑いが出る。

 余りに悪質、海座はこの偶然に感謝した。無事役目を果たした――その言葉が、海座を安堵させる。


「ところで、僕とて全部君に投げてぼうっとしていたわけではない。試行していたのだよ。この、常に修復を続けなければ崩壊する電脳体をどう維持すればいいのか。結論から言うと、維持は難しいということになった。あまりに修復を続けるのは効率が悪い。だから――」


 ぞわり、とまた悪寒が海座を襲う。

 海座は自覚していないが、それこそが彼に与えられた特殊技能だった。危険信号を異常に敏感に察知することが出来る特殊技能。海座は今まで無意識的にこれを使って、危ない橋を渡ってきたのだ。

 だが、今の海座に。この生徒会室に。

 逃げ場など、なかった。


「な――」


 海座は驚きの声を上げることすら許されなかった。

 突然現れた無数の触手。その気味の悪い有機的なソレは、全て宗三郎から生えている。

 それが、海座にまとわりつく。

 最初に口から侵入した。

 次に肛門から。次は尿道。

 耳から。

 鼻から。

 目から。

 毛穴から。

 触手はあらゆる海座の穴から侵入し、電脳体をハックする。


 ――やめろ、やめろ。痛い。何をするんだ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 榎田■座はその痛みの中で、不思議な感覚に見舞われた。

 快楽だ。なぜか痛みの中で快楽を感じたのだ。まるで、眠りに落ちるような感覚だった。榎■■座は、その感覚を受け入れることにした。そうすると、幾分か痛みがマシになるように思えたからだ。


 ――痛み。快楽。眠い。眠りたい。眠ることは気持ちいい。何もかも忘れられる。

 ――さらさらしてる。まるで体から砂が落ちるような感覚だ。さらさらの砂が体を伝うのは、気持ちいい。


 その感覚は、決して気のせいではない。■■■座の体からは、実際に粒子のようなものがこぼれ落ちていた。それが、■座を定義づける、記憶や人格のデータであることには決して気がつかない。

 溶ける、溶けて行く。■■■座は殻だけになっていく。中身は溶けてなくなって行く。


 ――あーきもちーなー

 ――ところでおれのなまえなんだっけ。あーそーだ。■■■■だ。

 ――


 触手は抜けて、床で這い回っている。既に役目を果たしたそれらに存在価値は無く、やがて砂のように溶けて消えて行った。

 生徒会室には、榎田海座のものだった電脳体があるだけだ。触手は消え、祭葉宗三郎の電脳体は、電脳体の乗っ取りプログラム(・・・・・・・・・)の実行にリソースを割いたため、修復プログラムが動かず消滅した。


「上手く言ったか。危ない橋だったが……若い体はいいな。力が満ちるようだ」


 榎田海座の電脳体は残った。

 しかし、真の意味での榎田海座は削除された。

 榎田海座という入れ物には、今は祭葉宗三郎が入っていた。


「くは。くはははははははははは! これは良い! 電脳体の崩壊を気にしなくてもいいことが、これほど素晴らしいとは! くははははははははは」


 しきりに笑う。笑うだけ笑った。


「――さて、緋之宮マキナ。感動の再会をしたところ悪いが、君は僕が攫う。――転生計画(リコールプロジェクト)の完遂には、精神的に健康な君が必要なのだから」

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