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15章(2)

浩一は周囲が心配するほど身体を痛めつけた。

「もうこのくらいで……」

リハビリ技師の言葉も聞かずに黙々とトレーニングを重ねた。

そして病室に戻ると死んだように眠り、食事をしては自主トレに汗を流した。

浩二が引き継いだことで仕事の制約にも解放され、

気持ちはトレーニングに集中できたようだ。大変なのはジュンだった。

何しろ汗ばかりかくために、身体を拭いたり洗濯したりが異様に多いからだ。

「じゃあ、これ洗濯してきます」

ジュンは洗濯物を籠に入れ、病室を出て行った。

今日は着替えが4回、身体を拭いたのが3回、そして今シャワーを浴びたところだった。

いつでも浴室が使えるのも、個室の便利なところだった。

ジュンが出てからしばらくして、恵美が訪れた。

仕事の書類を持っていたが、差し当たり重要なものでもなかった。

浩二が気を利かせてくれたに過ぎない。

「おはようございます」

何時に会ってもその日の最初の挨拶は同じだった。勿論、横田の教えだ。

「ご苦労様」

浩一はベッドに座りなおし、気持ちよく恵美を迎えた。

「今日はこれを……」

そう言って手渡された書類を見て、浩一は笑った。

恵美にはその笑いの意味は通じないが、浩一の笑顔が戻って心から喜んでいた。

「浩二の方は順調ですか」

「はい、忙しそうですが順調そうです。あまり病院には顔を出せないが、

よろしくとのことでした」

恵美は笑顔で答えた。

「いや、順調ならば構わない。私も順調だと伝えてください」

浩一は嫌味のない笑顔を向けた。実際問題、浩一は少しも心配はしていなかった。

それは浩二への信頼と手腕を買っていたからだ。

自分がいなければ浩二がやるべき役職だとも思っていた。

「恵美さん、今日は遅くまで付き合ってくれますか」

突然の申し出に恵美は戸惑った。

「え?あ、はい」

理由はわからないが、浩一の誘いを断わることなど出来ない。

「実は、ジュンを少し休ませようかと……」

浩一は自分の事よりもジュンの心配をしていた。

それは浩一の気持ちに余裕が出てきたことであり、

昔の人を思いやる優しい浩一に戻ってきた証でも有った。

事故後の浩一ははっきり言って荒んだ態度に飲み込まれていたのだ。

「ええ、喜んで」

恵美は嬉しかった。浩一と堂々と一緒に居られる。話したくて仕方がなかったのだ。

ジュンは二人の好意に快くお礼を言った。

「じゃあ、恵美さん、浩一さんをよろしくお願いします。

それと20分で洗濯物の乾燥が終わるから、それもよろしくね」

ジュンは嬉しそうに病室を出て行った。

「ちゃっかりしてるな」

浩一は責めるわけでもなく、気持ちよく送り出した。恵美はじっとしてはいられなかった。

落ち着かないのだ。病院とは言え二人きりの時間。恵美はしきりに世話を焼いた。

お茶を飲むか、果物を剥こうかと浩一が呆れるほどだった。

しかしいくら動いても所詮は病室。やがてやることも尽き、恵美は浩一の側に座った。

「やっと、話せますね」

浩一は恵美の目から視線をそらさず、恵美は目のやり場に困った。

「私に話すことはありませんか」

浩一は恵美に尋ねた。恵美は戸惑った。何を話せと言うのだろうか。

恵美は浩一の発した言葉の真意をはかりかねた。

「え、何をですか」

咄嗟の言葉は、引き寄せられた浩一の唇によって塞がれた。

恵美は浩一を無意識のうちに突き放した。

「止めて下さい。どういうことですか」

驚きと一緒に、恵美の口から思いもよらぬ言葉が飛び出した。

恵美は思わず自分の口を両手で押さえた。

しかしそれは全てを吐き出したあとで、浩一にはしっかりと聞かれてしまった。

浩一は寂しそうに恵美を見つめ、何も言葉を発しなかった。

やりきれない時間だけが過ぎていった。


 その頃ジュンは銀座の店『来夢』に顔を出していた。

「ジュンちゃん久ぶりね」

相変わらず派手なママはジュンの顔を見るなり抱きついた。

「ご無沙汰してます」

ジュンは丁寧に頭を下げた。

「良いのよ。貴方を引き抜いたからって、毎日のように浩二さんが顔を出してくれるの、

飲まなくてもね」

ジュンはその時初めて知ったのだ。浩二は仕事と病院の合間に、

時間を作っては店に来てくれていたのだ。ジュンは感謝の気持ちでいっぱいだった。

「今日は飲んでいくでしょ」

ママに言われジュンは頭を下げ、カウンターに腰を下ろそうとした。

「良いの、こっちよ」

そう言ってママはボックスの良い席に案内した。

「でも、ママ……」

ジュンが断わろうとした時に、ママはジュンの前で人差し指を横に振った。

「浩二さんからの命令よ。ジュンが現れたら、私と同じに接待してくれって。

それに今日はまだ来てないから、そろそろ来るかもね」

そう言ってママはボーイを呼んだ。出されたボトルは勿論浩二の名前だった。

浩一達の急な好意を受け入れても、実際はジュンには行き場所がなかった。

そして訪れた古巣で、ジュンは人の温かさに触れた気がした。

『浩二さん、頂きます』ジュンの素直な心の声だった。


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