14章(1)
翌朝早くに浩二と康之が病室に現れた。ジュンは二人にお茶を出すと、
何も言わずに病室から姿を消した。仕事の話だとわかったからだ。
「浩一、浩二を副社長にする。いいか」
康之は唐突だが率直に話した。そして答えを待つかのようにじっと浩一の目を凝視した。
「はい、お任せします」
浩一はこの時が来るのを薄々感じていたのだ。もちろん快く聞くつもりだった。
康之はしっかりと頷くと更に話を続けた。
しかしその顔は険しかった。浩二の話よりも重要だと言う事は浩一にも直ぐに理解できた。
「浩一、そしてお前の待遇だが……」
康之の険しい表情は哀れみにも似た表情に変わった。
「言ってください」
浩一は覚悟を決めて聞き返した。
「うむ。浩一、お前は顧問にするつもりだ」
「現役を退けと……」
語尾を濁した。本当のところは、降格程度に思っていたのだ。
しかし顧問では実質的な引退と同じだ。浩一は気が重くなるのと同時に、
頭痛の種が疼きだすのを感じ始めていた。
「兄さん、今は治療に専念してほしいんだ」
浩二はこの時やっと重い口を開いた。
「そうだ浩一、今は元気になることが先決だ。元気になれば……」
康之の言葉を浩一が遮った。
「元気に?元気になっても自由に動けない、そんな僕に復帰など……」
嫌味など言うつもりは微塵も無かった。
それなのに口から漏れた言葉は二人の意見を批判するには十分だった。
浩一は苛立ち初め同時に頭痛も徐々に疼きを強めた。
「後任には誰を……」
浩一は息を整えながら康之に尋ねた。
「営業本部長を浩二の後釜にと思っている。今日の重役会議で計ることになるが……」
康之の話を聞き終わる前に、浩一はとうとう激しい頭痛に襲われ、
自分でも情けない声を上げてしまった。義之と浩二はどうしてよいかわからずに、
ただ慌てるだけだった。その声を聞いて廊下で待っていたジュンが駆け込んできた。
そして浩一を見てとると一杯の水と昨夜貰った薬を浩一に飲ませた。
「あまり興奮させないで下さい」
ジュンは二人を睨んだ。その顔は正直に二人を非難した顔つきだった。
康之と浩二はジュンに後を任せ社に向かった。
本来ならば、こんな状態では話してはいけなかったのかも知れない。
しかし浩一には言っておきたかった。事後報告のほうが傷つくと思ったからだ。
ところが予想以上に浩一は混乱したようだ。
そう、受け入れられないとでも抗議するようにさえ思えた。
時期早計だったと康之は反省したが、重役会からの意向を無視するわけにもいかなかった。
重役会では、半ば空席状態の副社長の椅子について、再三の要望書が届けられていたのだ。
浩二が昨夜あれだけ反対したことが、今更になって康之には理解できた。
双子の心は確かに似ていた。
社に向かう車の中で、黙って外を見つめる浩二に、康之は話しかけた。
「どうだろうか、お前の意見を聞きたい」
「なんですか」浩二は外を見つめたまま返事を返した。
浩二には浩一の辛さが手に取るように理解できたからだ。
「浩一は元に戻れるだろうか……」
「今更……」浩二は言葉を切ったが、堰が崩壊するように続けて言い放った。
「私が昨夜あれだけ反対したにも関わらず、たった今、兄に死刑宣告をしたんですよ。
仕事に誇りを持って今まで頑張ってきた兄に……」
しかし康之は少しも動じた様子を見せなかった。
「お前の気持ちも、浩一の気持ちも良くわかる。しかし会社を私物化することは出来ん」
「わかっています。確かに兄の身体は元には戻らないでしょう。しかし、
仕事復帰は出来ると思ってます。いや、兄ならば障害を乗り越えても、
必ず復帰出来たでしょう。ところが父さんはその道を閉ざした。兄の奮起を損なったのです」昨夜と同じ様な答えだが、浩二の気持ちに偽りは無かった。
双子ならではの信頼関係がその気持ちを不動のものにしていたのだ。
康之は腕を組み考えた、浩二の意見は昨夜のうちに聞いていた。
しかし、社の為と心を鬼に変えて今日に望んだのだ。そして浩一の態度……。
父親としては明らかな失敗だった。社は確かに大事だが家族はそれ以上に大事なことを、
二人の息子から教えられた気がした。
「浩二」康之の呼びかけに浩二は返事も返さなかった。
ただ奥歯を噛み締め窓の外の流れる景色を、じっと見つめるだけだった。
「お前は兼任できるか」返事を待たずに康之は言った。
「え」浩二は言葉の意図を計りかねた。
「本部長の昇格は見合わせる。浩一が戻るまで、お前は兼任できるか」
「はい。必ず」浩二の答えは強くそしてはっきりとした自信が窺えた。
それを見て康之も心を決めたのだ。携帯電話を取り出し社に連絡を入れた。
社では既に重役会の準備が始まっていたが、連絡を受けた男は議題のテーマから一つを削除した。『本部長の昇格の件』それは各テーブルに置かれた分厚い紙の束の中からと、
正面に据えられたホワイトボードから跡形も無く消え去った。