13章(4)
浩一がふと目を覚ますと、浩二の姿は既に無くジュン一人がソファで目を閉じていた。病室は消灯時間も過ぎているようで、スタンドの灯りとキッチンの照明だけが点いていた。浩一は夢を思い出した。顔の見えない女性はジュンではない。ソファで眠るジュンと、夢の女性を比べた答えだ。しかし、その声だけは聞き覚えがあるような気がした。だが答えは出ない。どこで聞いたのか、最近聞いた気もするが、遠い昔のような気もする。浩一はまたも激しい頭痛に襲われそうになった。なぜか自分自身が拒否しているように思えて仕方なかった。ゆっくりと息を整え、浩一は頭痛が起きない様に、気持ちを落ち着けた。やがて規則正しい呼吸と共に、頭痛の種は薄らいでいった。
「ジュン、ジュン」浩一はジュンを呼んだ。声を出すと頭の奥が響くように疼いた。
「ううん・・・え?」ジュンは目を開け浩一に駆け寄った。
「どうしたの、大丈夫」ジュンは目を細めながらも、心配そうな眼差しを浩一に向けた。
「ああ、また頭痛が起こりそうになった。一応、看護婦から薬を貰ってほしい」
「わかったわ」ジュンが行こうと振り向いた時、いきなり浩一が腕を掴んだ。
「ジュン、すまない……。君じゃなかったんだね」
「だから、だから何度も言ったでしょ。私とは付き合ってないわと」
「そうだった……」ジュンは優しく微笑むと浩一の手をゆっくりと払い、病室を出て行った。浩一の頭痛は完全に治まっていた。それでもジュンの顔をしっかり見たい為の小さな嘘だった。そして至近距離から見たジュンは、明らかに夢の人物ではないと確信できた。声もまた然り……
「貰ってきたわ、今、飲むの」ジュンが薬を差し出したが、浩一は首を振った。
「いいや、いらない。それより、聞きたいことがある」
「なに……」ジュンは身構えた。
「君は、知ってるね。僕の恋人を……」ジュンの思って通りの質問だった。
「知らないわ。浩一さん教えてくれなかったもの」ジュンは予め用意されていた答えを、頭で整理しながら伝えた。この答えは浩二と作ったものだった。お互いに同じ答えを言わなくてつじつまが合わなくなるためだ。
「え、教えなかった」浩一は正直に驚いた。浩二とジュンに秘密にするような女性と付き合っていたのかと思ったからだ。
「そう、怪しいな、ってみんなで話しても、言わなかったのよ」ジュンは、更に話を続けた。
「言わなかった。僕が……」もちろん全て出たら目だ。恵美から固く口止めされていたからだが、ジュンは気の迷いを感じずに居られなかった。
浩一は何故自分が報告しなかったのかが、疑問に思えて仕方なかった。ジュンはともかく、浩二にまで隠す必要がどこにあったのだろうか。
考えるうちに頭の奥が疼きだした。浩一が無理に思い出そうとしたり考えたりすると、頭痛は容赦なく襲い掛かってきた。浩一は気持ちを抑えゆっくりと息を整えた。どうやら薬よりも効くようだ。ジュンはそんな浩一を心配そうに見ていたが、どうする事もできない自分が情けなかった。
それでも、無理やり薬を飲ますと浩一は静かに目を瞑った。まだ、外は暗闇に支配されていた。車の通りも完全に途絶えていた。ジュンは窓から表を見ながら、急に自分の仕事に嫌気が差した。繁華街は一晩中起きてはいるが、ここの住人達は深い眠りについている。そして灯りの消えた住宅達は心を休めているようだ。そんな風景が当たり前に思え、朝まで働く自分が異世界の住人に思えたのだ。そう、今見える世界が平凡だが当たり前に写り、幸せにさえ感じたのだ。単なる付き添いでしかないが、こんな生活にも少なからず幸せに感じたからだ。今のジュンには旦那の看病をする妻の心境に思えた。浩一が眠りに落ちたのを確認してから、ジュンもソファで目を閉じた。どちらにしろ、ジュンの付き添う時間は限られているのだ。その頃浩二は、父康之と膝を突き合わせていた。どちらも真剣な眼差しで、浩二は一方的に頷くだけだった。結局、山田家の照明は夜を徹して灯っていた。