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13章(3)

鎮静剤を注射され、浩一は落ち着きを取り戻しそのまま眠りに付いた。看護婦の話では、思い出そうとする気持ちが頭痛を呼び起こすのか、急激な頭の回転に脳が付いて行かないせいだと二人に説明した。そのことは以前医師から聞かされていたにも関わらず、二人の驚きは半端では無かった。それほどまで苦しむ浩一を見たことが無かったからだ。特に浩二は浩一との意思がシンクロしたのか、同時に激しい頭痛に襲われたのだ。

静かな寝息を立て始めた浩一を見て、ジュンは小声で浩二に話しかけた。

「戦っているのね。浩一さんも」眠ってはいるが、眼球は激しく動き続けていた。

「ああ。頭の中でね。きっと何かを思い出しそうなんだ」浩二も浩一の顔を覗き込んだ。時折苦痛の表情を浮かべるその顔は、痩せ細り血色も良くは無かった。乾ききった唇は皮がむけ荒れ放題。頬の肉は削げ落ち瞼も大きく落ち窪んでいた。食事が取れないのだから仕方のないことだが、精神的な衝撃も計り知れなかった。浩二はその顔を直視するのがやっとの想いだった。

 浩一は夢をみていた。それは夢か記憶かははっきりとは分からない。だが現実味を帯びた夢だった。夢の中の浩一はある女性とぶつかり、定期入れを落とした。その女性は自分の名を呼んで驚いていた。残念なことは、その女性の顔は霧に包まれたように、はっきりとは見えない。

その女性はハイヒールの踵を折り、足首を捻挫したようだ。たち上がるのももどかしく、その女性は困り果てていた。そのとき自分は何を思ったのか、『行きましょう。送ります』とだけ伝え、半ば強引にその女性をタクシーに押し込んだ。そして女性から自宅を運転手に告げさせた。

もちろん夢の中の話ゆえ、浩一はどもりも恥ずかしさも無かった。しかしタクシーの中では終始口を開かなかった。それでもこれほど近距離で女性と接した事は浩一にとっては極稀なことだ。その女性の息使いまで聞こえてきていた。その呼吸は浩一の疲れた心を癒すような、規則正しい息使いに感じた。自分は結局タクシーの中では顔さえ見れなかった。それでも最後に女性が礼を行言った時に見た顔は、やはり霧がかかったようにぼやけていた。それでも何処かに安心し心奪われる自分をはっきりと意識していたのだ。浩一は夢の中でも考えていた。『誰だろう……』と。

 浩二とジュンは次の作戦を練り始めた。幸い浩一は鎮静剤で深い眠りについている。

「じゃあ、料理屋で再会した時は」ジュンが尋ねた。

「それも大きな出来事だが、ここでどうやって再現してみせる」ジュンも浩二も病室を見回した。広さは十分にあるが、座敷を作る訳にも行かないし、まさか酒や料理を用意することも出来ない。ジュンは首を振って答えた。

「そうね。難しいわね」しかしジュンは何かを思い出したように話を続けた。

「うちのお店は……無理か、ここでは」ところが同じ状況に思え、言葉を閉ざした。今度は浩二が気が付いた。

「ちょっと待てよ。恵美さんは今薄化粧だね。来夢でやった化粧はどうだろう。もちろんジュンが施した化粧だよ」実際に浩二もその時の恵美の変化に心を奪われたのだ。ジュンが恵美を化粧室に連れ込み施した時だ。考えればその時以来、浩一と浩二は恵美に少なからず好意を持ったのは確かなようだ。

「そうね、今なら変化も大きいし、刺激にはなるかもね。病室では出来ること限られるし、なんでもやりましょう」かと言って直ぐに何かを出来るわけではない。当の浩一は深い眠りの中だし、恵美はここにはいない。結局、二人は何も出来ずにソファに座り込むだけだった。ジュンは思い出したようにお茶を煎れ、浩二と自分の前のテーブルに置いた。長い沈黙のあと、浩二が口を開いた。

「ジュン、本当は兄貴が好きなんだろう。違うか」

「そう……、思う。でも、私には太刀打ちできないわ、恵美さんの愛には」

「そうだね」浩二はそのまま黙ってしまった。恵美の兄への気持ちは痛いほど理解できる。理解できるからこそ浩二も辛く言葉を失ってしまったのだ。

確かに恵美は強い。その辺の女性よりも、銀座で働く一流の女性よりも、そのことが恵美を好きになった理由かも知れない。また沈黙が流れた。

「浩二さん」今度はジュンが沈黙を破った。

「浩二さんも恵美さんを好きなんでしょ」流石にジュンだ。浩二の気持ちは見透かされていた。浩二は別段驚きもしなかった。

「ああ。兄と一緒だ。僕と兄は同時に恵美さんを好きになった。その後の展開では兄に負けてしまったけど、一歩違えば……、そんなことばかり考えていたよ。でも、現実に恵美さんは兄を選んだ。そして二人は僕にとってもかけがえのない人たちだ。応援しないわけには行かないだろう」

「そうね、私もそれに同感だわ。浩一さんにはお世話になり通しだし、恵美さんは同じ女性から見ても魅力的。第一心が綺麗。私なんかよりずっと……」

一瞬浩二は、そんなジュンに女の一部を垣間見た気がした。そしてまた、長い沈黙が二人を包み込んだ。


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