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12章(2)

月曜日、出社した途端それは始まった。徹底的に恵美は皆から無視されたのだ。挨拶をしても返されない。優秀な秘書は一日の大半は役員に付ききりだが。ここに居る秘書は、勉強中、或いは臨時や第二秘書が主だった。それでも、秘書の仕事など縁のなかった恵美には、なに一つ分からない。恵美の素性を知っているのは秘書課長だけだ。目に見える嫌がらせが遠慮無しに恵美を襲った。さすがに恵美を不憫に思ったのか、別室に呼び出した。

「良いのですか、このままで」部屋のドアを閉めるなり、秘書課長は恵美に尋ねた。

「はい、ちゃんと仕事がしたいのです。何か方法はありますか」全て予期していたことで、恵美はいたって冷静に答えた。前にプロジェクトチームに入った時も同じだった。ただ違うことは、経験の有無であり未知の分野だった。プロジェクトの時は、あくまでも経理の仕事だったからだ。

「普通は新人講習を受けるのですが、貴方の場合時間がない。そうですね」秘書課長は、ある程度の話を聞いているようだ。

「はい、1日も早く副社長について仕事をしたいのですが」

「では、こうしましょう。まず、基本の資料を渡します。その後は実地で経験して下さい。横田君は御存知ですね」

「横田さんですか」恵美はその名前を聞いたことがなかった。それどころか、役員などの名前すらもほとんど知らないことに気が付いた。

「副社長の第一秘書です」恵美の疑問を察知したのか、秘書課長はすぐに答えた。そして、会社の資料や研修に使うテキスト、社員名簿を恵美に渡した。それから電話で横田を呼び出した。

「今、来ますから、少々待っていてください」呼び出された秘書は、恵美の想像通りの男だった。浩二の失踪を聞いた日に泣きながら訪れた時に、浩一の部屋の前にいた男。それが横田だった。横田も話だけは聞いていたのか、恵美の姿を見てもそれほどの驚きの表情を見せなかった。

「なんでしょう」横田は軽く頭を下げた。副社長の秘書と言っても実際には、役職もなく秘書課の社員と待遇では変わりはしない。それでも秘書課長は丁寧な態度で挨拶を交わした。

「忙しいところを申し訳ない。恵美さんは知っていますね。今日から一緒にお願いできるかな」横田は恵美を見ると、無表情で答えた。

「分かりました。今日から私の元で働いてもらいます」

「では、お願いします」秘書課長は恵美に向き直り話を続けた。

「じゃあ、このまま横田君の元で勉強してください。彼は優秀な秘書です。直ぐに覚えられますよ」課長は安堵の表情を浮かべた。

「お願いします」恵美は深く頭を下げた。そして荷物を取りに行った。

「大丈夫かね」恵美の姿が見えなくなると、秘書課長は小声で横田に尋ねた。

「ええ、お任せを」横田は静かに答えたが、その顔には微かな笑いが浮かんでいた。

 横田に伴われて、恵美は浩一のオフィスに足を踏み入れた。部屋は前に来たときと寸分違わずに見えた。数少ない置物の位置までもが、まるで同じに見えた。横田は恵美に秘書としてやるべき初めの仕事を与えた。

「まずは、部屋の掃除です。実際には掃除婦が毎晩掃除に来ますが、それでは不十分です」横田の口調は丁寧だった。しかし恵美にはどこが不十分なのかが分からずに、首を傾けた。窓も磨かれ、床も綺麗に見えたからだ。横田はその動きに直ぐに気がついた。

「恵美さん、迷ったり疑問に思っても、それを表に出してはいけません。特に役員の前では、能力を疑われます」恵美はそのとき初めて、自分が首を傾けているのに気がついた。

「すいません・・私は・・」恵美は慌てて頭を下げた。

「謝ってもいけません。これは叱責ではなく、アドバイスです。むしろお礼を言うのが当たり前です」恵美は横田の冷静な態度と判断に脱帽した。

「解りました。ありがとうございます」横田は静かに頷いた。

「では、話を戻します。見たようになんの変哲もない部屋ですが、副社長の色が出ています。解りますか」恵美は首を傾けようとする自分に気がつき、そしてその行動を抑えた。

「解りません」恵美ははっきりと思ったことを口に出した。

「そうです。それで良いのです。ただ、私には解ります」恵美は黙って横田の話に耳を傾けた。それは普通の新人教育には思えなかったからだ。

「見てくださいデスクの上を」横田はデスクに近寄った。恵美もそれに続いた。

「このペン皿。並び方はいつも同じでなければいけません」そのペン皿には、鉛筆、万年筆、赤ペン、黒ペン、ボールペンが整然と並んでいた。

2本の鉛筆は綺麗に削られ、長さも同じだった。それを見て恵美は、横田の言わんとすることが理解できたのだ。『常に同じ状態を保つ』だ。

この横田という男は、並の人間ではないと恵美は実感した。浩一から信頼されるには、それ相応の仕事をこなさなくてはいけないのだと、恵美は気持ちを引き締めた。それから恵美は、横田から心構えの基礎から教え込まれた。秘書のあるべき姿を・・・。


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