表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/61

12章(1)

恵美は早めに目を覚まし、ゆっくりと温泉に浸かった。昨夜のお酒はほとんど残ってはいないが、これから京子に会うのだ。サッパリと笑顔で会いたいと思ったからだ。今の恵美は胸のつかえが一つずつ取り払われ、心は僅かに軽くなったようだ。ただ、昨夜の聡子の涙は気になった。浩二からも連絡の取れなかった二日間のことは、一切聞かされていない。何かの繋がりが伺えたが、はっきりとはしないことで、悩むほど恵美の心に余裕はなかった。朝食を終え、フロントで清算中に聡子が現れた。

「おはようございます」聡子は昨日のことなど気にも止めない様子で挨拶を交わした。

「ごめんなさいね。今日は子供も一緒なの」そう言って聡子は車のドアを開けた。

「知恵、後ろに移って頂戴」聡子は優しく知恵に言った。

「はい、ママ」嫌な顔一つせずに、知恵は後部座席に移動した。

「おはよう。ごめんね。お邪魔して」恵美は笑いを浮かべて助手席に乗り込んだ。

「娘の知恵よ」聡子はシートベルトをしながら、恵美に紹介した。

「初めまして、千恵ちゃん。恵美です」恵美はしっかりと頭を下げた。

「こちらこそよろしくおねがいします」知恵の返事に聡子も恵美も噴出した。女の子はませるのが早いが、知恵の挨拶は普通の大人よりも丁寧だった。聡子は目を見開き、首を振った。『私は知らないわよ』まさにそう言いたげだった。そのとき知恵が不思議なことを口走った。

「このお姉さん、あのおじさんと同じ匂いがするね」恵美は一瞬戸惑った。誰と同じ匂いがするのか理解し兼ねたのだ。或いは単なる恵美の妄想なのかは解らない。聡子は慌てることなく、恵美に話した。

「この子、昔から敏感なのよね」とぼけているようではない。恵美が後部を振り返った時、知恵はぬいぐるみで遊んでいたので、それ以上詮索するのを止めてしまった。そのまま病院に着く間、取り止めのない話が交わされたが、恵美はどうしても胸に引っかかるものを感じていた。聡子は表情一つ変えない。思い過ごしだろうか。恵美は昨夜のことも考えたたが、聡子の人柄からは想像すら出来なかった。

 京子はすっかりと元気を取り戻していた。母親は既に田舎に戻っていたが、明日の退院時には来る事になっているようだ。聡子は子供が居るからと、送り届けるとそのまま戻っていった。友人の再会を邪魔しないとでも言うように。

「でも、寂しくなるわ」ベッド脇のスツールに腰を下ろし、京子の顔をじっと見ながら恵美は呟いた。

「一生、会えないわけではないわよ」京子は明るく話すが、恵美の心には心配が残った。もちろん生活のことではない。浩二に対しての気持ちが理解出来ないからだ。今までその話には触れなかった為だ。しかし恵美は浩二の現状を見てきたばかり。しかしそれを話しても良いものか、今までずっと悩み続けていたのだ。

「そうそう、雅子もよろしくと言っていたわ」実際には、雅子からそんな言葉は聞いてはいない。雅子の顔を潰す気もない気持ちから出た言葉だが、それでも京子は嬉しそうだった。京子にもそのくらいは分かっていただろう。京子も雅子の性格を知っていたから。二人の会話は少なかった。

恵美は慎重に言葉を選び、京子の心を掴もうと努力した。しかし明日は初出勤だ。いつまでものんびりもしていられない、恵美は迷いに迷った挙句、浩二のことを京子に話した。しばらく俯いていた京子だが、やがて笑い始めた。

「それで立ち直れば良いけど」京子の笑顔を見て、恵美は内心胸を撫で下ろした。どうやら京子も吹っ切れたようだ。そう見えただけかも知れないが、京子は立ち直ろうとしているのは確かだ。酷かも知れないが、京子がしっかりと現実を受け入れたことで、恵美も安心して別れを告げられると思ったのだ。

「元気でね。何かあったら、電話してね」恵美の目には涙が浮かんだが、その顔は晴々とした表情だ。京子の目には既に次の世界が広がっていた。

恵美は京子の未来が明るく幸せなものになるように、心から祈った。そして硬い抱擁のあと、恵美と京子は別れた。その別れは決して悲しい別れではなかったと、恵美は上り電車の中で確信した。電車の窓が都会の表情を写し始めると、恵美はあと数時間後に迫った初出勤に、覚悟するかのように強く頷いた。『見ていて、京子。私も負けないわ』恵美は固く拳を握り締めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ