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11章(4)

恵美は6時には熱海の旅館にたどり着いた。聡子の姿は見えない。おそらく忙しいのであろうし、フロント専門という訳でも無かった。恵美はフロントに名前を告げて、すみれの間に通された。こじんまりとはしているが、落ち着けそうな部屋で恵美は気に入った。

「いらっしゃい」程無くして聡子が部屋に現れた。私服だった。

「お世話になります。仕事はどうしたんですか」予約の連絡を入れた時は、仕事だと言っていたのだ。

「へへ、早引きさせてもらいました」聡子は小さく舌を出して、おどけて見せた。

「なんで、お子さんでも・・」聡子には子供が居るはずだ。

「違うのよ、恵美さんと晩酌でも、と思って」聡子は大げさに手を振った。

「平気なんですか、土曜日だし・・・・」恵美は聡子が無理を言ったのではと気になった。

「女将さんね、調べたのよ、旦那さんの会社を、驚いてたわ」声をひそめているつもりだろうが、その声は徐々に大きくなっていった。

「だから、機嫌よく言ってたわ『仲良くしてね』だって」聡子は胸を張って話を続けた。旅館の女将さんが調べるのは当たり前だろう。

前回は浩一のカードでの支払いだが、追加の場合は請求は会社に回すように伝えたからだ。そこで浩一の会社の大きさに驚いても、無理からぬことだった。女将としては、大事なお得意さんになるかの瀬戸際なのだ。聡子を快く送っても勝算ありと思ったのだろう。二人は夕食前に一緒に温泉に浸かった。

「綺麗な肌ね」聡子は恵美の肌をまじまじと見つめた。聡子とはそんなに年が離れている訳でもない。

「聡子さんも十分綺麗ですよ」湯に浸かりながら並んでいると、本当の姉妹のように感じてきた。

「私はもう駄目よ。手入れもしていないし、第一、もう子供もいるから」どんな理由が有るにしろ、聡子は子持ちなのだ。何処かにひけ目を感じているようにも見えた。恵美は時折見せる寂しげな表情から、辛い出来事があったのかと想像するしかなかった。

「いいえ、今に時代は、一度の離婚など誰も気にしませんよ」聡子は力なく笑い、何度も頷いた。聡子の心配は娘の知恵だけだった。どちらかと言えば人見知りな知恵が、浩二になついた事も驚きだったが、いつまでも忘れられない自分にも驚いていたのだ。それから二人は背中を流しあった。

温泉からあがると、既に食事が運ばれていた。しかも夕食はしっかりとビール、お銚子まで用意されていた。食事の最中に女将が顔を出した。満面の笑みを浮かべて挨拶する女将は、恵美に深々と頭を下げた。

「いつもありがとうございます」年は五十を越えているだろうか、身なりのきちんとした女将だった。

「いえ、こちらこそお世話になります」恵美はそう言って頭を下げた。女将の話はもっぱら浩一の会社の話だった。その理由は、聡子からも聞いていたし、差し障りのない程度に話した。恵美にしたところで、さほど詳しくはないのだ。なんと言っても、月曜から初出勤なのだ。女将も恵美を浩一の妻と思っているようだ。恵美は否定もしなかった。否定したら否定したで、色々な詮索をされるのが解っていたからだ。もちろん聡子にも言っていない。今は、言う必要がないと思えたからだ。

「では、ごゆっくり」女将は二度ほどビールを注ぐ間に、ほとんど話し続けだった。女将が出て行くと同時に、聡子は笑い出した。

「ねえ、おかしいでしょう。私にまでお酌して行ったわ」恵美も笑い出した。考えればおかしな話だ。笑いが落ち着くと聡子は思い出したように浩二の話を持ち出した。

「義弟さん。元気ですか」聡子は少し酔った様で、身体が揺れ始めていた。

「ええ、元気です」そう言いながらも、聡子が浩二を気に掛けるのが不思議に思えた。

「何かありました?」恵美はおかしな質問とは思ったが、酔いに任せて聡子に聞いた。聡子は一瞬だけ目を丸くしたが、ゆっくりと答えた。

「あの日、一人でお部屋に入られてから、かなりお飲みでしたから・・・」聡子はそこで俯いた。聡子は何度か恵美を見たが、何も話さずにビールを飲み干した。恵美も浩二が来た日のことを思い出した。恵美の部屋を出たあと浩二は東京には帰らず、同じ旅館に泊まったことを初めて知った。

そして行方をくらましたのだ。『もしかしたら、何か知っているのでは』と思ったが、恵美は聡子に聞くことは出来なかった。

「酔ったかしら。そろそろ、失礼しなくちゃね。子供も迎えに行かなくちゃ・・・」そう言って聡子は立ち上がった。聡子の酔いは足にきていた。よろけたと思うと、襖に手を這わせその場に座り込んだ。

「大丈夫ですか」恵美は聡子に駆け寄った。見ると聡子は涙を流しているのだ。

「何かあったのですか」聡子は返事も出来なかった。流れる涙を止めきれないようだ。恵美は優しく抱きしめた。聡子はしばらく泣き続け、やがて思い出したように我に帰り、照れ笑いを浮かべて何度も頭を振り回した。

「よし、大丈夫。子供を迎えに行かなくちゃ」聡子は足を踏ん張りドアまで行くと、恵美に頭を下げてこう言った。

「今日は、ありがとう。なぜかスッキリしたわ、明日は病院まで送るわね」その顔には悲しみは見えず、安堵の表情がうかがえた。

「いいえ、こちらこそ楽しい時間をありがとうございました」恵美は泣いた理由を聞かなかった。人には話したくない事など、山ほどあるのを恵美は身をもって知っていたからだ。聡子もその時になったら、いつか話してくれるだろうと思ったからだ。涙のわけは、人それぞれ・・・。


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