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5章(1)

 結局、京子は見つからなかった。二人が見た黒い陰は、どこへともなく消え去ったのだ。声を出して呼んではみたが京子の返事はなく、無限に広がる闇が二人の声を掻き消した。あの名所にも行ってみた。2台の車が駐車していたが、曇るガラスからはカップルと思われる声が聞こえていた。あたりをくまなく探してみたが、どこにも京子の姿は見つけられなかった。恵美は断崖を覗き込んだ。名前を呼ばれた気がしたのだ。しかしその声は風の悪戯で、白く砕けた波だけが黒い世界に浮かんでいた。二人が旅館に戻ったのは、10時近くだった。女中も心配していたのか、二人が戻ると駆け足で出てきた。恵美が首を振ると、女中は小さなため息をついた。そして、恵美に尋ねた。

「一応、警察には連絡しましょうか?」

「そうですね・・・・」恵美はそれ以上言葉が出てこない。涙が言葉を封じ込めたのだ。

「お願いします」代わりに浩一が答えた。

「分かりました。お風呂でも入ってください。その間に、お食事の用意をしておきます」どうやら、食事も遅らせてくれたようだ。浩一は丁寧にお礼を言って、恵美を部屋へと抱えていった。

「お風呂は?」浩一の言葉に、恵美は首を振った。

「そう・・・。一人で大丈夫?僕は入ってきます」走り回った浩一は、汗と砂とで汚れていた。

「ええ、入ってきてください」恵美はどうにか答えた。浩一が心配そうな顔を残して部屋を出て行くと、すぐに食事が運ばれてきた。運ばれてきた料理はどれも出来立てらしく、厨房にも迷惑を掛けた様だった。恵美は深く頭を下げ、お礼の言葉を伝えた。

「良いんですよ。・・・お友達、心配ですね」女中は料理を並べながら言った。

「ええ、彼女は、優しすぎるから・・・」京子はどこに行ったのだろう。恵美は自分の無力さを呪った。

「きっとお友達は元気ですよ。ビールでもお持ちしましょうか」できるだけ明るく尋ねる女中に、恵美は力なく笑ったが、気持ちはありがたく受け取った。

「じゃあ、2本ほどお願いします」浩一にも迷惑を掛けてしまった。せめて風呂上りの一杯は飲ませてあげたくてビールを頼んだ。女中はにっこりと笑って部屋を出て行った。程なくして浩一も部屋に戻ってきた。風呂上りで垂れた前髪は、浩一を余計に幼く見せていた。

「ありがとう」恵美のお酌でビールを貰い、浩一は笑って答えた。

「恵美さんは?」浩一が差し出したビールを、恵美は断わった。それでも無理して笑顔を作り、食事に手を伸ばした。お刺身に煮物、綺麗なお皿に並べられた数々の料理。普段の恵美ならば喜んで頬張ったことだろう。それでも1口食べて、恵美は呟いた。

「おいし・・・」料理は美味しかった。だが、空腹のはずだがそれ以上恵美の箸は動かなかった。悲しそうな表情で浩一は恵美を見ていた。その代り浩一は食べられるだけを口に詰め込んだ。厨房の心配りへの感謝だろう。料理を残すことが出来なかったのだ。そんな浩一を見て、恵美の箸も少しずつ動き始めた。恵美の残りも浩一が片付け、出された料理は綺麗に片付き、下げに来た女中も驚くほどだった。少しでも料理を口にしたのが良かったのか、恵美は僅かだが元気を取り戻した。

「私も、お風呂行ってきます」笑顔もずっと明るくなってきた。浩一はそんな恵美の気丈さに心を打たれ、一つの決心に至った。『恵美を嫁にする』そして、愛情が大きく膨らむ自分に言い聞かせた。『必ず幸せにする』

 化粧を落とした恵美は美しかった。銀座でジュンが施した化粧もいいが、浩一の好みは薄化粧だ。恵美はほんのりと頬を朱に染め、敷かれた布団に座り込んだ。お互いに恥かしがり新婚夫婦のようだった。時折見せる恵美の悲しそうな表情さえなければ、おそらく浩一は恵美を奪っていただろう。しかし浩一は黙って電気を消し、自分の布団に潜り込んだ。恵美の布団から嗚咽が聞こえたのは、しばらくたってからだった。浩一は自分の判断が正しかったと、そ知らぬ素振りで寝たふりを続けた。そのうち小さな寝息が聞こえ、浩一も深い眠りに落ちていった。

 恵美は夢を見た。広い草原に雛菊が咲き乱れていた。浩一と手をつなぎ草原を歩いていると、遠くに京子の姿が現れた。恵美は駆け出そうとしたが、浩一は恵美の手を離さなかった。顔には深い悲しみが浮かび、浩一は黙って首を振った。京子は恵美には気が付かない様子で、ドンドンと遠くに向かい歩き続けている。恵美は浩一の手を振り解き、京子に向かって走り出した。どんなに必死に走っても、京子の姿は更に遠く小さくなっていき、やがて立ち込める霧に隠れてしまった。『京子〜』恵美は叫んだ。おそらく声に出したのだろう。浩一が恵美をゆすり起こした。

「大丈夫?」浩一が恵美の顔を覗き込んでいた。

「うん」恵美は布団に顔を隠して答えた。

「うなされたみたいだから」

「夢を見たの・・・。もう大丈夫。ありがとう」あたりは明るくなり始めていた。

「もう少し、寝たほうがいいね」そう言って浩一が布団に戻ろうとした時だった。

「一緒に・・・」か細い恵美の声が浩一の動きを止めた。一瞬戸惑った浩一だが、ゆっくりと恵美の布団に潜り込んだ。恵美は後ろを向いていた。浩一は後ろから恵美を抱きしめ、ゆっくりと振り向かせた。恵美は目を閉じている。浩一は優しく唇を重ね、恵美の背中を愛撫した。恵美の中で何かが弾けた。浩一にすがりつき激しく唇を吸い上げると、自ら寝巻きの帯を解いた。白く弾力のある肌があらわになり、浩一もその肌にすがりついた。二人の行為は激しかった。我慢が最高潮に達していたのだろう。堰を切ったように感情がぶつかり合い、お互いを深く求め合った。そんな二人を、朝の日差しが優しく包み始めた。


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